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ザ・カレッジ・オペラハウス公演 「カーリュー・リヴァー」&「鬼娘恋首引」

もしも三島由紀夫がブリテンの「ビリー・バッド」を観たら狂喜したのは間違いないと思うけれど、「カーリュー・リヴァー」だったらどう思っただろう。「近代能楽集」を書いた人の感想を聞きたかったものだ。




ザ・カレッジ・オペラハウスによる鈴木英明とブリテンの一幕物オペラの二本立て公演を観てきました。想像していたよりも遥かに素晴らしい舞台で、こんな公演が観れるのなら関西も捨てたもんじゃないと思いました。


 2014年10月11日 ザ・カレッジ・オペラハウス第51回オペラ公演
 鈴木英明 「鬼娘恋首引」
   番茶姫: 川口りな
   伊呂波匂之助: 中川正崇
   素天童子: 田中勉
   地謡: 木澤佐江子・福島紀子・柏原保典・木村孝夫

 ブリテン 「カーリュー・リヴァー」
   狂女: 西垣俊朗
   渡し守: 桝貴志
   旅人: 西村圭市
   少年の霊: 榎並晴生
   修道院長: 西尾岳史
   少年の声: 老田裕子
   巡礼の合唱: ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団

  管弦楽: ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
  指揮: 山下一史
  演出: 井原広樹


まずは後半の「カーリュー・リヴァー」から。舞台に接して、ブリテンという人の天才に心底驚きました。以前に「ピーター・グライムズ」を観たときの衝撃からして想像はしていたものの、より狷介な、難解と言ってもよいこの音楽がどうしてこれほどまでに人の心を激しく揺さぶるのか不思議なくらいです。もちろん、この公演までに私は何度となくブリテン自身の監修によるCDを聴いているわけで、予習なしにいきなり聴いたらどう思ったか良く判らないところがあります。たぶん初めて聴いてすぐさま腹に入る音楽ではないのでしょう。しかし真摯にその音楽に向き合おうとする者には間違いなく大きな感動をもたらしてくれる音楽であると思いました。もう今回のレポートは、ブリテンが紛れもなく舞台音楽の天才であること、機会があれはどうか敬遠なさらず皆に聴いてほしいということ、それだけ書けば十分。以下は備忘としての附け足しみたいなものです。

歌手の中では渡し守を歌った桝貴志が抜きんでていたと思います。私は以前、松村禎三の「沈黙」で彼がキチジローを歌ったのを聴いていますが、その時はロドリゴやフェレイラ役の歌手が素晴らしかったせいか、それほど印象に残っていません。しかし今回の渡し守の歌唱は朗々とした美声もさることながら、最初どちらかといえば下卑た人間であったのが、狂女に対する真の同情から一段高い人間に生まれ変わっていく、その微妙な変化が素晴らしいと思いました。
次いで狂女を歌った西垣俊朗も優れた歌唱であったと思います。最初登場したときはエキセントリックに思われた歌唱が、次第に人間の普遍的な悲しみを描きだし、遂には聴く者の肺腑を抉るような表現に至る様はまさに息をのむ思いでした。
旅人役の西村圭市、以前彼がラヴェルの「スペインの時」のラミーロを歌った時、私は「声良し芝居良しで華も実もある逸材」と書きましたが、今回はちょっと物足りなさを感じました。主役二人の歌唱に比べると、まだまだ突き詰めた表現が可能であったのではないかと思いました。修道院長の西尾岳史も少し声が散るせいか、今一つ役に入り込めないように思われました。しかし、全体としてはあとの二人とも、大きく足を引っ張るというほどではなく、感動を損ねることはありませんでした。
少年の亡霊については、子役(榎並晴生・黙役)の姿に合わせて舞台裏で女声(老田裕子)が歌うという趣向。あまり女性を感じさせない素直な歌いぶりで全く違和感はありませんでしたが、本当のところは多少下手でもいいからボーイソプラノで歌われるべきでしょう。せっかく子役に少年合唱団のメンバーを使っているのにもったいない、と思いました。
演出については、まずシンプルな道具立てが素晴らしい。舞台の上に鳥居のように三角形の破風を頂く二本の柱、これが手前と奥に二組。これが前半の「鬼娘恋首引」では能舞台の4本の柱と屋根を抽象化したものとなり、「カーリュー・リヴァー」では同じ道具が教会の象徴となります。舞台に3畳ほど一段小高くなった部分があって、これが渡し舟にもなれば少年を埋葬した塚にもなります。川面や星降る夜を表す背景の映像も抑制が効いていて大変美しいものでした。
渡し守に続いて旅人が歌い始めるところで、巡礼者の群れがまるでゾンビのようにもぞもぞと動いているのがすこし気になりましたが、これは芝居の前半、狂女以外の全ての人物が粗野で卑しい存在であったのが、彼女に深く同情することでキリスト者として再生することを強調しているのかも知れません。実にこの奇蹟によって救われたのは狂女のみならず全ての登場人物であったというべきでしょう。

前半の「鬼娘恋首引」は狂言の「首引」に基く喜劇。この楽しい歌芝居についてあれこれ評論めいた言説を振りまわすのは野暮というものでしょうから、こちらも備忘として二言三言。
主役3人、鬼の子分を演ずる地謡いずれも不安のない歌唱でしたが、なかでも鬼の頭領である素天童子(田中勉)の親馬鹿振りが大いに笑わせてくれました。音楽はいわゆるわらべ歌風のものでそつなく書かれているという感じ。管弦楽は1管編成のシンプルなものですが、多彩な打楽器やピアノが入っているので非常に華やかに聞こえます。1980年に初演されてからかれこれ10回以上も再演されているというのもむべなるかなといったところ。ただ、私は偶々先日、本物の狂言を観る機会があり(「棒縛」と「寝音曲」の二曲)、ほんとうに腹の底から笑わせてもらったので、この楽しいけれど大笑いとはいかないオペラ仕立てというものの限界を感じたのも事実。まあ元ネタとオペラは別物と言ってしまえばそれまでですが、わざわざ狂言をオペラに仕立て直す必要があったのかなというのが素直な感想です。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2014-10-14 00:21 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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