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ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY(おまけ)

前回紹介したバーミアンで4,800円食ったその子ですが、その後結婚して奥様の協力もあって涙ぐましいダイエットをしているものの、なかなか痩せないと、お菓子バリバリ食いながら報告してくれました。





さて、この自作自演集、断るまでも無いがストラヴィンスキーの作品全集という訳ではない。ここには夥しい数の自作や他の作曲家の作品の編曲(その大部分は恐らく生活の為に必要な仕事だったのだろう)は殆ど入っていませんし、ピアノ曲や初期の歌曲などの多くは割愛されています。重要な作品はほぼ網羅されていますが、中には選に漏れて残念な作品もいくつかあります。
例えば1919年に作曲された「クラリネットのための3つの小品」は、アルバン・ベルクのそれと並んで、この楽器の為の重要なレパートリーだと思います。また、1944年にプロ・アルテSQの創設者アルフォンス・オンヌーの死を悼んで作曲された独奏ヴィオラのための「エレジー」も入れてほしかったものの一つ。この2作品についてはブーレーズのCDが入手可能です。あるいは1964年の十二音技法による「新しい劇場の為のファンファーレ」。この2本のトランペットの為のファンファーレは素晴らしい作品だが、聴く機会が極めて少ない。昔ブーレーズのLPで聴いていたが、CDにはどうも復刻されていないようです。
歌曲の素晴らしさについてはCD15枚目の紹介の通りですが、ピアノ伴奏歌曲は殆ど収録されていないのが残念。
編曲作品のいくつかは金儲けの為の仕事ではなく、本当にオリジナルの作品に対するオマージュとして書かれています。フーゴー・ヴォルフやジェズアルドについては以前取り上げたが、作品リストには1969年の作としてバッハの平均律クラヴィア曲集のいくつかの小オーケストラへの編曲が挙がっています。私も聴いた事がありませんがとても興味をそそられます。

最後にちょっと子供っぽいお遊びをしてみたい。「お墓にまで持っていきたいストラヴィンスキー・ベスト10」を選ぼうというもの。でもこれが10作に絞りきれなくてとても難しい。気の向くままに選んでいくと晩年の作品だけで枠いっぱいになってしまうので、初期作品(だいたい1917年まで)から2曲、中期(1918~1952年)から4曲、後期(1953年以降)で4曲ということにしてみました。結果は次の通り。

1.シェイクスピアの3つの歌曲(1953/1954初演)
2.バレエ「アゴン」(1953~57/1957初演)
3.歌劇「レイクス・プログレス」(1948~51/1951.9.11初演)
4.「兵士の物語」(語られ、演じられ、踊られる物語)(1918/1918初演)
5.レクィエム・カンティクルス(1965~66/1966初演)
6.管楽器のためのサンフォニー(1920/1921初演/1947改訂)
7.オペラ=オラトリオ「エディプス王」(1926~27/1927.5.30演奏会形式初演/1948改訂)
8.宗教的バラード「アブラハムとイサク」(1962~63/1964初演)
9.バレエ「結婚」(1914~17/1919改訂/1923改訂/1923初演)
10.ブルレスク「きつね」(1915~17/1922.5.18初演)

おそらく数年後に同じ事をやったらすっかり曲目も順番も変わるような気もしますが、今現在、自分に正直に選んでいったらこんな結果でした。
ブログの効用といいますか、この一年、ストラヴィンスキーについて書き続けてきて、とても面白かったし、いろいろとスコアや文献を調べて少しは知見も増やせたような気がします。やはり人様に読んでいただくには、あまりイイカゲンなことは書けませんからね。また数年経ったら第二ラウンドしてみるのも面白いかも。そのころにはベスト10も変わっているのでしょう。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2012-10-09 22:13 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY(その22)

職場で一番のデブの男の子、独身の頃はバーミアンで4,800円分食ったらしい(飲み物除く)。




一年近くを費やしてしまったこのシリーズ、ついに最終回。なんだか終わっちゃうのが惜しいくらい(笑)。自分がどれほどストラヴィンスキーの音楽に惚れ込んでいるか、改めて思い知りました。

CD22
  ①交響詩「夜うぐいすの歌」(1917/1919初演) [1967.1.23.録音]
  ②ダンス・コンチェルタント(1941~42/1942初演) [1967.1.20.録音]
  ③フュルステンベルク公マックス・エゴンの墓碑銘(1959/1959初演) [1964.12.14.録音]
  ④ラウール・デュフィ追悼の二重カノン(1959/1960初演) [1961.1.25.録音]
  ⑤宗教的バラード「アブラハムとイサク」(1962~63/1964初演) [1967.1.24.&1969.7.11.録音]
  ⑥管弦楽のための変奏曲(オルダス・ハクスリー追悼)(1963~64/1965初演) [1966.10.11.録音]
  ⑦レクィエム・カンティクルス(1965~66/1966初演) [1966.10.11.録音]
 

  ロバート・クラフト指揮
  ①⑤⑥⑦コロンビア交響楽団 ②コロンビア室内管弦楽団
  ③アーサー・グレッグホーン(fl)、カールマン・ブロッホ(cl)、ドロシー・レムゼン(hp)
  ④イズラエル・ベイカー(vn)、オーティス・アイグルマン(vn)、サンフォード・ショーンバック(va)、
    ジョージ・ナイクルーグ(vc)
  ⑤リチャード・フリッシュ(Br)
  ⑦リンダ・アンダーソン(Sp)、エレーヌ・ボナッツィ(A)、チャールズ・ブレスラー(T)、ドナルド・グラム(Bs)
    イサカ大学コンサート合唱団(グレッグ・スミス指揮)

さてCD22枚目はRobert Craft conducts under the supervision of Igor Stravinskyというタイトルが附いています。内容は初期と中期の落穂拾いの2曲と晩年の十二音技法による作品から5曲、中でも「アブラハムとイサク」「変奏曲」「レクイエム・カンティクルス」の3曲はストラヴィンスキーが最後に辿り着いた孤高の境地といってよいと思います。本来ならばこれらの作品も作曲者自身が振る予定だったのでしょうが、おそらくは体力の衰えに勝つことが出来なかったのでしょう。しかし、作曲者が公私に亘って心を許し、自作の演奏に関して全幅の信頼を置いていたロバート・クラフトという人物がいたおかげで、なんとかこのアルバムを完成することが出来た、という訳。

交響詩「夜うぐいすの歌」は1914年に初演されたオペラ「夜うぐいす」の第2幕・第3幕を素材としたもの。元ネタのオペラについてはこのシリーズの「その14」で書いた通りで特に附け加えることはありません。交響詩のほうはドビュッシー風あるいはリムスキー=コルサコフ風の第1幕の素材を除外したことでオペラよりも遥かに統一感があります。クラフトの演奏は早いテンポで颯爽としているが、めくるめく多彩なリズムや音色についてはやや生硬。いま私の手元にはブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団と、マゼール/ベルリン放送交響楽団の2種類のCDがあるが、そのどちらもおそるべき手腕で各々の美意識を極限まで追求し表現した名盤。こんな録音と比較したら気の毒かもしれません。それにしてもストラヴィンスキー自身の演奏を残して欲しかったものだ。晩年のセリエルな作品を除けば、高弟クラフトと雖も師匠に適うわけはなかろうと思わざるを得ない。

ロサンゼルスに手兵の楽団を持っていた指揮者ワーナー・ジャンセンの委嘱による「ダンス・コンチェルタント」は、42年に管弦楽曲として初演された後、44年にはジョージ・バランシンのコレオグラフィによってバレエ化もされています。まさに手練れの作、こういった作品はお手の物だったのでしょう。例によって手癖で書き進めたようなところもあるが、全体としては清新さと躍動感に溢れた楽しいディヴェルティメントです。クラフトの指揮もなかなか良い。この乾いた抒情の表現はさぞ御大を喜ばせたことだろうと思う。

フルート、クラリネット、ハープの為の「墓碑銘」はドナウエッシンゲン音楽祭のスポンサーであったフュルステンベルク公マックス・エゴンが1959年に亡くなったのを追悼して書いた作品。たった7小節、時間にして1分ほどの短さの中でハープ、フルート、クラリネットがポツポツと音を鳴らすだけ。前回とりあげた「イントロイトゥス(T.S.エリオット追悼)」と同じく、聴く者の安直なアプローチを拒絶する厳しい音楽。それにしてもこの録音、各楽器がオンに録られているせいもあるが、生の素材がむき出しに置かれているといった趣。ブーレーズがアンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーで入れた録音は、これと比べると3つの楽器が絶妙に溶け合って、繊細かつ大変美しい録音だが、ではどちらがストラヴィンスキーの頭の中で鳴っていたであろう姿に近いかと問われれば何とも微妙。クラフトの演奏ははっきり言って美しいといった評は下せないのだが、案外ストラヴィンスキーは満足していたのではないか。

「二重カノン」は1953年に亡くなったフランスの画家ラウール・デュフィの追悼の音楽だが、この画家と作曲者は会ったことがなかったらしい。しかもその死から6年も経ってから追悼作品を書いたというのも謎です。それはともかく、先の「墓碑銘」と同じく、わずか1分余りの短い音楽の中に、ほとんどむき出しといってもいいくらい生の素材(=音列)が放り出されている感じがする。音色という点でも、弦楽四重奏によるモノクロームな効果を狙っていると思われ、デュフィのあの、南仏風の明るい作品を偲ぶというには如何なものか、と思います。これは追悼といいながら、実は作曲者自身の心象の表白であったとしかいいようがない。このシリーズで何度も言及した通り、それは晩年の作曲者のミザントロープです。

バリトンと小オーケストラの為の「アブラハムとイサク」のスコアの扉には「イスラエルの人々に捧げる」と書かれています。1964年8月23日、ロバート・クラフト指揮イスラエル祝祭管弦楽団によってエルサレムで初演されています。テキストは創世記22:1-19のヘブライ語訳。この、アブラハムが神の命令によって一人息子を生贄に捧げようとする話はよく知られていると思うが、無信仰者から見ればヨブ記と並んでこれほど不条理な話もあるまい。気まぐれで疑い深く、ここまでして人を試さずにはその信仰心さえ信じられない神とはいったい何なのか。それはともかく、これは大変な力作、素晴らしい音楽で、1964年から1966年、いよいよ創作の最終期を迎えるストラヴィンスキーの遺言とも言えるもの。小編成のオーケストラは例によってトゥッティで奏される部分は殆どなく、まるで室内楽のように扱われているが、一つの音列が複数の楽器によって次々と受け渡されていくのが印象的。また、5連符や7連符を多用した複雑なリズムも特徴的だが、ブーレーズの「マルトー・サン・メートル」に出てくる複雑さ(拍子記号が繁分数で書かれていたりする)などと比べれば穏健な部類だろう。だからといって演奏の至難さが減る訳ではないが・・・。バリトンの歌いだしのところは、譜例のように神経質な前打音が沢山附いているが、これはヘブライの歌の「こぶし」のようなものの模倣だろうか。
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このようなメリスマティックな部分と、シラビックな部分が交替しながら進んでいく。全体に殊更対位法が強調されるところは少ないが、それでも次のような厳格なカノンが時折現われて強く耳を打ちます(譜例は197小節目から。上からバリトン、ホルン、チューバ)。
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音楽に快楽とか慰撫だけを求める人からすればこれほど縁遠い音楽もないでしょうが、知的な理解とエモーショナルな体験を共に追い求めたいという人には強くお勧めしたいと思う。クラフトの指揮はアタックやアーティキュレーションがスコアに忠実で、その精密さは録音年代を考えれば驚異的なほど。ストラヴィンスキーの音楽は指揮者が下手にいじらずとも、スコアに忠実に演奏すれば最大の効果が得られるという好例でしょう。薄いテキスチュアなのに音が貧しくならないのが素晴らしい。

