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新国立劇場オペラ研修所公演 ロッシーニ「結婚手形」「なりゆき泥棒」

スマホで「なまはげ」と打つとめちゃかわいい鬼の顔の絵がでてくるよ。





新国立劇場のオペラ研修所によるロッシーニのファルサ2本立て公演、わざわざ関西から聴きに行った甲斐がありました。


 2015年2月21日@新国立劇場中劇場
 「結婚手形」
   トビーア・ミル: 西村圭市(Br) 
   ファンニ・ミル: 飯塚茉莉子(Sp)
   エドアルド・ミルフォルト: 水野秀樹(T)
   ズルック: 大野浩司(Br)
   ノルトン: 後藤春馬(Bs-Br)
   クラリーナ: 高橋紫乃(Ms)

 「なりゆき泥棒」
   ベレニーチェ: 種谷典子(Sp)
   ドン・パルメニオーネ: 大野浩司(Br)
   アルベルト伯爵: 岸浪愛学(T)
   エルネスティーナ: 高橋紫乃(MS)
   マルティーノ: 後藤春馬(Bs-Br)
   ドン・エウゼービオ: 伊藤達人(T)

  指揮: 河原忠之
  演出: 久恒秀典
  管弦楽: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


いつも読んでいるブロガーさん達の評価が今ひとつなのは残念だけれど、少なくとも私が聴いた21日の公演のキャストは素晴らしい歌唱であったと思います。どちらかといえば曲目の珍しさに惹かれて聴きに行ったので、正直なところ演奏に対する期待値はさほど高くなかった訳ですが、現在の若手の歌手達の技術がここまで進んでいるとは、と驚嘆の思いを禁じ得ませんでした。特に「結婚手形」のファニー(ファンニ)役の飯塚茉莉子と「なりゆき泥棒」のベレニーチェ役の種谷典子が素晴らしく、彼女たちの歌を聴けただけでもう大満足。とりわけ後者のソロ「あなた方は花嫁を求め Voi la sposa pretendete 」は驚くべき技術で、後半の繰り返しのヴァリアンテもこの上なく華やかでしたがまだまだ余裕のある歌いぶり。おそらく今後頭角を現していかれることと思いますが、彼女のたった1日限りのベレニーチェを聴けたことを私はずっと自慢に思うに違いありません。
ロッシーニのオペラの興行において最も困難なことは、輝かしい声でアジリタを正確に歌えるハイ・テノールの確保であると思いますが、エドアルト役の水野秀樹、アルベルト伯爵役の岸浪愛学ともども、十分期待に応えてくれたと思います。岸浪はちょっと風邪気味だったのか、声が擦れそうになることもありましたが、至難なアリア「どんな神聖な務めも D'ogni più sacro impegno 」を誤魔化し無しで果敢に歌いきって素晴らしかったと思います。
他の歌手たちも総じて優れていたと思いますが、指揮の河原忠之があまりにも歌手の生理に合わせて、というか安全運転に過ぎるものでしたので、ちょっと間延びするところも。ズルックとドン・パルメニオーネを歌った大野浩司など、こまかい音符をはしょらず丁寧に歌っているのには好感を持ちましたが、指揮者は時に過酷であっても更に彼らを追い詰めるべきだったのではないか、などと思いました。脇の何人かはそろそろ中堅といった歌手が押さえていましたが、トビーアを歌った西村圭市は(私は以前「スペインの時」(ラヴェル)のラミーロ、「カーリュー・リヴァー」(ブリテン)の旅人を聴いているが)さすが場数を踏んできた歌手ならでは。そのコミカルな味わいはちょっとインパルスの板倉のコントを観ているような感じです。また「なりゆき泥棒」のドン・エウゼービオ役の伊藤達人も以前「フィレンツェの悲劇」(ツェムリンスキー)のグイドや「カルディヤック」(ヒンデミット)の騎士役を歌うのを聴いていますが、今回はまさかのオネエ役という設定で笑わせてくれました(コミカルで、しかも後味が良い)。脇役も穴がなく、後藤春馬や高橋紫乃のシャーベット・アリアが本来の「お口直し」をはるかに超えて聴かせるものになっていたのも素晴らしいと思います。

河原忠之の指揮については先ほども書いた通り少々もっさりしたところもあるのだが、歌手に余裕があるとすばらしく適確なテンポになり、そうでない場合やアンサンブルになるとやけに慎重になる癖があるように思いました。とはいえ、「結婚手形」のフィナーレや「なりゆき泥棒」の五重唱など、アンサンブルでもスリリングに聴かせるところもあって、どこまでが指揮者の計算の内なのか、ちょっと判断に困るところ。私自身はいくつかのブログの悪評ほど酷いとも思いませんでした。それは東京シティフィルの好演によるところが大きいと思います。やや重心が低音寄りなのだが十分に輝きもあり、薄っぺらにならない響きが実に良かったと思います。ロッシーニとなると途端にスッカスカの音を鳴らすオケが多い中、これは良い意味で予想を裏切られました。そのせいで、ところどころ重いテンポの個所も、それはそれでちゃんと音楽として成り立っているように思いました。もちろん私とてもっと颯爽とやってくれないかな、と不満に思う所もありますが、ロッシーニが(驚異的な速筆にも関わらず)一音一音克明に楽譜に書きつけたアジリタをすっ飛ばすような雑な演奏を聞かされるよりは、よほど良かったと思います。

もうひとつ特筆すべきことは美術の美しさ。「結婚手形」では前方に傾いだ丸舞台の両脇に大きな扉のある壁、舞台奥にもうひとつ扉、舞台上にはアンティーク風の地球儀、書き物机に籐の衝立。シンプルだが落ち着いた色合いで、19世紀初頭の中産階級の邸宅の表現としては申し分なし。「なりゆき泥棒」は同じ八百屋舞台の上に、楕円形の額縁に雲が描かれた絵画のようなものが吊り下げられ、前半の嵐の宿の場面ではそれに流れる雲のような照明が当たってあたかも天窓のように見え、後半はロココ風の調度品となって侯爵家の瀟洒な室内を表す。それ以外には舞台下手にソファ、小道具に旅行鞄と4つの荷物を入れた箱のみとシンプルだが、芝居のお膳立てとしては必要にして十分。演出はごくごく常識的なものだが、なじみの薄い出し物なのでこれで良いと思います。

土曜の夜にしては客の入りはよくありません。ロッシーニの天才を知らない人が多いのは残念ではありますが、この国の妙な独墺偏重主義に凝り固まった年寄がクラシックコンサート市場の上客である以上、致し方ありません。だからこそ、ロッシーニの演奏至難な初期ファルサをオール日本人キャストで高水準な舞台で聴く日がこようとは、と実に感慨深いものがありました。日本のオペラ界というのも狭い世界だけれど、その中の若手の世界では今や、かつてのロッシーニ・ルネサンスの頃もかくやというほど、すぐれた才能が現れてきているらしい。声楽家もアスリートと一緒で、年々巧くなっていくものなのかも知れません。来る4月の大阪での「ランスへの旅」公演も楽しみです。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-02-24 23:59 | 演奏会レビュー
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