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新国立劇場公演 プッチーニ 「ラ・ボエーム」

電車の隣の席で小学3、4年くらいの女の子が子供向けの科学本を読んでいる。隣の父親に「ねえ、東京を出発してずーっと真っすぐ北に行ったらどこに行くと思う?」と訊くと、パパさん「・・・そんなのどこに行くか判らない」と返事。女の子「地球は丸いからまた東京に戻るって書いてるよ」パパ「書いた人が間違ってんだよ」・・・・(えーっ、それで終わり?お前DQNかよ・・・)それから2分後くらいにパパさんぼそっと「・・・地球は自転してんだから、北に行ってるつもりでも違うとこに行くんだよ」(おーっ確かに・・・DQNなんて思って済まん)さらに2分後くらいにパパ「ハッブル望遠鏡って知ってる?」女の子「知らない」パパ「それってさぁ・・・」以下、娘にハッブル望遠鏡の仕組みを解説。(えーっあんた何モン?すごいよ。娘さん、今はハッブル望遠鏡の仕組みは判らないだろうけど、いいお父さんで良かったねw)。




新国立劇場にプッチーニの「ラ・ボエーム」を観に行ってきました。

  2012年1月22日
  指揮:コンスタンティン・トリンクス
  演出:粟國淳
  ミミ:ヴェロニカ・カンジェミ
  ロドルフォ:ジミン・パク
  マルチェッロ:アリス・アルギリス
  ムゼッタ:アレクサンドラ・ルブチャンスキー
  ショナール:萩原潤
  コッリーネ:妻屋秀和
  ベノア:鹿野由之 
  アルチンドロ:晴雅彦
  東京交響楽団

通俗名曲の代名詞のような「ラ・ボエーム」ですが、やはりこの作品の魅力には抗えません。今回の舞台は優れた演出と、歌手やオーケストラの好演によって、素晴らしい出来栄えであったと思います。行く前から密かに恐れていたことですが、私はもう第1幕の「私の名はミミ」から涙腺がおかしくなってしまい、第2幕のムゼッタのワルツ、第3幕のマルチェッロに対するロドルフォの告白、終幕のミミの死まで、目が腫れてしまうのではないかというぐらい涙が止まりませんでした。まったくお恥ずかしい限りですが、これも一種の加齢現象と諦める他はありませんw。
プッチーニの音楽には、よくもここまで人の心の琴線を弄び鷲掴みにして引きずりまわすものよ、と驚かざるを得ません。涙腺を攻撃されたならこちらとしては徹底的にそのメチエを分析して報復してやると、普通ならば思うところですが、「ラ・ボエーム」に関しては(以前C.デイヴィスのCD紹介でも書いたとおり)もう無条件降伏するしかないと思っています。これも以前「外套」の紹介で書きましたが、プッチーニは私にとっては天才というよりは第一級の職人と言いたいところなのですが、優れた舞台を目の当たりにすると、やはり天才は天才であると頭を垂れるのみです。

ミミを歌ったヴェロニカ・カンジェミは初めて聴く歌手ですが、温かみのある声質とコントロールの行き届いたテクニックが素晴らしいと思いました。容姿も立ち姿も美しくて、彼女のミミを聴けて本当に良かったと思います。ロドルフォを歌ったジミン・パクは、第1幕は喉が暖まっていない感じで、ひたむきではあるが若干素人っぽさが伺えましたが、第3幕以降は別人のように素晴らしい歌を聴かせてくれました。特に第3幕のマルチェッロとの会話は、この有名なアリアに満ち溢れたオペラの中では地味な箇所ながら最高の聞かせどころだと思うのですが、実に感動的な歌唱でした。マルチェッロ役のアリス・アルギリスも良かった。だいたいどんな作品でも主人公の親友というのはおいしい役どころですが、マルチェッロは歌う箇所も多くて別格でしょうね。ムゼッタを歌ったアレクサンドラ・ルブチャンスキーにも満足。コロラトゥーラが歌える歌手のようですので、一度本格的な役で聴いてみたいと思いました。コッリーネを歌った妻屋秀和は立派な体躯と素晴らしい声で、いつも脇役でもったいないと思う方ですが、今回はちゃんと聴かせどころ(「古い外套よ」)もあって大満足。ショナールの萩原潤はこれらの脇役達の中ではちょっと見劣りしてしまいました。随分前に、鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」の大阪公演で、ピラトをまさに「渾身の力を込めて」と言わんばかりに歌っていたのを聴いてから、機会ある度に密かに応援している歌手なので、これからも精進を重ねてほしいと思います。
トリンクス指揮の東京交響楽団もまずは満足すべき出来栄えだったと思います。何ヶ所か、もう少し音量を抑えたほうが良いのでは、と思ったところもありましたが、鳴らないよりは良いのでこれでいいのでしょう。奇を衒ったところが一切なく、安心して身を任せることが出来る演奏でした。
粟國淳の演出は正攻法で音楽の邪魔をしないもの。第2幕のカルチェ・ラタンの場は、書き割を動かすたびに次々と街並みが姿を変え、まるで舞台の上の虚構から真実が生まれる現場に立ち会っているような感慨を覚えます。音楽の本質が自由というものにある以上、どのような読み換えによる演出であっても基本的には許されると思っているのですが、やはり定番オペラではこのような正攻法の演出で観るに如くはないと思いました。

さて、新国立劇場の2012/2013年シーズンのラインナップが発表されましたね。イタリアものが6作、ドイツものが2作、イギリスと日本が1作ずつ。邦人作品を別にすれば近現代ものとしてはブリテンの「ピーター・グライムズ」のみ。R.シュトラウスは無し。かつて「ヴォツェック」や「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の素晴らしい舞台を観た者としては、このラインナップは余りにも保守的過ぎるのでは、と一抹の寂しさを覚えます。一つは故若杉弘氏と尾高忠明氏の資質の差、もう一つは昨今の事業仕訳の影響で、一部の好事家向けの「高踏的な」作品が排除される傾向があるのでは、ということ。更には当節の原発騒ぎの影響で、昨年末のアグネス・バルツァのドタキャンのような事態が想定される以上、急なカバーに備えて一般的な作品に傾きがちになるのではないか、ということも考えられます。例えば今シーズンの「ルサルカ」のようなオペラでは急なカバーが必要となった際、大変困ることでしょう。しかし、これでは新国立劇場ではヤナーチェクもベルクも当面観ることが出来ないことになってしまいます。3.11以降の東京の実情を考えれば致し方のない事とは云え、もうちょっと何とかならんものか、という思いを禁じ得ませんでした。
by nekomatalistener | 2012-01-25 23:16 | 演奏会レビュー
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