「変奏曲」も傑作。1963年11月22日、J.F.ケネディが暗殺されたその日、ストラヴィンスキーと親交の深かった作家オルダス・ハクスリーが亡くなっています。ストラヴィンスキーは前者の追悼に「JFKのためのエレジー」を書き、後者の為に作曲の途中にあったこの「変奏曲」を捧げたという次第。1965年4月17日、ロバート・クラフト指揮シカゴ交響楽団によって初演されています。「変奏曲」とはいうものの、どこまでが主題でどこから変奏なのか、判然としませんが、3つの極めて独創的、天才的な部分をサンドウィッチ状に挿む7部構成と見ることもできそうです。その3つの部分の一番目は23小節目から33小節目、12人のヴァイオリン奏者が12声のソリスティックなパートを弾く部分。各奏者はスル・ポンティチェロで複雑なリズムのパート(しばしば小節線を跨ぐ連符が現われる)を弾く。そのテクスチュアは音楽を聴きながらスコアを目で追うことすら不可能なほど錯綜しているが、耳で聴くとまるで薄いガラスの破片がきらきらと天から落ちてくるかのように美しい。二つ目は47小節目から57小節、今度は10挺のヴィオラと2台のコントラバスが、先程と同様、スル・ポンティチェロで錯綜した音楽を奏でる。3つ目は118小節目から128小節目、2本のフルートと1本のアルト・フルート、2本のオーボエと1本のイングリッシュホルン、2本のクラリネットと1本のバスクラリネット、ホルンに2本のファゴット、計12本の管楽器によって同様の音楽が繰り広げられる。それらを挿む4つの部分は非常にエネルギッシュな音楽であり、十二音技法を採用してからこの変奏曲までの諸作に特徴的な室内楽的手法はやや遠ざけられ、オーケストラのマッシヴな響きを活かす書き方がなされている。作曲者が80歳を超えて、最後の最後にめらめらと烈しい創作の炎を燃え上がらせたかのようだ。クラフトの鋭利な演奏も素晴らしい。

1965年から66年にかけて書かれた「レクイエム・カンティクルス」はストラヴィンスキー最後の傑作といってよいと思います。1966年10月8日、ロバート・クラフトの指揮によりプリンストン大学で初演されています。この後書かれたものとしては、ピアノと歌のための「ふくろうと猫」にフーゴー・ヴォルフとバッハの編曲くらいなもの。作品はヘレン・ブキャナン・シーガーの追悼のために書かれています。この人のことは良く分かりませんが、プリンストン大学のHPの中のヘレニズム研究という頁にその名が出てきます。作曲者自身はこの作品を「ポケット・レクイエム」と呼んでいたそうだが、レクイエムとはいうものの、入祭唱(Requiem aeternam)の前半がなく、キリエもサンクトゥスも無い等、テキストは短く切り詰められています。オーケストラ、合唱とも先程の「変奏曲」に見られたような極端な複雑さは排除されており、ある種の平明感、透明感がもたらされています。全体は9つの部分に分かれていますが、第1曲プレリュード、第5曲インターリュード、第9曲ポストリュードで二つの合唱曲とひとつのソロ曲のセットをシンメトリカルに挿む構造。
1.プレリュード
弦5部。弦の同音反復の刻みと、ソロの弦楽器が不安な歌を歌う部分が、各々非対照に拡大しながら交替する。
2.EXAUDI
フルート群とハープ、弦を中心とするオーケストラは極めて簡潔な書法。合唱も簡素で大変美しい。
3.DIES IRAE
弦・ピアノ・ティンパニの烈しい導入に続いて、金管群と合唱。このセットが何度か繰り返された後、フルート群、木琴とピアノ、2トロンボーンに合わせて合唱がパルランドで語る。最後に冒頭のセットが現われる。
4.TUBA MIRUM
2トランペットとトロンボーンとバスのソロ。終わりに2ファゴット。これも簡潔な楽章。
5.インターリュード
アルト・フルートを含む4本のフルートと4本のホルン、ティンパニの美しい和音の繰り返しが、「管楽器のためのサンフォニー」を思い起こさせる。4本のフルートによる四重奏の中間部を経て再び和音のテーマ。
6.REX TREMENDAE
簡素な四部合唱。対位法的な書法と同音反復的な要素との対比。
7.LACRIMOSA
動的・メリスマティックなアルト・ソロと、簡素でスタティックなオーケストラとの対比。
8.LIBERA ME
これは衝撃的な音楽だ。4人のソリストと、パルランドで語る合唱、そして4本のホルン。この不穏な響きはそれまでの音楽に無かったもの。同音反復を主とするシンプルな音楽だが、その伝統に対する破壊力は凄まじい。
9.ポストリュード
最後は天上の音楽。ホルンのオルゲルプンクトの上に、楔をうちこむような4フルート、ピアノ、ハープの和音。それにつづくチェレスタ・鐘・ヴィブラフォンによる天上的な音楽。このセットが3たび繰り返され、最後は楔が3度打ちこまれて終わる。
上記のとおり、音楽のテクスチュアのみならず、形式的にも簡素なものを志向しているのは明らかですが、しかしそこから得られる感動は並々ならぬものがあります。演奏も素晴らしい。クラフトの指揮、グレッグ・スミスの指導による合唱団のレベルの高さには舌を巻く思いがする。


さて、全部で22枚を聴き終えて、もう少しだけ書きたい事があるが稿を改めて次回に回したい。
by nekomatalistener | 2012-10-07 19:40 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その21)

8月31日のサントリーホールにおけるクセナキス「オレステイア」公演、仕事で行けなかったのだが悔いが残る。様々なブログでの絶賛の嵐を見ると、なんとしてでも行くべきだった・・・



CD21枚目は”Sacred Works Vol.2”。

 ①カンティクム・サクルム-聖マルコをたたえて(1955/1956初演) [1957.6.19録音]
 ②イントロイトゥス(T.S.エリオット追悼)(1965/1965初演) [1966.2.9録音]
 ③説教、説話と祈り(1960~61/1962初演) [1962.4.29.録音]
 ④アンセム「鳩は空気を引き裂いて降りる」(1962/1962初演) [1962.4.29.録音]
 ⑤トレニ(預言者エレミアの哀歌)(1957~58/1958初演) [1959.1.5&6.録音]

 
 ①リチャード・ロビンソン(T)、ハワード・チジャン(Br)、ロサンゼルス祝祭合唱団・交響楽団
 ②グレッグ・スミス・シンガーズ、コロンビア室内Ens.
 ③シャーリー・ヴァーレット(Ms)、ローレン・ドリスコル(T)、ジョン・ホートン(語り)
  CBC交響楽団(合唱はクレジットがないが録音日より④と同じと思われる)
 ④トロント祝祭合唱団(合唱指揮:エルマー・アイスラー)
 ⑤ベサニー・ビアズレー(Sp)、ベアトリス・クレブス(A)、ウィリアム・ルイス(T)、ジェームス・ウェイナー(T)
  マック・モーガン(Br)、ロバート・オリヴァー(Bs)、ザ・スコラ・カントールム(合唱指揮:ヒュー・ロス)
  コロンビア交響楽団

ストラヴィンスキーの最晩年、十二音技法を取り入れてからは正に「傑作の森」と言ってよいと思いますが、正直なところごく一般的なリスナー(いわゆるクラシック音楽の愛好家)からすればこれほど敷居の高い作品群もないような気もします。このあたりになると日本語版のwikipediaには殆ど情報がないようですので、少しだけ作品の背景なども書いておきます。
ヴェネツィア現代音楽ビエンナーレの委嘱により1955年に書かれた「カンティクム・サクルム」は、サン・マルコ聖堂の5つのドームに倣ってdedicatioと名づけられたヴェネツィア讃歌に続く5つの楽章から成っています。テキストはウルガタ聖書によるラテン語。歌詞はマルコによる福音書、申命記、旧約雅歌、詩篇、ヨハネによる福音書の継ぎはぎですが、冒頭のDedicatioのみ出典が判りませんでした。
テノール、バリトン、混声合唱、オルガンを含むオーケストラ。オケはかなり大規模なものですが、弦はヴァイオリンとチェロが無く、コントラバスとヴィオラのみの編成。多彩な管楽器もクラリネットとホルンを欠いており、フルートは第2楽章のみ。詩篇交響曲も良く似た編成でしたが、官能的な音響というものを注意深く排除した結果でしょう。また、トゥッティは第1楽章と第5楽章のみで、その他はごく僅かの楽器による室内楽的な書法。
序章Dedicatio”Urbi Venetiae”「ヴェネツィアの街に向かいて、その守護者、使徒なる聖マルコを讃へよ」。テノールとバリトンのソロ、3本のトロンボーンによる短い序章。ここはへ長調とも教会旋法ともとれる部分ですが、終わりはGとDの完全5度で終止します。
第1楽章Euntes in mundum「全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傅(のべつた)へよ(マルコ16:15)」。十二音技法採用前のストラヴィンスキーの書法による壮麗な合唱。途中2度、オルガンによるリトルネロが挿入されます。
第2楽章Surge,aquilo「北風よ起れ 南風よ來れ 我園を吹てその香氣を揚(あげ)よ ねがはくはわが愛する者のおのが園にいりきたりてその佳き果を食(くら)はんことを(雅歌4:16)。わが妹わが花嫁よ 我はわが園に入り わが沒藥と薫物(かをりもの)とを採り わが蜜房と蜜とを食ひ わが酒とわが乳とを飮(のめ)り わが伴侶等(ともだち)よ 請ふ食へ わが愛する人々よ 請ふ飮あけよ(雅歌5:1)」。ここから完全に十二音技法によって書かれています。テノール・ソロとフルート、コールアングレ、ハープ、3台のコントラバス・ソロという室内楽の繊細な響きが実に美しい。
第3楽章Ad Tres Virtutes Hortationes「汝心を盡し精神を盡し力を盡して汝の神ヱホバを愛すべし(申命記6:5)。愛する者よ、われら互いに相愛すべし。愛は神より出づ、おほよそ愛ある者は、神より生れ神を知るなり(ヨハネの第一の書4:7)。ヱホバに依頼むものはシオンの山のうごかさるることなくして永遠(とこしへ)にあるがごとし(詩篇125:1)。我ヱホバを俟(まち)望む わが霊魂はまちのぞむ われはその聖言によりて望をいだく(詩篇130:5)。わがたましひは衛士があしたを待にまさり 誠にゑじが旦(あした)をまつにまさりて主をまてり(詩篇130:6)。われ大になやめりといひつつもなほ信じたり(詩篇116:10)」。テノールとバリトンのソロ、合唱。ここでもオーケストラの各楽器は一斉に鳴らされることはなく、極めて禁欲的な使われ方をしています。合唱の入りは精緻極まりないカノンで書かれており、ちょっとだけ簡略化した譜例を掲げておきますが、テノールが基本音列によってDiliges Dominum Deumと歌い出すと、トランペットが半音下で倍の音価でこれを追い掛け、次いでアルトが半音上の反行形、ソプラノが完全2度上の基本形でカノンを形成しているのがお判りだろうと思います。
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この精緻極まりないカノン、スコア分析の面白さもさることながら、耳で聴いても息を飲むような精妙な響き、美しい対位法の綾を感じることが出来ます。ここにはストラヴィンスキーのバッハ研究の最良の成果が表れていると思います。
第4楽章Brevis Motus Cantilenae「イエス言ひたまふ「為し得ばと言ふか、信ずる者には、凡ての事なし得らえるるなり」その子の父ただちに叫びて言ふ「われ信ず、信仰なき我を助け給へ」(マルコ9:23-24)。第2楽章と対をなすバリトンと合唱の室内楽。オーケストラはほぼフルで使われていますが、トゥッティはなく、ごく節約された書法。ここでも途中合唱によるフーガが出てきます。
第5楽章Illi autem profecti「弟子たり出でて、あまねく福音を宣傅へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言(みことば)を確(かた)うし給へり(マルコ16:20)」。第1楽章の再現で、この壮大な作品はシンメトリカルに終止します。
オーケストラ、合唱団とも音楽祭の為の寄せ集めだと思いますが素晴らしい演奏です。指揮も、このあたりになると付き人のロバート・クラフトの助けがあってのことだろうと思うけれど実に精緻。何度でも言う、ストラヴィンスキーの指揮を「ヘタウマ」なんぞという輩ども、でてきて頭を丸めなさい。
宗教曲、特にラテン語のそれの歌詞など気になさらない方も多いかと思いますが、私は音楽における言葉の重要性というものを堅く信じていますので、ついこんな作品でも何が歌われているのか知りたくなるのです。CDには対訳がついておらず、海外のサイトも調べましたが適当なものが見つかりません。結局自分で引用データから歌詞を再構成してみました。自分自身の備忘の為ということもあって随分長々と書いてしまいました。

