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ラヴェル 「スペインの時」&「子供と魔法」 二期会公演

「虚構新聞」の愛読者である。昨今の橋下ツイッター騒動に関して言えば、単にツイッター=バカ発見器であることが再度判明しただけのことだと思っている。騙された人は静かに自分のバカさ加減を恥じてりゃいいのに「虚構新聞」を責める夜郎自大さ。この件で「虚構新聞」を非難する奴もまた概ねバカだと思うが、その背景にはソース(原典)に当たろうとしない現代の高等教育の在り方があるのではないか。Wikipediaに書いてあることを何の疑いもなく信じているバカ(ブロガーにも沢山いるね)も同様。戦後60年ほどかかってこの国の愚民化政策はここまで完成した。まったく慶賀の至りである。




二期会のニューウェーブ・オペラ劇場公演でラヴェルのカミングアウト・オペラとマザコン・オペラの二本立てを観てきました。

  2012年5月19日 於新国立劇場中劇場
  「スペインの時」
   コンセプシオン: 経塚果林
   ゴンザルヴェ: 高柳圭
   トルケマダ: 吉田伸昭
   ラミーロ: 門間信樹
   ドン・イニーゴ: 狩野賢一

  「子供と魔法」
   子供: 澤村翔子
   ママ: 遠藤千寿子
   ティーカップ/とんぼ: 福間章子
   火: 守谷由香
   お姫様: 湯浅桃子
   夜鳴き鶯: 飯生優子
   安楽椅子/ふくろう: 伊藤光
   こうもり: 辻由美子
   りす: 清水多恵子
   牝猫: 志岐かさね
   雄猫/柱時計: 野村光洋 
   肘掛椅子/木: 岩田健志
   ティーポット: 木野千晶
   小さな老人/蛙: 新津耕平
   羊飼いの少年: 久利生悦子
   羊飼いの娘: 金澤梨恵子

  指揮:ジェローム・カルタンバック
  演出: 加藤直
  管弦楽: 東京交響楽団

今年はどういう訳か、決してポピュラーとは言えない「スペインの時」を、新国立劇場研修生オペラ公演に続いて2回も観ることが出来ました。もうこれだけで良しとせねばならないのかも知れませんが、今回の二期会の公演、いろいろな意味で「惜しい」舞台でした。
まず「スペインの時」ですが、加藤直の演出は上品すぎて、このオペラの艶笑譚としての側面は少し後退してしまった感じがする。前の新国立劇場研修生オペラの時の三浦安浩の演出は、最初の訳の分からない小芝居はともかく、本編中のエロティックな演出についてはそれなりに見るべきものがあって、前回の批評にもそう書きました(2012.3.11)。今回の演出は、ラミーロが物思いに耽る場面で、大きなからくり時計の自動人形がバレエを踊るところに照準が合わされており、そのせいで艶笑譚から幻想劇へとシフトされているように思われました。それはこのオペラの一つの解釈として納得出来るものではありますが、そうなると無い物ねだりしたくなるのが贅沢な聴衆というもの。音楽面も含めてエロの要素が殆ど感じられないのは考えものという感じがします。
歌手の中では、ラミーロの門間伸樹がとても良かったと思う。今回の上品な演出のコンセプトを、歌手としては一番よく体現していました。ただし、贅沢を言えば、筋肉自慢の粗野な騾馬曳き、心根は優しいのだが女性と気の利いた会話をするのは苦手、といった役柄の側面は薄められていました。しかしそこにこそ、ラヴェルが自らのセクシュアル・オリエンテーションに導かれるままに創作意欲を掻き立てられた秘密があるはず。正確でなめらかなデクラメーションだけでは痒いところに手が届かないもどかしさが残ります。コンセプシオンの経塚果林もなかなか素敵だったと思うけれど、前回聴いた吉田和夏のツンデレキャラと比べるとどうしてもお色気少なめに思ってしまう。ドン・イニーゴとの情事が不首尾に終わってヒステリーを起こす場面、コンセプシオンの踊るセギディーリャが下手糞でちょっと失笑。ちゃんとしたフラメンコのダンサーに振付させたらいいのに、と思いました。ゴンザルヴェの高柳圭は、高音は音程が上振れ気味、低音は響かず不満でした。あとはまぁちょぼちょぼかな。
カルタンバック指揮の東京交響楽団、精確ではあっても精妙とまでは行かない、惜しい演奏。ハバネラのリズムが妙に重たく、最後の五重唱による楽しいはずのヴォードヴィルも心弾まなくて残念。これはこの前の飯守泰次郎の指揮が素晴らしかったので、比べるのは良くないのだけれどどうしても比べてしまう。

「子供と魔法」も悪くは無いのだが惜しいなぁと思うところ多数。舞台にはカーテンのような布が吊るされていて、いろんな登場人物はその影から舞台に現れるという仕組み。その布が巻きあげられると舞台は夜の庭に変貌します。子供が暴れ回ってものを壊す場面は、何せ舞台上には教科書とティーポットとティーカップぐらいしかないのでややおとなしめ。猫やりすを苛めるのも、カーテンの下からちょろっと出てきた黒い猫の尻尾を引っ張る程度で、悪いけれどちょっと苦笑。安楽椅子と肘掛椅子(ルイ15世風には見えないけれど)は、着ぐるみを着た歌手が出てきて安岡力也のホタテマンを思いだして失笑。萎えました。あの~、いくら音楽が主体のオペラとは云え、せっかく珍しい演目を舞台でやるのだから今まで誰も見たことのないものを見せて欲しいと思うのだが。リヨンで大野和士がストラヴィンスキーの「うぐいすの歌」を舞台でやったときの映像を観ると、ああこんなやり方があったか、と目を瞠る思いがする。「ライオンキング」のジュリー・テイモワの被り物も然り。アジアには動物や超自然的な事物の出てくる演劇はたくさんありますね。まだまだ開拓されていない要素を持ち込んで、大人がびっくりするような舞台を見せてほしいと思う。
歌手は沢山でてきて、みんな少しずつしか持ち場がないので、特に誰がどうこう、と言いにくいのですが、りすの清水多恵子が頭一つ抜けていたような気がします。火の超絶技巧コロラトゥーラは見せ場の一つだと思うけれど、守谷由香のそれはちょっと惜しい出来栄えでした。イタリアオペラの狂乱の場じゃないんだから、難しいパッセージの前にいちいち間を取って溜めるのはどうかな、と思う。
オーケストラについては冒頭の2本のオーボエのペンタトニックによる平行移動が物凄く美しくてびっくり。期待がいやが上にも高まりますが、その後もラヴェルの精妙極まりないスコアを精確に再現していく。素晴らしいのは承知の上で無い物ねだりをすると、やはり精確さが精妙さにまで昇華していかないのがもどかしい。もっとも、最後の動物達の合唱、「この子は良い子です、とても賢い子です」の盛り上がりは思わず涙腺が緩みそうになるほど。最後がとても良かったので、今回の公演、なんだかんだ言いながら楽しかったと思います。

どうでもいいことですが、今回は新国立劇場の中劇場の2階で観ましたが、今回のような演目にはこの中劇場というのはぴったりの器です。今回の公演の一番の立役者はこの劇場そのものかもしれないなぁ。
by nekomatalistener | 2012-05-20 20:51 | 演奏会レビュー | Comments(0)
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