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新国立劇場公演 ロッシーニ「セビリアの理髪師」

ぴんからトリオの宮史郎さん死去。これは絶対言ってはいけないことかも知れないが、遺影を見てA.B.ミケランジェリを思い出さざるを得ない。




ご存じ「セビリアの理髪師」を観てきました。

  2012年11月28日
    アルマヴィーヴァ伯爵: ルシアノ・ボテリョ
    ロジーナ: ロクサーナ・コンスタンティネスク
    バルトロ: ブルーノ・プラティコ
    フィガロ: ダリボール・イェニス
    ドン・バジリオ: 妻屋秀和
    ベルタ: 与田朝子
    フィオレッロ: 枡貴志
    隊長: 木幡雅志
    指揮: カルロ・モンタナーロ
    演出: ヨーゼフ・E・ケップリンガー
    合唱指揮: 冨平恭平
    合唱: 新国立劇場合唱団
    管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

歌手もまずまず、オーケストラのレベルも高い、だけどどうしようもなく心弾まない演奏。どこがどう、と言うほど悪い訳でもないのに、演奏と演出それぞれ少しずつ物足りないところが結果として大きな欠落感に繋がっているように思います。もやもやした思いを抱きながら、つくづくロッシーニは難しいと思った次第。もしかしたらその十全な演奏はモーツァルトのオペラよりも難しいのかも知れません。料理にたとえるなら、「刺身五種盛り」みたいなところがあって、とにかく素材の鮮度と包丁さばきが全て、見た目や味付けなど一切の誤魔化しが効かないといった感じです。

私は若い頃ロッシーニが大好きな時期があって、まずテレサ・ベルガンサと組んだアバドの「セビリア」や「チェネレントラ」の魅力に嵌り、次いでフランシスコ・アライサやルチア・ヴァレンティーニ=テラーニといった一時代を画したロッシーニ歌い達のブッファに夢中になり、やがて「マホメットニ世」(ジューン・アンダーソンがヒロインを歌ったフィリップス盤が素晴らしい)とか「湖上の美人」(ポリーニが指揮したCDは珍品という以上に歌手達がすごい)、「ボルゴーニャのアデライーデ」(録音は悪いがカラスが歌ったものがあった)、そして何よりも「セミラーミデ」という大傑作(古典的なオペラ・セリアの頂点)を聴くに至ってロッシーニという人がどれほどイタリアオペラの歴史にとって重要な人物かを痛感したのでした。かたやブッファの方はといえば、やがてフランス風のオペラコミックの影響を受けながら「ランスへの旅」という超弩級の傑作が生まれます。この14人の主役級の歌手達のための贅沢極まりないオペラを「レコ芸」で高崎保男が「音の満漢全席」と呼んだのを私もよく覚えているが、私は以前、ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場の来日公演でこの「ランスへの旅」の舞台を観て、圧倒的な感銘を受けました。ここ数年、CDでロッシーニを改めて聴くことも殆ど無くなっていたのですが、それでも私のロッシーニへの偏愛は些かも損なわれた訳ではなく、その分、舞台での公演に対するハードルがどうしても高くなってしまうのでしょう。

もう少し一つ一つの要素について見て行こう。歌手の中ではフィガロ役のダリボール・イェニスが素晴らしいと思いました。歌が上手いだけでなく声に色気があり、颯爽とした立ち姿もいかにもスペインの伊達男といった感じ。当代随一のフィガロと前評判も上々だったようだが然もありなんと思う。アルマヴィーヴァ伯爵のルシアノ・ボテリョは最初はちょっと精彩を欠く歌いぶりでしたが第1幕の後半くらいからどんどん良くなっていった感じがします。アジリタを粒立ちよく歌う技巧は大したものですが、人の心を蕩かすような魅力には今一歩及ばず。ロジーナのロクサーナ・コンスタンティネスクは舞台栄えするチャーミングな歌手ですが、アジリタは粗いしヴァリアンテもあまり品が良くない。バルトロのブルーノ・プラティコは本日の公演の一番人気でした。でっぷり太ったオジサンの愉快なパフォーマンスはこれこそブッファの醍醐味。ドン・バジリオの妻屋秀和はいつもながらの優れた歌唱だが、この役柄だと若干牛刀を以って鶏を割く感あり。それはともかく随分お痩せになったような気がしましたが・・・・?ベルタのシャーベット・アリアで与田朝子が大きな拍手を得ていましたが、私にはちょっと?でした。以上、平均点でいうならまずまずの歌手陣といえるのでしょうが、その程度では満足できないのがロッシーニの難しさ。それにしても、アンサンブルがことごとく心弾まないのは指揮者の所為にせざるを得ないのでしょう。基本は早めのテンポながら時として歌手の生理に配慮してぐっとテンポを落とすのは、ある種の常套手段であって、別に難癖をつける部分ではないのだが、カルロ・モンタナーロの指揮はところどころ音楽が弛緩するところがある。そうなるとこの音楽は随分と詰まらなく聞こえてしまうのですね。東フィルも悪くはないと思うのだが、薄くて乾いた音色と輝かしさが両立してこそのロッシーニだと思うが前者はあっても後者が並び立たない。歌と指揮とオケ、決して致命的に悪いところはないのだが惜しい結果、というところか。
今回の公演でちょっとこりゃ困ったなぁ、と思ったのは演出。バルトロ邸の外部と内部を回り舞台で見せる趣向は良いと思います。セビリャ風というよりはカリブ海のどこかの島のような場末のコロニアル風建築とキッチュな色合いはなんとも違和感が・・・。だがそれもまぁ目くじら立てるところではない。建物内部は2階建て左右に分かれており、左がロジーナの寝室、右がバルトロの部屋だが、それぞれが螺旋階段で下の居間だか使用人部屋だかと繋がっていて絶えず誰かが昇ったり降りたり、ちょこまかと動き回っては小芝居をしているのが次第に目障りになる。お話がお話だし、演出であれこれ駄目出しするのも野暮なのは承知の上だが、どうみても音楽との相乗効果というよりは単に邪魔をしている感じがします。特に第1幕フィナーレ、兵隊さんたちが乱暴狼藉を働くのは見た目にも煩く絵面も汚くて感心しません。キッチュでもポップでも結構かとは思いますが頼むから音楽の邪魔だけはしないで、と思います。この演出、というか筆者には余計と思われる小芝居のおかげでオペラの印象まで散漫になってしまったようです。

まぁ色々と文句はつけたが、それでもロッシーニのブッファは面白いものです。でも、ロッシーニの真価はブッファよりセリアの方にあるような気がしていて、いつの日か新国立ぐらいきっちりコストを掛けられるところが「セミラーミデ」のような作品を取り上げてほしいというのが私の願いです。
by nekomatalistener | 2012-11-29 23:46 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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