T.S.エリオットの追悼に書かれた「イントロイトゥス」は、男声合唱と、ハープ、ピアノ、タムタム、ティンパニ、ヴィオラとコントラバスのソロの為に書かれています。歌詞はラテン語によるレクイエムの「入祭唱Introitus」ですので、これは解説する必要はないでしょう。ピアノとハープは幾つかの和音を鳴らすだけ。これまた禁欲的な、というよりこの上なく厳しい響きの作品。合唱はところどころソット・ヴォーチェのパルランドで囁くように歌う。エリオットへの個人的な追悼の想いがこのような作品を書かせたのでしょうが、ほとんど聴く者を拒絶するような峻嶮さには言葉もありません。ストラヴィンスキーのミザントロープここに極まれり、といったところ。

パウル・ザッヒャーの指揮、バーゼル室内管弦楽団によって1962年2月23日に初演された「説教、説話、祈り」については、数あるストラヴィンスキーの作品の中でも最も情報に乏しいものではないでしょうか。海外のものも含めて歌詞の出典の載っているサイトはほぼ皆無といった状況。全編十二音技法で、蚕が繭を作るように精緻に織りあげられた作品。アルトとテノール二人のソリストと語り手、合唱とオーケストラのために書かれていますが、オーケストラはほぼ2管編成で弦は8・7・6・5・4の5部。但し、トゥッティで奏される部分は殆どなく、全編ウェーベルン風の点描手法で書かれています。合唱は4部のそれぞれが所々ニ分されて複雑極まりない対位法をなし、その演奏は極度に困難なものと思われます。語り手は比較的自由に喋る部分と、シュプレッヒシュティンメでリズムを厳格に指定している部分の両方があり、語りから歌へと自在に繋がっていくように書かれています。この音楽の複雑さ、演奏の至難さというのはちょうどウェーベルンの作品10番台後半の室内楽附きの歌曲から作品20の弦楽三重奏曲に至る複雑さに近いものがあると思います。
第1楽章「説教」の歌詞は次の通り。
 We are saved by hope,
 But hope that is seen is not hope.
 For what a man sees why does he yet hope for?
 The substance of things hoped for is faith.
 The evidence of things not seen is faith.
 And our lord is a consuming fire.
 If we hope for what we see not,
 Then do we with patience wait for it.
いろいろ調べてようやく、これは「ローマ人への手紙」8:24-25、「ヘブライ人への手紙」11:1、12:29を継ぎ接ぎしたものということが判りました。
第2楽章「説話」、語り手と歌手に受け渡されながら語られる歌詞は「使徒行伝」の第6章から第7章、聖ステパノの殉教のくだりを自由に編集したものらしい。
第3楽章「祈り」は1960年に没したジェームス・マクレーン師(この人については情報が殆どありませんが、デンヴァーのThe Church of the Ascensionの司祭をしていた人物にその名がありました)に捧げられていますが、タムタムが鳴り渡る中のアレルヤの祈りは、死の気配に満ちているようにも思われます。容易なことでは近付きがたい、まことに狷介な音楽。聴くほどに魅力の増す音楽ではあるが、これは人気がないのも致し方ないという気がします。歌詞はトマス・デッカー(1570?-1632)の詩から採られているが、Project Gutenbergで検索しても原詩は見つかりませんでした。先程も書いた通り、この作品には極めて情報が乏しいのでこの第3楽章の歌詞も挙げておきたい。
 Oh my god, if it bee Thy Pleasure to cut me off before night.
 Yet make me, my Gratious Sheepherd, for one of Thy Lambs
 To whom Thou wilt say, "Come You Blessed"
 And cloth me in a white robe of righteousness
 that I may be one of those singers who shall cry to Thee Alleluia
演奏については何と言っても二人のソリストが素晴らしいと思う。オーケストラ、合唱ともその演奏の至難さを思えばよくぞここまで、というくらいの健闘。

無伴奏4部合唱の為の「アンセム」は、ケンブリッジ大学が1960年に「あたらしい英語の聖歌集」を作ろうと何人かの作曲家に委嘱したものの一つ。十二音技法による大変美しい作品で、その密やかなアカペラの響きは、当然のごとくウェーベルンの「軽やかな小舟にて逃れよ」Op.2を連想させます。音列に現われる短3度の音程を活かして、最後はあたかもヘ短調に終止するように聞こえるのも、ウェーベルンのOp.2がふわふわと無調の響きをさまよった末にト長調に終止するのと似ています。トロント祝祭合唱団は多分臨時編成の寄せ集めだとは思うが大変けっこうな演奏。こういった現代作品に関しては北欧を中心にもっと精緻な演奏を聴かせる合唱団もあるだろうが、私には十分に美しい演奏だと感じられました。T.S.エリオットのテキストは著作権の関係がどうなっているのかよく分からないので載せません。ただし、この「リトル・ギディング」の中の詩「鳩は空気を引き裂いて降りる」は、原詩・翻訳ともネットで容易に見つかると思います。

6人のソリストと合唱、オーケストラのための「トレニ」は「カンティクム・サクルム」同様ヴェネツィア現代音楽ビエンナーレの為に書かれ、1958年9月作曲者の指揮により初演されました。ちなみに数ヶ月後のパリ初演はピエール・ブーレーズが指揮をしたのですが、この時は適当な奏者が得られず途中で何度も止まるなど惨憺たる出来だったそうで、ストラヴィンスキーはずっと恨みに思っていたとのこと。
歌詞は冒頭の"Incipit lamentatio Jeremiae Prophetae" (ここに預言者エレミアの哀歌始まる)以外はすべて旧約聖書の「哀歌」から抜粋されていますので、大意はそちらをご覧いただきたいのですが、ストラヴィンスキーはこの「哀歌」から第1章、第3章、第5章の一部だけを取り出して曲を付けています。例えば第1曲では第1章第1節「ああ哀しいかな古昔(むかし)は人のみちみちたりし此都邑(みやこ) いまは凄(さび)しき樣にて坐し 寡婦(やもめ)のごとくになれり 嗟(ああ)もろもろの民の中にて大いなりし者 もろもろの州(くに)の中に女王たりし者 いまはかへつて貢をいるる者となりぬ」、第2節「彼よもすがら痛く泣きかなしみて涙面(かほ)にながる」、第5節「その仇(あだ)は首(かしら)となり その敵は享(さか)ゆ その愆(とが)の多きによりてヱホバこれをなやませたまへるなり」、第11節「ヱホバよ見そなはし我のいやしめらるるを顧りみたまへ」、第20節「ヱホバよかへりみたまへ 我はなやみてをり わが膓(はらわた)わきかへり わが心わが衷(うち)に顛倒す 我甚しく悖(もと)りたればなり 外には劍ありてわが子を殺し 内には死のごとき者あり」を繋げてテキストとしているといった具合。オーケストラはほぼ3管編成の大規模なもので、中にはサリュソフォーンやB管のフリューゲルホルンといった(吹奏楽ではともかく)クラシックでは珍しい楽器も含まれています。特に第1楽章でのテノールのソロとフリューゲルホルンとの掛け合いはとても美しく、この楽器特有の白痴美とでも言いたいような甘く滑らかな音色によって目が眩むような官能的な響きが聞かれ、テキストとのある種の衝突、異化効果をもたらしています。晩年の多くの作品同様、オーケストラは極めて禁欲的な使われ方をしていて、特に第2楽章の前半、テノールとバスのソロが歌う部分は、かなり長大であるにも関わらずオーケストラは殆ど沈黙しています。Andrew Kunsterの”Stravinsky's Topology”には「トレニ」の音列技法に関する浩瀚な分析が載っており、私も全て読んだわけではありませんがこれは1958年までの作曲者のメチエの集大成である、という感じがします。音列技法はともかく、ここに見られる多彩なポリフォニーの技法も詳細に分析すればさぞ面白いだろうと思いますが、特に第2楽章冒頭、テノール・ソロのモノディから始まって、バスとのカノン、次いでバスが一人増えて3声のカノン、4人のソリストによる二重カノン、と(カンティクム・サクルム同様)バッハの晩年の作品を思わせる複雑な書法が続く部分は素晴らしいと思います。いずれにせよこの長大な作品はちょっとやそっと聴いたぐらいでは「判った」という気にならないのですが、手元にクラヴィノーヴァさえない現状ではこれ以上の分析はちょっと困難。
演奏については、録音時の1959年当時としてはこれ以上のものを望むのは不可能だろう、というぐらいの出来栄え。ブーレーズがこの作品を(多分)録音していないのはパリ初演の時のトラウマだろうか?
by nekomatalistener | 2012-09-11 00:07 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

クルシェネク作品集 KRENEK conducts KRENEK

映画「ヘルタースケルター」で一番得したのは戸川純かも。ってか、おじさんは彼女の復活の兆しが素直にうれしい。




エルンスト・クルシェネクの自作自演集を聴いてみました。


  ①弦楽オーケストラの為のシンフォニエッタ「ブラジル風」 Op.131(1952/1953初演)
  ②2台ピアノとオーケストラの為の協奏曲 Op.127(1951/1953初演)
  ③オーケストラの為の11の透かし絵 Op.142(1954/?)
  ④小オーケストラの為の「クエスチオ・テンポリス」 Op.170(1959/1959初演)
  ⑤鎖・円・鏡 ― オーケストラの為の交響的素描 Op.160(1957/1958初演)

   クルシェネク指揮北ドイツ放送交響楽団
   ゲルティ・ヘルツォーク&ホルスト・ゲーベル(pf)
   ①②③1964.6.24-26④1960.9.29-30⑤1958.10.26-27録音
   CD:EMI 7243 5 62858 2 8 NDR10082

以前何度か、ストラヴィンスキーが1952年以降十二音技法を採用するにあたって、クルシェネクを導き手としたことに触れました。このクルシェネクErnst Krenekという人、私の世代が若かりし頃は(多作家であるにもかかわらず)せいぜい「ジョニーは弾き始める」ぐらいしか知られておらず、その所為でぼんやりとではあるが、ハンス・アイスラーやクルト・ヴァイルの亜流のようなイメージだけが先行し、甚だ輪郭のはっきりしない謎に満ちた作曲家ではありました。だいたい名前からしてクルシェネクと呼ばれたりクシェネックと呼ばれたり、あるいは英語読みでクレネックと表記されることもあり(どだいチェコ語のřをカタカナ表記すること自体無理がある、ドヴォルザークDvořákも耳で聴けばドゥヴォジャックみたいに聞こえるだろう)、もうそれだけで敷居の高い感じがしていたものです。
今回、まさにストラヴィンスキーが十二音技法を採用する前後、1950年代の作品を聴いて、初めてシェーンベルクの(良くも悪くも)正当な後継者としての姿を知ることになりました。ストラヴィンスキーの晩年の作品から推し量って、やや折衷的な作風を想像してましたが実際には全く違うものだった訳です。1900年に生れ、若い頃はジャズやら新古典主義やら、時代の最先端の潮流に乗って作曲活動を行い、やがてナチスから退廃芸術の烙印を押されて1938年にアメリカに亡命、以降十二音技法による作品を書き続けた、というのがwikipedia風の要約ということになりますが、このディスクに収められた1951年から59年の諸作を聴くと、この9年の間ですら顕著な作風の変化が感じられ、全貌を掴むのは極めて困難な作業だというように思います。

