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ヒンデミット 「カルディヤック」 カイルベルト指揮D.フィッシャー=ディースカウ他

いつもの散髪屋で、充電式のバリカンで襟足から後頭部にかけて刈り込んでるときに、いきなり「ジャッ!」と音がして髪の毛大量に噛み込んだままバリカンが止まってしまった。おもわず「イデデデ・・・」と叫んだのが私も散髪屋の兄ちゃんもツボにはまってしまい、しばらく双方笑いがとまらず悶絶(涙)。





新国立劇場のオペラ研修所公演が今年もまた3月に行なわれます。昨年はツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」とラヴェルの「スペインの時」の二本立てでしたが、今年はヒンデミットの「カルディヤック」。演目が渋すぎます。今まで食わず嫌いで、ベレゾフスキーの弾いた「ルードゥス・トナリス」と「1922年」の組合せのCD以外ほとんどまともに聴いてこなかったヒンデミットですが、まずはCDで予習と相成った次第。


  カルディヤック: ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
  その娘: レオノーレ・キルシュタイン
  士官: ドナルド・グローブ
  金商人: カール・クリスティアン・コーン
  騎士: エーベルハルト・カッツ
  貴婦人: エリーザベト・ゼーデルシュトレーム
  憲兵隊長: ヴィリ・ネット
  ヨーゼフ・カイルベルト指揮ケルン放送交響楽団・合唱団
  1968年ラジオ放送録音
  CD:ALLEGRO OPD-1427


このCD、シノプシスは附いてますが対訳なし。ドイツ語のリブレットはネットで入手しましたが英訳は見つからず(なぜかイタリア語とスペイン語の対訳は見つかりました)。珍しいオペラだが、それにしても手掛かりが少なくて閉口します。
まずは原作を読んでみました。E.T.A.ホフマンの『スキュデリ嬢』(吉田六郎訳、岩波文庫)、これがめっぽう面白い。ゴシックホラー風でもあり、推理小説風でもある。一説には推理小説はポーの1841年の小説『モルグ街の殺人』に始まると言いますが、1819年に発表されたこちらの小説も十分にミステリとしての面白さを備えています。謎を解決するのは73歳になる老嬢スキュデリで、17世紀のパリに実在した人物。ルイ14世の知遇を得て大活躍をしますが、もう一人の主人公と言ってよいのが金細工職人のカルディヤック(邦訳ではカルディラックと表記されています)。スキュデリを主人公と見るか、カルディヤックを主人公と見るかで作品観も大きく変わってくる訳だが、後者の見方については訳者のあとがきでヴァルター・ハーリヒのホフマン論を引用して「カルディラックは生まれながら「生(ダス・レーベン)」即ち人の世、と相容れぬ悖徳の芸術家魂を賦与された名匠である。芸術家魂とは、市民の掟では律し切れぬ悪魔的な執心である。芸術家とは、心理的には、人間の皮をかぶった兇悪な犯罪人である。」と書かれている通りだろう。
ネタばれを承知で少し詳しく書くと、カルディヤックは精巧を極めた金細工でパリ中の貴族たちを夢中にさせていたが、自らの作品に惚れ込むあまり、カルディヤックから金細工を買った人々を次々に殺し、細工を密かに取り戻しては秘密の小部屋に蒐集していたというのがここで扱われている犯罪の中身である。これすなわち、芸術家とその作品との関係性の一つの在り方について書かれた作品という訳だが、オペラのリブレットは大胆にも原作からスキュデリや重要な役回りの火刑裁判所長官、弁護士等々の人物をそっくり取り除き、推理小説ないし犯罪小説としての要素を削ぎ落としてこの芸術の本質というものに特化しているように見えます。リブレットではカルディヤック以外の登場人物がいずれも名前を持たないこともその現われでしょう。そして、ヒンデミットがオペラの題材としてこれをえらび、カルディヤックと名づけた理由もそこにある。

