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ワーグナー 「ラインの黄金」 びわ湖ホールプロデュースオペラ公演

マクドのポテトの端っことか切れ端がカリカリに揚がってるのがたまに混じってるのって、けっこう幸せ。





仕事の忙しさにかまけてたらあっという間に3週間以上も経過。いろんな方の感想も出尽くした頃に間の抜けたブログ更新ですが、自分の為の備忘として、あれやこれやの記憶が薄まらないうちにメモを書いておこう。

 2017年3月5日@びわ湖ホール
 ワーグナー 「ラインの黄金」
  ヴォータン: 青山貴
  ドンナー: 黒田博
  フロー: 福井敬
  ローゲ: 清水徹太郎
  ファゾルト: 片桐直樹
  ファフナー: ジョン・ハオ
  アルベリヒ: 志村文彦
  ミーメ: 高橋淳
  フリッカ: 谷口睦美
  フライア: 森谷真理
  エルダ: 池田香織
  ヴォークリンデ: 小川里美
  ヴェルグンデ: 森季子
  フロスヒルデ: 中島郁子
  管弦楽: 京都市交響楽団
  指揮: 沼尻竜典
  演出: ミヒャエル・ハンペ


「ラインの黄金」をまともに通して聴くのって久しぶりのような気がします。高校生の頃に「トリスタンとイゾルデ」の毒にあてられてしまい、大学に入った記念に、「ニーベルングの指輪」全曲のベームのバイロイト盤(当時LPレコードで16枚組だったと思う)を買って、浴びるように聴いたのも今は遠い昔。その頃も、「ワルキューレ」以降の3作に比べて、「ラインの黄金」は音楽的に今一つのような気がして、それほど真面目に聴いた記憶がありません。
しかし、今回の公演を聴いて、やはり抜群に面白い音楽であると改めて認識しました。以前このブログで「マイスタージンガー」のいくつかの動機を細かく分析したことがありましたが、この「ラインの黄金」についても一度はそういった作業をしてみたいという気になっています。そんな誘惑に駆られるのも、偏に沼尻の指揮のおかげといえそうです。
沼尻さんの指揮といえば、このブログでは過去プッチーニやコルンゴルト、そして「オランダ人」などを取り上げてきて、いずれもサクサクと進む音楽に何かしら不満めいたものを書いてきました。その指揮の真価に気付いたのは昨年のドニゼッティの時でしたが、今回の「ラインの黄金」の指揮は素晴らしいものであったと思います。冒頭の変ホ長調のコードが延々と続く序曲といえば、混沌から次第になにか形のあるものが浮かび上がってくる、といった演奏が多いと思いますが、沼尻の音楽は常に明晰で混沌の対極にある音楽といった感じ。こまかく動く弦の内声を克明に聴かせて、これほどの大曲の演奏としてはあり得ないほどの精緻な印象を受けました。こういったアプローチは敢えて言えばブーレーズのそれに近いと思いますが、沼尻のほうがより劇場的なセンスがあるというのか、醒めているようでいて、燃焼度が高いというのか、要は長時間飽きずに聴かせるオペラ職人としての技を備えているということでしょう。この人が昔からこうなのか、ここ最近進化を遂げてこうなったのか、数えるほどしか聞いていない私には俄かに判断がつかないけれど、今回の公演に限って言えば、情におぼれない音楽はそのままでありながら、四つの場をつなぐ間奏が文字通り白熱の演奏で、全体として大変メリハリのある強靭な音楽となっていたというのが真相かと思います(それにこたえる京響も素晴らしいものでした)。これから毎年一作ずつ行われる指輪の公演、とても期待できるものになりそうです。

オーケストラはこんなに素晴らしかったのに、全体としての印象がそれほどでもないのは、演出によるところが大きいと思います。ミヒャエル・ハンペのプロジェクションマッピングを駆使した演出については、以前に「さまよえるオランダ人」で絶賛したところですが、今回の場合、ト書き通りになんでもできてしまうが故のPMの限界というものをまざまざと感じたような気がします。確かに冒頭のライン河の水底の場面は大変美しく、水中を舞うラインの乙女の映像と、舞台上で歌う歌手が自然に入れ替わるのも見事というほかなかったのですが、ワルハラ城を望む天上界やアルベリヒとミーメの住む地下世界の描写は、あまりにも表現がト書き通りに過ぎて、どうにも興醒めのする思いでした。少なくとも聴き手の想像力の一切を封じ込めてしまうのは、やはり舞台芸術としてどこか違うのではないかとの疑念をぬぐうことができません。PMの威力を否定するつもりは毛頭ありませんが、この技術の凄さに、観客の想像の余地を残す工夫のようなものが加われば、というのは無い物ねだりでしょうか?

歌手勢は大変充実しており、特に私の観た二日目の公演、ほぼオール日本人キャストでよくぞここまで隙のない布陣を組めたものだと感心した次第。ここまで粒がそろっていると、個別の歌手について云々するのも、技術的にどうこういうよりは個人の好き嫌いの話になってしまいますが、それでも特に印象深い歌い手を記すと、まずはローゲの清水徹太郎。「ジークフリート」のミーメ同様、大変重要な役回りだと思いますが、十分に重責を果たしたといえるのではないでしょうか。そのドイツ語のデクラメーションについて云々する力は私にはないが、とにかく膨大な台詞を伝えるだけで流麗な旋律がまったくないと思われがちなローゲの歌が、音楽としても自律的で魅力あるものとして聞こえたことは強調しておきたい。アルベリヒの志村文彦も、性格的なバリトンとしての表現力が凄いと思いました。楽譜に書かれた音との乖離がどこまで許容できるかという問題はあるのかも知れませんが、オペラが一方で演劇でもあることを改めて感じました。
出番は少ないが、去年「トリスタンとイゾルデ」を聴いた福井敬(フロー)と池田香織(エルダ)のコンビがまたもや素晴らしい歌を聞かせてくれました。「ジークフリート」でのエルダはもう少し出番が長いから、是非とも彼女のエルダを再来年に聴いてみたいものです。
ヴォータンは神としての威厳を強調するか、それとも人間臭さというのか、神であるのに碌でもないことばかりやらかす輩という側面を出すかで表現が大きく変わるのだろう。かつてのホッターなんかを聴いてきたオールドファンの受けはいざ知らず、私はこの後者寄りのヴォータンは悪くないと思いました。
その他すべて割愛するが、どの歌手も誰一人これはちょっと・・という人がいなかったのは大変なことだと思います。できればダブルキャストの両方を聴いておきたかったと思いました(一日目を聴いた方の感想をみていると両日行く値打ちは十分あったようだ)。
「東京・春・音楽祭」では来月いよいよ「神々のたそがれ」公演。関西住まいの身には羨ましい限りだが、関西でも上質なリング上演が始まったことを心から喜びたいと思います。
(この項終り)

by nekomatalistener | 2017-03-28 00:27 | 演奏会レビュー | Comments(2)