1952年の「シンフォニエッタ」は、リオデジャネイロで完成され、翌年シュトゥットガルト室内管弦楽団により初演されました。「ブラジル風」という副題が附いているけれども全くそんな感じがなくて、序奏附き急緩急の3楽章形式によるシェーンベルク流の極めて緻密に書かれた音楽。ここにはウェーベルンの抒情性や、ベルクの殆ど「大衆的」といってもよい取っつき易さは無く、息苦しいまでの濃密な表現主義的世界が展開されており、面白いと言えば面白いのだが、1952年当時としては些か古めかしい感じもします。
ミトロプーロスの委嘱により1951年に作曲され、53年ニューヨーク・フィルによって初演された「2台ピアノのための協奏曲」も実にシェーンベルク的。形式的には古典的な4楽章から成るものの、ここには協奏曲という呼び名に人が期待するような華やかなヴィルトゥオジテも無ければ、人を陶酔させる美しいカンティレーナも無く、ひたすら生真面目な音楽が続く。ピアノ・パートはかなりの技巧を要しそうで、ピアニストもそれなりのカタルシスを感じるだろうが、エクリチュールという点でシェーンベルクが開拓した世界を一歩も出ていない感じがする。亡命ユダヤ人たちが新大陸で、甘く人にすり寄るような映画音楽やミュージカルで成功するのを横目で見ながら、この人は一体どのような心境でこれらの作品を書いていたのだろうか。また、同じロサンゼルスに住んでいたストラヴィンスキーは、このような音楽から何を感じ取っていたのか。以前の投稿で、幾度か晩年のストラヴィンスキーのミザントロープの問題を提起しておいたが、それと関係があるのだろうか。
ルイスヴィル管弦楽団の委嘱により1954年に書かれた「11の透かし絵」も、無調時代のシェーンベルクを彷彿とさせるようなミニチュア形式による作品。各曲1~2分台の極めて短い時間にみっちりと音が、というより内実が詰まっている印象を受ける。Garrett H.Bowlesによるカタログには各曲に闇とか稲妻とか波といった表題が附いているそうだが、これはまぁ気にする必要もなかろうと思います。しかしこれも1954年という年代を考えれば、スタイルとしては古色蒼然という感じがします。
1959年に書かれ、ハンブルクで作曲者指揮北ドイツ放送交響楽団によって初演された「クエスチオ・テンポリス」は、このディスクでは最も面白い作品でしょう。先の3作品に見られたシェーンベルクの呪縛からようやく解放され、一気に戦後の自由な息吹に満ち溢れたダルムシュタットの世界に一歩近付いた感じがします。多彩な打楽器を含むオーケストラがたゆたうようにあちこちで明滅しながら、18分弱という長い時間を掛けて徐々にテンポをあげ、音の密度が増していく。過去の(というよりドイツ・オーストリアの)伝統から離れて、これぞ現代音楽の美というものが現われています。所謂トータル・セリエリズムとは一線を画した書法ながら、これは師匠のシェーンベルクも為し得なかった世界だ。
1957年パウル・ザッヒャーの委嘱によって書かれ、翌年バーゼル室内管弦楽団によって初演された「鎖・円・鏡」は、「クエスチオ・テンポリス」と作曲年代が逆転しているので、順番に聴いていくと少し様式的に後退しているように感じられるのが、ある意味実に愉快。タイトルから想像するに、スコアを分析すればさぞかし面白い知的企みが仕込まれているのでしょうが、耳で聴く限りやはり一時代ずれている、と思わざるを得ない。もっとも最初の3曲に比べれば遥かに自由度の増した書法ではある。

作曲者自身の指揮による北ドイツ放送交響楽団の演奏、比較の対象もなく上手いとか下手とか言うのは不可能ですが、緊張感のある良い演奏だと思います。録音も鮮明だが、協奏曲のソロは幾分オフに録られていて、ピアノ弾きとしては若干フラストレーションが溜まります。

随分長生きして、作品番号にして242という膨大な作品を残したクルシェネク。この一枚のディスクだけでああだこうだと分かった風なことは言えませんが、結論から言えば本当に面白いCDでした。残念ながらそれほどCDが沢山出ている訳でもないようですが、これから少しずつ他の作品も聴いてみたいと思います。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2012-08-27 21:50 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その20)

友人とモツ鍋屋に行った時の話。そろそろ鍋も終わる頃、彼がメニューを見ながら「このアルファーのラーメンってどんなんかな?食べてみたいなぁアルファーのラーメン・・・」というので頼んでみることに。彼、店のお姐さん呼んでメニューを指さして「このアルファーのラーメンください」というとお姐さん、しばらく考えてから爆笑。メニューには丸っこい字で「〆のラーメン」と書かれていた。




この自作自演シリーズも残り僅か。CD20枚目は"Sacred Works vol.1"というタイトルが附いています。

  ①J.S.バッハ「高き天よりわれは来れり」によるコラール変奏曲の編曲(1955~56/1956初演)
    [1963.3.30録音]
  ②カンタータ「星の王」(1911~12/1939放送初演) [1962.11.29録音]
  ③アヴェ・マリア(1934) [1964.5.8録音]
  ④クレド(1932/1949,64改訂) [1965.8.20録音]
  ⑤パーテル・ノステル(1926/1949改定) [1964.5.8録音]
  ⑥古い英語のテキストによるカンタータ(1951~52/1952初演) [1965.11.27、1966.2.10録音]
  ⑦ミサ曲(1944,47~48/1948初演) [1960.6.5.録音]
  ⑧カンタータ「バベル」(1944/1945初演) [1962.11.29録音]
 
  ①②③⑤⑧トロント祝祭合唱団(エルマー・アイスラー指揮) ①②⑧CBC交響楽団
  ④⑥⑦グレッグ・スミス・シンガーズ ⑥アドリエンヌ・アルバート(Ms)、アレクサンダー・ヤング(T)
  ⑥コロンビア室内アンサンブル ⑦コロンビア交響楽団 ⑧ジョン・カリコス(語り)

まずは「古い英語のテキストによるカンタータ」から行きましょう。このメゾソプラノとテノール、女声合唱と室内楽(2フルート、オーボエ、コールアングレ、チェロ)の為の作品、あまり知られていない作品だと思うけれど傑作だと思います。「レイクス・プログレス」を書き終えてすぐに作曲を開始し、同時期の「七重奏曲」と同じく、1953年以降の12音技法を採用した作品群と極めて近い世界、深い抒情性に満ちた世界が体現されています。53年の「シェイクスピアの3つの歌」と並んで、この時期を代表する作品です。調性の範囲内で、一種の音列の操作による作曲法を取り入れているとのことだが、耳で聴くと、奇数楽章の旋律の繰り返しや、第4曲で何度も現われるリトルネッロの旋律が耳によく馴染んでとても聴きやすい。演奏も非常に優れています。歌詞は、http://www.recmusic.org/lieder/assemble_texts.html?SongCycleId=5997
というサイトに載っているのを発見しましたが、なんせ15世紀から16世紀にかけての古い英語なので何となく雰囲気は分かっても細かいところが分からなくて難儀します。例えば第1曲の第1節はこんな感じ。
  This ae nighte, this ae nighte,
  Every nighte and alle,
  Fire and sleete and candle-lighte,
  And Christe receive thy saule.
ストラヴィンスキーは原詩のfleeteをsleeteに変えていますが、それはともかく古英語がどんなものかお判り頂けると思います。困り果てていると、この第1、3、5、7曲目のテキストの元になったA Lyke-Wake Dirge(通夜の挽歌)という詩にブリテンが作曲していることを発見(Op.31-5)、これなら、以前にも紹介したサイト「梅丘歌曲会館」
http://umekakyoku.at.webry.info/
に邦訳が載っており、ようやく歌詞の意味が分かった次第。全体の中心となる長大な第4曲目、"Tomorrow Shall Be My Dancing Day"はキリストの受難を描いたものだとは判りますが、やはり細部が読解困難。イギリスでは有名なキャロルのようで、ホルストが同じ詩に作曲しているようですが(Op.34-1)、邦訳は入手できませんでした。その他第2曲、第6曲はお手上げ。第2曲はピーター・ウォーロックが、第6曲はジョン・タヴナーがやはり曲を附けているようですが私は全く知らない領域。イギリスのキャロルもいずれまとめて聴いてみよう。宝の山が待っているのか、収集地獄に嵌るのか知らないけれど・・・。

「ミサ曲」も掛け値なしの傑作だと思います。1926年以降、ストラヴィンスキーはロシア正教会のcommunicant(領聖者)であったといいますが、誰かの委嘱という訳でもなく、ロシア正教の忌避する管弦楽附きのカトリックの典礼音楽を書いた理由はよく分かりません(モーツァルトのミサ曲の華美さに対するアンチテーゼだと本人は言ってるようですが、これは本当のところ理由になっていません)。それはともかく、ヨーロッパで何千何万と書かれたミサ曲の歴史の中においても、この作品の美しさは際立っているように思います。特にグローリアにおける少年の二重唱や、アニュス・デイの移ろいゆく和声の殆どロマンティックといってもいいくらいの響きなど、天才的な筆致で書かれています。それは近代に書かれたミサよりも、ゴシックからルネサンスにかけての古風なミサに時空を超えて結びついているような気がします。ストラヴィンスキーはソプラノとアルトは少年の声が望ましいとしたようだが、ここではソロは少年で合唱は大人の女声が混ざっているようだ。これは純粋に実際の演奏上の技術的問題でしょう。しかしグローリア冒頭の名も知らぬ少年の二重唱はとても美しい。美しすぎて、エロスの排除が却って官能を呼び覚ますとでも言いたくなるほどだ。そして管楽器のみの特異なオーケストラ(2オーボエ、コールアングレ、2バスーン、2トランペット、3トロンボーンによる二つの管楽五重奏)。この声と器楽両面のアルカイックな響きが、古様式のミサを連想させるのでしょう。第3部の冒頭のCredo in unum deumは司祭がソロのグレゴリオ聖歌で歌う前提で音楽が附けられていない等、意外なほど古いミサの様式を研究した形跡があるのも興味深い。この曲はバーンスタインも素晴らしい録音を残していて、それと比べるとこの自作自演盤はサンクトゥス冒頭のテノールのソロが少し素人くさくて見劣りがします。合唱も粗いところもあるが、しかしこの演奏から受ける感動はとてつもないものです。先程のカンタータにしてもこのミサ曲にしても、人気が無くて埋もれているのが本当にもったいないと思う。

その他の作品は簡単に。「高き天より我は来たれり」はバッハの原曲(BWV769)を9割方忠実になぞりながら、ところどころ原曲にない対旋律をいくつか挿入しています。バッハの原曲はコラールの提示と5つのカノン変奏からなり、8度のカノンに始まって5度のカノン、7度のカノン、8度の拡大カノンと続き、最後は様々な度数の反行カノンと、cantus firmus(コラールの定旋律)がソプラノとバスに分かれてカノンを形成するなど、バッハの対位法技法の粋を集めたもの。ストラヴィンスキーの追加した部分は、ペルゴレージの場合ほど大胆ではなく、ジェズアルドの時ほど忠実な編曲でもない。オルガンのコラールを合唱に戻したところが面白いと言えば面白いが、さすがのストラヴィンスキーもバッハ相手にどこまで遊んだものか躊躇っているみたいだ。このシリーズの次回で取り上げる予定の「カンティクム・サクルム」と同時進行で書かれたというから、これは一種の「対位法のお勉強」だったのかもしれません。

