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B.A.ツィンマーマン 「ある若き詩人のためのレクイエム」を聴く(続)

お弁当おかずの甘酢味のミートボールが苦手。でも肉球は好きですよ。




いよいよ今週末に迫ったツィンマーマン「ある若き詩人のためのレクイエム」日本初演。こんなマイナーなブログですが、この数日、5月8日にアップした本作品の紹介記事のアクセスが物凄く上昇していて、なんとなく世間が盛り上がってきてるように思う。というのは錯覚で(笑)、実際は極めてマニアックな数十人だか数百人だかの世界の話なんでしょうが、ブログ主としてはこういったささやかな反応が地味に嬉しかったりするわけです。
ところで、この5月の記事の最後に、続編があるように書いてそのまま放置してしまいました。久しぶりに読み返してみて、なんとなく収まりがつかないので蛇足と承知の上で、自分の予習を兼ねて本作で引用されているテキストと音楽を列挙しておきます。

「レクイエム」の全曲は、
プロローグ
レクイエムⅠ
レクイエムⅡ
ドナ・ノービス・パーチェム
の各部分から成り、続けて演奏されます。
プロローグでは合唱がMissa pro fundesを歌うが、オーケストラは極めて禁欲的な書き方。4トラックのテープ録音で、次のようなテキストが読み上げられる。
 ・ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』Philosophische Untersuchungen(ドイツ語)
 ・ローマ教皇ヨハネ23世 1962年第2バチカン公会議での演説(ラテン語)
 ・ジョイス『ユリシーズ』より モリー・ブルームのモノローグ(英語)
 ・アレクサンデル・ドゥプチェクのチェコ人民への言葉(1968年8月27日の歴史的録音)(チェコ語)

開始後13分ほどの間に現れるこれら4つのテキストの選択というのが作品全体のカラーを支配しているといえそうですが、この「レクイエム」を聴くという行為は、ある意味聴き手の残りの人生で、これらのテキストを咀嚼し、反芻することが求められているような気がします。これは大変な重荷を背負うということ。いや別に背負わなくてもいいようなものだが、それではそもそもこの作品を聴く意味が、というか聞く必要がないという気もします。

「レクイエムⅠ」冒頭で、オルガン、金管の咆哮と共にRequiemと一声力強く歌われたのちは、再びテープ録音と語り手の朗読が続く。テキスト及び引用作品は下記の通り。

テープ
 ・ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ 1967年の議会演説(ギリシャ語) 
 ・アイスキュロス『プロメテウス』『ペルシャ人』(古代ギリシャ語)
 ・マヤコフスキー『声をかぎりに』『セルゲイ・エセーニン追悼』(ロシア語およびドイツ語)
 ・シャーンドル・ヴェレシュ『太鼓と踊り』(ハンガリー語)
 ・旧約聖書より『伝道書(コヘレトの言葉)』(ラテン語)
 ・ミヨー「世界の創造」
 ・イムレ・ナジのハンガリー動乱の際の演説(1956年10月31日)(ハンガリー語)
 ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』(英語)
 ・ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」より イゾルデの愛の死
 ・メシアン「キリストの昇天」
 ・クルト・シュヴィッタース『アンナ・ブルーメに』(ドイツ語)
 ・ヒットラーの演説(1939年3月16日)(ドイツ語)
 ・ネヴィル・チェンバレンの演説(1938年)(英語)
 ・エズラ・パウンド『ピサの歌』よりCanto LXXIX』(英語)
 ・アルベール・カミュ『カリギュラ』(フランス語)
 ・ドゥブチェクの演説(1968)(チェコ語)
 ・1939年3月チェコ併合を伝えるドイツのラジオ放送(ドイツ語)
 ・ドイツ連邦共和国基本法(ドイツ語)
 ・毛沢東語録(ドイツ語)
 ・ツィンマーマン「1楽章の交響曲」
 ・コンラート・バイヤー『第六感』(ドイツ語)
 ・ザ・ビートルズ「ヘイ・ジュード」
 ・ハンス・ヘニ・ヤーン『グスタフ・アニアス・ホルンの手記』

語り手
 ・ドイツ連邦共和国基本法(ドイツ語)
 ・毛沢東語録(ドイツ語)

ここまで、オーケストラのトゥッティは殆どなく、禁欲的な音楽がひたすら続きます。また、語り手の朗読するテキストはドイツ基本法と毛語録だけで、あとは8トラックのテープで構成されています。コンラート・バイヤーの朗読のところから「レクイエムⅡ」。ここは4トラック4人の語り手によるテープが少しずつずらされてカノンのようになっていますが、BAZはこれをリチェルカールと題しています。この後ビートルズの引用、ジャズ・コンボの生演奏が続きます。

