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「創世記組曲」を聴く

スギちゃん、番組収録中に事故で3カ月の重傷。もし会社の慰安会に呼んでたら大変だったわ(実際には2700に変更)。




珍品中の珍品、「創世記組曲」を聴きました。

  1.シェーンベルク:「前奏曲」
  2.シルクレット:「天地創造」
  3.タンスマン:「アダムとイヴ」
  4.ミヨー:「カインとアベル」
  5.カステルヌオーヴォ=テデスコ:「洪水」
  6.トッホ:「契約(虹)」
  7.ストラヴィンスキー:「バベル」

  トヴァー・フェルトシュー、バーバラ・フェルドン、デイヴィッド・マーギュリス、
  フリッツ・ウィーヴァー、イザヤ・シェッファー(語り)
  エルンスト・ゼンフ合唱団
  ジェラード・シュウォーツ指揮ベルリン放送交響楽団
  2000年12月録音
  CD:NAXOS8.559442

多分、大半の読者(クラシック音楽の愛好家)はシェーンベルク、ミヨー、ストラヴィンスキー以外の作曲者は名前すら知らないのではないか、と思います。私自身も殆ど知らなかったので、Wikipediaの受け売りですが少しだけ紹介しておきましょう。ナサニエル・シルクレット(1889-1982)はニューヨークでユダヤ系オーストリア人の家庭に生まれ、クラシックだけでなくポピュラー音楽も手掛け、盛んに映画音楽を書いたと言います。アレクサンデル・タンスマン(1897-1986)はユダヤ系ポーランド人で、若い頃にパリに亘り、それ以降フランスで活躍した作曲家。多くの作品を書いたようだが今では(少なくとも日本では)セゴヴィアのために書いたギター曲などが知られているだけのようです。マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(1895-1968)はユダヤ系イタリア人で1939年アメリカに亡命、以降200本もの映画音楽を書いたそうです。エルンスト・トッホ(1887-1964)はオーストリア人だがその進歩的作品がナチスに睨まれアメリカに亡命。戦後マンハイムに戻りましたが、アメリカ時代には映画音楽も手掛けているとのこと。CDのブックレットには各作曲家についての非常に詳細な英文の解説が附いているが、活字が小さすぎて老眼の身には辛くて読むのを断念しました(笑)。
シルクレットの発案によるこのコラボレーション、創世記の前半、天地創造からバベルの塔の逸話までを音楽に合わせてナレーターが語るという趣向。テキストはほぼ聖書の通りですが若干の短縮が見られます。1945年に初演された後は殆ど知られることも無く埋もれていた作品ですが、これを聴くと、シェーンベルク、ミヨー、ストラヴィンスキーの3人は妥協が無い、というかKYというか、まるで前後のコラボレーター達と(曲想とかを)合わせようという気がないみたいだ。以前ストラヴィンスキーの「バベル」紹介の際にも書いたが、シルクレットはスペクタクルな音楽を期待していたようだがストラヴィンスキーはこれを拒否、出来あがった代物はもうストラヴィンスキー以外の何物でもない、といった結果となった訳ですが、このことはシェーンベルクの「前奏曲」にも言えます。ここでシェーンベルクは十二音技法による辛口の音楽を書いており、これはこれで実に立派な音楽。最後のほうにちょろっと歌詞の無い合唱が出てくるので、演奏の機会がぐっと減ってしまったように思います。
一番好き勝手に書いてるKYは4曲目のミヨーかな。彼が書いた音楽はいかにもミヨーらしいもので、旧約聖書というよりは西部劇の映画音楽みたいな趣。ちょっと能天気な緩さもミヨーらしくて思わず微笑んでしまいます。それに比べて他の人達はとてもよく似ていて、良くも悪くも甘口の映画音楽みたいな感じ。ところが全体を通して聴くと、ちょうど3枚のパンで2層の具を挟み込んだサンドイッチみたいな不思議な統一感があって、ある意味1945年当時のアメリカ西海岸のハイブラウな音楽が如何なるものであったかという見取り図のようにも思えてくるところが実に面白い。
