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映画「聖なる鹿殺し」備忘録

バーホーベンは映画「エルElle」の主役に初めニコール・キッドマンを想定してたんだって。変態さんに好かれるタイプなのにトム・クルーズと結婚してたってのがちょっと不思議(大きなお世話です)。




ヨルゴス・ランティモス監督作品「聖なる鹿殺し」"The KILLING of a SACRED DEER"を観た。映画を観てこんなにわくわくするのも久しぶりのような気がする。ロードショーが始まって間がないのでネタバレにならない程度しか書けないが、まぁこんなお話。心臓外科医スティーヴン(コリン・ファレル)は妻(ニコール・キッドマン)と二人の子供と暮らしている。彼は数年前、ある事情で手術を失敗し、死なせてしまった患者の一人息子マーティン(バリー・コーガン)に対して、時計を買ってやったり何くれと面倒を見ている。ある日、ちょっとした思いつきでスティーヴンはマーティンを自宅に招くが、その日からスティーヴンのまだ幼い息子の足が麻痺して歩けなくなってしまう。一方マーティンもその日を境に、スティーヴンへの態度が常軌を逸したものになっていく・・・
ひたひたと迫り来る恐怖は下手なホラー映画の比ではないが、それが主眼の映画ではない。家族が崩壊していく様子は見ていて辛いものがあるが、どこかそういう情緒的な見方を撥ね除けるものがある。それはあけすけで乾いた独特のユーモア(というか、かなり下品なエロ描写)であったり、エウリピデスの「アウリスのイピゲネイア」と旧約のアブラハムとイサクの逸話の重ね合わせといった衒学趣味(タイトルの「聖なる鹿」もアルテミスの鹿に掛けているのだろうが、もう一つ、マイケル・チミノ監督の映画「ディア・ハンター」も関係があると思う。詳しくはネタバレになるから書かないが)、それに過激な暴力描写と、実に多様な要素を含んでいて一筋縄ではいかない。それを統一するものがあるとすれば、全編に一貫する徹底した美意識、特に完璧なまでに美しいカメラワーク。それに音楽がこれまた人を唸らせるものがあって、冒頭シューベルトの「スターバト・マーテル」D383で始まり、バッハのヨハネ受難曲で終わるというもの。困ったものだが、私は今後、ヨハネ受難曲を聴くたびにこの映画を思い出して複雑な気分を味わうことになるだろう。
コリン・ファレルもニコール・キッドマンも渋くてかっこいいが、バリー・コーガンは怪演といって良いと思う。物好きを自認する方は必見。
(この項終り)

by nekomatalistener | 2018-03-11 02:10 | その他 | Comments(0)

ワーグナー 「ワルキューレ」 びわ湖ホールプロデュースオペラ公演

かれこれ四半世紀も前の話。テレビで「カルトQ」という伝説的な超マニアック・クイズ番組があったのだが、ウィリアム・バロウズがお題の回で、4問正解したのがちょっと自慢。





びわ湖ホールの「指輪」シリーズの二年目。


 2018年3月4日@びわ湖ホール
 ワーグナー 「ワルキューレ」

  ジークムント: 望月哲也
  フンディング: 山下浩司
  ヴォータン: 青山貴
  ジークリンデ: 田崎尚美
  ブリュンヒルデ: 池田香織
  フリッカ: 中島郁子
  ゲルヒルデ: 基村昌代
  オルトリンデ: 小川里美
  ワルトラウテ: 澤村翔子
  シュヴェルトライテ: 小林昌代
  ヘルムヴィーゲ: 岩川亮子
  ジークルーネ: 小野和歌子
  グリムゲルデ: 森季子
  ロスワイセ: 平舘直子
  管弦楽: 京都市交響楽団
  指揮: 沼尻竜典
  演出: ミヒャエル・ハンペ