ここまでで約40分経過。続いてRappresentazioneという部分に入ってようやくソプラノとバリトン歌手の出番が来ます。テキストは先ほど挙げたエズラ・パウンド『ピサの歌』Canto LXXIXの英語とドイツ語によるテキスト。続いてElegiaという短い部分で、ソプラノがシャーンドル・ヴェレシュ『太鼓と踊り』(ハンガリー語)を歌う。続いてTrattoというオーケストラの短い間奏。
「レクイエムⅡ」の最後はLamentoと題されており、合唱はキリエ・エレイソンの他にシラーの歓喜の歌(ただしベートーヴェンの音楽はここではまだ現れない)をテキストにしています。ソプラノとバリトンと語り手がマヤコフスキーの『セルゲイ・エセーニン追悼』のドイツ語訳とラテン語の典礼文を歌い、語って終わります。

最後は悲痛な「ドナ・ノービス・パーチェム(我らに平和を与え給え)」。
合唱、ベートーヴェンの第九の終楽章の引用に続いてビートルズの「ヘイ・ジュード」。ソプラノとバリトンによるヨハネの黙示録によるソロ。続いてオーケストラがようやくフルに展開される。合唱の痛切さと激烈を極める管弦楽の爆発に言葉を失うほど。
その間、
 ・ヨアヒム・フォン・リッベントロップ 1941年対ソ宣戦の言葉(ドイツ語)
 ・ヨーゼフ・ゲッベルス 1943年2月18日ベルリン・スポーツ宮殿における総力戦布告演説(ドイツ語)
 ・スターリン 1941年7月3日ラジオでの演説(ロシア語)
 ・チャーチル BBC録音(英語)
 ・ローラント・フライスラー 1944年7月20日ナチス人民法廷での演説(英語)
 ・オットー・エルンスト・レーマー 1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂に係る人民法廷での証言(ドイツ語)

これらのヒストリカルな録音が4トラックのテープで激しく入れ代わり立ち代わり現れるが、対空砲の音やさまざまなデモ隊の叫び声などにかき消されていく。一旦フェイドアウトしたのち、コンラート・バイヤー『第六感』(ドイツ語)の朗読、最後に合唱のDO,NA,NO,BIS,PA,CEMの叫び。

・・・とここまで書いて、ちょっと調べてみたらサントリー・サマーフェスティバルのHPにテキストを整理したチャートが出てる(苦笑)。

http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2015/layout.html

ま、いいや。こんなマイナーなへっぽこブログにこの数日異様なアクセスがあるのも、BAZに関する日本語のテキストがこれまで如何に少なかったかということの証左でしょうから、どんな形であれ、この機会に一気に日本語のBAZアーカイヴが充実することは良いことだと思います。
というわけで、ツイッターなんかも含めるとこのひと月ほどの間に随分と増えた日本語のディスクールだが、個人的に面白かったのは吉松隆さんのものでした(ここでサージェント・ペパーやピンク・フロイドが出てくるとは思わなんだ、という意味で)。

http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2015/08/post-143c.html

サントリーさんのHPで抜けているのはこれらのテキストが何語かということ。以上みてきたとおり、古代ギリシャ語やラテン語、あるいはジョイスの異常な言語を含む様々な言語で成り立っており、これを耳で聴いてすべて理解できる人は皆無だろうし、また種々のサウンド・エフェクトの所為でそもそも聞き取れるように書かれている訳でもない。我々のこの作品への真の理解というのは先ほども書いた通り、コンサートを聴いたときだけでなく、その後の聴き手の一生を掛けるべきものだと言わざるを得ません。私自身が心底額面通りそう思っているかと言えば怪しいものだし、万人の共感を得るとも思わないけれど、BAZ自身は間違いなくそう思っていたのではないか、という気がして仕方ありません。何の根拠もないが、彼の自殺の理由も、このテキスト地獄とどこか関係のあるような気がします。

演奏に関してはただただその真摯な取り組みに頭を下げるのみ。うまいだの下手だの言うも愚かという気がしますが、WERGOの録音によくあるように、解像度はそこそこあるが音像がこぢんまりとまとまって、やや箱庭風に聞こえるのは指揮者ギーレンの資質とは少しちがうのかな、といった感想を持ちました。だからといってこの音源の歴史的な意義の大きさというものがいささかも傷つくわけでないのは言うまでもありません。ついでながら、これから音源を求めようという方にこっそり申し上げますが、このギーレン盤、日本のamazonだと物凄く高価ですが、amazonUKだと送料込でも数分の一のお値段で買えます。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-08-19 23:27 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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