「星の王」、これは本当に天才的な作品で、1911年当時に既にずっと後のメシアンを思わせる和声が用いられていて驚かざるを得ません。これがあまり知られていないのは偏に、わずか5分ほどの演奏時間で合唱と4管の巨大なオーケストラが必要という経済上の問題だと思います。ブーレーズがクリーヴランド管弦楽団・合唱団を指揮した録音が素晴らしいですが、この自作自演は男性合唱が粗削りで、それはそれで別の魅力があります。

「アヴェ・マリア」「クレド」「パーテル・ノステル」はいずれもシンプルなアカペラの為の作品。背景にはロシア正教が教会での管弦楽の演奏を禁じていたこと(作曲者は演奏会ではなくて実際の典礼で歌われることを前提としていた)と、ストラヴィンスキー自身がアカペラでは単純な和声しか使えないと思っていたことが挙げられます。その結果として、素朴極まりない簡潔な美が生まれました。作曲者を伏せてブラインドテストされたら、誰もストラヴィンスキーとは分からないと思います。多分19世紀初頭のロシア聖歌かなんかだと思うだろう。CDの紙ジャケにアヴェ・マリアを1949年改訂版と書いてありますが、この教会スラヴ語でアーメンのないバージョンは1934年の初稿じゃないのかな?楽譜を持っていないので断言できませんが、前にも書いたとおり、このCDの諸データはちょっと怪しいところが多い。他の2曲も改定版と書いてあるが、いずれも後の改定はスラヴ語からラテン語への変更なので、これも間違いだろう。

「バベル」はナサニエル・シルクレットの発案で、聖書の創世記を題材に数人の作曲家が連作組曲を作った際の最終楽章となったもの。この「創世記組曲」、ストラヴィンスキーの他にもシェーンベルクやミヨー、カステルヌオーヴォ=テデスコなどが参加しています。シルクレット自身はもっと描写的な、もっと言えばスペクタクルな音楽を期待していたようですがストラヴィンスキーは当然のことながらこれを拒否、結果はいつもながらのストラヴィンスキーらしい作品になっています。ストラヴィンスキーの中では特に優れているとも思いませんが、かっちりと書かれている感じはします。実はこの「創世記組曲」、全曲聴いてみたいと思ってamazonに発注しました。いずれ改めて感想を書いてみたいと思います。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2012-08-07 21:41 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その19)

ラムスデン現象(ラムスデンげんしょう、Ramsden phenomenon)は、牛乳を電子レンジや鍋で温めたりする事により表面に膜が張る現象である(Wikipediaより)。
・・・って、最初絶対「フェレンゲルシュターデン現象」みたいなやつだって思うよね。




”Oratorio-Melodrama Vol.2”と題されたCD19枚目は語り手、テノールと合唱、管弦楽のための大作「ペルセフォーヌ」の登場です。

  メロドラマ「ペルセフォーヌ」(1933~34/1934初演/1949改訂)[1966.5.4-7録音]
    ペルセフォーヌ: ヴェラ・ゾリーナ(語り)
    ユーモルプ: ミシェル・モレーズ(T)
    イサカ・カレッジ・コンサート合唱団
    テキサス・フォート・ワース少年合唱団
    グレッグ・スミス・シンガーズ
    コロンビア交響楽団
  オード(1943/1943初演)[1964.3.13録音]
    クリーヴランド管弦楽団
  ジェズアルド・ディ・ヴェノーサ400年祭のための記念碑(1960/1960初演) [1960.6.9録音]
    コロンビア交響楽団

前回、「エディプス王」について書きながら、ストラヴィンスキーといわゆる6人組の意外なほどの芸術的立場の近さについて言及しました(2012年6月26日の投稿)。私はそのあたりの音楽には不案内ながら、ミヨーやオネゲルの舞台作品についても少し触れた訳ですが、このメロドラマ「ぺルセフォーヌ」を聴いても同様の感想を持ちます。もっともこの路線は、ストラヴィンスキーのアメリカへの移住によって一過性のものに終わった感じもしますが、少なくとも1926~27年の「エディプス王」から1933~34年の「ペルセフォーヌ」の間に書かれた諸作品(ミューズを率いるアポロ、詩篇交響曲、ヴァイオリン協奏曲etc)については、6人組の影響という視点から聴き直してみる必要を感じています。これまで見てきたストラヴィンスキーというのは、ロシア人としての顔とコスモポリタンとしての顔の両面を時に使い分けつつ見せてきたわけですが、このペルセフォーヌについては6人組以上にフランス人に同化した姿を見せているように思います。少なくとも自身の独自性よりは彼らの作風への意識的接近が顕著であるように思う。大変美しい作品ですが、私にはどうも今一つ作品との壁があって、思う所がうまく言葉になりません。
それにしても、全編に亘ってフランス語による歌と語りが入るこういった作品で歌詞と対訳が添付されていないのは辛い。色んなサイトを探してみたが、著作権の関係からかフランス語のリブレットを発見できませんでした。アンドレ・ジッドによるテクストは、古い新潮社の「アンドレ・ジイド全集Ⅴ」(昭和25年)に翻訳が載っており、これを取り寄せてようやくテクストの意味が分かったような次第。6人組風の作風は、ストラヴィンスキーの他の作品よりむしろ一般受けするような気もするだけに、言葉が障壁になっていつまでたっても知られざる作品に甘んじているのならば惜しい話だと思います。ジッドのテクストはギリシャ神話のペルセポネー神話をほぼ忠実になぞりながら、ペルセフォーヌが自らの意思で黄泉の国に降りて行くとするのがミソなんだろうが、文学的素養のない私にはあまり面白いとも思えません。「強ひられなくてもいいのです。私は進んで法則(おきて)と言はうより私の愛が私を導く場所へ、一歩一歩、段々と降りて行きたいのです。人間の悲しみの底にまで。」(中村眞一郎訳。漢字は新字体に改めた)。ついでながら、この作品のコラボを通じてジッドとストラヴィンスキーの仲は随分険悪なものになったそうだ。理由はよく分からないが、ジッドがストラヴィンスキーの音楽的イディオムを理解しなかったのか、フランス語を母国語としないストラヴィンスキーの側に問題があるのか。今回は情報量が少なくて蘊蓄どころではありません(笑)。


余白のフィルアップとして短いオーケストラ作品が二つ納められています。
「オード」の2曲目はアメリカ移住後ハリウッドに居を構えたストラヴィンスキーが、1943年の映画「ジェーン・エア」の音楽のオファーを受けて書き始めたもの。ジェーン・エア役はジョーン・フォンテーン、ロチェスター役はオーソン・ウェルズ。この計画はハリウッドのある大物との衝突によって不調に終わり、書き始めていた狩の場の音楽をクーセヴィツキーからの新作委嘱に際して転用したとのこと。同時期の「ロシア風スケルツォ」や「ノルウェーの情緒」と同様、映画音楽との不幸な出会いを物語る作品です。各々eulogy(死者への追悼)、Eclogue(牧歌)、Epitaph(墓碑銘)と題された3部構成の全体にThe elegiac chant(悲歌)という副題が付せられているが、具体的に誰の追悼なのか分かりませんでした。正直なところ、悪い作品ではないけれど、このアメリカ移住の時期、1940年「ハ調の交響曲」から1945年の「3楽章の交響曲」に挟まれた数年間はやや不作の年、という感じがしなくもない。ちなみに、先程紹介した映画の音楽は結局バーナード・ハーマンが書いたのだが、この人は映画音楽の作曲家としては超が付くくらい素晴らしい人。ユダヤ系亡命ロシア人の息子。この人のことは改めて取り上げてみたいくらいだ。何と言っても遺作があのロバート・デ・ニーロの「タクシードライバー」ってんだから凄いよね。

もうひとつは1960年に書かれたルネサンス時代の作曲家ジェズアルドのマドリガーレの編曲。ストラヴィンスキーはこの数年前にもジェズアルドの編曲(「3つの聖歌」)を行っており、暗い半音階的和声進行と異常な不協和音が頻出するこの特異な作曲家への偏愛が偲ばれます。この「記念碑」の元ネタは、
 1.Asciugate i begli occhi (マドリガーレ集第5巻第14曲)
 2.Ma tu, cagion di quella (マドリガーレ集第5巻第18曲)
 3.Beltà, poi che t'assenti (マドリガーレ集第6巻第2曲)
ですので興味のある方はお聴きあれ。もう少し後に書かれたフーゴー・ヴォルフの編曲同様、特に何も附け加えない素直な編曲ながら、非常に優れたもの。おそらく元ネタを超える世界を実現しています。余談ながら、現代の音楽家にもこのジェズアルドは大人気なようです。シュニトケやシャリーノといった現代の作曲家が彼の生涯を元にオペラを書いているそうだし、数年前にポリーニが東京で行った現代音楽の祭典「ポリーニ・プロジェクト」ではジェズアルドのマドリガーレとルイジ・ノーノの「ディドーネの合唱」を組み合わせるという大変興味深い試みがなされていた。また、次の9月に来日するアルディッティ弦楽四重奏団の演奏会のプログラムはジェズアルドの編曲とファーニホウや藤倉大の新作との組合せ、これも凄そうだ。私自身はジェズアルドはほんの数枚レコードを持っているだけなので、いずれ体系的に聴いてみたいと思いながら果たせないままである。
by nekomatalistener | 2012-07-28 23:12 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その18)

さすがにケンタ食い放題(45分1200円)でモト取る気はないなぁ。




久しぶりのストラヴィンスキー自作自演集の感想シリーズ、CD18枚目は”Oratorio-Melodrama Vol.1”と題されています。

オペラ=オラトリオ「エディプス王」(1926~27/1927.5.30演奏会形式初演/1948改訂) [1961.1.20録音]
  エディプス: ジョージ・シャーリー(T)
  ヨカスタ: シャーリー・ヴァーレット(Ms)
  クレオン: ドナルド・グラム(Bs)
  ティレシアス: チェスター・ワトソン(Bs)
  伝令: ジョン・リアドン(Bs)
  羊飼: ローレン・ドリスコル(T)
  語り手: ジョン・ウェストブルック
  作曲者指揮ワシントン・オペラ・ソサエティ管弦楽団&合唱団

音楽劇「洪水」(1961~62/1962TV初演) [1962.3.28-31録音]
  語り手: ローレンス・ハーヴェイ
  ノア: セバスチャン・カボット
  ノアの妻: エルザ・ランチェスター
  神の声: ジョン・リアドン&ロバート・オリヴァー(Bs)
  ルシファー: リチャード・ロビンソン(T)
  呼びかける声: ポール・トリップ
  作曲者監修の下にロバート・クラフト指揮コロンビア交響楽団、グレッグ・スミス・シンガーズ

