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アンサンブル・ノマド結成20周年記念”饗宴” vol.1 20世紀の華

ラッコ鍋(笑)。





このところ出張や会食続きでブログ更新もままなりませんが、記憶が薄れる前に・・・


 アンサンブル・ノマド第59回定期演奏会
 2017年9月23日@東京オペラシティリサイタルホール

 P.ヴァスクス: 遠き光(1996-97)
   vn: 野口千代光 指揮: 中川賢一
 M.フェルドマン: ヴィオラ・イン・マイ・ライフⅢ・Ⅰ・Ⅱ(1970)
   va: 花田和加子 指揮: 佐藤紀雄
 I.クセナキス: エオンタ(1963)
   pf: 中川賢一 指揮:佐藤紀雄
 武満徹: 波・ウェイヴス(1976)
   cl: 菊池秀夫


ネットでたまたま目に留まったこのコンサート、クセナキスのエオンタを生で聴ける機会など、残りの生涯でどれだけあるだろうかと思わずチケットを押さえました。結果、エオンタに限らず、本当に感動する演奏会でした。感動といっても色んな種類があるのだけれど、情でも知でもない、なんというか魂を根底から揺すぶられるというか、ああ聴きに行って良かったと心の底から思えるような体験でした。

まずはヴァスクスの「遠き光」。このアンサンブル・ノマド結成20周年記念コンサートは「”饗宴” メンバーによる協奏曲集」と銘打たれていて、この作品はヴァイオリン・ソロと弦楽合奏(4-4-3-2-1)によるもの。ギドン・クレーメルが取り上げているのでご存じのかたも多いと思いますが、徹底的に悲劇的な短調で書かれた作品。その悲劇的な色調というのは、敢えて喩えればバーバーの弦楽のためのアダージョみたいな感じもするが、あのアダージョがケネディの死とか映画「プラトーン」とは何の関係もないのと同様、ヴァスクスが生まれたラトビアという国の過酷な歴史と結び付けることは慎まねばならない。しかし、ヤナーチェクの「1.X.1905.」の得体の知れない悲劇性に対して、それを言葉にしようと思えば、音楽の背景にある歴史を引き合いに出さなければどうにも説明のつかないものが残るのと同様、単に作曲上のメチエをあれこれ並べてもどうにも割り切れないもの、胸を塞ぐような重苦しいものが残る。かなり長い作品で、聴いて楽しいものではないが、曲の中程よりすこし終わり方、ヴァイオリンのカデンツァのあとの地獄の扉が開いたかのようなグロテスクなワルツなど、最後まで聴かせる力があることは確か。演奏も見事でした。

短い休憩のあと、佐藤紀雄氏が舞台に出てきて、フェルドマンの演奏に際してパンフレットやチラシは手に持たず鞄のなかへ、という異例のお願いをされました。ひたすらピアニッシモの世界が続くフェルドマンの演奏前には実に賢明な措置。また曲順をⅢ・Ⅰ・Ⅱの順で行うこと、これは直感によるもので理論的な説明はできないこと、もっとも作品自体、三曲を一気に演奏することは想定していないこと、などをお話しされました。この日演奏されたヴィオラと小オーケストラのための作品は、フェルドマンがケージに傾倒していた時期から後期の静謐な世界に移行し始める時期のもので、点描法というのか、ポツポツと現れてしばらく空間を漂った後しずかに消えていく音が実に美しい。息をするのも憚られるような静寂の中、指揮者が手を降ろして初めて深く息をつくというのは、若干聴き手にマゾヒスティックな姿勢を取らせるところもあるが、これこそフェルドマンを生で聴く愉しみではありました。

もう一度短い休憩を挟んでいよいよお目当ての「エオンタ」。演奏会でクセナキスを聴くのは、はるか昔にストラスブール・パーカッション・アンサンブルが来日したときの「プレイヤード」以来かもしれません。私はこの「エオンタ」が好きで、昔は高橋悠治のレコードくらいしかなかったけれど、最近はyoutubeでけっこう色んな演奏が聴けたりする。ピアノパートは基本的に「ヘルマ」と似た書法が多く、ピアノの全域に亘って確率的に(耳で聴けはほとんど無作為のように)音が現れ、しかも五連符と六連符を重ね合わせて更にいくつもの装飾音符が付くといったもの。これに金管五重奏(2tp・3tb)のノイジーな合奏が重なるのだが、これまでCDやyoutubeで聴いてきた演奏を大きく分けるとピアノのchaoticな側面を強調したもの(技巧的な制約でchaoticにならざるを得ないものも含む)と、それでも必死に論理的な書法を伝えようともがいているようなものに大別出来るような気がします。中川賢一のピアノは、どちらかと言えばchaoticに近いということになるのだと思うが、土台楽譜通りに弾くことはほぼ不可能であり、一瞬でも気を抜けば即崩壊してしまうような書法に対して、鬼気迫る形相でとにもかくにも弾き切ったことに対して私は震撼させられました。エオンタのピアノについて巧い下手を云々することは、実際に自分で弾いたことのある人間だけにしか許されないだろうというのが私の持論。金管の5人は舞台の上を歩き回り、ばらばらの方向に向かって楽器を吹く(そのために舞台袖に二人の副指揮者がつく)。その凶暴なグリッサンドやトレモロは白亜ではなくてまさに浅田彰のいう「古い赤土のギリシャ」の世界だと思う。ピアノ・金管とも見事な演奏だったと思いますが、この日一番のMVPはピアノの譜めくりのお姉さんだったかも。Boosey&Hawkesのスタディスコアをお持ちの方は分かっていただけると思いますが、アレは並みの読譜力では目で追えるシロモノではありません。

最後の武満徹の「ウェイヴス」、私は武満に対してすこし苦手意識があるけれど、これは傑作だと思います。舞台中央にクラリネット、舞台上手よりに打楽器奏者の奏するバスドラム、中央後方にホルン、それを挟むように二人のトロンボーン。ホルン奏者の横には薄い銅鑼のような楽器、トロンボーン奏者の横にはスネアドラムが配されていて、強く楽器を吹くと銅鑼やスネアが共振して微かに砂がこぼれるような音を発する。楽譜を照らすライト以外は照明が落とされ、文字通り波が寄せては返すような響きが続く。それは繊細極まりないのだが、音響の羅列ではなくて音楽としての自律性を感じさせるだけの強靭な何かがあって、いつもの「タケミツトーン」とは少し色合いの異なる音楽だと思う。最初に私が「傑作」と書いた所以です。

以上、駆け足で備忘を書いたのだが、それにしてもアンサンブル・ノマドの軌跡というのは素晴らしい。その長い業績の中でも、この日のプログラムは特に聞き手の咀嚼力を要するものだろうと思います。私が通常の意味でコンサート・ゴーアーになれないのは、別に古典やロマン派を忌避しているのではなくて、たまにこういった演奏会に行くとなると、それなりに準備をして、当日必死の思いで咀嚼し、そのあと時間を掛けて反芻するだけの時間が必要となるから、というのが当たっているかも知れません。実際、一昨年のツィンマーマンのレクイエムの演奏会や、今回の演奏会のあと、しばらく虚脱状態になって音楽を聴くのが少し辛くなります。こういった現象を何と呼べばいいのか、すこし考えあぐねています。
(この項終り)

by nekomatalistener | 2017-10-01 23:32 | 演奏会レビュー