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サティ 「家具の音楽」 コンスタン指揮アルス・ノヴァ合奏団

あんまりうまいのでツイッターより引用。全部クセナキスね。

渡辺愛‏@acousmat·8月6日
付き合ってミッカ? #現代音楽用語で口説いて振られる
石塚潤一‏@jishizuka
そんな口説き文句じゃ激オコです。
鈴木治行‏@sharuy·8月7日
むしろクセナキス駄洒落ハッシュタグを作るべきジャロン。





今回はエリック・サティを取り上げます。これまでのラインナップからすると意外な選曲に見えるかも知れません(?)。
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  ①バレエ《本日休演》の幕間映画のための音楽(ルネ・クレール監督のフィルム)
  ②(いつも片眼をあけて眠る見事に肥った)猿の王様を目覚めさせるためのファンファーレ
    ~2本のトランペットのための
  家具の音楽
    ③県知事の私室の壁紙
    ④錬鉄の綴れ織り(招待客の到着の際に、大きなレセプションの場合は、玄関ロビーで演奏される)
    ⑤音のタイル張り舗道(昼食のときに演奏する)
  ⑥ヴェクサシオン(神秘的なページより抜粋)~ピアノ・ソロのための

  アルス・ノヴァ合奏団①、③~⑤
  指揮: マリウス・コンスタン①、③~⑤
  ピエール・ティボー、ベルナール・ジャヌト(tr)②
  ミシェル・ダルベルト(pf)⑥
  1980年2月録音
  CD:ERATO WPCS-22107

私自身は、正直なところ、そんなにサティに入れあげている訳でもなく、嫌いじゃないけど大好きというほどでもない、といったところです。しかし、サティといえば「ジムノペディ」か「グノシエンヌ」、せいぜい奇妙なタイトルの一連のピアノ作品をちょこっと聴いて「サティはああだこうだ」というのは、間違っているとは言わないけれど、どうにも納得がいきません。いや、私は他人がサティのことを好きでも嫌いでも一向に構わないけれども、サティについて一言でも語るのならせめて「パラード」と「家具の音楽」を聴いてからにしたらどうか、とは思います。歌曲も「ジュ・トゥ・ヴー」以外にも面白いものが沢山ありますし、知らないで済ますのはもったいないと思いますが、後世への影響とかいった意味では「パラード」と「家具の音楽」に勝るものはないでしょう。
本当は、権威主義的なものの考え方の対極にあるサティの音楽について、「後世への影響」などと大仰に書くことは見当違いも甚だしいに違いありません。しかし、1917年に初演された「パラード」こそはフランス6人組&パリ時代のストラヴィンスキーに多大かつ決定的な影響を与えた作品であり、1910年代のさまざまな芸術的潮流、例えばダダイズム、未来派、ロシア・アヴァンギャルドなどの結節点にしてそれらの最良の物の集大成でもある、といえば褒め過ぎでしょうか。一方でタイプライターやサイレンなど騒音を取り入れた実際の音楽の響きは、今書いたようなご大層な賞賛とは裏腹に腰を抜かすぐらいチープだったりする。しかもこの場合の「チープ」というのは逆説的ですが完全に褒め言葉でもあって、もしかしたらさきほど列挙したこの時代の数々の芸術的潮流に通底するものは「サティのパラードみたいなチープさ」と要約できそうだなどと密かに考えています。それはとりもなおさず、19世紀風ロマン主義、ワグネリズムの対極にあるものです。実に20世紀前半の音楽というのは、マーラーやシェーンベルクを代表とする後期ロマン派から十二音技法の確立に至る大きな流れと、ドビュシーから1954年以前のストラヴィンスキーに至る別の大きな流れの拮抗であったわけで、サティの存在というのは後者の中でも特異な位置を占めていると思われます。

「パラード」の話を枕に「家具の音楽」について書こうとして、ついつい枕が長くなりました。なんだかんだ言いながら音源の種類もそこそこある「パラード」に比べると、「家具の音楽」は一層マイナーな感じがします。家具や壁紙のように、特段注意されることもなくそこにある音楽、というコンセプト、あるコンサートの休憩時間に「意識して聴かれることのないように」演奏したにも関わらず、聴衆が聴き入ってしまったためにサティががっかりした、というエピソードはよく知られているのかも知れません。こちらについては、ミニマリズムやアンビエント音楽の源流であるという見方がなされることがあるようですが、アンビエントとの関連は私自身が例えばブライアン・イーノとかあまり知らないのでよく分りません。ミニマリズムの遠い始祖であるという見方は、フィリップ・グラスなんかを想像すると確かにそうかな、と思いますが、それよりもっと音楽的な発想が似ていて間違いなく遠い縁戚関係にあると思われるのはマイケル・ナイマンの音楽、例えばピーター・グリーナウェイの10作を超える映画の為に書いた一連の音楽だと思います。
「家具の音楽」の特色はなんといっても短い旋律の断片の執拗な繰り返しであって、工業製品としての壁紙や包装紙などのパタナイズされた絵柄が発想の源になっているのは明らか。しかも長調と短調の不思議な混淆、かすかに教会旋法風の香りのする旋律パターンは独特の魅力があって、1920年当時の聴衆ならずとも思わず真剣に耳を傾けてしまいます。古雅ともチープとも取れる音の薄さにセンスの良さが感じられますが、あと一歩のところで洗練の極みとまではいかないのも、残暑厳しい夏の夜に思考停止気味で聞くにはぴったり。またもや逆説的な物言いになるけれども、これはサティの代表作であり傑作といっても良いのではないか。

併録の「本日休演」の幕間音楽も、18分を超える大曲ながらひたすら短いユニットの繰り返し。こちらは「パレード」や元ネタのバレエ「本日休演」のチープさが支配的。長い割には楽しく退屈せずに聞けます。
「ファンファーレ」も楽しい。真面目と不真面目、洗練と低俗の絶妙なバランスは実に軽妙洒脱。
「ヴェクサシオン」は一枚の楽譜に書かれた旋律を840回繰り返せという指定の異常さばかりが取り上げられがちですが、このCDの中に置くと、パタナイズと繰り返しという文脈の中で収まる所に収まる感じがします。もちろん本CDでは10分ほどの間、数回繰り返して終わりですが。

演奏について。およそ近代的ヴィルトゥオジテとは無縁の音楽ですが、こういった演目こそ聴かせるのは難しいに違いありません。コンスタン指揮アルス・ノヴァの演奏は実に見事だが、アンサンブルは決して精妙でも完璧でもなく、それがいかにもベル・エポックらしい近しさ、懐かしさを誘う。その一種の緩さ、「ええかげんな」ところがこの音楽にはぴったりだと思います。緩いのに退屈させない。この微妙な匙加減についてはもう少し言葉を尽くしてみたいような気がしながらも、サティの音楽にそのような分析は場違いで気恥ずかしいことのような気がするので今日はこれまで。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2014-08-25 23:47 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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