<< ラヴェル 「子供と魔法」 マゼ... ラヴェル 「子供と魔法」 マゼ... >>

新国立劇場バレエ公演 チャイコフスキー 「白鳥の湖」

ある日の夢。会社の昼休みに机に突っ伏して昼寝していると頭ががんがん痛み出した。あんまり頭痛が酷いので後頭部を両手の親指でぐりぐり押さえているとそこから角が2本にゅーっと生えてきて、鹿か!と思ったが、人に見られるとまずいと思って何とか角を押し込もうと苦労してるとこで目が覚めた。
別に寝違えたり頭痛がしたりは無かったです。角も生えてなくて良かったです。





新国立劇場でチャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」を観てまいりました。

  2012年5月13日
  振付: マリウス・プティパ/レフ・イワーノフ
  演出・改定振付: 牧阿佐美
  オデット/オディール: 米沢唯 
  ジークフリート王子: 菅野英男
  ロートバルト: 厚地康雄
  王妃: 西川貴子
  道化: 福田圭吾
  指揮: アレクセイ・バクラン
  管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

実は私、バレエ初体験。正確に言うと、遥か昔、小学生の頃に両親に連れられてプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」を観に行ったことはありますが、残念ながら記憶が殆ど無い(普段は演歌しか聞かない彼らですが、何の気まぐれだったのか)。しかしあの「モンターギュ家とキャピュレット家」の癖のある転調だけはよく覚えている。それと、うちの娘が昔バレエを習っていて、発表会を観に行ったことはあります。こちらはまぁお遊戯みたいなもんだけど(笑)。でも一度ちゃんとした舞台で観てみたかったんですよね。結果は、とても良かった。こういった作品はCDで音楽だけ聴いていたのでは分からない、ということに改めて気づく。チャイコフスキーの音楽に対して余りシンパシーを感じてこなかった私ですが、舞台を伴う形で聴くと本当に素晴らしい。
しかし、私はバレエについて余りにも無知であるし、何せまともにバレエを観たのは初めてなので、今回の舞台について的確な批評をするだけの力がありません。まったく歯痒い限りですが、それでも備忘も兼ねて感じたことを記しておきたい。ド素人の言説ですので的外れな意見もあるかと思うがどうかご容赦願いたい。

まず、オペラの時と客層が大きく違うことにびっくり。日曜日のマチネなので、バレエを習っておられるお子さんとお母さんの組合せ多数。女子率高っ!でもって、数少ない男性は、よく判らんがマニアというか、熱烈なバレエファンといった感じ。熱狂的なブラヴォーやブラヴァの野太い声があちらこちらで掛る。なんだか凄いね、こりゃ。今回はバレエが好きな友人に無理やりガイド役になってもらったのですが、舞台が始まる前に「焼き鳥の湖」とか馬鹿なこと言ってヘラヘラ笑ってたんだけど、下手すりゃマニアに袋叩きにされたかもw。こういった人達が日本のバレエを支えていたのか、と目から鱗が落ちる思いでした。
個々のキャストについて上手いの下手の、と言うのが正直なところ全く分からない。しかしオデット/オディールを踊った米沢唯は素人目にも素晴らしいと思いました。第3幕の圧倒的なグランフェッテ、私はもう茫然と目を瞠るだけでしたが、客席からは盛大な拍手とブラヴァの声が掛ってましたからきっと技術的にも素晴らしいものだったのでしょう。第2幕のパ・ダクシオンの繊細な踊りも良かったなぁ。ジークフリートの菅野英男はよく分からないうちに終わってしまった感じ。男性でそれより印象に残る踊り手はいましたが、何と言う方か分からない。江本拓?登場人物についてイマイチ把握しないまま観てるからこういったことになってしまうが後悔先に立たず。
第1幕の乾杯の踊りなど、コール・ド・バレエ(群舞)も素晴らしいと思いました。日本の、あるいは世界のバレエの水準から言ってどの程度なのでしょうか。物凄く精緻な印象を受けましたが・・・。
音楽については、きっと音だけ聴く場合とは異なる評価軸が必要なのでしょう。指揮のアレクセイ・バクランはバレエの指揮者としては手練という感じがしましたが、踊り手の謂わば肉体的な生理に寄り添った音楽は、音楽そのものが求めているテンポとは少し乖離しているように思われます。つまり、音楽が要求する早いテンポはややゆっくり、遅いテンポならやや早く、といった感じの、妥協とは言わないが角が取れた表現になりがち。いわゆるシンフォニックな演奏とは一線を画すものですが、それでもチャイコフスキーの音楽の輝かしさが些かも損なわれないのは大したものと言うべきでしょう。東フィルの演奏も素敵でした。第2幕のパ・ダクシオンや第3幕のパ・ド・ドゥのヴァイオリンのソロの美しさ。オクターブのダブルストップが頻出するが、コンマスの方は大変だと思う。
音楽はマリウス・プティパ/レフ・イワーノフ版をベースに牧阿佐美が振付したもの(この両者の間にはコンスタンチン・セルゲーエフ版が位置する)ということで、原典とは曲順が大きく異なっていたり、第3幕のパ・ド・シスや原典第27曲の極めて美しい踊りがばっさりカットされていたり、他にも各幕の情景の短縮など、カットが多数あるが、世間ではこちらのほうが圧倒的に一般的なのだろう。チャイコフスキーの音楽はこれくらいのカットではびくともしないぐらい力強いが、全曲版に親しんでしまうと、これらのカットは残念な気がする。原典により近いブルメイステル版による舞台も観てみたいものだ。ちなみに私が今回の観劇に先立って聴いていたCDはシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による全曲版で、第3幕の黒鳥のパ・ド・ドゥは第1幕に戻され、第3幕にはパ・ド・シスと1953年に発見されたパ・ド・ドゥの補遺も入って、ほぼ完全全曲版と言ってよいものだと思います(第14曲が抜けているのは第10曲の丸々繰り返しであるから)。バレエ音楽というと、音楽だけ取り出して聴くには少々辛いものも多いような気がしますが、チャイコフスキーの「白鳥の湖」は(特に原典版の場合かなり長大であるにも関わらず)音楽だけ聴いても実に面白く、様々な踊りやディヴェルティスマンのみならず、情景の部分にも内実がしっかりと含まれているような感じがします。こういった感想は、もちろんバレエに主眼を置くのか音楽に置くのかによって、人それぞれ。それにしてもこの原典主義全盛の現代においても、プティパ/イワーノフ版が圧倒的に優位であるということをどう考えたらよいのか。私のこの舞台の享受の仕方はどうしても音楽寄りになってしまいます。そしてバレエ愛好家の方の相当の部分は、原典がどういった曲順になっていて、どこがカットされたのか、あるいはどこが後世の人間の加筆によるのか、ということについては極めて鷹揚である、ということかと思います。
終幕の演出はそれこそ数えきれないほどのバージョンがあるようですが、牧阿佐美の演出は王子がロートバルトを打ち倒してハッピーエンドに終わるというもの。もともと悲劇を想定して書かれ、オデットと王子の魂の救済をロ長調で描いたチャイコフスキーの狙いは些か皮相的な勝利の音楽となってちょっと辟易してしまいました。それでも私はバレエというものを、開眼したとまでは言わないが大いに楽しみ、機会があればもう一度観てみたいと思っています。そして、いままで敬遠気味であったチャイコフスキーの音楽にも少し興味を持ち始めています。
by nekomatalistener | 2012-05-14 21:07 | 演奏会レビュー | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード
<< ラヴェル 「子供と魔法」 マゼ... ラヴェル 「子供と魔法」 マゼ... >>