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ブリテン 「ピーター・グライムズ」 作曲者指揮コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団(その1)

”猛反発枕”でyahoo検索したら32,200件もあってがっかり。



10月から始まる新国立劇場新シーズン、トップを飾る「ピーター・グライムズ」の予習をしています。まずは音源の紹介から。

  ベンジャミン・ブリテン「ピーター・グライムズ」全曲
  ピーター・グライムズ:ピーター・ピアーズ
  エレン・オーフォード:クレア・ワトソン
  バルストロード:ジェームズ・ピーズ
  ホブソン:デイヴィッド・ケリー
  スワロー:オーウェン・ブラニガン
  セドリー夫人:ローリス・エルムス
  アーンティ:ジーン・ワトソン
  姪1:マリオン・スタッドホルム
  姪2:イリス・ケルズ
  ボブ・ボールズ:レイモンド・二ルソン
  牧師:ジョン・ラニガン
  ネッド・キーン:ジェラント・エヴァンス
  ジョン:マーカス・ノーマン
  ベンジャミン・ブリテン指揮コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団・合唱団
  1958年12月録音
  CD:DECCA4757713

この1945年に初演されたオペラが、ジョージ・クラブGeorge Crabbe(1754-1832)のバラッド(物語詩、譚詩)「町」”The Borough”(1810年出版)の中の”Peter Grimes”を題材としていること、モンタギュー・スレイターの台本から少年愛的な描写を作曲者がカットしたことはwikipediaを見れば判ることですが、クラブの原作は日本では殆ど知られていないどころか、私の知る限り翻訳すらなされていないようです。作曲者が19世紀初頭に書かれた原作のどこに霊感を得たのか確認することは決して無駄なことではないと思います。幸いなことにこの原作はProject Gutenbergというサイトで容易に検索することが出来ました。
http://www.gutenberg.org/dirs/etext04/gcrf10h.htm
オペラのリブレットも全く一かけらの救いもない物語ですが、オペラに登場するピーター・グライムズが単なる粗暴な漁師ではなくて、人間的な感情を持ち、観客の感動をもたらす人間であるのに対し、原作のピーターは父に反抗してひたすら悪の道に染まり、最期は父の亡霊に苛まれて死ぬという設定。400行近い長詩は読むのにかなり骨が折れましたが、ざっとこんな内容。

ピーターの父は貧しい漁師だったが、敬虔でもの静かな老人であった。一人息子のピーターは父に烈しく反抗し、手を上げることすらあったが、父が死ぬと自分の行いを恥じて烈しく泣いた。ピーターは貧しく、漁だけでは暮らしていけないので次第に盗みを憶えた。悪行が募るに従い彼はますます人嫌いになっていった。ある日ピーターは孤児院から少年を買って徒弟にし、衝動のままに彼を折檻した。少年はろくに食事も与えられず、必要に迫られて嘘をつき盗みをしたが3年後に死んだ。町の人々はピーターを疑ったけれど彼が少年を殺したという証拠はなかった。ピーターは再び徒弟の少年を買ったが彼は船のマストから墜ちて死んだ。この時も人々は疑ったがどうすることもできなかった。以前にも増して良心を失ったピーターは3人目の少年を徒弟としたが、烈しい仕事とピーターの折檻によって少年の足は不自由になった。ある日、ロンドンに魚を売りに行った帰りの船が嵐に遭い、少年が死んだ。ついにピーターは法廷に召喚されたが最後までしらを切りとおした。判事はピーターに少年を雇うことを禁じた。それ以降嫌われ者のピーターは一人で漁をすることになり、孤独のなかであらゆるものを呪い、毒づくようになった。病を得たピーターは教会附きの病院に連れてこられた。人々はピーターへの疑いは晴らしていなかったが彼の運命には同情していた。司祭が呼ばれ、ピーターの懺悔が始まった。ピーターは漁の最中に海で父と少年たちの亡霊を見た。彼らは来る日も来る日もピーターを苛み、船から海に飛び込むよう唆すのだった。死の床で人々に囲まれ、ピーターは「奴らが来た」と叫んで死んだ・・・・・