まずはハンペの演出。この人がプロジェクション・マッピングを駆使した舞台は「さまよえるオランダ人」「ラインの黄金」に続いて3回目だと思うが、最初の「オランダ人」の時は素直にその技術の進歩に驚き、「ライン」の時はあまりにもリアルに何でも出来てしまうので、それが逆に観客の想像力を奪ってしまうのではないかという疑念を抱いた。そして今回、よく言えば伝統的と言えるのだろうが、あまりにも陳腐なイメージに正直落胆してしまった。まず第一幕、前奏曲の間、吹雪の森をさまようジークムントと追手のフンディングの郎党の姿が見える。そこから一気にフンディングの館の室内となる。居間の真ん中に聳えるトネリコの大木、食卓と暖炉。後半、ジークムントとジークリンデの愛の二重唱が始まると舞台は瞬時に春の森の情景となり、食卓や暖炉と見えたものがいつの間にか苔むした岩になっている。第二幕は終始荒涼とした岩山の情景、第三幕は岩山の頂きで、中央に斜めに傾いだ巨石。暗雲の立ち込めた背景に時折英雄の亡骸を運ぶワルキューレの馬が、白い影絵のように飛び交うのには失笑を禁じ得ない。幕切れの魔の炎の音楽の場面では盛大に炎が燃え上がり、舞台を埋め尽くす・・・。正直なところ、いわゆる「読み替え」演出に対して必ずしも良いイメージを持っていない筆者だが、いくら伝統的であってもこの陳腐さには辟易した。これでは観客の想像力を奪うどころの話ではなくて、演出家の想像力の貧困を疑わざるを得ないレベルではないか、と思う。プロジェクション・マッピングの映像がリアルであればあるほど、「ものすごく本物っぽく描かれた学芸会の書き割り」みたいに見えてしまう。ただ、決してプロジェクション・マッピングそのものの所為だとは思わない。今回私が失望した理由は一にも二にも演出家のイメージの貧困だと思う。「ワルキューレ」は指輪の中でも最も人間的なドラマで、台詞だけで強烈な感動を帯び起こす、非常に演劇的な作品だと思うが、そんなオペラであるからいっそのことヴィーラント・ワーグナーのような大道具の殆どない抽象的な舞台のほうがよほどオペラ的であるかも知れない。もちろん現代にあってヴィーラントの模倣を観たい訳ではなくて、演出家の想像力の限りを尽くした美しい舞台が観たいと思うだけなのだが。

音楽について。最初の嵐の音楽から、その室内楽的な響きに驚かされる。通常よりプルトを減らしてるんじゃないかと思ったぐらい、面白いことに、第二幕以降はそれほど極端に室内楽的という訳ではなくて、それなりに分厚い響きを鳴らすこともあって、ことさら第一幕に狙いを定めて「猛り狂わないワーグナー」を目指したのだろう。それが沼尻氏の狙いであることは十分伝わるので物足りなさを感じることはなかったが、忘我の二重唱は正直なところもっと泣かせてほしかったと思う。この第一幕とそれ以降の表現の断層がある分、昨年の「ラインの黄金」のほうが若干音楽的なまとまりの良さがあったという感じがする。沼尻氏の指揮も随分あれこれ聴いてきたが、初めの内なんだか情趣に乏しく思えたこの人の演奏スタイルも、「ドン・パスクァーレ」の名演や昨年の「ライン」を聴くうちに馴染んできて好ましく思うようになった。今回のワルキューレ、特に第一幕は好き嫌いの分かれる演奏だと思うが、私は面白く聴いた。

歌手はいずれも充実していたが、指揮のスタイルに合わせたのかどうか、やや小ぶりな印象を持つ。その中ではブリュンヒルデを歌った池田香織がやはり頭一つ抜けていたと思うが、昨年名古屋で歌った基村昌代の鮮烈なブリュンヒルデを思い出すにつけ、もっと高望みしたくなるというもの(ちなみに今回の公演では基村は脇役のゲルヒルデを歌っている)。ヴォータンの青山貴然り。今や日本のバス・バリトンの第一人者だと思うが、最後の告別と魔の炎の音楽の場はちょっとスタミナ切れという感じも。ジークムントの望月哲也、ジークリンデの田崎尚美は第一幕やけにおとなしい感じがしたが第二幕以降はまずまず。指揮者のスタイルに対して少し委縮気味だったのだろうか。フンディングはまぁこんなものかな、という感じだが、フリッカはもう少し吠えてもよかったかも。

来年のジークフリートが待ち遠しいが、ハンペの演出はあまり期待できない。沼尻氏の指揮で、私にはどうも散漫な感じがする第二幕がどう響くかはとても楽しみにしている。
(この項終り)


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by nekomatalistener | 2018-03-08 00:10 | 演奏会レビュー | Comments(0)