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ドヴォルザーク 「ルサルカ」 ノイマン/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(その1)

かなり昔。カミサンが一人目の出産で里帰りしていた時、会社の一年上の人が家に遊びに来た。飲みながら先輩「最近英会話のレッスン行ってんだ」 私「すごいやないですか」 先輩「けっこう喋れるようになるもんだよ」。で、彼そのままいい気分で爆睡。しばらくそのままほっといたら、寝言で「・・・むにゃ・・・むにゃ・・・カッフィー・・・」。えっ、カッフィーって。coffee?それ、会話やのうて単語ですやん。




ドヴォルザークが苦手です。幼少のみぎり、小学校の下校時にスピーカーから鳴る音楽が「新世界から」の第2楽章。これはまあ素敵な音楽だと思うけれど、前後は苦手。終楽章はなんとなく恥ずかしくて聴いていられない(というか、最後まで通して聴いたことがない)。
チェロのコンチェルトもよく知りませんが、やっぱりちょっと恥ずかしそう。ト短調のピアノ協奏曲はリヒテルが弾いてるから、と学生の時に友人宅で聴きましたが、だめでした。おまけにスコアを見たら、ピアノパートはどっかのピアニストが相当手を入れて何とかコンチェルトらしくなってますが、オリジナルのパートはソナチネか、みたいな感じで恥ずかしさも倍増。なんで無理してピアノ協奏曲書いたのか。
数年前、取引先の社長に大阪シンフォニカーの演奏会に誘われ、シンフォニーホールで8番だかなんだかの交響曲を聴きました。社長には予め「ちょっと最近忙しくて寝てしまうかも」と言い訳しておきましたが、始まって5分くらい経過したところで気絶。終楽章まで、まるで一服盛られたのか、というくらい昏睡してました。このとき、つくづく思いましたね。「ああ私は何の因果かドヴォルザークとは縁がないのだ、あの敬愛するアバド様もジュリーニ様も録音しているというのに、私にはその良さを理解する能力がないのだ。もう身銭を切ってドヴォルザークのCD買ったり演奏会に行くことは一生あるまい」と。

そんなこんなで幾星霜。今年の6月に新国立劇場でプッチーニの蝶々夫人を観たのですが、タイトルロールを歌ったオルガ・グリャコヴァというソプラノが素晴らしい出来栄えで、再度日本に来ることがあれば絶対聴きに行こう、と思いました。で、うれしいことに今年の年末に再びステージに立ってくれるのですが、曲目がルサルカ。うーんそう来るか(韻踏んでる)。でもこれも何かの縁、チケット買ってやろうじゃないか(でもB席というのがちょっと微妙なチョイス)、CDも買って予習してやろうじゃないか、と思った次第。で、このブログにこうして取り上げたということはもちろん作品を好きになったからなんですが、その好きさ加減が微妙というか。本当に好きなのは、第1幕でルサルカの歌う「月に寄せる歌」のところであって、他の部分はなんと言いましょうか、良いところもたくさんあるけれど、手堅く書かれているがダサい部分とか、ワーグナーやチャイコフスキーの劣化コピーみたいなところもあったりとか、このあたりは追々詳しく書いてみるつもりです。

ところで・・・ 一点豪華主義の系譜というのがありまして(嘘です今思いつきました)、ファッションならしまむらの上下にゴールドのロレックスとか、部屋なら畳敷き6畳間に鹿の首の剥製とか。オペラだったら、例えばドリーブのラクメ(「鐘の歌」だけ有名)、マスカーニのカヴァレリア・ルスティカーナ(間奏曲だけ有名)、ヘンデルのセルセ(オンブラ・マイ・フ)、そして最強の一点豪華主義プッチーニのジャンニ・スキッキ(私のお父さん)・・・いやいや一点じゃなくて全部いいよ、という反論はこの際措いとくとして、このルサルカ、まさにこの系譜ですね。もう「月に寄せる歌」が素晴らしすぎる。でもって、それ以外のところの音楽は上に書いた通りなのですが、全体的に何かちまちましてファンタジーが広がらない。このちまちま振りは何ゆえ?結論を急ぐつもりはありませんが、一つはブラームスやハンスリックが体現していたドイツ正統派音楽、それとワーグナーのドイツ語による楽劇へのコンプレックス、のような気がします(せんぞブラームスやハンスリックの世話になっておいて、彼らが嫌っていたワーグナーのエピゴーネン丸出しとは如何なものか)。せっかくのダイヤの原石のような優れた着想が、保守的な音楽構造に無理やり押し込まれて音楽的飛翔を妨げられているような気がします。換言すれば、古い音楽アカデミズムに角を矯められている。これがブラームスならアカデミックなカデンツ=拍節構造を突き破るだけの筆力があったでしょうし、ヤナーチェクならそもそもカデンツ構造など端から気にしない自由さと、モラヴィア方言の抑揚や民謡から得た独自の拍節法のみを信じる意思の力があったのでしょうが、ドヴォルザークにはそこまでの筆力も度胸もなかったと言わざるを得ません。
でも、それだけボロクソに言っても、この「月に寄せる歌」だけは、ミューズが舞い降りてドヴォルザークの肉体を借りて書いたとしか言いようがない。聞く度に猫にマタタビ状態。彼の全ての作品が世の中から忘れ去られたとしてもそれ程惜しくはないが、これだけは人類の未来に残しておきたい(誰目線?w)。それは単にメロディーが美しいというだけでなく、母国語(チェコ語)への愛が、本当にオリジナルな拍節構造を図らずも生み出し得たのだと思います。「図らずも」と書いたのは、言葉と音楽の関係が無頓着に見える箇所も散見されるからですが、言葉の音韻構造が人間の精神(及びその産物)の構造を決定付けるというような発想は、もちろんソシュール言語学など知るよしもない19世紀人のドヴォルザークには望むべくもないものだろうと思います。ですが、意識的であれ無意識であれ、言葉の抑揚を慈しむように音楽を書こうとした時、気まぐれなミューズが正にその時に彼のスコアに降り立ったのだと思われてなりません。

今回のシリーズも、演奏論より作品論が主になると思いますが、一応今聴いている音源のデータを記しておきます。

  ルサルカ・・・ガブリエラ・ベニャチコヴァー(S)
  王子・・・・・・・ヴィエスワフ・オフマン(T)
  侯爵夫人・・・ドラホミーラ・ドロブコヴァー(Ms)
  水の精・・・・・リハルト・ノヴァーク(Bs)
  魔法使い・・・ヴィエラ・ソウクポヴァー(A)
  ヴァーツラフ・ノイマン/チェコ・フィルハーモニーso(1982年8月25日~9月9日、83年8月23・24日録音)
  CD:SUPRAPHON COCQ84513~5)

タイトルロールのベニャチコヴァーの素直な歌いぶりは好ましくて好きですが、youtubeにルチア・ポップが「月に寄せる歌」を歌ってるところがアップされていて(それも舞台とコンサートの2種類)、これがまた素晴らしい。もう涙腺決壊。ちなみにノイマンの指揮はどことなくはじけない指揮ぶりで、世評はいざ知らず私にはちまちま感を増幅させているように思われました。
いや、あんた、そんなこと言うなら「月に寄せる歌」だけyoutubeで聴いてたらいいやんか、と言われたら・・・いやぁそれを言っちゃあ・・・ですよ。やっぱりオペラは全曲聴いてなんぼ、ですから。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2011-09-23 22:56 | CD・DVD試聴記
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