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イーヴ・ナット Yves Nat Ses Enregistrements 1930-1956 (その5)

会社の慰安会で、スギちゃんが来るって聞いてたのに急遽2700になって残念。




今回取り上げたのはベートーヴェンの中期を代表する「熱情」と「ワルトシュタイン」を含む6曲のソナタ集。

  CD6
  ベートーヴェン
  ピアノ・ソナタ第20番ト長調Op.49-2 [1954.9.21以前の録音]
  ピアノ・ソナタ第21番ハ長調Op.53「ワルトシュタイン」 [1954.5.4.録音]
  ピアノ・ソナタ第22番ヘ長調Op.54 [1954.11.18.録音]
  ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調Op.57「熱情」 [1954.9.22.録音]
  ピアノ・ソナタ第24番嬰ヘ長調Op.78 [1954.2.23.録音]
  ピアノ・ソナタ第25番ト長調Op.79 [1954.5.5.録音]

20番ソナタは実際には初期に書かれた易しいソナタ。私が子供の頃は、ソナチネ・アルバムを終了する頃には誰でもレッスンで弾かされたものですが最近はどうなんでしょう?しかし短くて技術的に平易ではあるが、音楽としては実に魅力的。簡潔でしかも堂々としたソナタ形式の第1楽章と、貴婦人の典雅さよりは騎士の凛々しさを感じさせるメヌエットの第2楽章からなり、たった二つの楽章で何の過不足も感じさせないのがミソ。
ナットはこういった軽い作品でも直球勝負。全体的に拍頭の和音のアタックが強くて、第2楽章の第2クープレなどガツンガツンと鳴らすのは好き嫌いが分かれるかも知れませんが、音楽の柄が一回り大きく聞こえるのは事実。そうかと思えば第1楽章ではアーティキュレーションがけっこう自由自在で、スタッカートとノン・スタッカートとレガートの弾き分けが実に融通無碍なのが面白い(ちなみに初版の楽譜にはこれらの表示は殆ど書かれていない)。今時のピアニストは程度の差はあれどこういう弾き方はあんまりしないのじゃないかな。最近はこれと19番を習作とみなして全集に取り上げないピアニストもいるというが、私は若書きでも立派な作品だと思っているので、この演奏は大変気に入りました。

21番「ワルトシュタイン」はあまりにも有名すぎて、最近ではこういった機会がなければ聴くこともあまりないのが実情ですが、改めて聴くとやはり大した作品です。Allegro con brioといえば中期のベートーヴェンのトレードマークといってもいいと思いますが、この第1楽章ほどcon brioという表示に相応しいものもないでしょう。大人になって、やれベートーヴェンは後期に限るだの、弦楽四重奏曲が一番だの、生意気を言うようになった訳ですが、やはり中期の熱いベートーヴェンの魅力は格別です。思えば私も中学生に上がった頃は、レッスンで初期のソナタを練習していたものの、待ちきれなくてワルトシュタインや熱情など中期ソナタをこっそり練習したものです。この子供の頃のベートーヴェンへの愛着、これは誰でも通過するものなのかどうか、私の場合は実はこの頃の刷り込みというのが思いの他大きくて、この歳になっても実はベートーヴェンが、それも初期や中期のベートーヴェンが大好き(汗)。ラヴェルはベートーヴェンの事を「大音痴」と呼んで嫌ったそうだが、私がラヴェルやストラヴィンスキーを片一方で好むのはベートーヴェンへの愛の反動なのかも知れない。
そんなワルトシュタインであるから当然思い入れも大きくて並みの演奏では満足できない。ナットの演奏は「熱情」もそうだがこうした有名曲では細部の粗さが気になります。スケールやアルペジオの粒が揃わないのは、そういった細部の彫琢の精密さを追求するタイプの演奏家でないのは重々承知していてもやはり気になります。音楽を大掴みに、というのと、このソナタにおける粗さは少し違うものでしょう。リサイタルで弾き過ぎた(弾かされ過ぎた)とでも言うのか。それに全体にテンポが速すぎて私の趣味ではない。このソナタの一番難しいところはテンポの設定かも知れません。早ければ落ち着きがなく粗雑になり、遅ければ如何にも素人臭い演奏になりがち。ナットの早いテンポは剛直な表現を追求した結果かも知れないとは思いながら、どうしても落ち着きなく聞えてしまう。ナットの演奏に欠けているものは感覚的なソノリティの美しさでしょうが、その点でナットの対極にいるクラウディオ・アラウが驚くほどスローテンポでこのソナタを弾いていたのが印象的だ。ああ、アラウを聴きたくて仕方が無い(笑)。

