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イーヴ・ナット Yves Nat Ses Enregistrements 1930-1956(その12)

ネット記事見てて「ん?パンティラインって何?」と思たらヤクルトのバレンティンの記事だった。




あと4枚。今回はSP時代の貴重な音源。

  シューマン
    ピアノ協奏曲イ短調Op.54 [1933年4月25-26日録音]
    ユージェーヌ・ビゴー指揮管弦楽団(不詳)
  フランク
    交響的変奏曲嬰ヘ短調 [1942.4.17録音]
    ガストン・プーレ指揮コンセール・ピエルネ管弦楽団
  ブラームス
    インテルメッツォ変ロ短調 Op.117-2 [1938.6.10.録音]
  リスト
    ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調 [1929.2.12.録音]
  ストラヴィンスキー
    「ペトルーシュカ」より「ロシアの踊り」 [1929.2.12.録音]


シューマンのピアノ協奏曲というと、私はいつも「ディレッタンティズムの勝利」ということを思います。作曲家としてのシューマンをアマチュア呼ばわりするつもりはありませんが、少なくともピアノ音楽においてプロフェッショナルな仕事と呼ぶのも同じ位の抵抗がある。そういったシューマンの特性こそディレッタンティズムというべきものだと思いますが、ある意味プロフェッショナルな音楽の極致であるべき協奏曲というジャンルにこのディレッタンティズムを持ち込んで、これほど成功させた例を他に知りません・・・と大上段に構えて書いてみたものの、本当にそうなのかと問われるとよく判らないのが素人の哀しさ。
ピアノ音楽に関しては一見群雄割拠のイメージのあるロマン派の時代ですが、よくよく考えてみるとこの作品と同時代、すなわち1840年代に初演されたピアノ協奏曲というと意外と思い浮かばないのですね。ショパンのそれはもっと若書きで1830年代初頭(メンデルスゾーン然り)、リストの第1番は40年代には既にあらかた作曲されていたとはいえ、改定に次ぐ改定により、実際に初演されたのは1850年代の半ば。本当の意味で同時代の作品といえるのはモシュレスとかヒラーといった人々のそれなのでしょうが、ごく一部の好事家にしか知られていないというのが実態。シューマンの本質の客観的な分析というのは意外に難しいことではあります。
もう少し主観も交えて書くなら、まずなによりこの協奏曲のソロパートは技巧的にはかなり平易なものであること。もちろんショパンやリストと比較して、という意味ですので誤解があってはいけませんが、シューマンの例えば「交響的練習曲」をそこそこ弾ける人ならお釣りがくるくらいのレベル。けっして、「トッカータ」や「幻想曲Op.17」の第二楽章のようなとんでもなく困難な技巧というのは出てきません。まずこのこと自体、ヴィルトゥオジテの飽くなき追求の場であったロマン派の協奏曲というジャンルにはとても珍しいことで、強調するに値することだと思います。よく第三楽章のヘミオラの部分が難所と言われるけれど、あれはオーケストラのパートが一度「落ちる」となかなか復帰できないからそう言われるのであって、ソリストにとっては難所という感じはしません。むしろほどほどの技巧で空を駆ける如く気持ちよく弾いてカタルシスも十分得られるところ。ピアノの技巧的側面におけるディレッタンティズム(あるいはプロフェッショナリズムの欠如)というのは、なかなか客観的に伝え難いところですが、さてお判り頂けるでしょうか。
もうひとつは、例えば譜例のような箇所。
(譜例1)
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何の変哲もない左手のアルペジオ。こういう箇所こそ、作曲家が秘術を尽くす箇所だと思うのだがこの単純さ。にもかかわらずこの部分は全曲の白眉といって差し支えないところでもある。本当にシューマンの素晴らしさの一端はこういう箇所にあるのだと思う。これをリストの協奏曲の次の箇所と比べてみると面白い。
(譜例2)
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楽譜面(づら)としてはとても良く似ているが、リストの書法はまぎれもないプロのそれという気がします。だからといってリストのほうが音楽的に優れているとはいかないところが面白いところだと思う(ちなみに私は決してリストが嫌いなわけではない)。
シューマンが練習のしすぎで指を傷めたというのはどうも伝説のようだが、ショパンやリストはもとより、同時代のさほど天才に恵まれていなかった人達と比べてもピアノの技巧に恵まれなかったのは確かだろう。もう少し若い頃のシューマンは(先程ちょっと触れたトッカータや幻想曲の第2楽章コーダのように)超絶技巧を駆使することもあるけれど、基本的にロマン派的超絶技巧というのは自分が弾けなければそもそも書けないもの。シューマンにとってのヴィルトゥオジテの追求は、やがてある種のルサンチマンにも似たものとなっていったように思います。この協奏曲の頃になってようやくそのヴィルトゥオジテの自縛から解き放たれ、敢えて平易な書法で協奏曲を書いたのだと考えられないでしょうか。私は個人的にはこの協奏曲をシューマンの初期の独奏曲ほどには評価していないのですが、逆に言えば私の愛する作品には確かにヴィルトゥオジテに対するルサンチマンのようなものがあると、この協奏曲を久しぶりに聴きながら思いました。
ナットの演奏は概ね良いものですが、第1楽章のカデンツァのクライマックスが妙に軽くて雑。私の趣味にはどうも合いませんでした。他の部分はナットとしては完成度も高く、実に惜しい録音です。オーケストラは特段上手いとも思いませんが、まずまずソロを邪魔しないレベル。録音のせいもあるでしょうがオーボエなど古風でロマンティックな響きがして、大戦前の時代を感じさせるものでした。

フランクのピアノとオーケストラの為の「交響的変奏曲」、私はこのディスクで初めて聴きました。有名なヴァイオリン・ソナタや二短調の交響曲、それにピアノのための「前奏曲、コラールとフーガ」くらいしか知らず、いずれも佳作だとは思いながらそれ以上深入りする機会の無かったフランクですが、この「交響的変奏曲」は大いに気に入りました。リストとワーグナーの開拓した世界の正統的な後継者という感じがします。作曲時期としてはヴァイオリン・ソナタとほぼ同時期の1885年頃、重苦しく、極端なまでにクロマティックな曲調が最後に明るい嬰へ長調に転調して開放的に終わるのもソナタと同様。緻密なピアノ書法も大変優れており、改めてフランクをあれこれ聴いてみたくなりました。
ナットの演奏は非常に立派なもので、相当の難技巧をものともせず果敢に弾き切っています。前半の重厚さと後半の上機嫌の対比も素晴らしい。ナットという人は本当に不思議で、大した難所でもないのに技巧的に破綻しているものもあれば、このフランクのように(瑕が無い訳ではないが)圧倒的なヴィルトゥオジテを誇る演奏もある。この15枚組アルバムの大半が1950年代の録音な訳だが、ナットの全盛期は多分フランクを録音した1942年前後だったのだろう。大戦の最中で仕方がないのでしょうが、その時期の演奏が殆ど残されていないのが残念に思います。

あとは簡単に。ブラームスのOp.117-2は以前1955年の録音を紹介しましたが、この戦前の録音もなかなかです。熱いブラームスを堪能しました。リストとストラヴィンスキー、半ば怖いもの見たさで聴きましたが意外や意外、驚くほど指回りよく弾けています。若いころのナットはかなりのヴィルトゥオーゾであったことが伺えます。「ペトルーシュカ」は超弩級の難曲ですから、さすがに怪しい音があちこちで鳴っていますが、それでもこの時代にこれだけ弾けたら大したものでしょう。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-09-08 15:35 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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