タグ:佐藤卓史 ( 2 ) タグの人気記事

シューベルト 高雅なワルツ

私らの世代って、たまに「嵐が丘」は手旗信号で人妻と話をする物語だとマジで思ってる人いるよね。




シューベルト舞曲集の第二夜。

  2016年3月24日@カフェ・モンタージュ
  「高雅なワルツ」
   ― シューベルト ピアノ作品全曲シリーズvol.6―

   3つのエコセーズ D816
   6つのドイツ舞曲 D820
   12のドイツ舞曲 D790(作品171)
   12の高雅なワルツ D969(作品77)

   (アンコール)
   プロコフィエフ シューベルトによるワルツ組曲

   ピアノ: 佐藤卓史

23日の感想にも少し書いたように、第一夜を聴いて、シューベルトってこんなもの、と思っていると第二夜を聴いてその豊かな熟成に驚くことになります。第一夜の作品は1816年~23年の作曲、第二夜は1823年から27年、そして作曲家の死は1828年。そんなに長い期間が経過したわけでもないのに何と言う変化がもたらされたことか。昨日の感想の中で、シューマンの世界までほんのひと跨ぎ、と書きましたが、第二夜はそのシューマンの世界に肉薄しています。いやそれどころか、シューマンの中でもとびきりの傑作である「ダヴィッド同盟舞曲集」に優るとも劣らぬ世界を知ることになりました。
演奏が始まる前に、例によって店主高田氏のトークがあるのですが、それによると「12のドイツ舞曲」D790の手稿はシューベルトの死後、シューマンの所蔵するところとなり、シューマンの死後ブラームスの手に亘ってようやく世間の知るところとなったと言います。このD790に限らず、シューベルトの多くの作品は作曲家の死後、兄フェルディナントやその他の音楽家の手によって草稿が守られたのですが、その多くは出版という形ではなく、ごく限られた人の秘蔵するところとなり、その全貌が広く知られるようになるのは殆ど20世紀に入ってから、ということのようです。だが明らかにシューマンはその天才を知っていたし、ブラームスやリストも知っていた。シューマンの「蝶々」「謝肉祭」「ダヴィッド同盟舞曲集」などは、シューベルトの舞曲、特にD790からの露骨なまでの影響を抜きにしては今後語ることができないだろうと思います。
演奏はまず「3つのエコセーズ」D816から始まりました。あっという間に終わってしまう小曲ですが、サロンが光で満たされるような気がするほど豊穣な音楽。次の「6つのドイツ舞曲」D820はウェーベルンがオーケストラに編曲していることで比較的有名な作品。ブーレーズが監修したウェーベルン全集の旧盤にはウェーベルン自身の指揮によるこの舞曲の歴史的演奏が収録されていました。これも、特段なにといって変わった和声が使われている訳ではないがとても面白い。佐藤氏のトークによればこのD816とD820は1824年、シューベルトがエステルハージ家の令嬢カロリーネのピアノ教師をしていた頃に作曲され、おそらくは彼女のピアノの教育的目的から書かれたものだろうといいます。
そしてD790。1823年に書かれたといいますが、12曲が調性や曲調などの緊密なプランの元に配列されているのは明らかです。先にも書いたように、この作品は今後シューマンの偉大な先駆的作品として甦るべきものだと思います。
最後に「12の高雅なワルツ」D969。1827年に出版されていますが、昨日の投稿でも書いたように、出版された作品については草稿が廃棄される習慣があったため、作曲の詳しい経緯はよく判らないようです。佐藤氏によればほぼ確実に、タイトルは出版社が勝手に付けたものであると言えるようです。それはともかく、先の3曲に比べると、ドイッチュ番号が遅いにも拘わらず、音楽としての成熟度は一歩後退している感じがなくもない。かなり以前に書かれた舞曲を後に出版したのかも知れません。
アンコールはプロコフィエフによるシューベルトの舞曲のコンピレーション。作曲者の個性は割と抑え気味だが、最後のほうにちょっとプロコフィエフっぽく和音を叩きつけて終わるのが微笑ましい。

佐藤卓史のピアノについてはほぼ昨日書いた感想通りですが、作品のレベルが上がると自ずから演奏も高揚していく感じ。今回のように、「曲を知る」という意味では何の不満もありませんが、ピアノの演奏を楽しむ、というのであればもう少しメカニックを磨く余地はありそう。
by nekomatalistener | 2016-03-26 17:50 | 演奏会レビュー | Comments(0)

シューベルト 感傷的なワルツ

3月14日投稿の枕の続きとしてぴったりなツイートが話題に。

つきしろ ‏@tsukishiron · 3月18日
インドア派の技術者を引き留めるために、なぜか部署のみんなで休日にハイキングという天下り老害が提唱する「仲間との一体感」を作り上げる施策を実施した結果、めでたく引き留め対象が全員退職したことが





カフェ・モンタージュで二夜連続シューベルト舞曲集リサイタル。まずは第一夜の備忘です。

  2016年3月23日@カフェ・モンタージュ
  「感傷的なワルツ」
  ― シューベルト ピアノ作品全曲シリーズvol.6―

   8つのレントラー 変ロ長調 D378
   3つのメヌエット D380(未完・佐藤卓史による補筆完成版)
   34の感傷的なワルツ D779(作品50)

