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ゴリホフ 「アイナダマール」 スパーナ指揮アトランタso.他

とあるネット配信ニュースで、マクドナルド凋落を伝える記事に、「バンクーバーの新聞には「時代遅れの運営」でそれはCEOも認めるところ、としています」云々とあって、これ何気に「ハンバーガーの新聞」と読んで「そんな業界紙あるんや・・・」としばらく感心してました。




11月15日の日生劇場「アイナダマール」の日本初演に向けて予習中。

 
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 オスバルド・ゴリホフ 「アイナダマール」Osvaldo Golijov AINADAMAR
  マルガリータ・シルグ: ドーン・アップショウ
  フェデリコ・ガルシア・ロルカ: ケリー・オコナー
  ヌリア: ジェシカ・リヴェラ
  ルイス・アロンソ: ヘスス・モントーヤ
  ホセ・トリバルディ: エドゥアルド・チャマ
  教師: ショーン・マイアー
  闘牛士: ロブ・アスクロフ
  泉の声: アンネ=キャロリン・バード、シンドー・チャンドラセカラン
  アトランタ交響楽団女声合唱団(合唱指揮:ノーマン・マッケンジー)
  ロバート・スパーノ指揮アトランタ交響楽団
  2005年11月録音
  CD:DG UCCG1383


このオペラを(わざわざ東京まで)観に行こうと思ったのは一にも二にも清水華澄がガルシア・ロルカの役を歌うというのに惹かれたから。正直なところ、作曲者のゴリホフについても、題材であるロルカの生涯と作品についても全くといってよいほど知りませんでした。
まずはオペラから。舞台女優のマルガリータ・シルグは1969年ウルグアイのモンテビデオで「マリアナ・ピネーダ」の舞台上演を控えている。マルガリータは1927年バルセロナにおける「マリアナ・ピネーダ」の初演女優であり、作者のガルシア・ロルカとも親しい(10歳ほど年下でゲイであったロルカに対しては、恋人というよりはミューズ兼庇護者というのが近いのかも知れない)。彼女は1936年にロルカがファランヘ党員に虐殺される前に、彼をキューバに逃がすことができなかったことをずっと悔やんでいる。彼女の回想の中で、ロルカとの出会いから彼の死までが語られ、ロルカ自身の口からマリアナ・ピネーダ、あるいはスペインへの想いが語られる。マルガリータは舞台を愛弟子のヌリアに託して事切れる。
物語自体は決して難解ではありませんが、1969年のモンテビデオと1936年のグラナダ、現実と回想、あるいはマルガリータの幻想が自在に交代し混じり合って、幻想的な雰囲気を醸し出します。
劇中に登場するロルカの戯曲「マリアナ・ピネーダ」のモデルは、1804年に生まれ、1831年に自由主義者の陰謀・蜂起に加担した廉で処刑された実在の人物ですが、オペラの中でもこの名前は何度も現れ、この自由のために殺された女性とロルカの生涯が不思議な符合によって重ね合せに見えてくるのがお話のミソ。

「マリアナ・ピネーダ」はざっと調べた限りでは決してロルカの代表作としての扱いは受けていないようですが、一人のまだ十分に若い寡婦が恋人のために危険を犯し、何も報われないままに捉えられ処刑されるという物語は、オペラの背景としても一読しておく価値があると思いました(邦訳『ロルカ戯曲全集第一巻』長南実訳、㈱沖積舎)。
第1幕、寡婦マリアナ・ピネーダは二人の幼い子供、養母と家政婦と共に暮らしている。判事の娘たちや、その兄フェルナンドが訪ねてきても彼女の心は晴れず、どこか上の空である。そこに一通の手紙が届けられる。そこには政治犯として捉えられていた恋人ドン・ペドロ・ソトマヨールが脱獄に成功し、その日の内にも通行許可証を必要としていることが書かれていた。マリアナは彼女に思いを寄せるフェルナンドにこれを届けさせる。
第2幕、夜も更けた頃、マリアナのもとに恋人ドン・ペドロと自由主義者の一党が密かに集まっている。そこに同志がやってきて、今は決起の時ではないと伝える。家政婦があわてて司法警察の長官ペドロサの訪問を知らせると、一味は裏窓から逃げる。ペドロサはマリアナに自由主義者への協力の疑いがあること、彼女が刺繍を施した一党の旗が押収されたことを告げ、一味の名前を明らかにしたうえで自分のものになれば罪を見逃そうと持ちかけるが、マリアナに撥ね付けられる。
第3幕、逮捕されたマリアナはグラナダの修道院に幽閉されている。そこにドン・ペドロがマリアナを見捨て、イギリスに逃れたとの報せが入る。衝撃を隠せない彼女のもとにペドロサが来て、再度一味の名前を明かすよう迫るが彼女は聞き入れない。次いでフェルナンドも訪ねてきて、マリアナに生きてほしいと懇願するが、マリアナは、自分は自由のために死ぬのだと毅然として言い放つ。やがて彼女は処刑のために連れて行かれる。

