プリッツCMのロシアン、小栗旬に化けてたくせに子猫すぎると家人から不評。
びわ湖ホールで久々のワーグナー。歌手や指揮に若干の不満があって感動とまでは行きませんでしたが、それでも全体としてはなかなかの好演でした。 2016年3月5日@びわ湖ホール ワーグナー さまよえるオランダ人 オランダ人: 青山貴 ダーラント: 妻屋秀和 ゼンタ: 橋爪ゆか エリック: 福井敬 マリー: 小山由美 舵手: 清水徹太郎 合唱: 二期会合唱団・新国立劇場合唱団・藤原歌劇団合唱部 指揮: 沼尻竜典 管弦楽: 京都市交響楽団 演出: ミヒャエル・ハンペ ダブルキャストで二日公演。もったいない感じがするが、空席の多さをみると興行的にはかなり苦しいのでしょうね。プロモーション次第でもう少しなんとかなるような気もしますが。 私は昨年の二期会の「ダナエの愛」でミダス王を歌った福井敬をもう一度聴きたいと思い、彼がエリックを歌う5日の方を選びました。しかし今回の公演で何よりも驚いたのはミヒャエル・ハンペの演出。 プロジェクション・マッピングを駆使した演出なのだが、この分野での技術の進歩には目を見張るものがありました。一昔前であれば、どうしても舞台のセットと映像の間に段差があったと思うのだが、今やバーチャルとリアルの継ぎ目が殆ど感じられないのですね。帆船の艫に見立てた大道具は超が附くほどリアルに作りこまれており、背景には嵐の海と不気味に流れる黒雲。そこに音もなく物凄い実在感で迫りくるオランダ船。その威圧感というのはちょっと信じがたいほど。だが何より驚愕したのは、第1幕が終わって映像が溶暗したかと思うと、今度はダーラントの家の作業場のような映像になり、艫かと思われたセットに暖色系の照明が当たると一瞬の内に女達が糸を紡ぐ屋内の場面に変わる。その映像の質感や奥行き感というのも凄いけれど、単に人を驚かすだけでなくてまるで17世紀ネーデルラントの写実的な絵画のような美しさと格調が感じられます。このあたりがハンペという人の凄いところで、舞台の隅々までヨーロッパ知識人としての教養が感じられます。CGを使えばどんなに無茶なト書きであっても、何でも出来てしまうので、却って演出とは何かという根源的な問いを禁じ得ないのだが、今回の演出には素直に「さすがはハンペ」と感心しました。 演出に関して附言すると、第1幕の終わりから終幕まで舞台の中央で眠りこけている若い船乗り、もう途中でネタバレしているのだが要はこの船乗りの夢でしたというオチについて賛否両論あるようだ。私は以前にも書いた通り、筋金入りのミソジニストたるワーグナーがとってつけたような「愛の救済」なるものを信じていないので、ノルウェー船の船乗りたちだけが朝焼けの舞台に残るこの「夢オチ」は悪くないと思いました。それに、この芝居の中でリアルな世界は船の上だけというコンセプトは、やけにマッチョなワーグナーの音楽とも違和感がない。 さらに附言すると、今回全幕切れ目なしで一気に演奏したのも、このプロジェクション・マッピングの威力を最大限活用できるからだろう。聴く側からすれば2時間半休憩なしは辛いところだが、場面転換の見事さはやはり見どころではあります。 先に書いた通り、今回のお目当てはエリックを歌った福井敬だったわけですが、声量もずば抜けているし思い切りの良さもあるのだが全体として少し雑な感じがしました。しがない猟師の役だが、単純なようでいて実は小心だったり小狡かったり、もっと陰影のある役なので勢いだけでは御しがたいのでしょうか。これと比べたらミダス王の方がはるかに直情的な役どころではありました。 今回最も優れた歌を聞かせてくれたのはダーラントを歌った妻屋秀和。バス役ならどんな役でも高いクオリティで歌えてしまうので器用貧乏みたいに思える時もあるが、これは声質からいっても天賦の体軀からみても当たり役だと思います。オランダ人の青山貴も悪くはないのだがところどころ音程が甘い感じ。前に新国立で聴いたときの歌手もこんな感じだったので歌いにくい役なのかも知れません。ゼンタの橋爪ゆかは、最初もう少し声量が欲しくてもどかしい感じでしたが後半はいい感じ。吼えずに丁寧に聴かせるところは良いが、もっとグラマラスな声をこの役には期待してしまいます。マリーと舵手についてはしっかりした歌手が脇を固めているなぁという印象。 合唱は新国立劇場・二期会・藤原歌劇団の合同出張ということで大変結構。幽霊船の船乗りの合唱はPAでなく本物(笑)が出てきて歌う。当たり前のことだと思うが最近ではこれが贅沢なんだそうである。この船乗り達は蛸だか烏賊だかの怪物のような恰好なのだが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」みたいだなんて言ったらハンペ先生に怒られそう。 沼尻竜典指揮する京響は大変レベルの高い演奏でした。あまり情に流されない彼の指揮は、このマッチョな楽劇には打ってつけ。だが、細かいことをあげつらうようだが第1幕のオランダ人とダーラントの実に下世話な二重唱がト長調で終始すると見せかけていきなりヘ調の属七になり、舵手がSüdwind!Südwind!と叫ぶ場面、ほとんど世界観の断絶といってもよさそうなこの場面で何事もなかったかのように音楽がサクサク進むのはどうなのか。偶々好きな場面なのでこんなことを書くのだけれど、こんな細部の処理が一事が万事で真の感動に至らない要因だとすれば、やはりもったいない話だと思います。もっと感動を!体の震える程の感動を!と思ってしまいます。 (この項終り)
by nekomatalistener
| 2016-03-08 23:09
| 演奏会レビュー
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