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新国立劇場公演 J.シュトラウス 「こうもり」

安全コールというのがありまして、工場とか工事現場で「足元注意ヨシッ!」とか数名で唱和するやつね。会社の若いやつがまぁ~ったく覇気のない声で「なんとかかんとか、よし」と言うのを聞いて、「なんかスネークマンショーの『急いで口で吸え』思い出すな~」と言ったら、周りの殆どの社員(年下)がスネークマンショーを知らず萎える。



今年最後の演奏会は「こうもり」でした。

  2011年12月11日
  指揮:ダン・エッティンガー
  演出:ハインツ・ツェドニク
  ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:アドリアン・エレート(Br)
  ロザリンデ:アンナ・ガブラー(Sp)
  フランク:ルッペルト・ベルクマン(Bs-Br)
  オルロフスキー公爵:エドナ・プロホニク(Ms)
  アルフレード:大槻孝志(T)
  ファルケ博士:ペーター・エーデルマン(Br)
  アデーレ:橋本明希(Sp)
  ブリント:大久保光哉(Br)
  フロッシュ:フランツ・スラーダ(語り)
  イーダ:平井香織(Sp)
  東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団

実際に舞台を観ている最中は、芸達者な役者たちにすっかり乗せられて大爆笑、演奏も上々。でも一夜明けて感想を書こうとするとなぜか筆が進まない。何度も書いては消し書いては消し、考えあぐねた末に、二つの制約を設けることにしました。すなわち、①アグネス・バルツァのことは書かない②カルロス・クライバーのことも書かない・・・(笑)。なぜレビューを書くのに興が乗らないかと言えば、結局「酸っぱいブドウ」や「甘いレモン」の論理に陥ってしまうから、というのがその理由。ならばその話題は封印してしまおうと思った次第です。もっとも、こういう制約を設けておかないと何となく書きにくい、というのが、とりもなおさず今回の公演の性格を物語っているといいますか・・・。

「こうもり」の人気の秘密、それは観ている間だけでもこの世の憂さ、現実の辛さを忘れさせてくれる、ということに尽きます。倦怠期の夫婦は、各々の火遊びの結果、本来ならちょっとした修羅場の末に破局を迎えたかも知れませんが、舞台の上では決してそんなことは起こらない。終わりよければ全てよし、多少ごたごたがあったとしても全てはシャンパンの所為にして丸く収まります。でも観客は、現実にはそんな麗しい世界はこの世のどこにも存在しないことを判っている。判っているからこそ、尚更舞台の上で繰り広げられる世界は儚くも美しいものとなるのでしょう。だから、本当に優れた舞台というのは、たとえ一時であっても観客に苛酷な現実世界を忘れさせてくれるものでなければならないと思いますが、今回の公演がそうであったか、と言えばやはり何かが足りない。一つは贅沢さという要素だと思います。先日、「ルサルカ」の舞台について、簡素な大道具から照明ひとつで素晴らしい演出効果を引き出していたことについて書きましたが、「こうもり」について言えば、やっぱり舞踏会の場面は贅を凝らした舞台であってほしい。決してチープという訳ではないけれど、酔わせてくれない舞台でした。第一幕のミュシャ風の書き割りは面白いですが、よりによって「こうもり」でなくとも、と思いました。肝心の第二幕も新国立劇場の奥行きを活かせていません。第三幕の刑務所の場が一番良くできている、というのも皮肉なものです。もうひとつの要素は、まぁ色気といいますか、早い話、舞台の上では8頭身の美男美女にワルツを踊ってもらいたい、特にロザリンデには、長恨歌に出てくる「眸を迴らして一笑すれば百媚生じ、六宮の粉黛顔色無し」みたいなこぼれるような色香がほしい、アデーレは健闘していたと思いますが、残念ながらあれでは萌えない、と思いました。でも、それを言うのなら半分くらいは日本人がやる新国立では「こうもり」を観てはいけない、ということにならないか?私は決してそうは思いません。たとえ6頭身のワルツでも(失礼な書き方ばかりですみません)、観客を酔わせるのが演出の腕だと思うので。そのあたりが何とももどかしい舞台でした。

この楽しいオペレッタで、歌手の一人ひとりについて上手いだの下手だの言うのはとても野暮なことだろうと思います。でもロザリンデに対してだけはついつい贅沢を言いたくなる。今回聞きながら、このオペレッタはやはりロザリンデで決まると思いました。彼女さえ良けりゃ、他はそこそこであれば形になる、と。そのロザリンデ役のアンナ・ガブラーが、悪くはないんだけどひと味足りない、というのが全体の印象にも繋がってしまった感じですね。本来なら感動的な見せ場の「チャルダーシュ」も、隔靴掻痒というか、いまいち音楽に乗りきれない。第一、低い音域が歌えていません。ただこの見方はこの作品をオペラとして捉える側に寄りすぎているかも知れません。もっと気楽に楽しめば良いのでしょうが。
アイゼンシュタインのアドリアン・エレートは先日の「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモよりはずっといい感じ。ファルケ博士役のペーター・エーデルマンと、フランク役のルッペルト・ベルクマンは役柄の間尺がぴったり、という感じでした。ベルクマンは、動きは熊みたいにもそもそしてますが、台詞回しは巧くて第一幕の小芝居も手慣れたもの。アデーレ、アルフレート、それと今回は何かと損な役回りのエドナ・プロホニクのオルロフスキー公は、言っちゃあ悪いけどまぁまぁそこそこ、の域を出ない感じ。でもオペレッタってそんなものじゃないのかな、とも思います。大歌手揃い踏みみたいだと却って落ち着かないのではないか。そんなことよりも看守フロッシュと刑務所長フランクとの芝居がもう抱腹絶倒の出来だったことのほうが余程オペレッタとしては大切なような気がします。フロッシュ役のフランツ・スラーダだけが歌手ではなく役者、ということですが、やはり他の場面の歌手たちの小芝居とはレベルが違う。いやいや本当に面白かったです。
ダン・エッティンガーの指揮については、巧いなぁとは思いますが、やはり酔わせてはくれません。所詮オペレッタ、そんなにご大層な音楽じゃなし、と思っていると、何かの拍子にとてつもなく深遠な、人間の真実を描いているとでも言いたくなるような顔を見せる優れた音楽ですが、良くも悪くも常識的な演奏だったように思います。
脱線しますが、私、常々日本で「こうもり」やるんだったら三輪明宏御大にオルロフスキー公歌って頂いたらどんなに面白いだろう、と思っていました。今回の演出で、オルロフスキー公に護衛の熊みたいなお兄さんとワルツを踊らせていたからそう思った、という訳ではありませんよ。ま、それはそれで、は~そういう事なんですね、と納得するものがありましたが・・・。基本的にクラシックの歌手でなければ歌えない、という役柄ではなくて、この不思議なキャラを表現できるかどうかが大切なので、十分「あり」な話だと思いますが、いかがでしょうか?
by nekomatalistener | 2011-12-15 01:09 | 演奏会レビュー