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東京・春・音楽祭 ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

今までで一番泣けた本っていやぁ、やっぱり荒木経惟の『チロ愛死』かな(汗)。





「東京・春・音楽祭」の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(演奏会形式)に行って参りました。

  2012年4月7日
  楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  ハンス・ザックス: アラン・ヘルド
  ポーグナー: ギュンター・グロイスベック
  べックメッサー: アドリアン・エレート
  コートナー: 甲斐栄次郎
  ヴァルター: クラウス・フロリアン・フォークト
  ダーヴィット: ヨルグ・シュナイダー
  エーヴァ: アンナ・ガブラー
  マグダレーネ: ステラ・グリゴリアン
  指揮: セバスティアン・ヴァイグレ
  管弦楽: NHK交響楽団
  合唱: 東京オペラシンガーズ
  合唱指揮: トーマス・ラング、宮松重紀
  於東京文化会館

これだけの長大な作品を演奏会形式でやるのって、どうなんだろうと、チケット買う時に少し迷ったものですが、歌手が粒ぞろいでしたので、大変感動しました。良かったところは枚挙にいとまがありませんが、中でも第3幕、ヴァルターの夢解きの歌、続くザックスの靴屋の歌からエーヴァの感謝の歌のところなど、そして第2場の、民衆がザックスを讃えて歌う場面等々、恥ずかしながらすっかり涙腺が壊れてしまいました。
今回何より興味があったのは、あのクラウス・フロリアン・フォークトがヴァルターをどう歌うか、ということ。昨年の「ローエングリン」の時、彼の声について私はどうにも好きになれず、「この声がヘルデン・テノール?ちょっと待てよ、と言いたくなる」と書きました(2012年6月14日投稿)。しかし今回のヴァルターに関しては、本当に素晴らしい声だと思いました。実のところ、昨年の「ローエングリン」の時よりも、心なしか声が太くなったようにも思う。それがフォークトの年齢の所為なのか、それとも演奏会形式で舞台よりも声が生々しく聞こえる所為なのか、はたまた得体の知れぬ聖杯の騎士と、同じ騎士でも喜劇に登場する生身の人間たる役柄の違いをフォークトなりに歌い分けた結果なのか、私には判りかねるのだが、たとえ「ローエングリン」の時の、あのビロードのようなピアニッシモが今回聴けなかったとは云え、他に類を見ない美しい声であるのは確かだ。もっとも、彼のヴァルターが完璧無比であった訳ではなくて、「夢解きの歌」などさらさらと流れ過ぎて、もう少したっぷりと歌ってほしいと思わなくもない。思うに、フォークトの声というのは、あまりにも低音から高音まで、どこをとっても輝かしく、ある意味むらが無さ過ぎる結果、ことさらメリハリのない表現に聞こえてしまうのかも知れない。このことは、今後彼の声が更に太くなって行った時、大きな問題となりうる所だろうが、今日のところは瑕というレベルではない。他にも小さな事故がニ、三あったけれど、それらをあげつらうつもりは毛頭ありません。それにしても彼の声を「ヘルデン」と呼ぶのはどうしても納得が行きません。今のところ、舞台では賢明にもリリックな役柄を中心に歌っているようだが、このままもう少し声が太くなればいずれジークムントなども歌うようになると思います。その時まで「ヘルデン」という称号はお預けにしたほうが良いと思うのだが・・・。
