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イーヴ・ナット Yves Nat Ses Enregistrements 1930-1956 (その3)

新ことわざ辞典

【猫に鰹節】
堅くて食べられないこと。「猫に小判」とも言う。
【猫の額】
(猫の額に触ると気持ちいいので、これが畳くらい大きかったらいいのに、と思う所から)狭いこと。




今回取り上げるのは1枚目のディスク、ベートーヴェンの中期の変奏曲と、初期のソナタ集の取り合わせ。

  CD1
  ベートーヴェン
  創作主題による32の変奏曲ハ短調WoO.80 [1955.2.録音]
  ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調Op.2-1 [1955.9.20以前の録音]
  ピアノ・ソナタ第2番イ長調Op.2-2 [1955.9.20以前の録音]
  ピアノ・ソナタ第3番ハ長調Op.2-3 [1955.9.1録音]

1806年に書かれた「32の変奏曲」は、ピアノ・ソナタで言えば23番と24番の間に書かれたことになる訳ですが、確かに誰しも持つであろう中期のベートーヴェン像というものにこれほど合致した作品もなかろうと思います。すなわち、ハ短調の持つ悲劇性と雄々しさ、少しも華美に流れないのに雄弁極まりない演奏技法の数々、長くも短くもなく筋肉質に引き締まっていて、どこにも無駄のないプロポーション、こんなところがこの作品の特質であると思います。ベートーヴェンといえば後期のソナタや弦楽四重奏曲こそが最上のものである、という世の通説はその通りだと思うけれど、本当にそう思えるようになるにはある時期、徹底的に中期の諸作品を学ぶ必要があるように思います。ピアノを弾く人であればこの変奏曲など、是非とも弾いてみてほしいと思いますし、専ら聴くだけの人も交響曲や室内楽だけでなく、こういった作品を繰り返し聴くことでどれほど多くのもの、ベートーヴェンの本質に関する知見を得られることか、と思います。

ナットの演奏は、もうこれは規範と言ってもいいと思います。辛い見方をすれば古い時代のステロタイプなベートーヴェン像に余りにもとらわれ過ぎと言えなくもないでしょうが、一度は聴いておくべき演奏だと思います。先程敢えて「学ぶ」という表現をしましたが、たまには背筋を伸ばし、居住まいを正して謹聴するベートーヴェンも良いものです。超個性的な演奏からピリオド楽器による演奏までよりどりみどりの現代に、こういったヒストリカルな演奏を聴く意義は大きいと思っています。

ベートーヴェンその人自身、成長の人というか、昨日よりは今日、今日よりは明日の方がより成熟した作品を書く、というタイプなだけに、その初期作品というのは殊更未熟なもの、劣ったものと捉えられるきらいがあるように思いますが、随分久しぶりに、改めてOp.2の3つのソナタを聴くと、その完成度の高さに驚きを禁じ得ませんでした。悲劇的で雄渾なヘ短調、軽やかにして優美なイ長調、威風堂々たるハ長調、ベートーヴェンがその後一生を通じて追求することになる3つの要素が明瞭に現われていることにも驚きます。特にヘ短調のソナタは、ぱっと見、きわめてシンプルな書法ながら、実際に弾いたり聴いたりするとその無駄のなさと雄弁さというものはやはり途方もないものに思われてきます。しかも、そこから受ける感動というものは、エモーショナルなものというよりは意外なほど知的な喜びのほうに近いという気がします。続くイ長調は、Op.2の中でも特に完成度が高い作品ですが、そこに現われているヴィルトゥオジテへの飽くなきこだわりというものは、看過されがちであるがもっと注目されるべきものだと思います。そしてクレメンティとの親近性についても然り(クレメンティといえばソナチネ・アルバムの子供向け音楽というイメージが強いのは残念。ホロヴィッツのRCAの古い録音やミケランジェリのブートレグ盤、ラザール・ベルマンのカーネギー・ホール・ライヴなどに優れたソナタの演奏があるのは知ってる人は知っている)。第1楽章の展開部は型通りの展開の後、(イ長調からは遠いへ長調による)師匠のハイドン風の疑似再現部を経て本格的な展開部後半が始まる。若きベートーヴェンの意気込みとハイドンへの敬意が微笑ましい。面白いのは緩徐楽章である第2楽章にLargo appassionatoと記されていること。二長調の美しい旋律からappassionatoの表現を引き出すのは並大抵のことではない。それと終楽章のロンドは、ベートーヴェン作品におけるGraziosoが如何なるものであるかの、最良の実例の一つであると思います。ハ長調は、その後「ワルトシュタイン」を経て「ハンマークラヴィア」に至る明朗快活な
ベートーヴェンの原型ですが、コンチェルトを思わせるようなカデンツァ附きの長大な第1楽章や、(作曲当時としては)圧倒的ヴィルトゥオジテを誇る終楽章など、聴けば聴くほど初期だの中期だのといった切り分け方が無意味に思えてきます。第2楽章のホ短調に転調してからの沈鬱な表現も素晴らしい。そういえばこのソナタはミケランジェリのお気に入りでもあった。

Op.2のナットの演奏は、変奏曲について述べたことがそのまま当てはまる訳ですが、特にヘ短調の終楽章の凄まじいばかりの気魄は特筆すべきだろうと思います。現代の感覚からすれば若干牛刀を以て鶏を裂く感なきにしもあらずだが、それだけOp.2の中でのヘ短調の位置づけが截然と現われ得たように感じました。またイ長調の演奏は、およそ感覚的な喜びを追求する姿勢とは遠そうであるのに、実際に現われた演奏はこの上なくgiocosoでありgraziosoであるもの。こんなところに(前々回にも書いたが)音楽の様々な側面を削ぎ落として行くタイプであるよりは円満で十全な表現を目指すタイプだと思わせるところがあります。このイ長調は名演といっていいんじゃないかな。ハ長調は、何もミケランジェリを引合いに出さずとも、もっと精緻な演奏はいくらでもあると思うが、その音楽の端正なところ、恰幅のよさ、例のホ短調の部分の節度あるロマンティックな表現など、やはり一つの規範として学ぶべき点の多い演奏です。そして私自身、感覚的情緒的なベートーヴェン演奏よりも知に訴える演奏を好むせいもあって、実に好ましい演奏だと思いました。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2012-07-25 16:03 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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