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シュトックハウゼン 「光の月曜日」を聴く (その2)

新聞に軽減税率適用。ロビー活動成功でヒャッホーな人達を思うと腹立たしくて購読止めたくなるが、猫のウンコ包んで捨てるのに必要だから止めれない。





おそらくこんなマイナーブログを読んで「そうだ、俺もリヒト聴いてみよう」と思う方などほとんどおられないと思いますが、たとえ一人でも二人でもいい、「聴いてみたいけど正直迷っている」という方の背中をそっと押すぐらいのことはしてみたい。少なくとも「月曜日」を聴く限りでは思いのほか聴いて面白く、激しくイマジネーションを刺激する音楽でした。これを舞台で観たらさぞかし面白いだろうと思います。確かに前衛的な書法ですから万人向きとは言いませんが、けっしてビビるようなシロモノではない、と思います。

前回紹介した「月曜日の迎え」に続く第1幕は「エーファの最初の出産」と題されています。編成については「3ソプラノ、3テナー、1バス、1俳優/合唱(テープ)、21女優、児童合唱(7ソプラノと7アルト)/モダン・オーケストラのための」と書かれていますが、ここでいう「モダン・オーケストラ」とは複数のシンセサイザー奏者(ここでは3人)とサンプラー、多様な打楽器とテープからなる音響のことを指しているようです。弦楽器や管楽器が何十人と集まった通常の「オーケストラ」とは全く異なる用語です。
旧世代のシンセサイザーの音響はどことなくチープな感じもする。しかしこのチープさは、この時代のシュトックハウゼンの持ち味にもなっていて、決してネガティブな印象はありません。シュトックハウゼンがいわゆるプログレに与えた音楽的な影響というのは絶大なものがあると思うけれど(例えば「タンジェリン・ドリーム」の創設メンバーのコンラッド・シュニッツラーは14歳の時にシュトックハウゼンの電子音楽を聴いて多大な影響をうけたといいます)、70年代の終わり頃からの彼の音楽には逆にプログレからの影響というのも考えられそうだ。もちろんそれを断言できるほどの証拠がある訳でもないし、音楽をとことん聴き込んだ訳ではないので、あくまでも現時点での仮説です。

「エーファの最初の出産」は、次の6つの場面から出来ています。
 妊娠
 ハインツェルメンヒェン
 誕生のアリア(最初と第二)
 少年達の大騒ぎ
 ルツィファーの激怒
 大いなる嘆き
前回も書いたように、「月曜日」にはかろうじて物語らしきものがあります。この「最初の出産」でエーファは、
 ・ライオンの頭をした男の子
 ・ツバメの頭と羽と小さな尾をした双子の男の子
 ・馬の頭をした男の子
 ・オウムの頭と羽毛をした男の子
 ・セキセイインコの頭と羽根をした男の子
 ・犬の頭と足をした男の子
の7人の子供と、7人のハインツェルメンヒェン(ケルンの妖精あるいは小人)を産みます。ルツィファーはここではルツィポリープと呼ばれて、バリトン歌手と俳優の二人一役で表現されます。彼がなぜ激怒しているのか、テキストを読んでも私にはさっぱり分からないけれど、エーファに仕える女たちのからかいの様子は、「ラインの黄金」のアルベリヒとラインの乙女たちを想起させます。愛の断念から壮大な神話が始まるとでもいうのでしょうか。ともあれ、一度女達によって砂の中に埋められたルツィファーは、海の中から姿を現して子供達に「みんな戻れ!!もう一度はじめからやり直し!!!」と怒鳴る。子供達はエーファの彫像の子宮の中に消えていく。


音楽は男声の合唱によるオルゲルプンクトと女声による合唱から始まり、シンセサイザーと実に様々なサウンドプロジェクションがそれを彩ります。「リヒト」の理解のためには、その作曲技法の根幹をなす「スーパーフォルメル」の把握が不可欠なのだが、耳で聴いただけで、ここはエーファのフォルメル、これはルツィファーのフォルメル、と直ちに認識するだけの力は私にはないので、今はただ耳を慣らすといった段階です。しかし、いわゆるセリエリスムにおけるセリーとは全く性質の異なる音列でしかも延々と引き伸ばされるバスが基音としての働きをするので、非常に聴きやすく感じられます。もちろんポストモダンとしての新ロマン主義とは何の関係もない音楽ではあるのだけれど、聴いているとやはりドイツの人の音楽だなという気がします。多分に印象批評めいた感想で申し訳ないが、シュトックハウゼン自身のもう少し若いころの作品との類似でいえば、「ミクロフォニーⅡ」にでてくる合唱にやや近い感じ。あちらはまるでモーツァルトの魔笛に出てくる三人の侍女の合唱のような愉悦に満ちた合唱がきわめて前衛的なフレームの中に投げ込まれている作品だったが、「月曜日」も根っこは一緒。ある意味、ピカソのエッチングや絵画みたいに、漫画みたいなんだがよく見るとデッサンは正確無比、とでもいった感じでしょうか。
サウンドプロジェクションとしては、「月曜日の迎え」にも出てきた水音、雄鶏の時を作る声、ライオンの唸り声、犬の吠える声、馬の嘶き、牛のもーという声、なんだかよくわからないが熱帯の鳥みたいなやかましい鳴き声(カワウソ?)、象の声、等々。あるいは爆発音、ガラスの容器が割れる音、銃の発砲の音、雷鳴、銅鑼、チェーンソーのような騒音に木が切倒される音、目覚まし時計、トイレの水を流す音、等々。音楽素材の引用としてはなんだかよく分からないがファンファーレのような音楽、リストの「レ・プレリュード」、それに「ラ・マルセイエーズ」の一節。赤ん坊の泣き声や喃語やくしゃみの音、ヒットラーを思わせるヒストリカルな演説の録音、女の喘ぎ声・・・等々、もうひっきりなしにこれらの音が鳴っている。しかも合唱や子供達の大騒ぎ、3人のテノールによる饒舌な船乗りの歌、バスと俳優による下品なルツィファー(ルツィポリープ)の歌がこれに重なり、なんとも賑やかで退屈する暇もないほどなのに、不思議にとっ散らかった感じはなくて、緩さと精密さが両立している。私はこれまで、このブログでシュトックハウゼンについて書くとき、いつも「精密なのにテキトーっぽい」などと書いてきましたが、この緩さというものは、聞けば聞くほどシュトックハウゼンの音楽の本質に関わるものという気がします。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-12-21 23:47 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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