私にとって「エディプス王」と言えば何といっても1992年のサイトウ・キネン・フェスティヴァル松本におけるオペラ仕立ての公演。といっても生の舞台を観たのではないがBSで放送されたのが強烈に印象に残っているという訳。小澤征爾の指揮もジュリー・テイモワの演出も素晴らしく、ジェシー・ノーマンのヨカスタはこれ以上の歌唱があり得るとは思えないほど。冒頭の白石加代子の語りからしておどろおどろしく、暗黒舞踏のような演出が重厚なギリシャ悲劇の世界を描き出す。これは恐らく作品の本来の姿以上のものを現出させることが出来た、類稀な名演だと思います。
これを念頭に置いて自作自演盤を聴くと、最初は薄くて乾いたオーケストラの音響にちょっと拍子抜けしそうになります。ところがよくよく聴くと、この地中海的というか、明るいといってもよい音響によって人類の根源的悲劇が語られるのが何とも恐るべき効果をもたらしているように思う。ストラヴィンスキーの頭の中にある、本来の音(理想像)が見事に現実のものとなっていると思うのですが、その理想像とは1920年代のパリで、コクトーやクローデル達と、いわゆる6人組の連中のコラボが目指していた新しい芸術、すなわちサティの「ソクラテス」や「パラード」の世界から出発し、オネゲルの「アンティゴーヌ」やミヨーの「クリストフ・コロンブ」といった舞台作品に結実した芸術的潮流と関連があると見るべきでしょう。この辺りの音楽については私はあまり詳しくないので、これから色々と音源を集めたいと思っています。それにしても先ほど述べたような潮流を何と呼べばいいのか、新古典主義というのでは不十分、私が知らないだけかもしれませんが、適当な言葉がないですね。
この自作自演盤、歌手はやはりシャーリー・ヴァーレットのヨカスタが大変優れています。アリアの凛とした佇まいに時折狂気が閃くのが怖い。伝令のジョン・リアドンも素晴らしい。彼は先日紹介した「レイクス・プログレス」でニックを歌っていた歌手。突き刺すようなトランペットのファンファーレに続いて伝令がヨカスタの縊死を告げる場面は、まさに根源的悲劇と呼ぶに相応しく、アルカイックで格調の高い音楽に心が揺さぶられる思いがします。その他、エディプス役が少し弱い感じがしなくもないが、クレオン、ティレシアス等いずれも過不足ない歌唱だと思います。
この乾燥した響きとアルカイックな旋律によって生み出される表出力の強さというのは只事ではないのですが、どこかしら聴き手を選ぶというか、聴き手を突き放すような傾向があるのは否定できないと思います。脱線めきますが、これを聴いていて思い出したのが、(またかと言われそうですが)ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の1967年公開の映画「アポロンの地獄」(原題は”EDIPO RE”、すなわちエディプス王)。いや、題材が一緒だから、というのもあるけれど、からからに乾燥したギリシャの風景とか、一見舌足らずなほど簡潔な台詞、暗い情念のようなものを注意深く取り除いた表現、しかもなお立ちのぼる悲劇的なる何物か、こんなところが両者を結び合わせるような気がするのです。「アポロンの地獄」と「エディプス王」。ソポクレスの悲劇による、20世紀が生んだ偉大な2つの芸術作品。

「洪水」はストラヴィンスキーが珍しくテレビのために書いた作品。そのときの録画は残っていないようですが、ジョージ・バランシンの振り付けによるバレエが附いていたそうです。実にテレビ的というか、オペラでもオラトリオでもない不思議な作品ですが、結果としては単発の試みに終わった孤立的な作品という感じがします。このシリーズで何度か引用してきたJoseph N. Strausの”Stravinsky's Late Music”でもかなりの頁を割いて、この作品で用いられている音列操作の分析が挙げられていますが、より簡単にアクセスできる資料として、次のサイトを紹介しておきます。
http://home.earthlink.net/~akuster/music/stravinsky/objects/04-flood.htm
大変興味深い(人によっては大変辛気臭い・・・)論文ですが、実際に「洪水」を耳で聴いて感じるある種の平易さ、親しみ易さの原因としては、音列の操作の結果というよりは冒頭のヴァイオリンのトレモロによる5度の音形だとか、合唱によるTe Deumの、cis-disの繰返しが醸し出す一種の擬調性感によるところが大きいのではないかと思います。因みにこの合唱は基本音列(cis-h-c-fis-es-f-e-d-b-a-g-as)の反行形(cis-es-d-as-h-a-b-c-e-f-g-fis)の最初の6音から出来ていますが、cis-disが何度か繰り返された後の-d-gis-h-aの音形が、前半で生み出された調性感を歪める結果となっています。この図式は以前に取り上げた「兵士の物語」の冒頭4小節の分析(2011.10.27投稿)、仮にpseudo-tonalと述べたあの旋律と同様の構造ですね。こんなところに聴き易さ(というのが言い過ぎなら既聴感と言ってもいい)の一端が現れているのだと思います。
ストラヴィンスキー晩年の十二音技法による作曲手法、それは単純にシェーンベルクやウェーベルンから学んだというのではなくて、あくまでもストラヴィンスキーの眼鏡にかなった、彼自身のフィルターをくぐり抜けたものというべきであって、その導き手として彼が私淑し、採用したものはおそらくエルンスト・クシェネック、あるいはミルトン・バビットらのスタイルだと思われます。実際には当時の最先端の音楽というのはウェーベルンの後継と目されるような人達、ダルムシュタットでデビューしたような人達、ブーレーズやノーノもそうでしょうが、彼らこそが新しい音楽の旗手だったわけで、ストラヴィンスキーにしてもクシェネックにしても前衛の本流からは少し離れたところにいたのではと想像します。ただしこれは私の耳学問であって、私自身が彼ら(クシェネックやバビット)の作品を殆ど知らないので断言は出来ません。まだまだ自分自身の経験の裾野を拡げて行かねば、と痛感します。
お話は聖書のアダムとイヴの話からノアの方舟の話に至る自由な、というか他愛ないテキスト。晩年になって宗教的な作品が目立って多くなるストラヴィンスキーですが、この「洪水」をもって彼の信仰の拠って立つ所を云々するのは無理という他ない。聖書に題材を借りたテレビ向けエンタテインメント、というのが実態に近いような気がします。しかし音楽の方は本気も本気、特に洪水のスペクタクルな描写はなかなかのもの。
先程のサイトの音列分析は読むのにかなり骨が折れるが、登場人物毎に割り当てられた音列をトポロジカルに配列すると、そこに天上の世界と地の世界の位相が現れるというのはかなり魅力的な説であると思います。いや、そんなことは音楽の出来とか音楽的感動とは何の関係もないだろう、と憤激する向きもあろうかと思いますが、なに、バッハのスコアだってそんなトリヴィアだらけなのですよ。だからどうだ、と言うつもりもないが、ことさらむきになってこういったアナリーゼ、ひいてはその音楽自体を否定しようとする(世間によくある)言説には非常に幼稚な思考回路を感じます。いや、人様のことはとやかく言うまい。これはあくまでも私が猫またぎの名に懸けて一つの作品を味わいつくそうという過程の、その一端の紹介に過ぎない訳ですから。
by nekomatalistener | 2012-06-26 23:52 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その17)

会社で、人はすごくいいんだが仕事できないおじさん(いちおう管理職)にちょっと説教モードで話す時、気が付くと2丁拳銃の修士の嫁の由紀子さんみたいな話し方になってる。
「もー、ゴルフでお忙しいのは判るけど、仕事してから行ってくれへんかな」
「ちょとちょと、何してんの、もー、そろそろ管理職らしい仕事してくれへんかな」
「もー、ええかげんにしてっ!」
「もー(怒)」はゲイバーのママが客を叱るみたいな感じで発音してね。



CD17枚目は「レイクス・プログレス」の続きです。

【第2幕第3場】
1:ババのアリアとパントマイム
ロンドンのトムの部屋。ガラクタで足の踏み場もない。トムとババの朝食の場面。アリアの前半はババのナンセンスなおしゃべり、気の無い生返事をしていたトムは次第にいらいらして大声を挙げる。アリアの後半はババのヒステリー。トム、ババに鬘を被せて黙らせる。ババは置物のように固まってしまい、彼も眠りに落ちる。 ニックが出てきてガラクタをパンに変える怪しげな機械をトムの夢に現れさせる。
2:レチタティーヴォとアリオーゾ、二重唱、レチタティーヴォ
トムが目覚めると目の前に夢で見た機械がある。トムはこの機械があればこの世は天国になると有頂天になり、ニックのそそのかしに完全に嵌ってしまう。二人は投資家を募るため意気揚々と出かける。トムの歌は軽薄だけれど、「この善行で過去の罪が許されるなら、アンに相応しい男になれるだろうか」と呟く箇所だけは一瞬まじめな雰囲気になる。

【第3幕第1場】
3:(表記なし)
トムの屋敷のものが競売に掛けられている。アンが現れ、訪れた競売の客達にトムの消息を訊くが、あてにならない噂ばかりで借金で逃げていること以外は判らない。アンは自分で彼を探そうと誓う。
4:レチタティーヴォ、ゼレムのアリアと競売の情景
競売人のゼレム登場、競売が始まる。いくつかの品物を片付けた後、鬘とシーツにくるまれたババが落札され、鬘をはぎ取ると先程の場面のままのババがヒステリーの続きの状態で現れる。
5:ババのアリア、レチタティーヴォと二重唱
アンを認めたババは彼女に、トムがまだアンを愛していると告げ、彼のもとに行くよう優しく励ます。競売人は競売が台無しになったことを嘆くが、人々はむしろ面白い見ものだと思う。アンはババのこれからのことを心配するが、彼女は誇り高く立ち去ろうとする。二重唱のババの歌は優しさに溢れた絶品。ババは見た目は怪物だが、メゾソプラノ歌手なら一度は歌ってみたいと思うおいしい役柄ではないだろうか。トムとニックの脳天気な歌声が遠くから聞こえてくるが、ここにはBallad Tuneと記されている。
6:ストレットとフィナーレ
ババが威厳に満ちて荷物をまとめるようゼレムに言い附けると、彼は思わず執事のように甲斐甲斐しく世話をしてしまう。ババは競売客に向かって、「あんた達、今度あたしを見る時はお代を戴くわよ」と言いながら堂々と出て行く。

【第3幕第2場】
7:プレリュード
星のない夜、墓場。不気味な弦楽四重奏。
8:二重唱
不安になるトムに、ニックは一年と一日経ったので魂を支払えと悪魔の本性をむきだして告げる。
9:レチタティーヴォと二重唱
ニックはトムに最後のチャンスを与え、手にした3枚のトランプのカードを当てたら勘弁してやると言う。1枚目と2枚目のカードを次々と当てたトムは、アンの声を聞き、思わず「愛の他は何も要らない」と呟く。奇蹟が起き、トムは3枚目のカードも当てる。この場面は大半がチェンバロの伴奏だけで書かれている。モダンチェンバロが実に雄弁。
10:(表記なし)
賭けに負けたニックは地獄に堕ちるが、最後にトムに呪いを掛ける。トム正気を失う。「ドン・ジョヴァンニ」の地獄堕ちのパロディなんだろうけど、ストラヴィンスキーにしては随分とデモーニッシュな音楽。

【第3幕第3場】
11:トムのアリオーゾと狂人達とのダイアローグ。
舞台は精神病院。抒情的なアリオーゾ、美しいけれどところどころ伝統的な和声法を逸脱する音が混じっているのは、自分をアドニスだと信じていること以外は妙にまともなトムや、その他の狂人達(その多くはまともな受け答えをする)にぴったり。ヴィーナスの降臨に備えよというトムを馬鹿にする狂人達、そこに看守がアンを案内して入って来る。
12:レチタティーヴォ、アリオーゾ、二重唱、レチタティーヴォ・クァジ・アリオーゾ
トムがヴィーナス(アン)に許しを求める美しいアリオーゾと、アンとの二重唱。アンはトムを許し、胸に彼を抱く。トムが「ヴィーナスよ、玉座にお登りください。おお、慈悲深い女神よ、我が罪の告白を聞きたまえ」と歌うところはあまりの美しさに涙が出そうになる。
13:子守唄、レチタティーヴォと小二重唱
アンの歌う美しい子守唄。トゥルーラヴが娘を迎えに来て二人去っていく。父娘の二重唱の苦い味わいはストラヴィンスキーのただならぬ天才のなせる技だと思う。
14:フィナーレ、弔いの合唱
目覚めたトムはアンを探してアキレスやヘレナ、エウリディケー、オルフェウス達を呼ぶが、絶望して倒れる。このトムのアリオーゾはバロック風のメリスマに飾られている。狂人たちが出てきて、弔いの合唱を歌う。