文学的素養に乏しい私が言うのもなんだが、私にはあまり出来のよいバラッドには思えなかったのですが、ブリテンがこの物語の何処に惹かれたのか、ポイントは父との確執(というか、父性に対する嫌悪)と少年への折檻の嗜虐的な描写の2点ではないでしょうか。ブリテン自身がこのバラッドを読んで衝撃を受けたにも関らず、オペラでは父親に関する描写が一切出てきません。その代りに退役した船長であるバルストロードという人物がピーターを諌め、最後は彼に自殺を促します。私はオペラを聴きながら、最初の内どうして作曲家はピーター・グライムズをテノールの役としたのか、イメージが合わず不思議な感じがしていましたが、原作を読み、バルストロードに投影された父性への嫌悪を重ね合わせることで、これは「罰を下す父=バリトン」と「怒れる息子=テノール」という構図に則っているのだということが判りました。バルストロードを単に厳しくも慈愛に満ちた老人と捉えるだけではなく、ピーターのアンビヴァレンツの対象、フロイト流にいえば「去勢する父」と捉える見方もできるわけです。
少年に対する虐待については、もちろん原詩ではあからさまにそれが性的欲望と結びついたものだとは書かれていませんが、読めば当然過ぎるほどそうだと判るように書かれています。Wikipediaにあるスレイターの初稿の「少年愛的な描写」がどのようなものか判りませんが、ブリテンの「検閲」は自らの同性愛的性向の隠蔽というよりは、この物語を舞台にかける為に必要欠くべからざる措置であったというべきでしょう。戦後、少なくとも舞台の上では様々なタブーが許されるようになったとは言え、少年に性的暴行を加えて死に至らしめるというのではさすがに具合が悪いでしょうから。もっともリブレットを注意深く読むと、「検閲」を免れた箇所が幾つか見つかります。プロローグの法廷の場面、判事のスワローの台詞、
There's something here perhaps in your favour. I’ m told you rescued the boy from drowning
in the March storms.
スワローは単にピーターが少年を虐待しているのではなく、そこに歪んではいるが紛うかたない愛があるのを(恐らく無意識の内に)感じています。だからこそ、スワローはピーターに次のような審判を下します。
Peter Grimes, I here advise you – do not get another boy apprentice. Get a fisherman to
help you – big enough to stand up for himself.
この審判はピーターが有罪になるのを期待していた村人をがっかりさせますが、少年ではなく大人の徒弟を雇え、というスワローの審判は実に的確であったというべきでしょう。実際、ピーターの無実を信じるエレンが別の少年を連れてきたことから悲劇が始まったのですから。このオペラを観る者はきっとピーターの不運に同情し、彼を取り巻く不条理に怒り、最後は深い感動を得られるはずですが、私はたとえへそ曲がりと言われようと、このオペラの根底に隠されている、ある忌まわしいもの、不気味なものから目を逸らせてはならないと思います。このオペラに込められたブリテンのヒューマニズムは本物だとしても、それだけを見ていたのでは、あまりにも皮相的な理解と言わざるを得ないと思います。

ブリテンの音楽そのものについては次回に。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2012-09-23 19:39 | CD・DVD試聴記 | Comments(4)
Commented by schumania at 2012-09-27 13:03 x
新国で歌うスケルトン、地でいけそうな容貌ですね(話すと駄目だけど)。
http://www.youtube.com/watch?v=PofVcSM0BtYfeature=player_detailpage&v=PofVcSM0BtY
Commented by nekomatalistener at 2012-09-27 22:28
新国立劇場HPのスチュアート・スケルトンのインタビュー見ました。たしかにこの風貌ならメイクもかつらも要りませんね。Youtubeも見ました。期待がもてます。schumaniaさん、東京に観にいらっしゃいませんか?(笑)
Commented by schumania at 2012-09-28 23:06 x
お誘い有り難うございます。さすがに、チケットは大分残っているようですね。残念ながら、休日の公演日にもすべて仕事が入っており、参れません、というより、そもそも、わざわざ神戸から東京まで聴きにいくようなブリテンファンではございませんので・・。また、レポートを楽しみにしております。
Commented by nekomatalistener at 2012-09-28 23:48
かく言う私も、もしこの公演がびわ湖や西北だったら絶対行かないだろうと思いました(笑)。でも来年はブリテンの生誕100年。オペラはあれこれ聴いてみたいと思います。
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