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ドニゼッティ 「ドン・パスクァーレ」 沼尻竜典オペラセレクション

毎朝ラジオで、
モノタロウ~、モノタロウ~、こうばでつかう~しょーもーひんを、ネットでちゅーもんモ~ノタロウ~
というCMが流れるのが頭にこびりついて離れないのでなんとかしてください。





びわ湖ホールで「ドン・パスクァーレ」を観てきました。

 2016年10月23日@びわ湖ホール
 ドニゼッティ 「ドン・パスクァーレ」
  ドン・パスクァーレ: 牧野正人
  マラテスタ: 須藤慎吾
  エルネスト: アントニーノ・シラグーザ
  ノリーナ: 砂川涼子
  公証人: 柴山秀明
  合唱: びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部
  管弦楽: 日本センチュリー交響楽団
  指揮: 沼尻竜典
  演出: フランチェスコ・ベッロット


ドニゼッティ晩年の喜劇ということで、日本での上演は何かと難しいだろうと思ってましたが、全体としては大健闘といった感じがしました。だが同時にコンメディア・デラルテの末裔たるドタバタ劇で観客を笑わせるのは、日本ではまず不可能ということもよく分かりました。今回の公演では演出にフランチェスコ・ベッロットを招いて、いろいろと工夫の跡も伺えるのだけれど笑いに繋がらない。この7月にブリテンの「真夏の夜の夢」を見て、ルーシー・バージの振付に大笑いしたことを思うと、演出次第でもうちょっと何とかなるような気もするが、イタリアの気候風土の中で生まれたこういった喜劇は、温暖で湿度の高い国では無理なのでしょう。
もちろんドニゼッティの音楽が素晴らしいので、かならずしも笑いは必要ではないという意見もあると思いますが、感傷はほどほどで切り上げてさっさと乾いた音楽に戻っていくこの音楽のスタイルは、やはり舞台で観るなら笑いとセットであってほしいというのが私の無いものねだり。
話のついでで演出から備忘を記すと、舞台はドン・パスクァーレの豪邸の居間。壁にはちょっとくすんだ色合いの巨大な絵画がびっしりと飾られ、ギリシャ風の彫刻やソファなどの調度が設えられている。ノリーナがこれらを売り払ってしまうと、それまで重厚な邸宅の居間であった舞台が白々となにもない壁だけのセットになる。最初は正装の執事と召使がうやうやしく出入りしていたのが、後半は何やらいかがわしい連中も交じって賑やかにドタバタを演じる。演出家がドン・パスクァーレの孤独に着目した創意工夫はよく分かるのだが、肝心の笑いの要素がなければ些末な演出意図だけが独り歩きする感じもする。

歌手では売れっ子のシラグーザを招いたのが何よりの目玉だと思いますが、なにか突き抜けてくるような歌の力というものが少し物足りない。シラグーザをもってしてもアンサンブルとなると全体にこじんまりとした感じがつきまといます。それを承知の上でいうと、ノリーナの砂川涼子が素晴らしいと思いました。リリコが身上の歌手だと思うけれど抜群のアジリタのテクニックを持っているので今回の役まわりはぴったりだと思います。アジリタだけでなく、声に強い芯がある歌い手なので、しおらしい修道女から蓮っ葉な女に豹変してからの声質が更に役柄との一体感を感じさせます。終幕のロッシーニ風のロンドはお見事の一言。
シラグーザは、ロッシーニならいざ知らず、どうもドニゼッティでは声が脳天気すぎて殊更薄っぺらい男に聞こえてしまうのがどうも好きになれません。以前聴いたネモリーノ(愛の妙薬)なら、それでも観客の涙を絞る美しいカヴァティーナを堪能できて多少のことはどうでもよくなるのですが、ドン・パスクァーレではカヴァティーナもセレナーデも随分あっさりとしているので(それが晩年のドニゼッティの様式なのでしょうが)、物足りなさだけが残るといったところ。それでもこの人がアンサンブルに入ると俄然音楽が引き締まるのはさすがだと思いました。
マラテスタの須藤慎吾、脇役ですがバリトン歌手としてはアジリタがきちんと歌えていて気持ちが良い。ロッシーニのブッフォ歌手でもなかなかこうは歌えないのじゃなかろうか。タイトル・ロールの牧野正人はオーケストラより一歩飛び出す癖があって、ソロもアンサンブルもちょっとハラハラする。まぁイタリアの歌劇場のライブなどを聴いても、ブッフォのバス・バリトン歌手なんかこんなもん、という気もするが、せっかくのアンサンブルなのにもったいないと思う瞬間が多々ありました。マラテスタと聴き比べると、やはりなんだかんだ言っても技術があってこそ、と思います。
合同編成の合唱もなかなかのレベル。お話としてはあってもなくても一向に構わない役回りだが、だからこそ高レベルの演奏で聴くと尚更贅沢感が出るというもの。

今回の公演の立役者は実は沼尻の指揮だと考えています。プッチーニやコルンゴルトだと、泣かせてほしいところでサクサクと進んでいくので物足りない思いをしてきたのですが、こういう喜劇に思いのほか適性があったのかと驚きました。序曲からして、カラッとして粘らないのに絶妙なアゴーギグが効いていて、これぞドニゼッティ、と嬉しくなります。アンサンブルの推進力も見事。例によってカヴァティーナは良くも悪くも情に流されないものですが、この作品の性格にはむしろ向いている。エルネストのカヴァティーナなど、さあこれから、と思った瞬間にぷいっと喜劇の音楽に戻る瞬間が堪りません。大げさに言えば、こういった書法というのはヴェルディの「ファルスタッフ」第3幕のフェントンのカヴァティーナ、あの涙腺が緩みそうになる瞬間にもう終わってしまう変わり身の早さと共通するところがあるようにも思えます。ドニゼッティとヴェルディの格の差こそあれど、一生をオペラに捧げた人生の果てにたどり着いた境地といえなくもない。私はドニゼッティについて、世間で思われているよりずっと偉大なオペラ作曲家だと思っているけれど、改めてそんなことに気づかせてくれたのは今回の指揮の大きな成果じゃなかろうかと思っています。センチュリーも実に結構。多少のデコボコはあっても来て良かったと思える公演でした。
(この項終り)


by nekomatalistener | 2016-10-26 00:06 | 演奏会レビュー
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