【エピローグ】
15:鬘をとったババ、トム、ニック、アン、トゥルーラヴ登場、モーツァルトの「後宮からの逃走」あるいは「ドン・ジョヴァンニ」風に、このお話の教訓を皆で歌って幕。モーツァルト風でもあるし、ミュージカル風でもある。楽しく感動的なヴォードヴィル。


今回のブログを書くにあたって、昔はよく分からなかったこの作品を何度も聴き返し、すっかりその魅力にはまってしまいました。特に第3幕後半からエピローグにかけて、もう涙なしでは聴けないほどです。このオペラを書きあげた後、例の「シェーンベルク・ショック」を体験し、いよいよ最晩年の一連の十二音技法による作品群が書き始められますが、そういった意味でもこのオペラはストラヴィンスキーの1951年までの創作活動の総決算と言っても過言ではない。一人でも多くの音楽愛好家がこの傑作を耳にすることを願って已みません。
演奏も文句のつけようがない。歌手達も実に優れています。こういった現代オペラの録音となると、どうしてもニ流どころの歌手たちが適当に歌ってお茶を濁す、というケースが多いような気がするけれど、この録音に限ってはどの歌手も本当に素晴らしい歌唱を聴かせてくれます。その中でもババを歌っているレジーナ・サーファティと、ニックを歌うジョン・リアドンは特に素晴らしい。前者は、ババという怪物的な人物の、ハチャメチャでありながら威厳と慈愛に満ちた性格を見事に造形していますし、後者の、慇懃無礼な態度から妙に馴れ馴れしい態度に変わり、終盤悪魔の本性を顕わにしてからの豹変ぶりも鮮やかで間然するところがありません。正に不朽の名盤だと思います。
by nekomatalistener | 2012-05-27 19:00 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その16)

「さまよえるオランダ人」第3幕の水夫の合唱、Steuermann!Lass (die Wacht!)のところ、「アヤパンで~す」という歌詞で一回歌っちゃうと、もう勝手に脳内変換してそう聞こえるから不思議。



久しぶりのストラヴィンスキー自作自演シリーズ、CD16/17枚目はいよいよ大作「レイクス・プログレス」の登場です。

歌劇「レイクス・プログレス(The Rake's Progress)」(1948~51/1951.9.11初演) [1964.6録音]

  トゥルーラヴ: ドン・ガラード(Bs)
  アン: ジュディス・ラスキン(Sp)
  トム・レイクウェル: アレクサンダー・ヤング(T)
  ニック・シャドウ: ジョン・リアドン(Br)
  マザー・グース: ジェーン・マニング(Ms)
  トルコ人ババ: レジーナ・サーファティ(Ms)
  競売人ゼレム: ケヴィン・ミラー(T)
  看守: ピーター・トレイシー(Bs)

  コリン・ティルニー(ハープシコード)
  サドラーズ・ウェルズ・オペラ合唱団(指揮:ジョン・バーカー)
  作曲者指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

この世の中には、一度聴いただけでは決してその価値が判らない音楽、いや一度どころか二度三度聴いてもそんなに簡単に判ってたまるか、と謂わんばかりの作品ってものがあるのですね。ストラヴィンスキーの音楽の殆どに対して、聴けばヨダレが出てしまうパブロフの犬状態になる私ですが、昔リッカルド・シャイーの録音で「レイクス・プログレス」(その当時は「放蕩者のなりゆき」という邦題が一般的だったような気がします)を聴いて途方に暮れてしまったことを思い出します。正直に言えば、当時はその面白さがまったく判らず、駄作とすら思っていました。様式的にはいわゆる新古典主義様式、調性やリズムにおける過激さは意識的に抑制されており、部分的にはヘンデル風のアリアがあったり、箍の外れたモーツァルトといった音楽もあったり、平明で擬古典的な音楽。アリアや重唱、合唱をレチタティーヴォで繋いでいく番号付きオペラに則った構成原理、しかもレチタティーヴォ・セッコにはチェンバロ伴奏が附くという懐古ぶり。内容的にも音楽的にも、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」に倣ったと思われるところがあちらこちらに出てきます。どこといって難解な要素はないのに、耳が慣れない内はこの音楽の美点はなかなか見えてきません。
今回は(シャイーの録音は手元にないので)、ネットで入手した歌詞を訳しながら少しずつ聴き、ようやく作品の魅力に近づくことが出来たように思います。W.H.オーデンとチェスター・コールマンの格調高い英語の韻文のリブレットは、日常会話ではまず使いそうにない詩語や接続法の構文など、大学で英文科にいたような人はいざ知らず、一般のサラリーマンの英語力では相当辞書を引かないと理解できません。リブレットの読解にてこずりながらも、そのおかげで時間をかけて少しずつ作品を聴き、昔とくらべて随分と作品そのものが面白く感じられるようになりました。

CDのトラック毎に簡単に物語を紹介しておきます。
【第1幕第1場】
1:プレリュード
輝かしいファンファーレ。モンテヴェルディの「オルフェオ」風でもありイギリス・バロック風でもある。
2:二重唱と三重唱、レチタティーヴォ
郊外のトゥルーラヴの邸宅の庭。アンとトムの愛を語らう二重唱に続いて、二人の行く末を心配するアンの父トゥルーラヴとの三重唱。トゥルーラヴはプー太郎のトムにロンドンの会計事務所の仕事を紹介するが、トムは断る。トゥルーラヴは「あの子が選んだ男が真面目な男であれば、たとえ貧しくとも結婚を許そうと思うが、怠け者は許さん」という。トゥルーラヴが去ると、トムは「おいぼれ」と罵る。
3:レチタティーヴォとアリア
トムの歌う輝かしいアリア。「健やかな体と上々の気分、悪知恵があって心も軽い、堅気の仕事なぞまっぴら御免」「この世は所詮運次第、他人の為にあくせく働くものか、たとえ病に倒れようと雷に打たれようと、俺はずる賢く生きて行く」と歌う。「俺の人生は目の前に開けている。世界はかくも広いのだ。望みよ、来て俺の馬になれ、この乞食が乗ってやるぞ」と歌うところは突然の転調が効果的で素晴らしい。
4:レチタティーヴォと四重唱
トムが「それにしても金がほしい」と呟くと突然ニック・シャドウが登場し、トムの叔父がトムを莫大な遺産の相続人に指名して亡くなったと伝える。トゥルーラヴとアンも現れ、素直にこの話を喜び、父はすぐにも財産を相続しろという。ニックはすぐにトムとロンドンに発たねばならぬといい、馬車を呼ぶ。
5:小二重唱、レチタティーヴォ、アリオーゾと小三重唱
トムがニックへの報酬について尋ねると、それは一年と一日が経過した後に正当な対価を支払ってくれたらよい、と言う。トムはトゥルーラヴに、落ち着いたらアンをロンドンに呼ぶという。アンが着いたらロンドン中が彼女に跪くだろうと早くも大言壮語。トムとアンの別れの二重唱。トゥルーラヴは幸運が人を罪に誘うのではと心配する。小二重唱も小三重唱も美しいけれど、どこかモーツァルトの箍が外れたような感じ。

【第1幕第2場】
6:合唱
ロンドンのマザー・グースの娼館。娼婦と酔客達の合唱はミュージカル風の楽しいもの。これは亡命後アメリカでストラヴィンスキーが得た音楽的イディオムだろうか。
7:レチタティーヴォと情景、合唱、レチタティーヴォ
教理問答のパロディ風の情景。ニックと娼館の女将マザーグースはトムに美とは、快楽とは、と尋ね、トムは機知に富んだ定義をするが、ニックの「愛とは」という質問に動揺して答えられない。時計が1時の時を告げ、トムは帰ろうとするがニックの魔法で12時に戻る。娼婦と酔客の合唱。ニックはトムに歌を歌うようそそのかす。
8:カヴァティーナと娼婦達の合唱
トムは裏切られたアンの愛を思って後悔の歌を歌う。娼婦達はトムの悲しい歌に心動かされるが、マザーグースがトムの相手はあたしだよと言ってトムを連れていく。
9:合唱
空虚五度のドローンに始まるスコットランド舞曲風の合唱。ニックは「夢見るがいい。夢から覚めたらお前は死ぬのだ」と歌う。

【第1幕第3場】
10:レチタティーヴォとアリア、レチタティーヴォ
第3場はアンのソロによるモーツァルト風の大アリア。アン、トムからの便りがないと嘆くが、泣くばかりではだめ、トムは助けが必要かもしれないのだから、と歌う。オーボエとファゴットの淋しく美しいアコンパニャートは素晴らしい。アリアも抒情的で美しい。
11:カバレッタ
「あの人の下に行こう。愛はためらわない。たとえ避けられ、忘れられても見捨てはしない」。アンはロンドンに行く決心を歌う。モーツァルト風のフィオリトゥーラも出てくる。

【第2幕第1場】
12:アリアとレチタティーヴォ、アリア(繰り返し)
トムは享楽に満ちたロンドンの生活に倦怠感をおぼている。アンの事をふと思い出しそうになると、それを振り払うように威勢よく歌う、が最後に「ああ、幸せになりたい」と呟く。繰り返しのアリアの短い後奏は天才の自在な筆致。ストラヴィンスキー以外の誰にこんな音楽が書けようか。
13:レチタティーヴォとアリア
ニックはトムに愚かな常識に囚われた惨めな大衆について語り、トムに常識を超えた怪物、トルコ人のババと結婚するよう勧める。
14:二重唱とフィナーレ
ニックの提案にトムはすっかり元気を取り戻し、意気揚々と出かけて行く。

【第2幕第2場】
15:レチタティーヴォとアリオーゾ
アン、ロンドンのトムのもとにやってくる。心ははやるのに身がすくむアン。逡巡するかのような揺れ動く弦に、悲しいトランペットの調べ。イングランド風の行進曲が聞えてきて、召使達の奇妙な行列によって運ばれた輿からトムが降りてくる。不安を感じるアン。
16:二重唱、レチタティーヴォ
トムはアンを見て、帰るように諭す。ロンドンはお前の来るような街ではないと。アンは拒むが、輿からババが顔を出していつまで待たせるのかとトムに不平を言う。
17:三重唱とフィナーレ
アン・トム・ババの三重唱。トムからババを妻だと紹介され、全てを悟ったアンは立ち去る。ババ、人々の歓呼の声に答えてヴェールを取ると黒々とした髭が現れる。フィナーレの荘重な音楽はディアトニックな単純さにも関らず、作曲技法の粋を集めたストラヴィンスキーのいわゆる新古典主義様式の集大成という趣すらある。

CD16枚目はここまで。続きは次回に。
by nekomatalistener | 2012-05-22 23:37 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ストラヴィンスキー自作自演集WORKS OF STRAVINSKY (その15)

