タグ:ワルキューレ ( 1 ) タグの人気記事

ワーグナー 「ワルキューレ」 愛知祝祭管弦楽団公演

ポケモンGOのイシツブテを見ると、なんかチキチキマシン猛レースのタメゴローとトンチキを思い出す。40代以下の人は誰も知らんと思うけど。





わざわざ名古屋までこの演奏会形式による「ニーベルングの指輪」シリーズを聴きに行こうと思ったのは、昨年の「ラインの黄金」の評判がまぁまぁ良かったのと、清水華澄がジークリンデを歌うと知ったから。で、その結果はというと、本当に行ってよかった。恥ずかしながらあちこちで大泣きしてしまいました(笑)。

 2017年6月11日@愛知県芸術劇場コンサートホール
 ワーグナー「ワルキューレ」全三幕
  ジークムント: 片寄純也
  ジークリンデ: 清水華澄
  フンディング: 長谷川顯
  ヴォータン: 青山貴
  ブリュンヒルデ: 基村昌代
  フリッカ: 相可佐代子
  ゲルヒルデ: 大須賀園枝
  ヘルムヴィーゲ: 西畑佳澄
  オルトリンデ: 上井雅子
  ヴァルトラウテ: 船越亜弥
  ジークルーネ: 森季子
  ロスヴァイセ: 山際きみ佳
  シュヴェルトライテ: 三輪陽子
  グリムゲルデ: 加藤愛
  三澤洋史指揮 愛知祝祭管弦楽団
  演出構成: 佐藤美晴

歌手達の中では清水華澄はもちろん良かったのですが、何より素晴らしかったのはブリュンヒルデを歌った基村昌代。第二幕で、ちょっとお転婆風の軽めの声で現れた時は正直「あちゃー」と思ったのですが、これはもちろん計算の内。ブリュンヒルデはジークムントに対して死の告知をするが、彼のジークリンデへの愛の深さを知っていきなり真実の愛に目覚める。それからの表現の激しさと深さはただならぬものがありました。ジークムントが死んで絶望するジークリンデに、お腹の中に子供が宿っていることを告げる場面や、終幕のヴォータンとの別れの場面、もう言葉が追いつかなくて素晴らしいとしか言いようがない。この二つの場面、私は涙なくして観られませんでした。
ジークリンデの清水華澄、この人の身上は何と言っても忘我といってもよいほど役柄に没入していく姿勢と、テンペラメントの激しさ。ジークリンデはうってつけの役だろうと思いきや、第一幕はちょっと手が届きそうで届かないもどかしさを感じる。この人にとって、ワーグナーはヴェルディのエボリ公女のようにはいかないのか、と少し物足りない。でも第二幕、ジークムントに不幸な半生を語って錯乱する場面からは俄然熱を帯びてきて、ブリュンヒルデに触発されたのかどうか、第三幕の対話はもう凄まじいまでの激しさ。やはり類まれな歌手だと思いました。
ジークムントの片寄純也は私はだいぶ前にパリアッチのカニオを聴いて以来かも知れません。偉丈夫で声量もあり、ジークムントのような直情的な役柄にはよく合っていると思います。ただ、声楽用語でなんと言ったらよいのか分からないのだが、ところどころ、舞台の俳優に例えるとセリフが棒読みみたいなこなれていない歌い回しが気になります。十分水準以上とは思いながらも、先の女声二人にはわずかに及ばず、といったところ。
ヴォータンの青山貴は、これまで聴いてきた中では一番良かったのではないでしょうか。第二幕で登場したときは、声がこちらに届く前に散ってしまう感じも受けましたが、すぐに持ち直して深々とした声を堪能させてくれました。ブリュンヒルデとの告別の場も文句なし。
フリッカの相可佐代子は役柄に即したヒステリックな表現はとても良いが、ちょっとオケに声が負けた感じ(オケはちょっと鳴らしすぎ、というより制御しきれていない所あり)。フンディングの長谷川顯もスイッチが入る前に出番が終わってしまう感じが少し気の毒。8人のワルキューレの乙女達も、思ったより声が届かない。このあたりはまぁこんなもんかな、といったところ。

愛知祝祭管弦楽団は、この4年がかりの「指輪」シリーズのための寄せ集めで、基本的にアマチュアの人たちとのこと。その気になればいくらでもケチをつけれそうではあるが、私はそういったことは書かないでおこうと思う。立派な演奏だったと思います。三澤洋史は新国立劇場の合唱団の指揮者としてしか知りませんでしたが、こういった楽団を相手に長大な音楽を破綻なくねじ伏せただけでも大変なことだろうと思います。ただ、指揮は拍子をきっちりと刻むことに最大のポイントを置いているように思われ、その分音楽のうねるような自発性が多少犠牲になっていたようにも思います。おそらくもっとプロフェッショナルなオーケストラ相手なら違うやり方があったのかも知れません。そこは目を瞑るしかないのだけれど、これが名古屋の一回きりの公演ではなくて、東京のように二度三度の公演ならもっと良い成果が出せたに違いありません。いずれにしろ、私は早くも来年の「ジークフリート」公演を楽しみにしています。

ワーグナーの音楽そのものについて少しだけ。
私は先にも触れたブリュンヒルデがジークリンデに懐妊を告げる場面と、罰を与えられたブリュンヒルデがヴォータンに自分をつまらぬ男から護ってほしいと懇願する場面が白眉だと思っています。そのどちらも、ジークフリートの動機が金管で高らかに現れますが、それは単に回想とかほのめかしといったレベルではなくて、どこか無意識のレベルに直接働きかけてくるような強烈な効果があることに気が付きました。それは、長大な作品を経済的・効率的に紡ぎだすためのメチエとか、聴衆が理解しやすいように、あるいは退屈しないようにするための方法といった、いわばレトリックとしてのレベルではなくて、ジークフリートの不在(語られないもの=欠如)を埋めるためにジークフリートの動機(象徴=ランガージュ)が生まれるといったレベルに達していると言えるかも知れません(ライトモチーフの全てがそうではないにせよ、このジークフリートの動機の出現で図らずもそのレベルに触れてしまった、というのが実際のところかも知れませんが)。だからこそ、ワーグナーの「ラインの黄金」から「パルジファル」に至る諸作が、あれほどまでに哲学や精神分析学をはじめ広く人文科学全般に影響を与え得たのではないかと思いました。演奏会の備忘のついでに書くには話が広がりすぎるし、もっと言葉を尽くそうにも印象批評みたいな書き方しかできないのだけれど、これだけは書かずにはいられませんでした。
(この項終り)

by nekomatalistener | 2017-06-14 22:58 | 演奏会レビュー | Comments(4)