フォークトもさることながら、べックメッサーを歌ったアドリアン・エレートには本当に驚かされました。一昨年の新国立劇場の「コジ・ファン・トゥッテ」のグリエルモ、同じく「こうもり」でアイゼンシュタインを歌っていた人ですが、聴く度によくなっているように思います。この滑稽な役回りがこれほど音楽的に歌われることも珍しかろうと思うが、ワーグナー自身はべックメッサーをオペラ・ブッファのように歌うことに強く反対していたというから、これは本当に役柄の本質に迫る素晴らしい歌唱と言ってよいと思います。
ザックスを歌ったアラン・ヘルドは、声もちょっと強面の見た目も役柄に良く合っていますが、音程がややぶれたり、オーケストラと縦の線が合わなかったり、と事故が多かったように思います。もっとも、全体の出来からすれば小さな瑕にしか過ぎないと思います。
エーヴァを歌ったアンナ・ガブラーも一昨年の「こうもり」でロザリンデを歌っていましたが、その時は今一つという感想でした。ですが今回はとても良かったと思います。もっとも、エーヴァ役はどうしても出番が少なくて割を食った感じがします。
ポーグナーと夜警の二役を歌ったギュンター・グロイスベックは素晴らしい美声のバス。プロフォンドでしかも色気のある声。夜警の歌の2回目はどういう訳か精彩を欠いていましたが。
その他脇役ながら、おっちょこちょいの徒弟ダーヴィット役のヨルグ・シュナイダー、パン屋の親方コートナーを歌った甲斐栄次郎も、役柄に寄り添った素晴らしい歌唱。マグダレーネのステラ・グリゴリアンや、その他大勢のマイスター達も過不足なし。
合唱の東京オペラシンガーズについても賛辞を贈りたい。今回の公演、本当にソロ、アンサンブル、合唱といずれも穴がなく、まさに声の饗宴という風に私は聴きました。
指揮のセバスティアン・ヴァイグレについては、そつがないと言うか、あまり特筆すべきところは無かったように思います。N響については、最初の二幕はどうも弱音になると精密だけれど音が痩せてしまうのが難点。第2幕の「ニワトコのモノローグ」の序奏、花の香りが夜のしじまにむせかえるような、密度の濃い弱音を期待していたのだが、弦のトレモロがなんだかきたない音で興醒め。しかし第3幕に至ってようやく完全燃焼といった感じがしました。なんせ長丁場ですから、これは意識的に前半は抑えていたということでしょうか。終わりよければ全てよし、で全体としては大いに満足した訳ですが。
字幕で気になったのは、「ニワトコのモノローグ」で「リラの香り」と訳していたこと。ここでいうニワトコはセイヨウニワトコのことであって、日本のニワトコは似て非なる、というかあまり匂いがよろしくない、ということで敢えて「リラ」と訳したのか?と思って調べてみると、こんな記事が・・・1928年オーストリアで流行った「白いニワトコの花がふたたび咲く頃」という歌が、パリでは「白いリラの花の咲く頃」と歌詞を置き換えて流行し、それが1930年に日本にもたらされてあの宝塚の「スミレの花咲く頃」になったそうな。翻訳はそのあたりの事情も踏まえて訳しているということでしょうか。
演奏会形式ということで、舞台で観るより物足りないかなと思っておりましたが、歌手達が歌いながらちょっとした所作をする、それは目配せ一つ、という場合もあるのだが、それだけで十分にお話の面白さが伝わりました。意外なほど見やすく、退屈する暇もない優れた演奏会であったと思います。以上、興奮醒めやらぬままに備忘を書き記した次第。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2013-04-08 01:14 | 演奏会レビュー | Comments(6)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その4)