最近のお気に入り画像。
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CD15枚目は歌曲集。

  ①牧神と羊飼いの娘Op.2(1905~06/1908初演) [1964.5.8.録音]
    第1曲「羊飼いの娘」 第2曲「牧神」 第3曲「急流」
  ②ヴェルレーヌの2つの詩Op.9(1910/1951改定) [1966.9.26.&1964.12.11録音]
    第1曲「白い月影は」 第2曲「大いなる憂鬱な眠り」
  ③バーリモントの2つの詩(1911/1954改訂) [1967.1.24.録音]
    第1曲「忘れな草、愛のささやき」 第2曲「鳩」
  ④日本の3つの抒情詩(1912~13/1914初演/1943改定) [1968.6.10録音]
    第1曲「赤人」 第2曲「当澄」 第3曲「貫之」
  ⑤3つの小さな歌「わが幼き頃の思い出」(1906頃/1913改訂/1929~30編曲) [1964.12.11録音]
    第1曲「小さなかささぎ」 第2曲「からす」 第3曲「チーチェル・ヤーチェル」
  ⑥プリバウトキ(戯れ歌)(1914/1918初演) [1964.12.11録音]
    第1曲「コルニーロおじさん」 第2曲「ナターシュカ」 第3曲「連隊長」 第4曲「お爺さんとうさぎ」
  ⑦ねこの子守歌(1915~16) [1964.12.1録音]
    第1曲「暖炉の上で」 第2曲「部屋の中」 第3曲「ねんね」 第4曲「猫の飼い主」
  ⑧4つのロシア農民の歌(1914~7/1917初演/1954改訂) [1965.8.2録音]
    「チギサークの救世主教会の前で」「オヴゼン(古代の春の祭り)」「ノヴゴロド川の川かます」「太っちょ」
  ⑨4つの歌(1953~54) [1965.11.30録音]
    第1曲「雄がもの歌」 第2曲「異端派の歌」 第3曲「鵞鳥と白鳥」 第4曲「チーリンボン」
  ⑩シェイクスピアの3つの歌曲(1953/1954初演) [1964.12.14.録音]
    第1曲「汝妙なる調べよ」 第2曲「汝の父は五尋の水底に」 第3曲「まだらのひなぎく」
  ⑪ディラン・トーマスの思い出に(1954/1954初演) [1965.11.27.録音]
  ⑫J.F.ケネディのためのエレジー(1964/1964初演) [1964.12.14.録音]
  ⑬ふくろうと猫(1966/1966初演) [1967.8.18録音]
  ⑭子供のための3つのお話(1915~17)から「チーリンボン」(1923編曲) [1967.1.23./1968.6.10録音]

①マリー・シモンズ(Ms) ②ドナルド・グラム(Br) ③④⑭イヴリン・リアー(Sp) ⑤⑥⑦⑩⑫キャシー・バーベリアン(Ms) ⑧グレッグ・スミス・シンガーズ ⑨⑬アドリエンヌ・アルバート(Ms) ⑪アレクサンダー・ヤング(T)
①CBC交響楽団 ②③④⑤⑥⑦⑭コロンビア交響楽団 ⑨ルイーゼ・ディ・トゥリオ(fl)・ドロシー・レムゼン(hp)・ラウリンド・アルメイダ(gt) ⑩⑪コロンビア室内Ens.
⑫ポール・E・ハウランド、ジャック・クライゼルマン、チャールズ・ルッソ(cl) ⑬ロバート・クラフト(pf)
ストラヴィンスキー指揮、③④⑭はロバート・クラフト指揮による


このシリーズも佳境に入ったというか、とうとう私の最も愛するディスクに到達しました。この様々な編成の伴奏をもつ歌曲達、どれをとっても傑作揃い、何せ一曲一曲が短いので、いずれの作品も「これぞストラヴィンスキーの代表作」とは言えないけれど、私にとってはどれもがかけがえのない作品。天賦の才が迸るのを目の当たりにする思いがします。これは私の信仰告白と受け取ってもらっても良いが、これらの作品を知らないということは何と言う不幸か、とすら思います。私はこのディスクを聴きながら、私のささやかな音楽鑑賞歴でこれらの作品群に出会ったこと、そしてそれを味わうことのできる耳を父母から得たことにただただ感謝するのみです。
たくさんの作品が並んでいますが、大きく分けると、未だ先人達の影響下にあって進むべき道を模索していた頃の作品(①・②)、独自の道を発見し確立していく過程の作品(③~⑨、⑭)、十二音技法を取り入れ生涯の最後に更なる高みに向かっていく時期の作品(⑩~⑬)の3つのカテゴリーに分けることが出来ると思います。これらを通して聴いた時、若書きが晩年の作品より劣っているということはなくて、前にも書いたとおり最初から完成された姿で我々の前に現れ、最後までその洗練されたスタイルを変えなかったことを改めて感じることができます。ちなみに①・③~⑨・⑭がロシア語、②がフランス語、⑩~⑬は英語によって歌われています。

①「牧神と羊飼いの娘」はリムスキー・コルサコフ門下としての卒業作品の一つと思われますが、分厚いオーケストラはどこかワーグナーを思わせるところがあります。メゾソプラノのパートもドラマティックな強さを要求する書法で書かれており、転調の多い旋律もいかにもワーグナー風。たゆたうような半音階的な転調は時に全音音階によって調性がぼかされ、第2曲など表記のハ短調に到達するのは33小節目になってようやく、といった調子。これを習作と片付けるのは簡単ですが、何度も味わえばロシア5人組の伝統とワグネリスムの融合が驚くべき完成度で実現されていることが判るはず。

②「ヴェルレーヌの2つの詩」は1951年の室内オーケストラ版。これも一種の習作といっても良いけれども、すでにリムスキーの頸木から逃れて、ドビュッシーやラヴェルの世界に接近しています。フランス語で歌われていますが、そこはかとなく漂うロシアン・テイストは、ストラヴィンスキーと並び称されるべきもう一人の天才ムソルグスキーの歌曲に通じるところも。

③「バーリモントの2つの詩」は2本のフルート、2本のクラリネット、ピアノと弦楽四重奏のための室内楽伴奏版。ここに至って、祖国ロシアの先人達の世界から完全に脱却した独自の世界が展開されます。ここでは1954年の室内楽版で演奏されていますが、原曲は1911年作曲、ということはシェーンベルクの「ピエロ・リュネール」(1912年)の初演はまだということになりますから、ストラヴィンスキーのアヴァンギャルドぶりがよくわかろうと言うもの。もっとも殆ど無調の域に達している宙づりにされた調性感は、シェーンベルクの「架空庭園の書」(1910)や「心の茂み」(1911)を既にストラヴィンスキーが耳にしていたことを物語っているように思います。もちろん後期のスクリャービンの無調的な書法の影響や、ヴィシュネグラツキーらロシアン・アヴァンギャルドとの関係もあるかも知れません。私はよく知らない領域なので深入りはしませんが・・・。

④「日本の3つの抒情詩」(ソプラノと2本のフルート、2本のクラリネット、ピアノと弦楽四重奏のための)も③と並んでこの時期の作品としては最も急進的な書法で書かれています。「ピエロ・リュネール」の影響もあらわです(ストラヴィンスキーは1912年12月のベルリンでの「ピエロ」の演奏を聴いている)が、以前にも書いたとおり、同時期のラヴェル(「マラルメの3つの詩」)との親近関係が顕著に見て取れます。正に時代の最先端を突っ走っていた頃の作品ですが、極端に短い時間の中での完成度の高さはウェーベルンに譬えることもできそうです。

⑤から⑨に掛けての一連の歌曲はいずれもロシアの民謡もしくはわらべうたを、これまた急進的な伴奏に乗せて歌うという趣向の作品群。いずれも室内楽の伴奏付ですが、⑦の3本のクラリネット(B管・Es管とBのバスクラ)のほの暗い音色や、⑨のフルート・ハープ・ギターの組合せによる奇天烈な音響は天才的な着想。どの作品も無類の楽しさと活力に溢れていて、土俗的な力強さと同時に、聴き手の知性に強烈に訴えかける傑作ぞろい。民謡素材が最も生な形で生かされているのは「4つのロシア農民」の歌だろうと思いますが、1954年改訂版に附加された4本のホルン伴奏は「アゴン」を書きあげた作曲家の会心の作という気がします。この生の素材と現代的なイディオムとの結合はバルトークにも無いものかも知れません。こういった路線ではなぜか日本では(欧米もそうかも知れませんが)バルトークが非常に高く評価されるのに反して、ストラヴィンスキーは不当に低く評価される傾向があるように思いますが、虚心に耳を傾ければいずれも偉大な仕事を成し遂げた人達であることが判ると思います。⑨だけ作曲年代が離れていますが、1915~19年の歌曲の編曲ですので、⑤~⑧と同じカテゴリーと言えます。CDにはテキストが添付されていないので内容がよく判らないものもありますが、例えば「プリバウトキ」の第4曲「お爺さんとうさぎ」はこんな感じ。
 
  さびれた町のまんなかに、
  ちいさな茂みがありました。
  そこに座ったじいさんが、
  たまねぎスープを作っていると、 
  すがめのうさぎがやってきて、
  スープがほしいと言いました。
  そこでじいさん命じると、 
  足無し走って腕なしつかみ、
  服なしシャツにいれたとさ。

Dover社のスコアに載っていた英訳からの拙訳ですが、それにしても詩の翻訳は難しい。谷川俊太郎など、本物の詩人の仕事の凄さが身に沁みて判ります。いわゆるナンセンスな言葉遊びですね。

⑩の「シェイクスピアの3つの歌」は晩年のストラヴィンスキーが十二音技法を取り入れてからの作品。もっとも厳密な音列技法ではなく、多分に調性感を残した独特の技法で書かれています。テキストは第1曲が1609年のソネット集の第8篇、第2曲は「テンペスト」のエアリエルの歌(ヴォーン・ウィリアムスもこれに作曲している)、第3曲は「恋の骨折り損」から採られています。この辺りから本当に最晩年の作品が続きますが、かつてのaridな作風から転じて深い抒情性に傾倒していくような気がします。そこに幾ばくかのシニシズムとペシミズムが感じられ、単なる好々爺ではない真の知性に溢れた巨人の音楽を聴くことができます。この素晴らしさを私の貧しい語彙でどう表現したものか、今少しずつ読んでいるJoseph N. Straus の”Stravinsky's Late Music”(Cambridge University Press)にはそれぞれ詳細な分析が載っていますが、ここにそれらを紹介するのは諦めざるを得ません。いずれ改めて紹介する機会もあるでしょう。
⑪と⑫、ストラヴィンスキーはえらく長生きしたおかげで、晩年親しい友人達に次々と先立たれ、一連の追悼の音楽が書かれます。ここに挙げたディラン・トーマス、J.F.ケネディの他にも、T.S.エリオット、オルダス・ハックスレー等々。いずれも感傷に流れないという意味で素晴らしい作品群であると思います。ここでも言葉による伝達というものの無力さを痛感します。精緻極まりない書法の分析がそれを補うかも知れませんが、やはり他の機会に譲りたいと思います。
⑬「ふくろうと猫」は恐らくオリジナルの作品としては絶筆ではないかと思います(死の直前にかけて、フーゴー・ヴォルフの歌曲やバッハのコラールの編曲などがありますが・・・)。この骨とわずかな筋肉だけで書かれた簡素な歌、作曲家の行き着いた極北の心象風景は、私には一種のミザントロープ(人間嫌い)の表明のようにも聞こえ、あえかな悲しみを感じずにはおられません。突き放されてしばし呆然とする思いでいると、最後に「チーリンボン」の滅法楽しいオーケストラ伴奏版が賑々しく現れてこの充実したディスクを締めくくります(「火事だ!火事だ!カーンカーン!」ぐらいの意味か)。人はどう思うかいざ知らず、私には聴くたびに音楽の喜びと感動を与えてくれる1枚です。

ストラヴィンスキーの指揮がいかに躍動感に満ちたものであるか今更言うまでもありません。多彩な歌手陣の中ではキャシー・バーベリアンの素晴らしさが頭一つ抜きんでているように思いました。それは上手い下手を遥かに通り越して、作曲者への愛とリスペクト、そして作品への深い理解のなせる技であろうと思います。夫であるルチアーノ・ベリオやジョン・ケージやヘンツェといった人たちがいかに彼女を愛し、多くの作品を捧げたかよく判るような気がします。まさに現代音楽のディーヴァでしょう。イヴリン・リアーはベームが指揮した「ヴォツェック」の記念碑的な録音でマリーを歌っていた人ですね。さすがです。とても懐かしい思いで聴きました。
by nekomatalistener | 2012-04-05 21:51 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)