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京都観世会例会 「翁」 「鶴亀」 「葛城」 「乱」

先日「ちゃちゃ入れマンデー」という関西ローカル番組を観ていたら、岸和田の局地的ヒット食品ということで、ソース焼きそばを生卵につけて食べる、というのをやってた。私、堺の南の方の出身だが、確かに幼少期にこれ食べてました(近所の個人経営のお好み焼き屋で)。だいたい岸和田近辺、堺の南端から泉佐野にかけては文化圏としてはとても近い。普通に美味かったと思うのだが、家人は「えーっ!?」という反応でした。




今年初めての能鑑賞。満席とはいかないものの、なかなかの盛況でした。

 2016年1月17日@京都観世会館
 京都観世会一月例会

  
   翁: 観世清和
   面箱: 鹿島俊裕
   千歳: 河村和晃
   三番叟: 井上松次郎

  鶴亀
   シテ(皇帝): 林喜右衛門
   ツレ(鶴): 河村浩太郎
   ツレ(亀): 松野浩行
   ワキ(大臣): 殿田謙吉
   ワキツレ(従臣): 大日方寛・則久英志
   間(官人): 佐藤友彦

  狂言
  鬼瓦
   シテ(大名): 井上松次郎
   アド(太郎冠者): 鹿島俊裕

  仕舞  
  高砂  井上裕久
  梅キリ  梅田邦久

  葛城大和舞
   シテ(里女・葛城ノ神): 浦田保浩
   ワキ(山伏): 室生欣哉
   ワキツレ(山伏): 則久英志・大日方寛
   間(里人): 松田高義

  仕舞
  屋島  片岡九郎右衛門
  雲林院クセ  大江又三郎
  鞍馬天狗  杉浦豊彦
 

  
   シテ(猩々): 田茂井廣道
   ワキ(高風): 岡充


「翁」を観るのは昨年の1月に次いで二回目。その時にブログに書いたことは繰り返さないが、やはり年の初めに相応しい出し物だと思います。見所の出入り口が閉ざされ、揚幕の内外で切り火が切られてから、演者らが舞台に揃うまで、緊張感が極限にまで高められる。3人の小鼓が勇壮に鳴りだすと、今度は貯まりに貯まったエネルギーが一気に開放される感じ。この緊張と緩和のコントラストの強烈さがなにより快いものでした。三番三の舞は昨年観たときほどの感興は得られませんでした。演者の恰幅が良すぎて、少し息が上がってしまったのが少し興醒めではありました。

「翁」の次はそのまま「鶴亀」に続きます。
唐土の都の初春、皇帝のもとに大臣らが集い、鶴亀の舞を勧める。鶴と亀が現れて舞うと、たいそう感興を催された皇帝は玉座を降り自らも舞う。
官人の短い口上に続く大臣の奏上の場は極めて短く、すぐに鶴亀の舞と皇帝の舞が続くという簡素な筋立て。きらびやかな装束と優雅な舞をただひたすら楽しめばよいのでしょう。シテ(皇帝)の林喜右衛門は、歌舞伎であれば女形タイプの、武張ったところの全くないほっそりとした体形をされているので、ことさら戦乱とは無縁の泰平の世を感じさせるところが実に面白く感じられました。

狂言は「鬼瓦」。
ながらく訴訟の為に国元を離れていた大名、めでたく片が付いて暇をもらい国に戻ることになる。せっかくだというので太郎冠者を引き連れて薬師如来にお礼旁参詣することに。大名はお堂の鬼瓦を見て急に泣き出す。太郎冠者が訳を尋ねると、鬼瓦の小鼻が張ったところや大きく裂けた口を見て国元の妻を思い出したという。いや、確かに、云々と言いながらどのみち程なく会えるだろうと二人して大笑い。
女房の容姿というのは現代でもお笑いのネタではありますが、ここでは国元に残してきた妻への懐かしさがまず先にあるので嫌味なく笑い興じることができます。

仕舞は都合五番。仕舞は仕舞の良さがあると思いますが、観能を重ねるに連れて元の能を見ているケースが増えてくると(今回で言えば高砂・梅・鞍馬天狗)、能と仕舞の比較など前は知らなかった楽しみもでてきます。また、基本的に初春を寿ぐことに特化した番組で、「屋島」という修羅物が入っているのもアクセントになっていていい感じ。ただ今回の仕舞では梅田邦久が以前拝見したときから比べると立居にすこし高齢ゆえの覚束なさが感じられ、心から楽しむという訳に行きませんでした。

