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ロッシーニのファルサを聴く(その1)~「結婚手形」

香川照之の出てる龍角散TVCMの音楽、なんであそこまであからさまにラヴェルのコンチェルトのパクリなの?





毎年たいへん興味深い演目で注目される新国立劇場のオペラ研修所公演、今年はロッシーニの珍しいファルサの二本立て(「結婚手形」と「なりゆき泥棒」)。新国立劇場本体のほうは年々プログラムが保守化していて、関西からわざわざ聴きに行くほどの魅力はなくなってしまいましたので、研修所にはなおさら頑張ってほしいところ。もういっそのこと、ご本体には名作オペラだけやってもらって、そのかわりに研修所オペラを年2回か3回やってほしいぐらい。
そんな訳で、2月公演の予習としてロッシーニのファルサを聴いています。

 ロッシーニ 結婚手形 La Cambiale di Matrimonio

  トビーア・ミル: ブルーノ・プラティコ(Bs) 
  ファンニ・ミル: アレッサンドラ・ロッシ(Sp)
  エドアルド・ミルフォルト: マウリツィオ・コメンチーニ(T)
  ズルック: ブルーノ・デ・シモーネ(Br)
  ノルトン: フランチェスコ・ファチーニ(Bs)
  クラリーナ: ヴァレリア・バイアーノ(Ms)
  マルチェッロ・ヴィオッティ指揮イギリス室内管弦楽団
  1990年8月20~23日録音
  CD:BRILLIANT CLASSICS 92399/7


ファルサFarsaとは、wikipediaによれば18世紀の終わりから19世紀初頭にかけて、多くはカーニヴァルの時期にヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で演奏された一幕物のコミカルなオペラとのこと。一幕物という以外に、この時代のオペラ・ブッファあるいはドラマ・ジョコーゾと音楽面で大きく異なる要素はないようですが、とにかく享楽的な音楽に特化したオペラということは言えそうです。ロッシーニは生涯に5作のファルサを書いたようですが、このディスクにはその内やや作曲年代の離れた「アディーレ」を除く4作と、Burletta per musicaと銘打たれているが実質的にはファルサである「なりゆき泥棒」が収められていて、研修所オペラの予習にはうってつけの一組。
今回取り上げる「結婚手形」作曲の経緯や全曲の構成など、日本ロッシーニ協会のHPに詳細な論文が寄稿されておりますので、今回はすべてそちらに委ねたいと思います。

http://societarossiniana.jp/cambiale.pdf#search='%E7%B5%90%E5%A9%9A%E6%89%8B%E5%BD%A2+%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8B'

この論文に私が付加えることなど殆どないのですが、この中で著者の水谷氏が「(前略)全体に個性の発現に乏しく、天才的な着想や後のロッシーニに顕著なエネルギーの横溢は感じられない。それゆえ加速度的に個性を開花させていったロッシーニの歩みを知る者が、本作に物足りなさを感じても仕方ないだろう。」云々と書かれているのは、この音楽の素晴らしさをすこし低く見積もり過ぎているように思います。プロフェッショナルな分析はともかく、何度か聴いた限りでは後のブッファの傑作群に少しも劣らない音楽に満ち満ちていて驚きました。ロッシーニという人はラヴェルやストラヴィンスキーと同様、年齢とともに成熟していくタイプの音楽家ではなくて、いきなり完成された姿でもって世に現れた天才型の音楽家であるということが言えそうです。もちろん、後に「セミラーミデ」のようなオペラ・セリア、あるいは「ランスへの旅」以降のオペラ・コミックでロッシーニは更に進化していくわけですが、ことブッファという様式に関しては、作曲家18歳の実質的な処女作において、もう十分すぎるほど手練れの域に達しているように思います。

ヴィオッティの指揮は大変優れていて、決して精緻という訳でもないが、こういった作品に絶対に不可欠な輝かしい音が鳴っています。過去、何度かこのブログでも書いてきたとおり、日本のオーケストラではこの「薄くてスカスカのスコアを輝かしく鳴らす」スキルというのが不足していることが多いのですが、このような演奏を聴くにつけて実演に接するのが楽しみでもあり不安でもあります。また、IMSLPのフルスコア(出典不明のロシア語版)を見ながら聴いてみましたが、長大なレチタティーヴォや語りも含め、ほぼカットなし、ということで資料的な価値も万全(たぶん)。
歌手達はいずれもなかなかの適材適所。ファンニを歌うアレッサンドラ・ロッシは音程が微妙に心許なく思えるところもあるが、それが却って従来のオペラのようなヒロイン然とした役柄ではなくて、ちょっとネジの一本足りない商人の娘らしくてとても良い。第7曲のアリアのアジリタも、ルチアーナ・セッラみたいに唖然とするようなテクニックで歌うのもいいけれど、このディスクのようにちょっとハラハラしながら聴くのも面白いものです(念の為附記しておくと、そうはいいながらなかなか大したコロラトゥーラのテクニックではあります)。ちなみに第7曲のアリアの後半の繰り返しでは、お約束通り技巧的なヴァリアンテが附加されているのも楽しい。エドアルドのマウリツィオ・コメンチーニも、第2曲の入りの部分など音程が上ずって危なっかしい限りですが、こちらも今風に言えばチャラ男であるこの役柄にはさほど瑕にはなりません。低音男声歌手が三人出てきますが、いずれもブッフォらしくて実に結構。細かいことを言えばキリがないものの、本当に楽しそうに歌っていて素晴らしいと思いました。シャーベット・アリアを歌うクラリーナ役のヴァレリア・バイアーノも技巧がしかりしていて安心して聴けます。

それにしても、しばらくハイドンのオペラばかり聴いてきて、久々にロッシーニを聴くと、馬車とヴィンテージカーくらいはスピード感が違っていて新鮮でした(もちろん馬車には馬車の良さがあるのですが)。それと、すこし落ち目のヨーロッパの商人一家と、カナダからやってきた羽振りのよい新興商人のおりなす家庭劇というのが、いかにも19世紀初頭の時代に相応しく、ハイドンの世界から一気に近代化された感じがするのも一興(ではモーツァルトは?というのは微妙な問いだが、「劇場支配人」などは両者の橋渡しの例と言えるでしょうね、いかにも現実にいそうな人物ばかり登場する、という意味で)。
なお、CDにはイタリア語のリブレットが収録されていますが対訳は無し。最近の箱物は投げ売り状態で安いのはいいとしても対訳がほとんど附いていないのはちょっと残念。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2015-01-22 23:12 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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