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新国立劇場公演 モーツァルト 「魔笛」

(前々回の続き)泣けた本、他にもあった。吉田修一の『悪人』(汗)。でもこれ、連載時の束芋の挿絵も載ってたらいいのにね。





新国立劇場で「魔笛」を観てきました。

   2013年4月21日
   ザラストロ: 松位浩
   タミーノ: 望月哲也
   弁者: 大沼徹
   僧侶: 大野光彦
   夜の女王: 安井陽子
   パミーナ: 砂川涼子
   パパゲーナ: 鵜木絵里
   パパゲーノ: 萩原潤
   モノスタトス: 加茂下稔
   侍女: 安藤赴美子・加納悦子・渡辺敦子
   童子: 前川依子・直野容子・松浦麗
   兵士: 羽山晃生・長谷川顯
   指揮: ラルフ・ヴァイケルト
   演出: ミヒャエル・ハンペ
   合唱: 新国立劇場合唱団(合唱指揮:冨平恭平)
   管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

モーツァルトのオペラでは何が一番好きですか?私は断然「ドン・ジョヴァンニ」派だけれど、「フィガロの結婚」や「コジ・ファン・トゥッテ」を抑えて「魔笛」を一番に推す方も多いことでしょう。「魔笛」に限らず、モーツァルトの死の直前の作品には、ちょっと神憑ったような特別な雰囲気がありますね。それがフリーメーソンの所為かどうか私には判りません。昔LPの時代に、イシュトヴァン・ケルテスの指揮だったと思いますがモーツァルトがフリーメーソンの為に書いた音楽ばかりを集めたものを聴いて、いずれも大変すぐれた作品ながらも何となく居心地が悪いというか、よく判らない思いをしたことがありました。同様に「魔笛」も、この世のものとは思えないほどの素晴らしい音楽だとは思うけれど、「お墓にまで持っていきたいか?」と訊かれたらちょっと違うと言わざるを得ない。もう少し私自身が歳をとったらどう思うだろうか。
脱線するが、リリアーナ・カヴァーニが監督した「愛の嵐」という映画が私、大好きで、何度も映画館で観ましたが、ユダヤ人収容所で倒錯的な爛れた関係を持っていたユダヤ人少女(シャーロット・ランプリング)とナチスのSS(ダーク・ボガード)が、戦後、かたや高名な指揮者の美しい夫人、かたやホテルのポーターとして再会し、悲劇が始まるというものでした。この二人が劇場でお互い相手のことを意識しながら表面的には何食わぬ顔で観ているのが「魔笛」の、タミーノの笛に合せてライオンなどの動物(の着ぐるみ)が舞台で踊る場面。この場面の刷り込み効果は絶大なもので、モーツァルトには何の関係もないが、「魔笛」というとこの背徳的な悲劇を思いだしてしまう。もうひとつ、それと前後して初めて「魔笛」の全曲盤LP(ショルティの指揮したものだった)を買って聴いたとき、一番強烈な印象を受けたのが終盤の兵士の二重唱。なんて暗い音楽。弦の対位法に乗せてテノールとバスがユニゾンで歌うという趣向も、なんとも異常なものに思えたものですが、今でもモーツァルトの作品のなかで最も病的なものだというふうに思います。
そんなこんなで、どうも私には「魔笛」が楽しくて子供も大人も楽しめるメルヘン・オペラである、というふうには思えないのです。今回の公演にも、親御さんに連れられて小学生くらいのお嬢さんが聴いてらしたりしてましたが、ちょっと訊いてみたいな。「楽しいか?え、ほんとに楽しい?」(笑)。いや、ほんとに私、このオペラよく判らんのですよ。お話も荒唐無稽だし、実は夜の女王はマリア・テレジアでザラストロはヨーゼフ2世だの聞かされてもそれでお話が明確になるわけでもない。おまけにあちこちで女性蔑視も甚だしい台詞が頻出し、ムーア人のモノスタトスは黒くて悪い人、という扱いで現代人の感覚からすると実に困る。ちなみに今回の字幕は、そのあたりの「困った」台詞を改竄することなく、ありのままに訳していたのが良いと思います。お嬢さんを連れていた親御さんも、差別意識垂れ流しのシカネーダーの台本にはさぞかし困ったことでしょう(笑)。でも、「魔笛」ってこういうお話なんだから仕方ないよね。

まぁ、雑談はこれぐらいにして、今回の日本人キャストによる公演、びっくりするようなことは何も起こらないが、これといった穴もない、オペラハウスの日常公演としては十分なレベルだと思います。ただ、望月哲也のタミーノは歌い方もドイツ語も違和感がありました。この歌手もあちこちで聴いたなぁと、当ブログを検索したら「サロメ」のナラボート、「オランダ人」の舵手などで褒めてました。でも今回のタミーノは妙なところでヘルデンっぽくなってモーツァルトの様式にそぐわない。ドイツ語の子音がべちゃべちゃと響くのもいただけない。パミーナの砂川涼子は芯があってリリコよりスピントが勝った声質ですが、なかなか良かったと思います。安井陽子の夜の女王は素晴らしい歌唱でした。これだけの難曲ですからもちろん完璧とは云いませんが、舞台でこれだけ歌えたら大したもんだと思います。パパゲーノの萩原潤ですが、ちょっとキャラに合ってませんでしたね。前にもどっかに書いたと思うが、昔この人が「マタイ受難曲」のピラトを歌うのを聴いて、上手いとかどうとか言う前に、本当に真面目に渾身の力を込めて歌う姿にちょっと感動したことがありました。その印象が強くて、パパゲーノだからと、舞台の上でひょうきんな仕草をする度に、この人にはちょっと無理かも、と思いました(私だけの感覚かも知れませんが、観てるほうが痛い)。でも声は良かったですよ。それこそパパゲーノのキャラに全然あっていないパミーナとの高貴な二重唱は素晴らしいものでした。モノスタトスの加茂下稔、下品になる一歩手前でのデフォルメに知性を感じました。今回の登場人物の中でモノスタトスが一番頭がよさそうに思ったほど。ザラストロの松位浩、3人の侍女、その他の役回りの歌手も特に不満はありません。
東フィルの演奏も、良くも悪くも日常モード、平常運転という感じがしました。指揮者のラルフ・ヴァイケルトは以前「サロメ」を聴いてちょっと淡白すぎやしないか、と不満を書いた指揮者だが、今回はモーツァルトということで、大きな不満はありません。でも、今回の公演の趣旨から言えば、別に海外から指揮者を招聘しなくとも、日本の若手の指揮者に振らせるとか、他にやり様があったようにも思います。演出や美術然り。もともとシカネーダの台本には「日本の狩の衣裳で」などと書かれているのだから、純国産の舞台でも面白いと思うのだが。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2013-04-22 00:46 | 演奏会レビュー | Comments(0)