人気ブログランキング |
<< ヴェルディ 「イル・トロヴァト... ご挨拶 >>

ヴェルディ 「イル・トロヴァトーレ」 カラヤン(その1)

会社で普段あまり話すことのない技術屋(26歳、ちなみに私は48歳)と昼飯食いながら話をしていた時のこと。「○○さん(私の2段階くらい上の上司)いつまでも帰らへんから『はよ帰れ~エコエコアザラク』て呪文唱えとなったわ」と私が言うと、目を輝かして彼が食いついてきた。おおっ君、エコエコアザラク知ってんのか、同志よ!と一瞬思ったが、私の頭の中には漫画(1975年連載開始)、やつの頭ん中は映画(1996年公開)、どうも噛み合わない。却って自分の歳を痛感して萎える。


東京初台の新国立劇場2011/2012年シーズンの開幕はご存じヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」。今回はこの作品を聴いていきます。音源は1956年カラヤン盤。


 マンリーコ・・・・・・・ジュゼッペ・ディ・ステファノ
 レオノーラ・・・・・・・マリア・カラス
 ルーナ伯爵・・・・・・・ローランド・パネライ
 アズチェーナ・・・・・・フェドーラ・バルビエリ
 フェルランド・・・・・・ニコラ・ザッカリア
 ルイス・・・・・・・・・レナート・エルコラーニ
 カラヤン指揮ミラノ・スカラ座o,cho(1956年8月録音)
 CD:Naxos8.111280-81

イル・トロヴァトーレという作品の、ヴェルディの創作史の中の位置付けについては後日改めて触れるとして・・・
この録音、一言でいうならカラスを聴くための録音という気がします。ステファノもパネライも素敵ですが、カラスのレオノーラがあまりにも凄すぎる。レオノーラという人物造形そのものがまるで彼女の為に書かれたような、と言いますか。第1幕、フェルランドと夜警をする従者達の場面の後のレオノーラの大アリア、典型的(あるいは因習的)なカヴァティーナ・カバレッタ形式のアリアですが、最初の拡大されたシェーナで早くもカラスの本領発揮。戦くような、あるいは熱に浮かされたような歌唱に、聴く者は一気にドラマに引きずり込まれ、冷静さを失ってしまいます。

  Ne' tornei. V'apparve
  Bruno le vesti ed il cimier, lo scudo
  Bruno e di stemma ignudo,
  Sconosciuto guerrier, che dell'agone
  Gli onori ottenne... Al vincitor sul crine
  Il serto io posi... Civil guerra intanto
  Arse... Nol vidi più! come d'aurato
  Sogno fuggente imago! ed era volta

  馬上試合の時よ。そこに、
  黒い甲冑と黒い兜をまとい、
  黒い盾には羽飾りもなく、
  見知らぬ戦士が現れ、
  優勝の栄誉を勝ち取ったのです。
  私は勝者に王冠をさずけました。
  それから戦争が起こって・・・もうあの人を見ることはなかったのです。
  まるで黄金の夢の中の出来事のよう。

こんな録音残されたら後世の歌手はたまったもんじゃないでしょうな。誰が歌ってもカラスとの比較を免れないでしょうから。ある意味罪つくりなお方です。
続くカヴァティーナ、殆ど荒唐無稽に近いお話の中の人物なのに、何という存在感、実在感。

  Tacea la notte placida
  e bella in ciel sereno
  La luna il viso argenteo
  Mostrava lieto e pieno...
  Quando suonar per l'aere,
  Infino allor sì muto,
  Dolci s'udiro e flebili
  Gli accordi d'un liuto,
  E versi melanconici
  Un Trovator cantò.

  音もない静かな夜のこと、
  おだやかな空には美しい月が、
  銀色の丸いお顔を
  幸せそうに見せていました。
  その時、それまで大層静かだったのに、
  空気を鳴り響かせるみたいに、
  あまく切ないリュートの調べが
  聞こえてきたのよ。
  一人のトゥルバドゥールが
  物悲しい歌を歌っていたの。

カバレッタは技術的にもきわめて優れた歌唱です。カラヤンの指揮もカラスに寄り添って、彼女への奉仕だけを考えているようです。カラヤンの指揮は、後年唯我独尊というか、歌手の個性は二の次というスタイルに変わっていき、今となっては様々な毀誉褒貶が付いて回るけれども、この頃の彼の指揮はやっぱり他の追随を許さないものがあります。カラヤンの先祖はマケドニアの貴族だったそうですが、大げさにいえばゲルマンとは違うそのマケドニアの血が、ギリシャのディーヴァの血と共鳴しているような気がする。
カバレッタの繰り返しは省略されていて、おかげで侍女イネスのセリフもカットされています。こういう因習的カットは私の好むところではないけれども、これだけの演奏を聴かされたらもう何の不満もありません。

第1幕のフィナーレはルーナ伯爵・マンリーコ・レオノーラの三重唱。マンリーコの第一声、最初聴いたとき、えらく音程外しているように聞こえました。何度も聴いていると気にならなくなりますが、ステファノのちょっと脳天気なスタイルが今となっては違和感がある、ということでしょうか。
でも同時に、彼が全盛期どれだけイタリアで人気があったかもよく分かるような気がします。実際に舞台で聴いたら私も熱狂したに違いない。

  Deserto sulla terra,
  Col rio destino in guerra
  E sola spese un cor
  Al Trovator!
  Ma s'ei quel cor possiede,
  Bello di casta fede,
  E d'ogni re maggior
  Il Trovator!

  武運拙く 
  この地に独り、
  唯一の望みは心にのみ
  詩人に捧げられし心にのみ。
  だがもし操ただしきその心、
  己がものに出来たなら、
  彼は全ての王にぞ勝れりし、
  トゥルバドゥールぞ勝れりし。

これこそイタリアの歌。いや、やっぱり凄いや。脳天気だろうが何だろうが、合理的発声法と違ってようが、これぞイタリアのテノール、ディ・ステファノ。不遇の晩年と悲劇的な死に思いを至らせ胸が詰まる。
最後のメーター振り切れそうな三重唱に至ってはもう何もいうことがありません。血沸き肉躍るとはこのことでしょう。
(この項続く)
(対訳はhttp://www.opera-guide.ch/というサイトの英訳からの拙訳です。重訳ということもあって多分ニュアンスが違うとか、いろいろあると思いますが御容赦ください)
by nekomatalistener | 2011-09-09 00:13 | CD・DVD試聴記
<< ヴェルディ 「イル・トロヴァト... ご挨拶 >>