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ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その8)

時節柄、略礼服が大活躍なのだが、先日職場の若い衆の結婚式に招かれた際、額の汗を拭うためにハンカチを取り出そうとサイド・ポケット(ダブルの礼服は尻ポケットにハンカチを入れると出し辛いのでサイドに入れてる)から、若干の違和感を感じつつ数珠を取り出して御列席の皆様に御開陳。



CD8枚目はストラヴィンスキー20代半ばの交響曲変ホ長調Op1と、ストラヴィンスキーの肉声入りのリハーサル風景との組合せ。
  交響曲第1番変ホ長調Op.1(1905~07/1907初演/1908公開初演/1913改訂)
    コロンビア交響楽団 [1966.5.2録音]
  リハーサル風景(ミューズを率いるアポロ) [1964.12]
    同上     (青い鳥のパ・ド・ドゥ) [1963.12]
    同上     (わが幼き頃の思い出) [1964.12]
    同上     (プルチネルラ) [1965.8.]
    同上     (ピアノ協奏曲) [1964.5]
    同上     (ハ調の交響曲) [1962.12]
  ストラヴィンスキー自身を語る [1965]

最近のWikipediaの項目の充実ぶりには目を見張るものがありますが、本作も「交響曲変ホ長調 ストラヴィンスキー」で検索するとちゃんと独立した項目として出てきます。作曲の経緯や音楽的な特徴も含め懇切丁寧に書かれているので、ほとんど付け加えることもありません。ストラヴィンスキーがこれを習作扱いせず、自作の作品リストにOp1として挙げ、こうやって録音もしているのはそれだけ愛着があった、ということでしょうが、正直なところ後のストラヴィンスキーの姿は殆ど伺えません。Wikipediaにはグラズノフの影響などと書かれていますが、グラズノフの交響曲そのものをよく知りませんので、なんとも・・・。第1楽章は模範的と言ってもよいソナタ形式で書かれています。附点付きの分散和音による第1主題となだらかな下降音形による第2主題の対比も教科書的。第2主題は第4楽章に引用されている民謡「チーチェル・ヤーチェル」と関連がありますが、だからどうした、という程度。痛切な内的衝動による引用とは言い難いと思います。第2楽章は少し後のストラヴィンスキーが繰返し展開するスケルツォの原型ですが、この楽章だけ見るとメンデルスゾーンあたりがやり尽した手法に則って、特段新しい事をしているわけではない。トリオの「ペトルーシュカ」に良く似た主題はご愛嬌。Largoの第3楽章も、グラズノフ風なのかチャイコフスキー風なのか、いわゆるスラヴ風の憂愁に閉ざされた緩徐楽章。別につまらない訳でもないし、良い曲なんだけれども、やはりどこか教科書的、敢えて今回は模範解答風に書きました、といった風。第4楽章に至って、ようやくちょっと後のストラヴィンスキーを彷彿とさせる部分がちらほら。全体にオーケストレーションはすごくよく出来た作品、という感じがしますが、この楽章の練習番号5から6にかけて、木管の前打音付きの内声と弦のピッツィカートが沸々と沸き立つ辺りは如何にもストラヴィンスキー。この部分は、さすがに数年後に「火の鳥」を書くだけのことはあるなぁと思います。
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例の「チーチェル・ヤーチェル」の引用は練習番号13に出てきます。1906年に同じ旋律を用いて「わが幼き頃の思い出」の第3曲「チーチェル・ヤーチェル」を書き、さらに1929~30年に掛けて室内楽用の伴奏を付けていますが、その時の天才的な翻案と比べると何の変哲も無くて脱力してしまいそう。第1楽章の第2主題の種明し、といった趣向ですが、「ちょっと気の利いた引用」以上ではないところが辛い。
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以上、およそ40分の堂々たる大交響曲。評価が実に難しい。この余りにも型通りの、音響効果だけはやけに優れた作品をもって、ストラヴィンスキーはプロコフィエフなどとは対照的に遅咲きの作曲家であった、と結論付けるべきか、それとも、凡庸な素材でどのような要望にも応えられる天才、リムスキーやグラズノフの期待とあらば、こんな凡作と見紛うばかりのかっちりとした交響曲だって書けるんです、というデモンストレーションと捉えるべきか。それはこの選集を丹念に聴くだけでは判りません。おそらく本当の意味での習作を分析しなければ何とも言えないはずですが、それはこの一連のレビューの目的でもないし、私の手に余る課題です。

リハーサル風景の録音は、まぁ興味深いというほどのものではないけれど、そこから浮かび上がるのは、基本的にはオケのメンバーに対してフレンドリー、暴君タイプではない枯れた指揮者としての姿と、妥協したくない部分にはとことん拘る厳しい指導者としての姿がバランスよく納められているということ。ピアノ協奏曲のリハ風景はかなり面白い。アントルモンのピアノにいかにもテキトーな感じで合いの手を入れようとする金管の連中にてこずって、複雑なリズムをとにかく数えさせています(One,two,one-two-three,one,twoみたいに・・・)。何で読んだのかはっきりしないけれど、オケで現代的なイディオムに最もすばやく適応するのは打楽器奏者、次いで弦、木管、一番コンサバなのが金管、だそうですね(本当かどうか知りませんが、何となくさもありなん、と思う)。そういった金管の連中相手に、御大、そうとうアタマに来てます(笑)。あと、「青い鳥のパ・ド・ドゥ」のクラリネットの装飾音に対するこだわりとか、キャシー・バーベリアンを相手にロシア語の発音を何度も繰返し矯正しようとするところなどが収録されています。この頃ストラヴィンスキーは既に80代、英語が上手ではないというより、もうすっかり老人の喋り方、息も絶え絶えようやく意思を伝える、といった風情なのに、一旦指揮を始めれば腰を抜かすほど瑞々しい音楽が流れ出す不思議。実は御大の後ろに隠れて弟子のロバート・クラフトが振ってるんじゃないか、と疑いたくなるほど。本当にリハ風景でちょっと出てくるだけの音楽が素晴らしいパフォーマンスです。最後の1913年のピエール・モントゥーによる「春の祭典」初演時の思い出については、あまり流暢でない英語で訥々と喋るので時間の割りに情報量が・・・それに、それこそこの時のスキャンダルについてはもうあらゆるところで語りつくされてますので、格別新しい情報というのもなくて、まぁストラヴィンスキーの肉声を聴くことができるという以上のご利益はあまりないかと・・・。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2011-12-15 22:53 | CD・DVD試聴記
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