22番ソナタは、ベートーヴェンの32のソナタの中でも最も風変わりな作品でしょうね。ソナタ形式に拠らず、附点附きの第1主題とオクターブの三連符の第2主題が交替するだけの第1楽章と、無窮動の第2楽章。私は殊更このソナタが好きって訳でもないし、傑作だとも思っていないけれど非常に気になる存在です。以前にも書きましたが、ヴェルディが晩年の傑作群を書く前に、「仮面舞踏会」や「シモン・ボッカネグラ」など、苦渋に満ちた筆致の作品を書いたり、シェイクスピアが「ヘンリー4世」の後、「トロイラスとクレシダ」や「尺には尺を」などの一連の奇妙な問題劇を書いたこと、それこそ年代とともに成長し、成熟していくタイプの天才が必ず通る道のような気がしますが、このソナタももしかしたらベートーヴェンの問題作品なのであって、こんな作品の存在自体がベートーヴェンという人の天才の証なのかも知れない、と思ったり、いややっぱりこれは単なる筆のすさび、ベートーヴェンの気紛れに過ぎないと思ってみたり。こうしてベートーヴェンをまとめて聴く際にはついつい何度も聴いてしまう。
そんな訳でこのソナタの演奏は軽くサラサラと弾くか、何か言いたそうに(だが上手く言えないとでもいうように)弾くか、二通りのやり方があると思いますが、ナットはもちろん後者のタイプ。かっちりと落ち着いた第1楽章と、早すぎない第2楽章。改めてこの無窮動がAllegroでなくAllegrettoと記されていることに気が附きました。模範的な演奏だと思います。

23番ソナタ「熱情」。ベートーヴェンの代名詞。子供の頃にバックハウスのレコードを文字通り擦り切れるほど聴き、自分でも(たどたどしくではあるが)弾き倒して以来、さすがに大人になってからはあまり真面目に聴いた記憶がありません。もちろん聴けばそれなりに優れた作品だとは思うし、随分前で記憶も定かではないが、園田高弘と諸井誠の往復書簡か何かで詳細なアナリーゼを読んで、これがベートーヴェンのメチエか、と驚いたこともある。でもなかなか普段、改めて聴こうという気になりません。食傷、ということなのでしょう。
ナットの演奏は、ワルトシュタインもそうですが、やっぱりちょっと粗い。冒頭のた、た、た、たーんの動機がリタルダンドしていきなり急速なアルペジオで駆け降りるところも、緩急の差が大きすぎて少しエキセントリックな感じがする。リサイタルなんかで弾かされ過ぎて、とにかく何かしなければ、という心境なのかも知れませんが、もう少し何というか、何もしない演奏でもいいような気がします。ベートーヴェン弾きとして有名な割に、実際のところ(少なくとも日本では)あまりメジャーにならないのは、こういった有名曲における磨き上げの不足だろうと思う。じっくり聴けばそれなりに良い演奏なんだが、聴き手の耳の垢をすっかり落として無心に聴く、というのは想像以上に難しいことだと痛感しました。

24番「テレーゼ」は、ベートーヴェンのgraziosoな側面を代表する作品。楽譜のどこにもgraziosoとは書かれていないけれど、その代わりにdolceとかleggiermenteと何度も書き込まれているのが印象的(この表示は後世の追記ではなくて自筆譜にちゃんと書かれている)。第2楽章の嬰ニ長調と嬰ニ短調(後半の繰り返しは嬰へ長調と嬰ヘ短調)の交替は後のシューベルトが多用した手法で、古典派からロマン派への歩みをこれほど如実に表しているものもない。地味な作品だけれど、中期から後期への移行を示す傑作だと思います。
ナットは、こういった作品の重要性をよく判らせてくれる演奏だと思います。なんの衒いもなく弾いているようで、ちょっとしたニュアンスがとても意義深く聞こえる。

25番は、これも子供の学習用のソナタ・アルバムに入っていて誰でも練習されられたものですが、音楽的に弾こうとするととても難しい作品です。ベートーヴェンとしては随分気楽に書いた感じがして、傑作とも大作とも言えませんが、第2楽章のゴンドリエーラは殆どメンデルスゾーンの無言歌の世界を思わせるユニークなもの。曲が曲だけにナットの演奏は特にこれといって際立つものはない。尚、第1楽章の展開部冒頭、楽譜にない低音をガツンと響かせるのでびっくりします。現代のピアニストはこういうことは絶対しないが、かつては珍しくもなかったのだろう。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2012-08-13 22:30 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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