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イーヴ・ナット Yves Nat Ses Enregistrements 1930-1956 (その1)

量子力学ことわざ集

【シュレディンガーの猫にまたたび】
箱の中に猫とまたたびを入れておくと猫がよっぱらう現象。
【シュレディンガーの猫に小判】
猫が小判をもらって喜ぶ確率は50%という法則。
【シュレディンガーの猫耳メイド】
口では「お帰りなさいませご主人さま」とか言いながら実はいけない子猫、というパラドックス。




昔は大好きだったのに今はピアノ音楽を好んで聴きたいとは思わない。だからこそ、今ピアノ音楽に真剣に向かい合ってみたいと思う。昔はテクニックに瑕のある演奏にはあまり興味がなかった(興味がない、というのは、嫌い、というよりも対象を貶める言葉だ)。しかし、ピアノへの熱が醒めた今だからこそ、かつては技巧の瑕が気になって真剣に聴こうとも思わなかった数々の大家たちと虚心坦懐に向き合えるような気がするのだ。
そんな訳で以前から興味はあったが手が出なかったイーヴ・ナットの、EMIに残した録音の集大成といったCD。いくつか聴いてみて立派な演奏だと思いました。CD15枚組で、内8枚がベートーヴェンのソナタ集、残りはシューマンをメインに、シューベルト、ショパン、ブラームス等々。とりあえず順不同に心の赴くままに15回シリーズを目指します(途中で飽きるかも知れないけれど・・・)。初回の今回は敢えて15枚中7枚目のディスクを紹介したい。

 CD7
 ベートーヴェン
 ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調Op.81a「告別」 [1954.5.3録音]
 ピアノ・ソナタ第27番ホ短調Op.90 [1954.6.録音]
 ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調Op.106「ハンマークラヴィア」 [1954.10.4,22,25&26録音]
 (EMI CLASSICS0946 347826 2 3)

ベートーヴェンの32のソナタでは、誰が何と言おうと私は第29番「ハンマークラヴィア」が最も好き。学生の頃に、とあるアマチュアの演奏会で第4楽章のフーガを取り上げ、随分苦労して何とか人様にお聞かせできるようになったという極私的思い入れがあること、そして何より、ベートーヴェンのピアノソナタの中では最も「後期様式」が色濃く現れた作品であるからです。何を以って「後期様式」というかは議論のあるところでしょうが、精神論的なものは措くとして、①フーガの活用②装飾音としての機能を著しく逸脱した長大なトリル③ソナタ形式の再現部等における単純な繰り返しの回避④緩徐楽章における果てしない沈滞⑤形式上の、あるいは規模的な肥大、他にも色々あるけれどまずはこういったものだと思います。それらが一般に後期の作品とされる28番以降のソナタの中でも特に顕著であるのが29番ソナタ。理屈はともかく、最後の壮大なフーガは本当に人類の遺産というに相応しい。これを練習していた時、友人達と手持ちのレコード(当時はまだLPの時代)を持ち寄って29番の聴き比べをしたことがあります。その時私の気に入ったのはポリーニとルドルフ・ゼルキン。がっかりしたのはバックハウス。全然弾けてなくて愕然とするほど。ついでに聴いたバックハウスの第32番の2楽章はまるで小便を我慢しながら弾いてるみたいな落ち着きの無い演奏。世評というものが如何にあてにならないものか痛感しました。その後30年ほども経って、最近ではソロモン・カットナーの演奏が最高ではないかと思うようになりました。最初の2つの楽章における強靭なテクニックも凄いですが、第3楽章の深い沈滞、終楽章の感動的なフーガに参りました。

のっけから脱線が過ぎました。ナットのことを書かねばなりません。誰の録音であれ、ベートーヴェンのソナタ集を聴くならまず29番を聴きます。それがダメならもう聴く値打ちないかな、と。結論から言うとナットの29番、とても感動しました。この人、左手の広い和音の掴みに難があり、他の音を引っ掛けたり、そうでない時でも音がしばしば濁ったりする。多分あまり手が大きくないのでしょう(ゆっくり手を広げれば10度はとどくみたいだが、ぱっと瞬間的に掴むのは8度すらちょっと怪しい感じ)。しかし1930年から56年の録音であることを考えると、同時代の様々な演奏家たちと比べてもテクニックがまずまずしっかりしているほうで、おそらく編集によるミスの修正も殆どされていないと思われるのに随分瑕が少ない方だと思います。何よりもミスタッチを恐れて勢いを殺がれているような箇所が一箇所もないのが素晴らしいと思う(楽想の勢いを重んじた結果のミスタッチはあまり気にならないものだ)。第1楽章の気迫と妥協の無さ、第2楽章の推進力、第3楽章の深く呼吸するようなアーティキュレーションが素晴らしいと思う。ですが最も素晴らしいのは終楽章のフーガ。高々3声のフーガだけれど、内声部の錯綜や跳躍を伴う音形によってフレージングを犠牲にすることなく、いや、それ以前に、一音符たりとも端折らず誤魔化さずにインテンポで弾くことはプロにとっても相当な困難だと思います。ナットのこの演奏は、誤魔化しが一切ないとは言わないが本当に少ない。そして素晴らしいインテンポ。完成度としてはソロモンの演奏を上回るものではないが、私は久しぶりにこのフーガを聴いて胸が熱くなりました。この感動は正真正銘の本物という気がして、これで残り14枚のCDを真面目に聴いてみようという気になりました。