   (アンコール)
   リスト 「ウィーンの夜会」より 第6曲

   ピアノ: 佐藤卓史


よほどのシューベルトマニアは別として、普段CDでこのような舞曲を立て続けに聴くということはどなたも殆どないと思います。その意味では大変貴重な機会でした。また、今回のリサイタルほど、この小さなカフェ&サロンに相応しいものもないと思います。大きなホールでは採算上の問題以上に、音楽の在り方として失われるものが多かろうと思います。
現代では忘却の彼方に沈んでいるようなシューベルトの舞曲ですが、店主高田さんのトークによると、1920年代あたりはけっこう人気があり、コルトーを初めとする名だたるピアニストがSPレコードに録音していたとのこと。とにかく一曲一曲が短いのでSPというフォーマットにはぴったりだと思いますが、店主が第一次大戦後のこの流行をビーダーマイヤー様式に関連付けていたのは面白い視点だと思います。もっとも19世紀前半のビーダーマイヤー様式が、ユーゲントシュティルのいわば反動として復権するのは1900年あたりと、20年代よりはやや早い時期のような気もしますが、いずれにしろそのころの中産階級のシンプルな居間で聴くには実に相応しい音楽であったことは理解できます。
店主に負けず劣らず奏者の佐藤氏もトークが上手い方でしたが、それによると歌曲王といわれるシューベルトだが歌曲の多くは作曲家がリスクを負う自費出版という形で後世に残され、資金回収が出来たものもあれば出来なかったものもある。その他の大規模な音楽はピアノソナタにしろ交響曲にしろ、ほとんど出版のあてもなかったのだが、舞曲だけは当時はとても人気があり、次々と出版されてシューベルトの数少ない収入源のひとつであったということです。

音楽について少々。最初のレントラーとメヌエットは1816年、シューベルト18歳の作品。レントラーは何の屈託もなくひたすら明るい音楽。和声もほとんどⅠ・Ⅳ・Ⅴの三和音だけで出来ているような感じ。傑作でもなんでもないが、普段着のシューベルトの姿がよく分かります。同時期のメヌエットはそれぞれ2つのトリオを持っていて、レントラーよりはやや規模も大きく仰々しい感じ(3曲目はトリオⅠの途中で未完)。だがこれも基本は家庭で演奏して楽しむための音楽だったのだろうと思います。
これがプログラム後半、1825年の出版、1823年に書かれたとされる「34の感傷的なワルツ」になると、音楽がやや陰影を帯びてくる感じ。もちろん基本は家庭音楽ですから単純な左手の刻みのうえで右手が旋律を弾くだけなのだが、右手は三度で重ねてあるところが多く、アマチュアにはすこし難しそう。クロマティックという程ではないのだが、ところどころ美しく移ろいゆく和声進行があったり、ヘミオラが現れたり、シューマンの「蝶々」を思わせるような音楽が続きます。中でも印象的な第13曲(譜例)は後にリストが「ウィーンの夜会」に編曲しているロマンティックな音楽。ここからシューマンの「謝肉祭」まではほんの一跨ぎという感じがします。
a0240098_1429086.png

ちなみに、佐藤氏のトークによると、当時は出版されると原稿(自筆譜)は廃棄されていたらしく、この34のワルツについても自筆譜がない。よって34曲の配列が作曲家の意図によるのか、出版社が適当にセレクトしただけなのかは分からないといいます。また、シューベルトにおいては「レントラー」も「ドイツ舞曲」も「ワルツ」も音楽的には特に差異はないのだけれど、自筆で「ワルツ」と書かれている作品は一つしかなく、他は「レントラー」か「ドイツ舞曲」あるいはタイトル無しであるそうだ。「感傷的なワルツ」というタイトルはどうも出版社のキャッチコピーであったようです。
リストの「ウィーンの夜会」をアンコールに持ってきたのは当然の流れ。これもマイナーな作品だが、そこそこ華やかな音楽が演奏家受けするのか、春秋社のリスト選集に楽譜が載っているからか、元ネタよりははるかに聴く機会が多い。シューベルトと並べて聴くことでより親しみの湧くものになりました。

佐藤卓史の演奏はいずれも活気にあふれていて、ムジツィーレンの愉しみがよく伝わってきます。曲が曲だけにこまかい瑕疵をあげつらうのも野暮というものでしょう。だがアンコールのリストとなると、ちょっとメカニックが追い付かない箇所があって心から楽しむという訳にはいきませんでした。起承転結の殆どないシューベルトを暗譜で弾いていたのにリストの方は楽譜を置いて視奏というのも解せないところ。準備期間が少し足りなかったのでしょうか、本当はもうすこし弾ける人だと思います。




さて、本稿を書き終えた時点で私は24日の第二夜を既に聴いている訳だが、第一夜に上記のような感想を抱いて第二夜を聴くとちょっとした衝撃を覚えることになりました。その時の感想は稿を改めて書きます。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2016-03-25 15:14 | 演奏会レビュー | Comments(0)