ロルカの時代、すなわちスペイン内戦前夜というべき時代にしてもそうですが、1830年前後のスペインの歴史については殆ど日本では知られていないのではないでしょうか。それは簡単に要約するとフェルナンド7世治下における絶対王政と自由主義との相克の時代。その時代の動きと、マリアナ・ピネーダという女性の実像を知るには、下記の文献が参考になります。

https://kitakyu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=233&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=102

そういった時代背景を知らずにこれらの物語を深く理解するのは不可能ですが、この戯曲を読んで印象深く思うのは、彼女の行動原理というのは最初のうちはあくまでも恋のため、恋人のためであったのが、彼の裏切りの後それが「自由のため」に置き換わってしまうことだろうと思います。実は先ほど挙げた論文の中にもこのような記述がありました。ロルカ自身が、「最後にはマリアナは恋人が自由をもって彼女を裏切ったとわかったから、自由の象徴へと転化する」と述べています。これはオペラの中でロルカがマリアナについて、「この作品は政治的なものじゃない」とか「ぼくにとってマリアナは何よりも愛だった」と述べているのとちょうど反対の関係にあるとみてよいと思います。つまりマリアナは(本意ではないにしても)恋ではなく自由のために身を犠牲にし、ロルカは政治ではなく恋のために作品を書いた(その故に殺された)、と。
ロルカの死が政治的暗殺であったのかどうかは諸説あって実際のところは分らないとしか言えないようです(単にファランヘ党員のホモフォビアによって殺されたという説もあるようだ)。その意味からも、1933年ブエノスアイレスの「ラ・ナシオン」紙のインタビューにおける次のロルカの言葉は(本心か、何らかの理由による自己韜晦かはともかく)重要だと思われます。
「私の芸術は民衆的(ポプラール)なものではありません。そうだと思ったことは一度もないんです。〔中略〕扱っているテーマはそう見えるかもしれませんが、ほとんどの作品は民衆的たりえません、というのは、貴族的とはいいませんが洗練に洗練を重ねた芸術だからで、民衆的なるものがもっている単純な即興性とは相容れないビジョンとテクニックがあるからです」

http://www.jspanish.com/yomimono/lorca/lorca17.html

ただ、他の作品はともかく、この基本的に恋から死へまっすぐ一直線に進むマリアナ・ピネーダの物語には、あまり深読みを誘う要素はないように思います。本当は、マリアナとロルカの物語の対称性なり非対称性が偶々そうであったのか作者(作曲者と台本作家)の狙った結果なのか、更には恋と革命の両立可能性なり不可能性なりに関する思索があって然るべきだと思うけれども、ろくすっぽロルカそのものを読んでもいない段階では軽薄の謗りを免れないでしょうからこのくらいにしておきます。

音楽面ではどうかと言えば、全体のかなりの部分がポピュラー音楽の手法で書かれているため、オペラを聴くというよりはミュージカル、あるいはシルク・ド・ソレイユのパフォーマンスか何かのBGMを聴いているみたいな感じがします。ポピュラーといってもいわゆるポップスというのではなくて、ピアソラ風、あるいはところによりカンテ・ホンド風といったところ(特にロルカを捕えるルイス・アロンソの役はクラシックの歌手ではなくカンタオールによって歌われます)。しかし幾つかのナンバーはクラシカルな意味でも非常によく書けていて、聴き手にかなりの緊張を要求し、かつ何度聴いても味わい深い。たとえば、第1景ロルカの歌う「ぼくの部屋の窓から(マリアナの像に寄せるアリア)」Desde mi ventana、あるいは第2景の「告解」Confeción など。全体的に、直情的なマルガリータと、より複雑な性格を持ち、シニカルであったりデカダンな雰囲気を持つロルカ、清純なヌリアというように人物の性格が音楽的に明確に描き分けられています。その点、第3景終幕近くに置かれた三重唱「わたしの血がここに」Doy mi sangre はもっとも重要なナンバーかも知れません。曲調は全然ちがうけれど、その美しさと気高さ、三者三様の歌が緊密に絡み合って縒り合わさる様はまるで「ばらの騎士」の三重唱に比べることもできそうです。
演奏者については、いずれにしてもゴリホフ自身がこの録音に何らかの形でコミットしているはずなので、その巧拙を云々しても無意味だとは思いますが、どの歌手も文句なしの素晴らしい歌唱であると思います。特にロルカ役の妖艶さは通常のクラシカルなレパートリーではなかなか聴けないものでしょう。清水華澄のロルカがどのような歌唱となるのか、大変楽しみにしています。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2014-10-30 23:57 | CD・DVD試聴記
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