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少しだけ佐村河内騒動のことを

2chの書き込みだけど秀逸。
 ”バイオハザードだと思ったらモラルハザードだったでござるの巻”
あと、これもワロタ。みんなセンス良すぎ(笑)。
 ”交響曲第2番 SOCHI”



いや~2月5日未明より祭り状態。この状況で佐村河内評を述べるのは後出しじゃんけんみたいだし、何よりゲスな感じで気が引けるのだが、以前はあれでしょ、下手にネガティブなこと書くと信者みたいなのがワラワラ出てきて炎上とかしそうだったし・・・。まぁ今後この人の名前は急速に忘れられていくでしょうから、今のうちにネタ供養みたいなつもりで思うところを書いておきましょう。

で、私の佐村河内観を一言でいうと音楽界のクリスチャン・ラッセンみたい、というもの。そんなモンありがたがる方が悪い。
私はラッセンはファインアートと言うよりは限りなくイラストレーションに近いだろうって思うが、ラッセンを(アートとして)好きな人を、そのことだけでとやかく言うつもりはない(自分でものを考えない、世評に流されやすい人だろうとは思うけれど)。ただ、ラッセンを擁護せんがためにモンドリアンやジャスパー・ジョーンズを否定するような人がもしいたとしたら(あんまりいねーかw)、そんな輩とは絶対に価値観が合わないだろうと思う。佐村河内の問題がとても後味が悪いと思うのは、一つは典型的な障碍者ビジネスという構図が心底嫌だなと思うのと、佐村河内を持ち上げる連中の少なからぬ部分は、現代音楽は無価値であるという前提があって、しかるに佐村河内はこうである、と持ち上げるその構図の無知と傲岸さに由来していると思う。自分が理解できないものに対する畏敬の念の欠如、私が理解できないのは作品が悪いと思い込む不遜と厚顔。
蛇足ながらもう少し付け加えておくと、今回の事件の背後にあるものは、ある対象を享受するのに何でもいいから「物語」を必要とする人々の存在があると思う。STAP細胞のニュースに「30歳リケ女」とか「泣いた」とか「ムーミン」みたいなノイズでしかない情報を求めてやまない階層の人々ですね。「障碍」も「被災地の少女」とやらも一緒のこと。マスコミも酷いと思うが、ニーズがあるから彼らはこういった情報を躍起になって流すわけだ。彼らをターゲットに商売する限りこんな事件は何度でも起こる。浜の真砂は尽きるともってやつです。それだけは間違いないと思います。

と、ここまで書いてネット記事を見ると、この事件を「一杯のかけそば」騒動になぞらえているものがあって、これが一番本質を衝いているような気がしました。なるほど。
by nekomatalistener | 2014-02-05 22:32 | その他 | Comments(0)
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