近鉄で京都に行く途中、向かいの席に座った坊主頭の若リーマンがスマホ見ながら、何かよっぽど可笑しいのか笑いをこらえて悶絶していた。眉間に皺をよせて虚空を睨んだりしても口元はゆるゆる、小鼻もひくひくしとる。見るのやめときゃいいのにまたチラ見して悶絶。これ、それとなく観察してるこちらも笑いが伝染するのでやめてほしい。
秋晴れの気持ちのよい休日、京都で能を観てきました。 平成26年10月18日 平成26年林定期能第五回@京都観世会館 夕顔 シテ(女、夕顔) 河村和重 ワキ(旅僧) 江崎敬三 アイ(所の者) 茂山逸平 仕舞 松風 杉浦豊彦 融 林喜右衛門 狂言 文山立 シテ(山賊甲) 茂山七五三 アド(山賊乙) 茂山茂 仕舞 花月 樹下千慧 半蔀 河村浩太郎 浮舟 味方健 葵上 ツレ(照日巫女) 松野浩行 シテ(六条御息所の生霊) 河村和晃 ワキ(横川小聖) 原 大 ワキツレ(朱雀院の臣下) 有松遼一 アイ(左大臣に仕える者) 山下守之 当方はじめての観能。以前から一度は観ておきたいと思っていましたが、先日ブリテンが能の「隅田川」に基づいて作曲した「カーリュー・リヴァー」を観て思い立ち、ようやく重い腰を上げて観てきた次第。不案内な世界でしたが、ネットで調べると様々な流派の公演が毎週のようにあるのですね。本当は「隅田川」を観たかったのですが、以前に読んだことのある源氏物語に基づく演目なら多少とも判りやすいだろうと思い、この公演を選びました。 なにぶん初心者故、気の利いた観劇記は書けません。あくまでも自分の備忘ということで。 まず何よりも後半の「葵上」の面白さに驚愕しました。三島由紀夫の「近代能楽集」で現代劇に翻案されてもいるけれど、原作の恐ろしさには敵わないだろう。 物語の前半、病に苦しむ葵上(舞台に置かれた小袖をそれと見立てる)に取りついた物の怪を見極めようと、照日巫女(てるひのみこ)が枕元に請ぜられる。そこに六条御息所の生霊が現れ、賀茂祭の際の「車争い」で受けた屈辱と嫉妬を切々と語る。ついには葵上を激しく打擲(後妻打ち=うわなりうち)しようとする。後半、比叡山から横川小聖(よかわのこひじり)が呼ばれ、鬼女と化した六条御息所の生霊と激しく対峙し、ようやくのことでこれを調伏するというおはなし。 分類としては四番目物(鬼女物)。シテ(六条御息所)は前半は壺折腰巻の出立に泥眼の面を着け、感情が激すると扇を投げ捨て、激しく葵上に襲い掛かる。また後半は般若の面を着け、打ち杖を振るって小聖に詰め寄る。横川小聖は山伏出立、照日巫女は小面に水衣着流巫出立。生霊と小聖の対決は様式化はされているけれども思いのほか激しく、まさに死闘である。囃子も笛・小鼓・大鼓に後半は太鼓が入り、バロック・オペラでいうならBattaglia(戦いの音楽)といったところ。 世間一般の能のイメージ(退屈とか眠くなるとか)しか持ち合わせていなかった筆者には正に衝撃。能ってこんなに面白いものなのかと目から鱗の思いだが、逆にこれほど視覚的に面白いのは例外なのかもしれません。また視覚面だけでなくテキストも実に面白い。セリフが全て聞き取れた訳ではありませんが、六条御息所の恨みがいたるところで述べられ、恐ろしくも切ない女心がこれでもかと表現されています。「半魚文庫」から少し引用してみましょう。 シテ「われ世に在りしいにしへは。雲上(うんしやう)の花の宴。春の朝(あした)の御遊(ぎよいう)に馴れ。仙洞(せんとう)の紅葉の秋の夜は。月に戯れ色香に染みはなやかなりし身なれども。衰へぬれば。朝顔の。日影待つ間の有様なり。唯いつとなき我が心。もの憂き野辺の早蕨(さわらび)の。萌え出でそめし思の露。斯かる恨を晴らさんとて。これまで現れ出でたるなり。」 ********** シテ「あら恨めしや。今は打たでは叶ひ候ふまじ。 ツレ「あら浅ましや六条の。御息所程の御身にて。うはなり打ちの御振舞。いかでさる事の候ふべき。唯思召し止り給へ。 シテ「いや如何に云ふとも。今は打たでは叶ふまじと。枕に立ち寄りちやうと打てば。 ツレ「この上はとて立ち寄りて。