サンドイッチの具についてもう少し詳しく見てみると、シルクレットとタンスマン、カステルヌオーヴォ=テデスコの3人が特に甘く描写的な音楽で、亡命ユダヤ人達の「血の濃さ」のようなものを感じます。その中でもシルクレットとタンスマンは双子の兄弟のように似通った音楽で、ナレーションの言葉の一々に音楽が反応するのが少々煩わしいくらい。例えば”And the Spirit of God moved upon the waters.”の部分ではオーケストラが水の波紋のような音形で応えたり、”And God said, "Let there be light"; and there was light.”の部分ではオーケストラと女声合唱が天から降り注ぐ眩しい光のような響きを奏で、それまでの調性のはっきりしない混沌から明朗な3和音に移りゆく、といった具合。これって正に昔のディズニー映画(「白雪姫」とかの頃の)みたいです。ちなみにクラシック音楽の世界では「映画音楽みたい」というのは大抵悪口として使われる訳ですが、私自身は(このブログに長くお付き合い頂いている方は何となくお判りだと思うが)映画音楽をいわゆるクラシック音楽より劣るものとは考えていません。まぁ「映画音楽」という括りも大雑把に過ぎるとは思うけれど、このジャンルが無ければ20世紀の音楽は随分寂しいものになったはずだし、それより何より映画音楽を貶めるというのはラフマニノフもショスタコーヴィチもニ流どころだ、というに等しいものだと思います。それはともかく、音楽に甘口と辛口があるとすれば、パンが激辛で具が激甘なのは間違いないところ。
タンスマンの音楽は所々ラヴェルの「ダフニスとクロエ」風になるのも楽しい(例えば”This is now bone of my bone and flesh of my flesh; she shall be called Woman.”のところ。殆どパクリ)。
カステルヌオーヴォ=テデスコは同じ甘口でも最も通俗的なものかも知れません。なかなかキレのいい音楽を書いているのだが、先の二人がディズニーなら、こちらの方舟に乗り込む番の動物達の行進は「ジャングル大帝」といったところ。洪水の場面はスペクタクルなものですが、ストラヴィンスキーがテレビ番組のために書いた「洪水」に比べるとかなり見劣りします。ストラヴィンスキー自身はエンタテイメントを書くつもりは毛頭なかったでしょうが、結果として抜群に面白い音楽が書けてしまうのでしょうね。
トッホも甘口ながら、この具のなかではいかにも独墺系の趣があって、こんな企画モノの作曲にあたっても中ほどにオーケストラによるフーガが出てきたりと全力投球。5分半ほどの短い音楽ですが、亡命者の悲しみを偲ばせるみたいな抒情性に思わず聴き惚れてしまいました。
具の4人とも、それなりに光るものがあり、オーケストレーションも見事で決して(これを聴く限り)ニ流とは思いませんが、最後のストラヴィンスキーを聴くとやはり格が違うと思わざるを得ない。終盤、”So the Lord scattered them abroad from thence upon the face of all the earth ,and they left off to build the city.” というナレーションをきっかけに始まるオーケストラのフガートは実に見事。他の楽章では殆ど歌詞らしい歌詞を持たなかった合唱がここでは神の御言葉を歌う。ただしストラヴィンスキーは女声を排して男声だけを用いており、いつものことながら音楽の官能性といったものを排除しています。禁欲的な音楽ですが、全体の中に置くと甘ったるい具の部分が俄然引き締まるような気がして、シルクレットの想定外の音楽だったのでしょうが結果オーライといったところです。他の作曲家も皆そうなのだが、こんな作品でも、というかこんな作品だからこそ持てる限りのメチエを投入してみました、と言わんばかりの入魂の作です。

演奏については期待以上の素晴らしさでした。普通ならこういった「ゲテモノ」は二流どころのオーケストラがそれらしく演奏してくれれば御の字だと思いますが、ベルリン放送交響楽団の演奏はもったいないぐらいの出来栄え。合唱もまずまずだが、最後の「バベル」の男声合唱はテノールにくらべてバスが幾分オフに録られているのでちょっと素人っぽく聞こえる。神の声としては少し座りが悪い感じがするが、まぁ大きな瑕ではあるまい。これをきっかけにこの珍品が復活するとはいくら何でも思えないけれど、ふと興味が湧いた時に何時でも実際の音として聴くことができるというのはとても有難いことだと思います。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2012-09-01 23:48 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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