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京都観世会例会 「小鍛冶」 「葛城」 「一角仙人」

私は、日本で最も有力な宗教というのはアニミズムだと思っている。昔、祖父母あたりから「お米の一粒一粒に神さんいてはんねやから粗末にしたらバチあたりまっせ」などと言われた人は多かろう。現代でも、ポゴレリチのリサイタルで、曲が終わるたびに楽譜を床にばさっと落とすのをみて「そんなことしたらバチあたるで」と思った人、たぶんサントリーホールの中に千人くらいいたと思う。




10月に続いて二回目の能鑑賞。

 平成26年12月21日@京都観世会館
 京都観世会十二月例会

 小鍛冶
  シテ(童子、狐=稲荷明神) 林喜右衛門
  ワキ(三条宗近) 宝生欣哉
  ワキツレ(橘道成=一条帝の勅使) 坂苗融
  アイ(宗近に仕える者) 茂山良暢

 狂言
 仏師
  シテ(すっぱ) 茂山あきら
  アド(田舎者) 丸石やすし

 葛城
  シテ(土地の女、葛城の女神) 河村和重
  ワキ(山伏) 小林努
  ワキツレ(山伏) 久馬治彦、岡充
  アイ(所の者) 山口耕道

 仕舞
  和布刈 鷲尾世志子
  土車 武田邦弘
  邯鄲 浅井通昭

 一角仙人
  シテ(一角仙人) 深野貴彦
  ツレ(旋陀夫人) 橋本忠樹
  ツレ(龍神)河村浩太郎、樹下千尋
  ワキ(官人) 原 大
  ワキツレ(輿舁) 有松遼一、岡充


今回観た三曲の能、いずれも超自然の霊異を扱って、しかも舞の華やかさ、面白さが中心となる祝典的なもの。年の瀬の華やぎに実に相応しい番組という感じがしました。それにしても能というものがこんなに面白いものだとは。二回目の観能にしてすっかりはまってしまいそうです。

最初は「小鍛冶」。三条の刀鍛冶宗近は剣を打てとの一条帝の勅命を受けるも、腕のたつ相槌がおらずに困り果てている。宗近が稲荷明神に参ると一人の童子が現れ、古今の剣に纏わる数多の奇譚を語り、宗近に鍛冶の用意をして待てと言う。やがて一匹の狐が現れ、宗近の相槌を見事に果たす。表に「小鍛冶宗近」、裏に「小狐丸」と銘打たれた剣を勅使に捧げると狐は去っていく。
まるで昔話のような微笑ましい内容に加えて、後半の人間と狐が力を合わせて剣を鍛える場面が楽しい。分類は五番目物・霊験物。今回の演出は小書に白頭とあるので、前シテは尉、後シテは白頭(しろがしら)の神狐、これは流派によって様々な衣装や面の違いがあるようだ。作り物は後半に幣帛を飾り付けた剣を打つための壇を模したもの。登場人物の詞は概ね聞き取りやすいが、シテの語る古今の剣の由来のくだりは耳で聴くだけではなかなか難しい。私は半魚文庫で事前にテキストを読んで行ったにも関わらず、地謡の詞はほとんど聞き取れませんでした。もっともこのくだりが判らずとも何ら鑑賞の妨げにはならないと思いますが、ちょっと悔しい。

ここで狂言。とある田舎者が御堂を建てたはいいが仏像がなく、仏師を訪ねて都にやってくる。そこにすっぱ(詐欺師)が来て我こそは仏師と言い、明日にも仏を作ってやろうと持ちかける。あくる日、田舎者がやってくると仏、実は面をつけたすっぱが鎮座している。すっぱは仏像に成りすましたり人間に戻ったり大忙しだが、田舎者は印相の形が気に食わず、何度も何度もやり直しを頼むうちに次第にしっちゃかめっちゃかに・・・。
いやもうとにかく、理屈抜きに面白く大笑い。素晴らしい芸能だと思います。笑い飯とかにやらせたらそのままコントになりそう。