妾(わらは)は跡にて苦を見する。 シテ「今の恨は有りし報。 ツレ「嗔恚(しんい)のほむらは。 シテ「身を焦がす。 神子「おもひ知らずや。 シテ「思ひ知れ。 地「恨めしの心や。あら恨めしの心や。人の恨の深くして。憂き音に泣かせ給ふとも。生きて此世にましまさば。水闇(みずくら)き。沢辺の蛍の影よりも。光る君とぞ契らん。 能を観るのにセリフや謡の文句が判らなくてもよいという人もいるようですが、やはり聞き取れるに越したことはないと思います。いまは高価な謡曲本を買わずともネットで簡単にテキストを入手できるので便利です。 幕間の狂言は「文山立(ふみやまだち)」。追いはぎをしくじった二人の山賊が、失敗を互いの所為にして争い、とうとう果し合いをすることに。しかし、取組を始めても、やれここは崖で危ないの、ここは茨が痛そうだのと決着がつかず、まずは遺書を書こうとする。妻子に宛てた手紙に泣き出した二人は、果し合いを明日まで延ばそうか、いや明日と言わず来年に、いや来年といわず・・・最後はお前のおかげで寿命が延びたと仲直りして手に手をとって帰っていく。 先日別の機会に観た「棒縛」なんかにくらべると哄笑というよりはくすりと笑わせるタイプに思いましたがどうでしょうか。実にばかばかしいお話ですが、ほとんどこのままで落語やコントのネタになりそうなところが凄いと思います。二人が書き上げた手紙を読むところは謡になっていて、演者の芸のみせどころなのかも知れません。 前半の「夕顔」も源氏物語による一曲。 豊後国から都に上ってきた僧が五条のあたりを歩いていると、草生した庵から女の声がする。僧が仔細を訊ねると、ここは某の院とて源氏と一夜を過ごした折に六条御息所の生霊に取り殺された夕顔の話をする。その夜もすがら僧が祈っていると、やがて夕顔の霊があらわれ、弔いに感謝して消え去る。 三番目物(鬘物)。小書は山端之出、法味之伝。シテの面は若女など、装束は前半が唐織着流、後半は長絹大口とあります。面や装束の知識が深まれば視覚的にも随分と楽しいに違いありません。最初に女の住まう庵を模した作り物が運ばれ、そのなかから女(実は夕顔)が登場します。囃子は笛・小鼓・大鼓。 全体に動きが極めて少なく、物語の大半は地謡によって進められていくので初心者にはやや厳しい感じ。後半は序之舞のかわりにイロエが置かれているとのことですが、これは「シテが茫洋と、現なくさまよう様子」だそうな。興味津々で観ていたので眠くはなりませんでしたが、これに幽玄の美を感じるにはこれから相当の修行が必要か。テキストは途中まで説明が多いように思われますが、中ほどより大変流麗なものとなります。 地「情の道も浅からず。契り給ひて六条の。御息所に通ひ給ふ。よすがによりし中宿に。 シテ「唯休らひの玉鉾の。 地「便に。立てし御車なり。 クセ「ものゝあやめも見ぬあたりの。小家がちなる軒のつまに。咲きかゝりたる花の名も。えならず見えし夕顔の。をり過さじとあだ人の。心の色は白露の。情おきける言の葉の。末をあはれと尋ね見し。閨の扇の色ことにたがひに秋の契とは。なさゞりし東雲の。道の迷の言の葉も。此世はかくばかり。はかなかりける・蜉蝣(ひをむし)の。命懸けたる程もなく。秋の日やすく暮れはてゝ。宵の間過ぐる故郷の松のひゞきも恐ろしく。 シテ「風にまたゝく灯の。 地「消ゆると思ふ心地して。あたりを見ればうば玉の。闇の現の人もなく如何にせんとか思川。うたかた人は息消えて。帰らぬ。水の泡とのみ。散りはてし夕顔の。花は再び咲かめやと。夢に来りて申すとて。有りつる女も掻消すやうに。失せにけりかき消すやうに失せにけり。 能と狂言の合間に都合五番の仕舞が演じられました。ベテランから若手まで、その技量のほどは私には全くわかりません。こういったものも少しは目を養っておきたいものだ。 (この項終り)
by nekomatalistener
| 2014-10-20 23:57
| 観劇記録
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