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三輪眞弘+前田真二郎 モノローグ・オペラ「新しい時代」

森友学園をアダ・マウロみたいな感じで読んでみる。





三輪眞弘の「新しい時代」については、2016年12月25日にこのモノローグ・オペラからのスピンオフ作品を集めた演奏会を聴いていますので、作品の書かれた背景などについて三輪氏本人が話していた事など、その時の備忘を参照されたい。
http://nekolisten.exblog.jp/23520158/


 モノローグ・オペラ「新しい時代」
 2017年12月16日@ザ・フェニックスホール
 作曲・脚本・音楽監督: 三輪眞弘
 演出・映像: 前田真二郎

 14歳の少年信者: さかいれいしう
 儀式を司る4人の巫女(キーボード): 岩野ちあき、木下瑞、日笠弓、盛岡佳子
                   (大阪大学『記憶の劇場』プロジェクト受講生有志)
 信者1(映像オペレーター): 古舘健
 信者2(音響オペレーター): ウエヤマトモコ
 信者3(ミキシングオペレーター): 大石桂誉


明確なストーリーがあるかと言えば若干微妙ながらも、14歳の少年がネット空間の神に自らを捧げて自死する、という風にまとめられるだろう。1996年までドイツを拠点に作曲活動をしていた三輪氏にとって、95年と97年に起こった二つの事件(地下鉄サリンと神戸連続児童殺傷事件)がどれほど痛切であったかは想像できなくもないが、私はぼんやりと目の前で生起している物事を見ながら、日本におけるネットの黎明期というのはもう少し後、たぶん1998~99年頃じゃなかったかな、などと考えていました。後で調べてみたら2ちゃんねるの創設がその頃なのであって、いわゆるオタク達はもう少し早い時期、まさに95年から97年頃にはもうネットの世界に進出していたのかも知れません。こんなことをグダグダと書くのも、個人史としてはついこのあいだの事であるのに、なんとも記憶があやふやになっていること、あれほど世間を震撼させた事件であるのに、今となっては歴史の一コマに収まってほとんど何のアクチュアリティも感じられないこと、それらを題材にしたオペラというものが、もの凄い速さで劣化、陳腐化していくこと、などを考えざるを得ないから。そして、昨年の12月16日の出来事をこうして翌年1月6日に記そうとして、早くもディティールについては忘却の彼方に沈もうとしていることに愕然としている自分がいる。

開演の少し前に会場に入ると、舞台の左前方のスクリーンに丸い幾何学的な模様が投射されてゆっくりと回転しています。舞台奥のガラスの向こうには大阪のビル群。カーテンが降りて照明が落とされると、4人の巫女と3人の信者、少年が登場、少年の歌に続いて4人の巫女のキーボードによる「言葉の影、またはアレルヤ」が始まります。30分ほども続くこの場面で、何度も合成音声による「ア・・レ・・ル・・ヤ・・」や「yes、oui、はい、ja」といった囁きが立ち上る。その間、前のスクリーンには幾何学模様や「yes、oui、はい、ja」の言葉、キーボードのスコアの一部などが映し出される。
続く場面で少年があるいは無伴奏で、あるいはキーボードの簡素な伴奏で歌う。曲調はどれもシンプルでミニマル風のもの。ごくわずかな音楽的素材が繰り返されてそれなりの時間に拡張されているといった趣であって、2016年に聴いたスピンオフ作品集のほうが遙かに音楽的に多彩な感じでした。といっても決して退屈したという訳ではなくて、音楽作品としてやはり面白い。先にも書いたとおり、物語としては同時代的アクチュアリティを失ってしまったとしか私には思えなかったのだが、音楽のほうはシンプルであるが故にしぶとく生き残りそうな気配がする。
ちなみに2016年の時は「再現芸術における幽霊、またはラジオとマルチチャンネル・スピーカーシステムのための新しい時代」が最も面白かったのだが、こちらのオペラにはそのままの形では出てこない。若い人達とカルトあるいはネットの問題については、この「幽霊」のほうがよほどリアリティを伴って作品の中に捕らえ得ていたように思います。
(この項終り)

by nekomatalistener | 2018-01-07 00:21 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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