カップリングの26番と27番も大変優れた演奏だと思います。26番はエクリチュールの自在さは後期を先取りしているようなところがあるが、ピアノの技巧という面では中期のスタイルの延長線上にある。これが意外に弾き辛いのですが、こういうところを誤魔化したり妥協したりせずに、実に剛直に押し切った感じがする。しかもただ剛直なだけでなく、両手がLebewohlと呼び交わす部分の纏綿とした情緒、あまり神経質なデュナミークの変化をつけない古いスタイルですが、何というか花がひらくようなかぐわしさに満ちていてまことに結構。音楽の「十全な全体像」というものが仮にあるとして、それから色々と削ぎ取って残った側面を拡大して聴かせるタイプの一群の演奏家がいる。反対に、一つ一つのアスペクトに深入りするのではなく、ましてやその一部を捨て去るのではなく、十全な全体像を示そうとするタイプの演奏家もいる。ナットの古い録音は表現の厳しさ、妥協の無さにもかかわらず、この「十全な」感じというのがよく現れているように思う。
27番は、意外に多い2楽章形式のソナタの一つ。厳しい第1楽章と歌謡的な第2楽章、この第2楽章に溢れる歌はどこかシューベルトの20番ソナタの終楽章を思わせるものがあって、これまた私の大のお気に入り。この2つの楽章だけで、もう何も附け加えるものがないと思わせるところが作曲技法上のミソ。ナットの第1楽章は発止と打ちこむ和音の激しさが聴いていて少し疲労を覚えるほどですが、第2楽章の自然なアーティキュレーションと併せて聴くと、やはり削ぎ落していくタイプではなく十全さを追い求めているタイプなのだと思う。なかなか上手く言語化できないのだが、このあたりは追々言葉を尽くして明らかにしてみたいと思います。

蛇足ですが、ハンマークラヴィアの第1楽章の再現部でナット盤は聴きなれない音がある。何だろうと思ってIMSLPで調べたら1910年頃に出版された古いペータース版(図1)の4小節目の右手上声部のAの音がそれ。さらに調べたら初版のアルタリア版がAなのでした。因みに図2は1920年頃のペータースの新版でAsの表記。ブライトコップ&ヘルテル版もリコルディ版もウニフェルザール版もAs。どうでもいいんだが、ナット盤はAで比較的珍しいのでは、と思ったので・・・。
(図1)
a0240098_4124466.png

(図2)
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(この項続く)
by nekomatalistener | 2012-07-13 05:37 | CD・DVD試聴記 | Comments(6)
Commented by schumania at 2012-07-15 11:11 x
こんにちは。やっとピアノに来られましたね。「以前から興味はあったが手が出なかったイーヴ・ナット」ということですが、気が向かれたらそのへんの事情もお願いします。
Commented by nekomatalistener at 2012-07-15 19:25
いえいえ、大した事情はありません。ナットはベートーヴェンの録音に関してはそこそこビッグネームだと思いますし、にもかかわらず私とは今まで縁がなかった、というだけです。で、なぜ今頃改めて聴こうとしたのか?それは「勘」としか言いようがありません。別に人に勧められたわけでもなくて、なんとなく・・・です。そういう動機で買ったCDってあんまりハズレがないんです(笑)。
Commented by schumania at 2012-07-15 23:45 x
面倒な質問にお答えをありがとうございました。
面倒ついでに、気の向いたときにでも、ねこまたさんのバックハウス論をお聞かせ下されば幸いです。
Commented by nekomatalistener at 2012-07-16 00:22
とりあえずさらっと回答しときます。私が小学校4年生くらいのことでしょうか、クラシックについて何の知識もない親父がピアノがめきめき上達中(笑)の息子のために買ってきたLPレコードがバックハウスとイッセルシュテット/VPOの「皇帝」に、「悲愴」「月光」「情熱」の定番お約束セット。レコード屋の店員にでも訊いたんでしょう。文字通り擦り切れる程聴きましたよ。好きも何も、もう体に染みついてます。だからこそずっと後になって後期ソナタの出来が悪いことにショックを受けました。ですからバックハウスに対する感情を一言でいえばアンビヴァレンツということになると思います。いずれまとめて聴きなおす時が来るかも知れませんね。
Commented by schumania at 2012-07-16 16:44 x
バックハウスの原体験は私のそれも似ています。私の場合は、テンペスト、告別、ワルトシュタイン、で小6の時に世評を元に自分で買ったLPですが、他の演奏と比較することなくありがたがって、やはり擦り切れるほど聴きました。少し後に買った後期ソナタは何となく気に入らなくて、曲のせいなのか演奏者のせいなのかを考えることもなくそのまま実家に放置して京都へ。学生時代にS君がバックハウスをぼろかす言うのを聴いて以降、怖くて(?)バックハウスは聴けずに四半世紀がすぎました。
Commented by nekomatalistener at 2012-07-16 19:17
私たちの世代のベートーヴェン体験って大体似たり寄ったりなのかも。選択肢だってそんなに無かったはずですし。バックハウスは今となっては古いタイプの演奏だと思いますが、一時代を代表するスタイルであることは間違いないのだから虚心に聴けばいいんじゃないでしょうか。
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