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蓮實重彦氏の記者会見について(雑談)

東の「聚楽よ~ん」に対抗できるのは西だとやはり「明日への活力」ですかね。





蓮實重彦氏の三島賞受賞の記者会見が話題になっている。文字に起こしたものを読むとなかなか痛快であるが、動画を見てみると、絶滅危惧種の珍獣をカメラの前に引きずり出して、みんなで恐々棒で突いているような感じがなきにしもあらず。記者の不勉強ぶりには、大手新聞社の学芸部員にしてこの程度かと暗澹たる気分になるが、蓮實氏の回答はある意味誠実すぎるほど。
以下の引用元はハフィントンポストより。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/16/hasumi-mishima_n_9998942.html

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――わかりました。黒田さんの世界には若々しさがあると。私は蓮實さんの作品に若々しさを感じたのですが、そういう風にご自身で理解はされていたりしますか。

黒田さん(の作品)は傑作であり、私の書いたものは到底傑作といえるものではありません。あの程度のものなら、私のように散文のフィクションの研究をしているものであれば、いつでも書けるもの。あの程度の作品というのは相対的に優れたものでしかないと思っております。

(中略)

――逆に伺いたいのですが。研究者の目で「相対的に優れたものでしかない」と思いながら、小説というものは書いたりできるものなのでしょうか。やっぱり何か情熱やパッションがなければ書けないと思うのですが。

情熱やパッションは全くありませんでした。専ら、知的な操作によるものです。

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蓮實氏の自己韜晦を多少差し引かねばならないと思いながら、この既視感はなんだろう、と思ったらコレ(文春の記事)でした。
(文春の元記事は手元にないので江川紹子氏の下記記事より引用)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140206-00032407/



新垣隆
「彼(佐村河内氏)の申し出は一種の息抜きでした。あの程度の楽曲だったら、現代音楽の勉強をしている者なら誰でもできる、どうせ売れるわけはない、という思いもありました」

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「だからなに?」と聞かれと困るけれど、こういった言葉は、創造とはなにか、芸術はどこからやってくるのか、といった問いを(多少逆説的ではあるけれど)改めて惹起するだけの力を持っているように思われる。このブログで折に触れて作曲家のメチエだのなんだのと書いてきたことも、私がストラヴィンスキーやヒンデミット、ハイドンといった、一見パッションとは無縁の乾いた音楽を書く人達に惹かれるのも、このような問いに導かれてのことだろう。ついでに言えば、この問いの周りをぐるぐる回っている限り、私にはこの、創造には「情熱やパッション」が不可欠だと思っている新聞記者や、「佐村河内守の交響曲」に心酔した人達を嗤う資格は無いのだと思う。
蓮實氏の『伯爵夫人』は掲載誌(新潮4月号)を買い逃して実は未読。6月に単行本が出るようなので改めて書く機会があるかも知れません。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2016-05-21 00:11 | その他
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