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ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その16)

「さまよえるオランダ人」第3幕の水夫の合唱、Steuermann!Lass (die Wacht!)のところ、「アヤパンで~す」という歌詞で一回歌っちゃうと、もう勝手に脳内変換してそう聞こえるから不思議。



久しぶりのストラヴィンスキー自作自演シリーズ、CD16/17枚目はいよいよ大作「レイクス・プログレス」の登場です。

歌劇「レイクス・プログレス(The Rake's Progress)」(1948~51/1951.9.11初演) [1964.6録音]

  トゥルーラヴ: ドン・ガラード(Bs)
  アン: ジュディス・ラスキン(Sp)
  トム・レイクウェル: アレクサンダー・ヤング(T)
  ニック・シャドウ: ジョン・リアドン(Br)
  マザー・グース: ジェーン・マニング(Ms)
  トルコ人ババ: レジーナ・サーファティ(Ms)
  競売人ゼレム: ケヴィン・ミラー(T)
  看守: ピーター・トレイシー(Bs)

  コリン・ティルニー(ハープシコード)
  サドラーズ・ウェルズ・オペラ合唱団(指揮:ジョン・バーカー)
  作曲者指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

この世の中には、一度聴いただけでは決してその価値が判らない音楽、いや一度どころか二度三度聴いてもそんなに簡単に判ってたまるか、と謂わんばかりの作品ってものがあるのですね。ストラヴィンスキーの音楽の殆どに対して、聴けばヨダレが出てしまうパブロフの犬状態になる私ですが、昔リッカルド・シャイーの録音で「レイクス・プログレス」(その当時は「放蕩者のなりゆき」という邦題が一般的だったような気がします)を聴いて途方に暮れてしまったことを思い出します。正直に言えば、当時はその面白さがまったく判らず、駄作とすら思っていました。様式的にはいわゆる新古典主義様式、調性やリズムにおける過激さは意識的に抑制されており、部分的にはヘンデル風のアリアがあったり、箍の外れたモーツァルトといった音楽もあったり、平明で擬古典的な音楽。アリアや重唱、合唱をレチタティーヴォで繋いでいく番号付きオペラに則った構成原理、しかもレチタティーヴォ・セッコにはチェンバロ伴奏が附くという懐古ぶり。内容的にも音楽的にも、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」に倣ったと思われるところがあちらこちらに出てきます。どこといって難解な要素はないのに、耳が慣れない内はこの音楽の美点はなかなか見えてきません。
今回は(シャイーの録音は手元にないので)、ネットで入手した歌詞を訳しながら少しずつ聴き、ようやく作品の魅力に近づくことが出来たように思います。W.H.オーデンとチェスター・コールマンの格調高い英語の韻文のリブレットは、日常会話ではまず使いそうにない詩語や接続法の構文など、大学で英文科にいたような人はいざ知らず、一般のサラリーマンの英語力では相当辞書を引かないと理解できません。リブレットの読解にてこずりながらも、そのおかげで時間をかけて少しずつ作品を聴き、昔とくらべて随分と作品そのものが面白く感じられるようになりました。

CDのトラック毎に簡単に物語を紹介しておきます。
【第1幕第1場】
1:プレリュード
輝かしいファンファーレ。モンテヴェルディの「オルフェオ」風でもありイギリス・バロック風でもある。
2:二重唱と三重唱、レチタティーヴォ
郊外のトゥルーラヴの邸宅の庭。アンとトムの愛を語らう二重唱に続いて、二人の行く末を心配するアンの父トゥルーラヴとの三重唱。トゥルーラヴはプー太郎のトムにロンドンの会計事務所の仕事を紹介するが、トムは断る。トゥルーラヴは「あの子が選んだ男が真面目な男であれば、たとえ貧しくとも結婚を許そうと思うが、怠け者は許さん」という。トゥルーラヴが去ると、トムは「おいぼれ」と罵る。
3:レチタティーヴォとアリア
トムの歌う輝かしいアリア。「健やかな体と上々の気分、悪知恵があって心も軽い、堅気の仕事なぞまっぴら御免」「この世は所詮運次第、他人の為にあくせく働くものか、たとえ病に倒れようと雷に打たれようと、俺はずる賢く生きて行く」と歌う。「俺の人生は目の前に開けている。世界はかくも広いのだ。望みよ、来て俺の馬になれ、この乞食が乗ってやるぞ」と歌うところは突然の転調が効果的で素晴らしい。
4:レチタティーヴォと四重唱
トムが「それにしても金がほしい」と呟くと突然ニック・シャドウが登場し、トムの叔父がトムを莫大な遺産の相続人に指名して亡くなったと伝える。トゥルーラヴとアンも現れ、素直にこの話を喜び、父はすぐにも財産を相続しろという。ニックはすぐにトムとロンドンに発たねばならぬといい、馬車を呼ぶ。
5:小二重唱、レチタティーヴォ、アリオーゾと小三重唱
トムがニックへの報酬について尋ねると、それは一年と一日が経過した後に正当な対価を支払ってくれたらよい、と言う。トムはトゥルーラヴに、落ち着いたらアンをロンドンに呼ぶという。アンが着いたらロンドン中が彼女に跪くだろうと早くも大言壮語。トムとアンの別れの二重唱。トゥルーラヴは幸運が人を罪に誘うのではと心配する。小二重唱も小三重唱も美しいけれど、どこかモーツァルトの箍が外れたような感じ。

