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新国立劇場公演 モーツァルト 「ドン・ジョヴァンニ」

昔の話だが、岡山から関西に出てきた友人が少し混んでる電車に乗っていると、ランドセル背負った小学3,4年の子が「すんませんすんません」と手刀切りながら客の間をすり抜けていった。強烈に関西を感じたそうだww。




新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」、またしても伝説的な名演の生まれる瞬間に立ち会ったような気がしました。

 2012年4月29日
  ドン・ジョヴァンニ: マリウシュ・クヴィエチェン
  騎士長: 妻屋 秀和
  レポレッロ: 平野 和
  ドンナ・アンナ: アガ・ミコライ
  ドン・オッターヴィオ: ダニール・シュトーダ
  ドンナ・エルヴィーラ: ニコル・キャベル
  マゼット: 久保 和範
  ツェルリーナ: 九嶋 香奈枝
  指揮: エンリケ・マッツォーラ
  演出: グリシャ・アサガロフ
  合唱: 新国立劇場合唱団(三澤洋史指揮)
  管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

今回の公演、何が凄いって、タイトルロールのマリウシュ・クヴィエチェン、レポレッロの平野和、ドンナ・アンナのアガ・ミコライ、騎士長の妻屋秀和の4人の歌いっぷりが凄過ぎる。「声の饗宴」といった評を与えたくなるのは、ヴェルディならともかくモーツァルトのオペラに相応しくないような気もしますが、それだけ彼らの声に力があったということ、そしてモーツァルトのオペラといっても、オペラである以上、歌手の声そのものが非力ではどうしようもないのだ、という当たり前の事に気付かせられました。

マリウシュ・クヴィエチェンは初めて聴きましたが、まさに旬の逸材、今現在の彼のドン・ジョヴァンニを聴けて本当に良かったと思います。重すぎず軽すぎず、女を口説く時はあくまでいやらしく甘く、レポレッロには横柄、ドンナ・エルヴィーラには冷たく、しかしどんなに下卑た言動をしようとも片時も貴族であることを忘れさせない気品のある声、これ以上のドン・ジョヴァンニってあるだろうか、と思ってしまう。ツェルリーナを口説く有名なLà ci darem la manoや、レポレッロの恰好で歌うセレナードは鳥肌が立つほどいやらしい素晴らしい。
今回、ある意味最も驚いたのはレポレッロを歌った平野和。レポレッロという人物像、つまり幾つか独立したアリアも与えられてはいるけれども所詮舞台の上では脇役、というイメージをぶち壊してしまうほどの存在感。よくよく考えればレポレッロという役柄は脇役どころか殆ど出ずっぱり、準主役と言ってもよいくらいなのだが、舞台でこれほどの優れた歌手によって歌われるものだろうか、と思う。声量はもちろん、舞台に真実を呼び込むのに必要な表現力もあり、ドン・ジョヴァンニと衣装を取り替える場面の演技力には思わず吹き出してしまうほどだし、何より主役に負けない体躯にも恵まれている(クヴィエチェンが外人勢の中では小柄だったのかも知れませんが)。新国立劇場の公演評でついつい「日本人も頑張っていた」とか「日本人の割には良かった」といった言い方を私もしてしまうし、誰しもしがちだと思うのですが、もう平野和に関してはそういった修飾語を付ける必要は全くない。
ドンナ・アンナのアガ・ミコライがこれまた(語彙が貧しくて申し訳ないですが)凄いとしか言いようがない。だいたい、このドンナ・アンナという役、モーツァルトのヒロインの中でも屈指の難しさじゃないかと思う。第1幕ではドラマティックな声が要求され、第2幕の長大なアリアでは揺れ動く心理の襞を歌うそのすぐ後のカバレッタで目の覚めるようなフィオリトゥーラを歌わねばならない。アガ・ミコライという歌手、声域によって微妙なむらがあり、声量はあるが少し発声に無理があるんじゃないか、と思われるような、豊麗さとは趣の異なる声質ですが、ドラマティックな表現もリリカルな表現もどちらも素晴らしい。フィオリトゥーラはぎりぎり合格、といったところ。でもこれが潰れた団子みたいになって歌えないソプラノ歌手はゴマンといると思う。モーツァルトに限っては、「あたくしコロラトゥーラじゃないので、そこのところは大目に見てよね」というのが通用しないのですね。彼女の素晴らしいのは、声質に頼ることが出来ない分、知性による制御に長けているところ。若干綱渡りのようなところも含めて、実にスリリングでした。
騎士長の妻屋秀和については、私いっつも誉めていると思うけれど、今回も素晴らしい歌を聴かせてくれました。カーテンコールの時に思いましたが、ほんとにガタイがでかい。やはり歌手はガタイが一番という気がする。
以上の4人が優れているので、開幕いきなりレポレッロの歌→ドン・ジョヴァンニとドンナ・アンナの格闘→騎士長の登場→殺害、と息つく暇もなくドラマに引き込まれてしまいます。これぞオペラの醍醐味。終幕の地獄堕ちの迫力も凄まじいばかり。ピリオド楽器のモーツァルトが一般的になって、このオペラも「ジョコーゾ」な部分に光を当てようとするのが当世風なのでしょうが、私はやっぱり地獄堕ちの場面は凄絶な表現、いわゆるデモーニッシュなものであってほしいと思います。