次に「葛城」。これも一昨年の暮れに一度観てブログにも取り上げたので、物語等は省略。体調の所為もあって前半少しうとうとしてしまいました。後半、雪の庵から現れた葛城山の女神は十分美しいけれど、最初に見たときの、雪明りを眼前にするかと思われたほどの驚きは得られませんでした。同じ能を観ても都度印象が変わることは当然といえば当然。本来ならその違いについてこそ詳述したいところだが、今回は前半かなり意識が飛んでいるので割愛します。

切能は「乱(みだれ)」、元々は「猩々」という能だが、中之舞が猩々乱になると小書ではなくて題名自体が「乱」に変わってしまうということらしい。
古の唐土、揚子の里に高風という親孝行な男がいたが、ある夜の夢のお告げ通り市で酒を売るようになると次第に富貴の身になった。そのころ、市の立つたびに酒を買いに来る客がいたが、いくら飲んでも面色が変わらない。不思議に思った高風が名を尋ねると、自分は海中に住む猩々であると正体を明かして姿を消す。夜になり、高風が潯陽の江で酒を用意して待っていると猩々が現れ、酒を飲んで舞う。猩々は高風が「御身心すなほなるにより」、汲めども尽きぬ酒壺を与える。
ワキ(高風)の口上で前段がさっと語られるとすぐに赤頭の猩々が現れて舞う。音をならさず足拍子を踏む、頭を何度も振る、波を蹴散らしてあるくような足の捌きかた(乱足)など、特徴的な舞が続き、ほどよいところでさっと終わる。そもそも猩々とはなにか、などと考えるネタはいくらでもあるが、とにかく派手な舞台に身を見張っていればそれでいいのかな、と思います。目出度い内容で、謡の最後も「尽きせぬ宿こそ。めでたけれ。」で終わるので附祝言はなし。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2016-01-24 00:39 | 観劇記録 | Comments(0)

京都観世会例会 「翁」 「高砂」 「梅」 「岩船」

こたえられないものとはなにか?
「ゴーン・ガール」を観にきたバカなカップルどもが、映画終わったあとに明らかに後悔しているのを一人ほくそ笑みながら見る楽しみ。




観能も三度目。今回は正月に相応しく新春を寿ぐ出し物ばかりでしたが、想像以上に面白いものでした。


 平成27年1月11日@京都観世会館
 京都観世会一月例会(其の一)

   
  翁 観世清河寿
  面箱 茂山逸平
  三番三 茂山千三郎
  千歳 大江泰正

 高砂  
  シテ(尉、住吉明神) 片山伸吾
  ツレ(姥) 梅田嘉宏
  ワキ(阿蘇宮神主友成) 福王和幸
  ワキツレ(従者) 中村宜成・是川正彦
  間(高砂の浦の男) 茂山良暢

 狂言
 宝の槌  
  シテ 茂山七五三
  アド 茂山宗彦・茂山千五郎

 仕舞
  屋島 井上裕久
  国栖(くず) 浦田保浩

   
  シテ(女、梅の精) 大江又三郎
  ワキ(藤原某) 福王茂十郎
  ワキツレ(従者) 喜多雅人・福王知登
  間(在所の者) 松本薫

 仕舞
  老松 林喜右衛門
  知章(ともあきら) 杉浦豊彦
  東北(とうぼく) 梅田邦久
  須磨源氏 片山九郎右衛門

 祝言
 岩船  
  シテ(龍神) 河村浩太郎
  ワキ(勅使) 岡充
  ワキツレ(従者) 有松遼一・小林努


数ある能の中でも別格とされ、天下泰平国土安穏を祈る新春ならではの演目「翁」。
「翁」について調べてみると、判で押したように「能にして能にあらず」と書かれており、これは一種の儀式であるとされています。それはその通りですが、その面白さは実際に観てみないことには判りません。
能が始まる10分ほど前から、揚幕に人影が差して清めの切火を切り、鏡の間でもそのカチカチという音がします。「翁」は神事ですから演者は精進潔斎しなければならず、終演まで楽屋も女人禁制などと聞くにつけて、さぞ神妙なことだろうと想像していましたが、確かに最初の内、無言で張りつめたような空気が舞台を支配しています。しかし三人の小鼓と一人の大鼓が掛け声も勇壮に打ち始めると、その土俗呪術的な力というべき迫力にすっかり夢中になってしまいました。また突拍子もないことを、と言われそうだが、私は思わず、クセナキスがバリトンとパーカッションと管弦楽のために書いた「アイスAïs」を思い出し、生前のクセナキスがこの「翁」をもし観たならばどんな感想を持っただろうか、と思ったりしました。これは本当に、日本古来の土着の神々が登場し、俗性と聖性が交錯する類まれな演劇であろうと思います。その後、千歳(せんざい)、翁、三番三(さんばそう、流派により三番叟とも)が順に舞いますが、特に三番三の呪術的な激しい舞には度肝を抜かれました。およそ一時間にも垂んとする長丁場でしたが、吃驚しているうちにあっという間に終わったという感じがします。このような芸能が室町の頃から元の形を保ったまま現代にまで連綿と継承されてきたということは本当に素晴らしいことだと思います。