この本質、芸術家とその作品との関係性について、これを読み解くキーワードは肛門性格に由来する蒐集癖と強迫性人格障害ということになろうか。カルディヤックの蒐集癖の対象が金細工というのは象徴的である。ここでは糞便から金銭、そして黄金へといった象徴交換のメカニズムが見て取れます。
「実際、太古的な考え方が支配的であったところ、あるいは残っているところではどこでも、古代文化においても、神話、童話、迷信においても、無意識的な思考においても、夢においても、また神経症においても、金銭は糞便ともっとも深い関係をもたされている。悪魔がその情婦に贈る黄金が、彼の立ち去ったのちには、糞に変わってしまうという話はよく知られているが、この悪魔はしかし、抑圧された無意識の本能生活が擬人化されたものにほかならないのである。」(フロイト『性格と肛門愛』人文書院フロイト著作集5)
少なくともここに現れる金細工はフェティシズムの対象(それはフロイトによれば男根期に由来するものと考えられる)とは異なるものということになる。そして、殺人にまで至る「物」への執着は肛門サディズム体制に因るものということになるだろう。
これはこのオペラの物語のことだけを論じているのではありません。ヒンデミットの音楽自体にみられる顕著な強迫的性格、かならずしも大規模な編成ではないにせよ、スコアにびっしりと書かれていると思しい息苦しいまでの過剰な音の洪水、せっつかれるような、まえのめりに息つく暇も与えないリズムと、極度に無調的で激烈な作風、そのすべてがオペラの題材(あるいはヒンデミットその人)の肛門性格を物語っていると思います。肛門性格と強迫神経症との強い関連についてはフロイトの「鼠男の症例」を読んだ方にはほとんど自明のことでしょうが、いま私の手元にありませんのでかわりに次の一節を参考までに引用しておきましょう。
「私がさしあたり強迫型というなじみのない名前をあたえた第二の類型は高度の緊張のもとに自我から分離してゆく、超自我の優勢ということで際立っている。この類型は愛の喪失に対する不安のかわりに良心の不安によって支配され、外への依存性のかわりにいわば内への依存性をしめしており、高度の独立性を展開して、社会的には、文化のどちらかといえば保守的な真の担い手となるのである。(中略)最後に、ナルシシズム的強迫型は、外的な自律性と良心の要請への顧慮にさらに強力な活動への能力を付加し、こうして自我を超自我に対して強化することによって、文化的にもっとも価値の高い変種を生みだす。」(フロイト『リビドー的類型について』同前)
先にも書いたとおり、私の貧弱なヒンデミット体験ではその音楽の全体像は判りません。だが、このオペラが書かれた1926年といえば、リヒャルト・シュトラウスは「エジプトのヘレナ」第一稿を書いていた頃、ベルクは「叙情組曲」、シェーンベルクもいつぞやこのブログでも取り上げたOp.29の「組曲」で十二音技法の確立に向けて苦心していたころ。そう考えるとヒンデミットの先進性というものに驚かざるを得ません。しかしその一方で、同時代の作曲家達から当然与えられる様々な影響というものも感じられ、例えばシュトラウスの「影のない女」といった作品、あるいは「カルディヤック」よりもう少し後に書かれたベルクの「ルル」の、あの幕間に映画を上映しながら演奏される間奏曲などを連想させる部分があったり・・・。「カルディヤック」の音楽的特性について、さきほど再三にわたり「強迫的」という言葉を使いましたが、いくつか抒情的な箇所もあって、たとえば第一幕の貴婦人のLiedと題された第5曲 "Die Zeit vergeht"や第二幕カルディヤックのArioso "Mag Mondlicht leuchten!"(第13曲)など、ひんやりとした抒情性に溢れています(ちなみに全三幕の音楽は全部で18曲のナンバーから成るものの、基本的には切れ目なくぶっ通しで演奏されます)。もっとも官能性はあまりなくて、いわば「砂糖抜きのリヒャルト・シュトラウス」といった感じ。いずれにしてもものすごく知的で刺激的な音楽でした。下手すりゃ一生聴くことが無かったかも、と思うと、やはり食わず嫌いはよろしくないなぁと思った次第です。

演奏については、カイルベルトの指揮にとてつもない燃焼度を感じるけれど、録音が悪くてやや聞きづらい。歌手はとびきりの名手を揃えているが、対訳がなく、こまかいニュアンスが判らないので論評しかねるところがある。フィッシャー=ディースカウなどきっと素晴らしい歌唱なんでしょうが・・・。このCD、商品としては若干問題はあるものの、もちろん舞台に接する前の予習としては十分すぎるほど素晴らしい演奏だと言ってよいと思います。
by nekomatalistener | 2013-02-21 21:04 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)