【第1幕第2場】
6:合唱
ロンドンのマザー・グースの娼館。娼婦と酔客達の合唱はミュージカル風の楽しいもの。これは亡命後アメリカでストラヴィンスキーが得た音楽的イディオムだろうか。
7:レチタティーヴォと情景、合唱、レチタティーヴォ
教理問答のパロディ風の情景。ニックと娼館の女将マザーグースはトムに美とは、快楽とは、と尋ね、トムは機知に富んだ定義をするが、ニックの「愛とは」という質問に動揺して答えられない。時計が1時の時を告げ、トムは帰ろうとするがニックの魔法で12時に戻る。娼婦と酔客の合唱。ニックはトムに歌を歌うようそそのかす。
8:カヴァティーナと娼婦達の合唱
トムは裏切られたアンの愛を思って後悔の歌を歌う。娼婦達はトムの悲しい歌に心動かされるが、マザーグースがトムの相手はあたしだよと言ってトムを連れていく。
9:合唱
空虚五度のドローンに始まるスコットランド舞曲風の合唱。ニックは「夢見るがいい。夢から覚めたらお前は死ぬのだ」と歌う。

【第1幕第3場】
10:レチタティーヴォとアリア、レチタティーヴォ
第3場はアンのソロによるモーツァルト風の大アリア。アン、トムからの便りがないと嘆くが、泣くばかりではだめ、トムは助けが必要かもしれないのだから、と歌う。オーボエとファゴットの淋しく美しいアコンパニャートは素晴らしい。アリアも抒情的で美しい。
11:カバレッタ
「あの人の下に行こう。愛はためらわない。たとえ避けられ、忘れられても見捨てはしない」。アンはロンドンに行く決心を歌う。モーツァルト風のフィオリトゥーラも出てくる。

【第2幕第1場】
12:アリアとレチタティーヴォ、アリア(繰り返し)
トムは享楽に満ちたロンドンの生活に倦怠感をおぼている。アンの事をふと思い出しそうになると、それを振り払うように威勢よく歌う、が最後に「ああ、幸せになりたい」と呟く。繰り返しのアリアの短い後奏は天才の自在な筆致。ストラヴィンスキー以外の誰にこんな音楽が書けようか。
13:レチタティーヴォとアリア
ニックはトムに愚かな常識に囚われた惨めな大衆について語り、トムに常識を超えた怪物、トルコ人のババと結婚するよう勧める。
14:二重唱とフィナーレ
ニックの提案にトムはすっかり元気を取り戻し、意気揚々と出かけて行く。

【第2幕第2場】
15:レチタティーヴォとアリオーゾ
アン、ロンドンのトムのもとにやってくる。心ははやるのに身がすくむアン。逡巡するかのような揺れ動く弦に、悲しいトランペットの調べ。イングランド風の行進曲が聞えてきて、召使達の奇妙な行列によって運ばれた輿からトムが降りてくる。不安を感じるアン。
16:二重唱、レチタティーヴォ
トムはアンを見て、帰るように諭す。ロンドンはお前の来るような街ではないと。アンは拒むが、輿からババが顔を出していつまで待たせるのかとトムに不平を言う。
17:三重唱とフィナーレ
アン・トム・ババの三重唱。トムからババを妻だと紹介され、全てを悟ったアンは立ち去る。ババ、人々の歓呼の声に答えてヴェールを取ると黒々とした髭が現れる。フィナーレの荘重な音楽はディアトニックな単純さにも関らず、作曲技法の粋を集めたストラヴィンスキーのいわゆる新古典主義様式の集大成という趣すらある。

CD16枚目はここまで。続きは次回に。
by nekomatalistener | 2012-05-22 23:37 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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