それ以外の歌手についても少し書き留めておきます。
ドンナ・エルヴィーラのニコル・キャベルもなかなかの出来ではありましたが、先程の4人と比べると少し精彩を欠く感じ。この人も発声に少し無理があるのか、あまり声が伸びない感じがします。でも第8曲のアリアの最後のアジリタはびしっと決まっていました。第2幕の方のアリアは少し苦しい、が、この至難なアリアを楽そうに歌う歌手を私は未だ知らない。
ドン・オッターヴィオのダニール・シュトーダは声量不足と一本調子な歌唱で、第2幕のアリアで盛大なブーイングを浴びてました。ネット評でも散々な書かれようで、気の毒過ぎて逆にちょっと庇いたくなる。非難されるべきは、ドン・オッターヴィオをリリコ・レジェロの為に書いたモーツァルトその人であって、主役級の肺活量コンペの中に置かれると可哀そう。あの第2幕の至難なアリアは、ドラマがそこで完全に停滞してしまうということもあって、この部分のトラディショナルカットは容認すべきだろうと思う。それをちゃんと歌ったのにブーイング(笑)。そりゃかわいそうだって。
ツェルリーナの九嶋香奈枝、個人的な嗜好の問題かも知れませんが、声質が私の考えるスーブレットとは合わない感じがしました。スーブレットをどうも(死語っぽいですが)「おきゃん」な女みたいなイメージで捉えると少し違うと思います。軽はずみ、機智、陰謀家、といった側面だけでなく、とくにツェルリーナはお色気が大切ですからね(デスピーナならともかく)。モーツァルトのスーブレットは本当に歌うのが難しいと思います。特に私らの年代は往年のスーブレットの女王、ルチア・ポップを生で聴いたりしてる世代ですからね、うるさいですよ(笑)。
マゼットの久保和範、ちょっと今回のキャストの中では厳しかったですね。二期会であればスタンダード?これからの人だと思うので、頑張ってほしい。

私は今回の公演の評としては、こうやって素晴らしい歌手達(登場人物8人のうち4人大当たりなんだから凄いですよ)のあれやこれやを反芻するだけで十分という感じがしている。モーツァルトの音楽そのもの、「ドン・ジョヴァンニ」論を書いてみたい誘惑に駆られるけれど機会を改めたい。
演出や管弦楽について少しだけ備忘的に書いておくと、演出はこれといって引っかかるところのない、いや一か所、巨大な操り人形が出てくるところは首を捻ったが、まずは無難な演出。舞台は光沢のある黒い床が水面のように舞台を反映させるのが美しく、白と黒が基調のチェスの駒をかたどったセットも大変結構。指揮はところどころ走る癖があって、歌手がついていくのが大変そう。ドラマティックな部分は聴きごたえがあるが、もう少し落ち着きがほしいところも。やはり「ジョコーゾ」という言葉に捕われてしまうのでしょうか。東京フィルはいつになく品の無い金管だったような気がします。私思うのですが、モーツァルトは素晴らしい演奏を聴けば聴くほど、難しいなと思う。プロの楽団たるもの、もっとモーツァルトを勉強すべきだと思います。そしてアマチュア・オケには・・・モーツァルト禁止令を出したい(笑)。
by nekomatalistener | 2012-04-30 13:10 | 演奏会レビュー
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