ことしのエイプリル・フール企画ではマンツーマン英会話レアジョブの「ペット向け英語習得レッスン提供開始」
というのが面白かった。

 『対象
  犬 猫 
   ※年齢、犬猫種は問いません
  (中略)
  概要
   講師はフィリピン大学で生物学を専攻している学生および卒業生です。
   また、レッスンは現在、初級コースのみのご提供となり、
   簡単な英単語「one」(ワン)「near」(ニャー) などを学習していただきます。』

個人的には「フィリピン大学」云々と、画像のヘッドフォンの付け方が雑なところに妙な脱力感を覚えるww。
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今日は「東京・春・音楽祭」の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1日目だが、私は7日の公演を聞く予定。その前に、先日3回に亘ってザックスの「迷いのモノローグ」と「ニワトコのモノローグ」を題材にしてちょっと詳細な分析を試み、それで予習記事は終わりにしようと思っていたのだが、更にどうしてもこれだけは書いておきたい、と思うことがあり、今回の4回目となった次第。
第3幕、ザックスがヴァルターにマイスターの歌の様々な規則を教える場面、ヴァルターが歌う「夢解きの歌」は変則的なバール形式(A-A'-B)に則っているが、そのBの部分(譜例20)。歌詞で言うと、Sei euch vertraut, welch hehres Wunder mir geschehn以下、「愛の動機」の変形によるこの部分は何度聴いても素晴らしいのだが、ここで問題にしたいのは、同じ歌が少し後の場面、一旦部屋に戻ったヴァルターが今度はエーヴァの前に現われ、「夢解きの歌」第3節を歌う、同じBの部分(譜例21)。歌詞はHuldreichstes Bild, dem ich zu nahen mich erkühnt!以下。
(譜例20)
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(譜例21)
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ここ(譜例21の7小節目)にbの音(シのフラット)が書かれているだけで音楽の色合いが随分かわる。このbの音を聴くと私は胸が締め付けられるような気持ちになる。たった一つの音の有る無しでこんなに音楽の聞こえ方が、否、音楽の意味が異なってくるのだ。例えて言えば、譜例20のほうは、まさにドイツ・ロマン派の音楽。シューベルトやウェーバー、シューマンを経て此処に至る初々しいロマンの香りが凝縮された音楽だが、譜例21のほうは、「後期ロマン派」と呼ぶにふさわしい陰りのある、官能をくすぐる音楽。それはワーグナーの後、マーラーを経てシェーンベルクに真っすぐに続いていく流れであり、その源流は恐らくフランツ・リスト(の1850年代以降の音楽)にあるのだろうというのが私の見立てだが、それはともかく、それぐらいこの「夢解きの歌」の第1・2節と第3節との間には大きな差異があるのだ。
ドラマの進展という意味で、「夢解きの歌」第1節、第2節のロマンティックな音楽と第3節で現われるbの音がどういう意味を持つのか。ザックスの導くままに「夢解きの歌」を歌う第1節、第2節のヴァルターは、まだ自身の中にある芸術の萌芽を完全には開花させていない。第2幕の大混乱を経て、少しは思慮深くなったかも知れないが、基本的には血気にはやる若者のままだ。しかし、ヴァルターが一旦退場し、ザックスとべックメッサーのやりとり、次いでザックスとエーヴァのやり取りが続く間に、明らかにヴァルターは成長している。何かと言えばすぐに剣に手を掛け、駆落ちしてでもエーヴァをものにしようとしていた若者ヴァルターは、わずかの間に、ザックスに敬意を払い、正々堂々と歌合戦に勝ってエーヴァを妻に迎えようとする、真の愛を知る男になった感じが、このbの一音に込められている。一方のエーヴァがザックスに導かれるかたちで、ただの金持ちの我儘娘から愛を知る大人の女へと変貌することは、このシリーズその2の回で譜例10の引用とそれに続く記述で触れた。本当にワーグナーの音楽が素晴らしいと思うのは、テクストだけでなく音楽そのものでこういった心の軌跡(心の成長と言ってもいいが、これはまさにビルドゥングスロマンの本質である)を描くことが出来たからだと思う。ヴァルターの「夢解きの歌」第3節のbを、ワーグナーがそれと意識して書いたかどうかは誰にも判らない。だが、意識的であれ無意識的であれ、その一音の意味するところは注意深い聴き手に間違いなく伝わるはずだ。
それにしても、こんな枝葉の、瑣末なこと、たった一つの音符にこだわって長大なオペラを聴く、ということが果たして「正しい」アプローチなのか、自分でも若干疑問なしとしないところだが、多少の自負を込めて言えば、これが猫またぎ流の聴き方なのだ。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2013-04-04 23:54 | CD・DVD試聴記 | Comments(2)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その3)

これワロタわ~。
YAHOO!知恵袋より
Q:曲名を教えてください! すごく迫力のあるテンポのはやい曲です!

 「ダン!ダン!|ダン!ダン! |ダッダダーッダダー|ッダダーッダダー|
 アーアア|アアアア|アアアアアア|アアアアーア|アン
 ディレレレディレレレディレレレ|ディレレレディレレレディレレレディレレレ|
 ダン!ドン!ダン!ドン!|ダン!ドン!ダン!ドン!|
 ダッダダーッダダー|ッダダーッダダー|
 アーアア|アアアア|アアアアアア|アアアアーア|アン
 ディレレレディレレレディレレレ|ディレレレディレレレディレレレディレレレ・・・」
 
