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ラヴェル 「スペインの時」 マゼール指揮フランス国立放送管弦楽団(その2)

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前回の続きです。
第8場
ラミーロが降りてくると、コンセプシオンは今度はゴンサルヴェの入った時計を寝室に上げるよう命じる。私を放っておくのですか、と非難するイニーゴを尻目に、この時計は振り子が繊細だから、などと言い訳しながらコンセプシオンはラミーロの後を追う。
ラヴェルに限らず当時のインテリならフロイトの名前くらいは知っていたでしょうが、男が身を隠す時計が女性の象徴ならば、コンセプシオンが振り子を気にしている時計は男性器の象徴、と二面性を持たせているのが面白い。ラミーロがゴンサルヴェごと時計を振り回すところは目が眩むようなアルペジオで書かれています。
第9場
イニーゴ独り。コンセプシオンにおどけた自分の姿を見せようと、時計の中に隠れてカッコウの真似をする。
洒脱でみだらなワルツ。イニーゴは役柄としては三枚目ですが、音楽は決して下卑たものにならないのが素晴らしい。
第10場
ラミーロが降りてくるのでイニーゴは時計に隠れる。ラミーロの独白。例の無骨な旋律は3/4拍子にモディファイされ、蕩けるような男の色気を発散する。この部分、「優雅で感傷的な円舞曲」にも似て、全曲中でも最も美しい箇所なのだが、それが騾馬曳きに与えられている。ラヴェルの舌舐めずりの音が聞こえてきそう。途中時計が鳴りだし、幻想的な雰囲気が立ちこめる。ラミーロは複雑な時計の機構を女に譬え、堪らない気分になるが、自分に与えられた才能は時計を運ぶことしかないのだから、断じて時計(女体)に触れたりするまい、と歌う。
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第11場
コンセプシオンがいらいらしながら階下に降りてくる。どうもゴンサルヴェとの情事は上手く行かなかった模様。ラミーロは再びゴンサルヴェの入った時計を戻しにいく。
第12場
イニーゴが時計から顔を出してカッコウの鳴きまね。店先に戻ってきたコンセプシオンはあきれるが、イニーゴが若い男は経験も足らず、詩などにうつつをぬかして現実を見ないというので、コンセプシオンは悲しく認めざるを得ない。その後一瞬出てくるハバネラのリズムはゴンサルヴェのそれとは違って、老練な愛撫のようなエロさ。
第13場
ラミーロがゴンザルヴェの入った時計を降ろすと、次はイニーゴの入った時計を担いでいく。コンセプシオンは惚れぼれとラミロを眺める。ラミーロの動機は2/4拍子の快活なもの。
第14場
コンセプシオンは相変わらず詩作に耽っているゴンサルヴェにとうとう愛想をつかす。ロマンティックなハバネラ。コンセプシオン、今度はイニーゴのいる寝室に向かう。
第15場
ゴンサルヴェ一人。時計の中に入ったまま詩作に耽っている。このあたりの音楽はラヴェルのオリジナリティと通俗性の入り混じった独特なもので、ある種のカンテ・ヒターノの味わいがあります。いわばステロタイプなスペイン風音楽はだいたいこのゴンザルヴェが担っているという訳ですね。
第16場
ラミーロが降りてきて、時計のさまざまな音の中で歌う。コンセプシオンの言いなりに時計を運ぶマゾヒスティックな悦び。自分が騾馬曳きでなく時計屋の主人であればと夢想する。時を告げる自動人形の恍惚とした音楽。そこにコンセプシオンが降りてくる。
第17場
実は時計の中に入ったイニーゴは腹がつかえて出られなくなり、情事どころではない。コンセプシオン、ゴンザルヴェとイニーゴの不甲斐なさを嘆き、ヒステリーを起こす。烈しいセギディーリャのリズムがコンセプシオンの欲求不満を表す。
第18場
ラミーロは今度はイニーゴの入った時計を階下に降ろす。さあ次はどの時計を?とラミーロが訊くと、彼の腕っ節に惚れたコンセプシオンは時計は要らないから部屋にいらっしゃいと告げる(この時点で二人の男の入った二つの時計は両方とも1階の店先にあることになる)。コンセプシオンの歌はしなをつくるようなポルタメントに彩られた何ともエロい音楽。
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寝室に誘われたラミーロは、呆けたような顔でほいほいと彼女に着いていく。このあたりのユーモアが素晴らしい。少しも下品でなく、愛すべき騾馬曳きのキャラクターをたった5小節の音楽で描き尽くす。
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第19場
階下に取り残されたイニーゴは家にいた方がよっぽど良かったと嘆くが、音楽は滑稽よりは大人の諦念に相応しい。一方ゴンサルヴェはこの恋を諦めようと歌うがトルケマダが戻ってくるので今度はイニーゴの入っている時計に押し入る。ファンダンゴのリズム。
第20場
トルケマダは時計の中のイニーゴと、時計に夢中になっている振りをしているゴンサルヴェを見つけて、そんなに気に入ったのならお安くしておきましょう、とまんまと時計を売りつける。後ろめたい二人は逆らえない。イニーゴが時計から出してほしいと懇願するので、トルケマダとゴンサルヴェで引っ張りだそうとするがびくともしない。
第21場
2階からお楽しみの後の火照った顔を扇で煽ぎながらコンセプシオンとラミーロが降りてくる。ラミーロ簡単にイニーゴを引っ張り出す。厚かましくもコンセプシオンは、明日から毎朝この騾馬曳きが時刻を告げにあたしの寝室の窓辺にきてくれるのとトルケマダに告げる。最後はみんなでボッカチオの教訓、「役に立つ恋人は一人だけ、時には騾馬曳きにも恋のチャンスが訪れる」をみんなで楽しく歌って幕。

なんちゅうお話!(笑)。しかしながら、再三書いたように、お話のあけすけさにも拘わらず音楽は本当に素晴らしいのですよ。スコアの引用はボーカル・スコアを用いましたが、オーケストラのスコアの精密さは目を瞠るばかりです。前回書き忘れましたが、序曲のところでさまざまな時計の振子の音が鳴っていますが、これ別に効果音としてマゼールが勝手に書き足したのではなくて、ラヴェルのスコアに四分音符=40,100,232でそれぞればらばらに鳴らすように指定されているのです(音楽そのもののテンポは四分音符=72)。
ようやく演奏について書く番ですが、マゼールという指揮者、どうもヘンタイ指揮者というイメージがありますが、こういった知性とセンスを問われる作品では本当に巧い指揮者であると思います。凡百の指揮者が感情移入したくなる個所では知らん顔しておいて、思いもよらぬ盲点でいやらしいくすぐりを仕掛けてくるこの指揮、ラヴェル好きを名乗るのなら一度は聴いてみてほしいと思う。世に溢れているラヴェル演奏に、いかにつまらないものが多いかよく判ります。歌手達も心憎いばかりのはまり役。特に若き日のホセ・ファン・ダムのドン・イニーゴは、ラヴェルが宛がった音楽に相応しく、決して下品ではない大人の男の音楽になっていて素晴らしい。

フィルアップの「スペイン奇想曲」について一言だけ。曲から言えば無くもがなの組合せ。だいたいグラモフォンの節操のない音源切り売りにしか過ぎないとも言えますが、なんとなく一気に聴いて違和感がないのがマゼール・マジック。本当に目の眩むような真昼の音楽。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2012-02-25 23:27 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)
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