「葛城」は四番目物、夜神楽物という分類になるらしい。「かつらぎ」ではなく「かづらき」と読むそうだ。小書は大和舞。羽黒山から葛城山に修行に来た山伏の一行が雪の為に難儀しているところを土地の女に助けられる。実はこの女、葛城山の女体の神であったが、役行者の求めによって吉野山と葛城山の間に岩橋を掛けようとする。しかし、その容姿を恥じて夜だけしか仕事をしなかったために役行者の怒りを買い、明王の索で身を縛められたのだという。その夜、山伏たちの加持によって呪縛を解かれた女神が大和舞を舞い、夜明けとともに再び岩戸の中に消えていく。
上演時間およそ1時間25分ほどだがかなり長く感じます。さほど錯綜した物語でもないのだが、間狂言で葛城の女体神と役行者との経緯を長々と語るのが、お昼をいただいた後というのもあって少々眠気を誘いますが、後半に雪の降り積もった庵の作り物から、玉飾りを着け美しく着飾った女神が現れる瞬間は、ほんとうに息を呑む思いがして一気に目が覚めました。そういえばシテに扮するのはこの前の10月に観た「夕顔」でシテを務めていた河村和重。その時は荘重というより、ほとんど動きのない舞の面白さがよく分っておりませんでしたが、今回の大和舞は同じく派手さはないものの、なんともいえず華やいだものが感じられて大変美しく感じられました。錯覚だとは思うけれど、後シテが舞う間、舞台がそれまでとは異なる光に満たされているように感じたのが不思議でした。また、前半の神韻縹渺たる笛の音が雪山の情景に相応しく、また後半は控え目に太鼓が加わって舞を彩るのも実に面白く、囃子にもいろいろあることが判りました。前シテの面は深井または増、後シテは増または十寸髪(ますかみ)というのだが、みても違いがわからないのが素人の悲しさ。

ここで仕舞が三番。今回のは随分と動きのある舞でなかなか楽しめましたが、何せ舞そのものがよく分っていないのでもう少し目が肥えるまで感想は控えておきます。

最後は「一角仙人」。舞台は天竺波羅奈国。鹿の胎内より生まれ、角をはやした一角仙人は、神力で龍神を岩屋に閉じ込めてしまう。それから雨が降らなくなってしまったので、こまった帝は美貌の旋陀夫人(せんだぶにん)を仙人のもとに遣わす。はじめは誘惑をしりぞけていた仙人だが、やがて旋陀夫人の勧めるままに酒に酔ってしまう。神力が衰えたところで岩屋から二柱の龍神が飛び出し、仙人を倒して逃げ去っていく。
五番目物とも四番目物とも。舞台の上には一角仙人の粗末な庵と、龍神の閉じ込められた釣鐘状の岩屋の作り物が据えられ、視覚的にも賑々しい。登場人物の内四人も面を着けるというのも異色でしょう。また、二人の輿舁(こしかき)が旋陀夫人の頭上に輿に見立てた作り物をかざしながら現れる場面、それに続く旋陀夫人の優艶な舞、よっぱらった仙人が旋陀夫人とともに舞うコミカルな舞、二柱の龍神の激しい舞と次々と見どころがあり、お話の荒唐無稽さはともかくとして、一大スペクタクルといった趣があります。今回のような祝典的な演目の最後にはぴったりな感じがしました。能というものが、高尚なものだけでなく、かつてはエンタテイメントでもあったと実感させられた一日でした。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2014-12-22 23:39 | 観劇記録 | Comments(5)
Commented by Matsumoto at 2014-12-23 08:30 x
こんにちは。あの楽譜投げ捨てですが、最初は「ダンテ」だったので、地獄落ちのパフォーマンス付きかなと思い、結構ウケたのですが、その後も続けるので何となくガッカリした次第です。
Commented by nekomatalistener at 2014-12-24 08:31
楽譜ポイ捨ての件でこんなツイートがありました。面白い見方だと思いました。
https://twitter.com/rc1981rc/status/545356657681633281
私は未だにポゴ氏のペトルーシュカに支配されている。小田島さんの書いていらした印象とも共通するのだが(http://fatale.honeyee.com/blog/hodashima/archives/2014/12/15/post-289.html …)、ポゴ氏は人形(楽譜)に命を吹き込んで存分に踊らせ、終わると床にポイ捨て、でもカーテンコールにはやはりそれを連れて出てくるのだった。
Commented by Matsumoto at 2014-12-24 10:30 x
楽譜の件は、こんな風な意味も一応考えては見たのですが、過去の来日時の行状や最後のブラームスでの行状を合わせると、別の深い意味があるとしても、現状まだ理解できておりません。考え付けば、書き込ませて頂きますね。
Commented by tomokovsky at 2014-12-26 20:58 x
余談で恐縮すが、免役学者で能作家でもあった多田富雄さんの作品で「一石仙人」という、アインシュタインがシテの作品があって、興味を持っていたのですが、一角仙人のもじりだと初めて気がつきました。どっちも見たことなく、どもならんわ。
能のリブレットってどこかで簡単に見られるのかしら?ご存じでしたら教えて下さい。
Commented by nekomatalistener at 2014-12-26 22:44
「半魚文庫」というサイトのなかに謡曲のテクストを集めたページがあり重宝しています。表記に若干クセはありますが、慣れたら特に支障はありません。なにより350曲以上収められていますから余程の秘曲でない限りほとんどここで読めるはずです。
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/
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