「翁」が終わるとそのまま「高砂」が演じられます。
肥後国阿蘇の神主友成が京に上る途中、高砂の浦で老人夫婦から高砂と住吉の相生の松の由来を聞く。友成の一行が住吉に着くと先の老人の正体にして実は住吉明神が現れて舞い、天下泰平を言祝ぐ。
最近では結婚披露宴で高砂を舞う年寄もめっきり見かけなくなりましたが、こうして舞台で観ると実によいものです。もっとも、「翁」の衝撃の後では、物語としては今ひとつ面白さがよく分らない感じもしましたが、これは「翁」とセットで新春を寿ぐものと捉えるべきなのでしょう。種類としては初番目物、翁の脇で演じられることから脇能と呼ばれるとのことだが、神が主人公ということよりも、古代の呪術性の残滓を感じ取るべきものかも知れません。それと、その台詞だが、一見常套句とも見える掛け言葉なども多いのだが、千載集や古今集などの引用がもたらすコノテーションを正しく理解するのは付焼刃の予習ではとても無理。これは少しずつ勉強していく他はなかろうと思います。面と装束は前シテが小牛尉(こうしじょう)に大口尉出立。後シテは邯鄲男などの面に透冠(すいかんむり)狩衣大口出立。ツレは姥面に水衣姥出立。

次いで狂言「宝の槌」。主人に都で宝物を手に入れるよう命ぜられた太郎冠者は、すっぱ(詐欺師)に騙され、何の変哲もない太鼓のバチを打ち出の小槌だと信じて買って帰る。さっそく主人に馬を出してみよ、と言われ、呪文を唱えてバチを振るが何も出ない。太郎冠者は言い逃れに、どうせなら狭い道で引き返さなくても済むから後ろにも頭のある馬になさいませだの、速く走るから八本足の馬になさいませだのと時間稼ぎをするが・・・
すっぱが太鼓のバチを売るのに、鎮西八郎為朝が鬼ヶ島から小槌を持ち帰る件をもっともらしく語るのがなんとも面白い。最後の「番匠の音がかつたりかつたり」というオチはよく判りませんでした。言葉のやりとりの面白さで見せる狂言ですが、それだけに考えオチは現代では通じなくなったか。

休憩と仕舞二番を挟んで「梅」。
五条の藤原某が難波津にでかけ、「桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ」(大伴家持、万葉集4361)と詠んでいると一人の女が現れ、その歌は天平勝宝7年2月13日に詠んだとされているのだから、この時期ならば梅の盛りのはずと咎める。また大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)の故事などを持ち出し梅の花を称揚する。その夜、藤原某の一行の許に梅の精が現れ、「たゞ幾久に天地の共に栄まさなむめでたさよ」と御代を祝って舞う。
江戸時代明和年間の新作能であり、そのペダンチックな内容が玄人筋からは甚だ評判が悪いようだが、万葉集や古今集仮名序などの引用が散りばめられた詩句は常套的ながらも流麗、そして主眼はあくまでも梅の精のいつ果てるともない舞の面白さにあり、私はとても面白く拝見しました。前半は作り物として紅梅の木立が置かれ、後半は梅の精が白梅をあしらった天冠を被り、浅緋色の袴に白い表着を襲ねた装束で舞うのが、陶然とするほど美しく舞台映えしていました。

二回目の休憩の後に仕舞が四番。いつも書いている通り、舞のイロハも判らないのにしたり顔で何か書くのは躊躇われるが、今回の「東北」を舞った梅田邦久さん、かなりの御歳とみたが、立ち姿や何気ない所作が素人目にも美しく感じられました。何なんでしょうねこれは?こういうのを色気と言ってよいのでしょうか。本当にその道一筋に精進されてこられた方の芸事というのは恐ろしいものです。

最後は「岩船」。本来は前後二場から成るが観世流では後半のみ(半能)で、龍神が宝を載せた天の岩船を率い、勇壮に舞うだけの祝言として演じられます。11時から夕方5時までの長丁場を締めくくるに相応しく、理屈抜きで楽しい出し物でした。前回観た「一角仙人」もそうでしたが、こういったスペクタクルなエンタテイメントというのも能、特に切能と呼ばれる五番目物の重要な要素であるようです。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-01-13 23:33 | 観劇記録 | Comments(0)