 よろしくお願いします。
 m(__)m

A:ベルディのレクイエムから「怒りの日」だと思います。





ちょっと脱線から。「マイスタージンガー」第3幕でヴァルターが歌う夢解きの歌の出だし(譜例13)、どこかで聴いた憶えが・・・と思ったらブラームスのヴァイオリン・ソナタの第2番じゃないか(譜例14)。もしかしたら誰でも知ってるネタなのかも知れませんが、これは素直にワーグナーに対するオマージュと見るべきだと思います。でも、そうだとすると、ワーグナーが大嫌いでブラームスを擁護していたハンスリックの立場はどうなるのだろう?
(譜例13)
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(譜例14)
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前回の予告通り、今回は第2幕でザックスが歌う「ニワトコのモノローグ」を取り上げます。それにしても私が無粋な人間というのもあるが、この場面で何が判らないかといえば、それは宵闇に漂う「ニワトコのかおり」。正確にいえば「セイヨウニワトコ」なのでしょうが、調べるとどうも「マスカットのような香り」がするそうだ。また、ユダが首をくくった木であるとか、魔法・魔術に関する様々な伝承があるとのこと。こういったヨーロッパの共同体の共有知を持たないというのは、ちょっと日本人としては辛いところ。
まず譜例15、序奏の冒頭6小節だが、最初の2小節、第1幕のヴァルターの歌に現われ、wikipediaによれば「春の促しの動機」などと呼ばれている動機、それに続く32分音符の下降音形で暗示される靴屋の動機、それに続くホルンの2音ずつ4度下がって3度上がり、次に5度下がる非常に特徴的な音形の動機の、3つの要素が現われています。実際、それに続く長いモノローグは、その題材の殆どが(ザックスが回想する)ヴァルターの歌と、後ほど展開される「靴造りの歌」から成り立っており、経済的と言うか、ごく少ない素材から無尽蔵とも思えるような音楽を紡いでいくワーグナーの才能ここに極まれり、といった感じがします。
(譜例15)
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「トリスタン」以降のワーグナーの楽劇が、その長大さにも関わらず非常に輪郭が掴みやすく思われる秘密は、この動機(ライトモチーフ)による作曲技法にあるのは間違いありませんが、どんなに長大であっても結局ごくわずかの素材の「使い回し」で成り立っているようなものなのに、聴いていて少しも退屈しないというのは、これはもうワーグナーの天賦の才としか言いようがありません。
「春の促しの動機」は全曲の至るところに現われる、この楽劇のもっとも重要な動機ですが、これは早くも前奏曲に現われる「衝動の動機」(譜例16)から直接導かれたものであることは言うまでもありません。
(譜例16)
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ざっと、ここまでは耳で聴いて引用元がすぐ判るものですが、3つ目のホルンの動機は少し判りにくいように思います。どうも呼び名すら持たないようなこの特徴的な音形、引用元は第1幕のヴァルターの「資格試験の歌」の次の部分でした(譜例17の5小節以降)。この部分のヴァルターの歌の歌詞は春の森の情景を歌うものであり、ニワトコのモノローグにおける、初夏の宵闇のリンデやにわとこの木立に照応しているので、これを「森の動機」と呼んでも差し支えないでしょう(森をホルンで表現するのはドイツ音楽のお約束)。ちなみにこの「資格試験の歌」などと呼ばれるヴァルターの歌は、私が思うに「ヴァルキューレ」第1幕でジークムントの歌う”Winterstürme wichen dem Wonnemond,”(ジークムントの愛の歌)にも匹敵する素晴らしい旋律だと思います。
(譜例17)
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「ニワトコのモノローグ」におけるこの動機は、本当に美しい、ドイツの初夏の夜を彷彿とさせる音楽なのに、この場面以降、(私の見落としが無ければ)このままの形での展開はされていないようです。しかし、この4度下がって3度上がり、次に5度下がる音形は、前奏曲の次の箇所(譜例18の第3小節目)、あるいは「愛の動機」などと呼ばれる動機(譜例19の第3小節目以降)などとも密接な関係があるに違いありません。
(譜例18)
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(譜例19)
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更に言うなら、この「4度下がる」というのは「マイスタージンガー」全体を支えている基本原理となっていて、前奏曲の冒頭から様々な動機、コラールやら乱闘の音楽やらべックメッサーのセレナーデまで、ほとんどありとあらゆる素材に共通して見出されるものとなっています。こじつけ、考え過ぎという勿れ。この原理こそベートーヴェン以降のドイツ音楽(少し乱暴な括り方ですが)に顕著な動機労作thematische Arbeitの根幹をなすものであり、ワーグナーのライトモチーフやその構造も、それを拡大敷衍したものに他ならない、と思います。そして、ワーグナーがこの「4度下がる」という動機の萌芽から長大な全曲を生みだしたのは、おそらく意識的なものであっただろうという気がします。

全曲の中からわずかにザックスの歌う二つのモノローグ、そこに現われた幾つかの動機を取り上げただけで予習終了、という訳ではありませんが、まぁこれぐらいにしておきます。微細な動機やその萌芽がどこにどのように仕込まれているか、ヴォーカルスコアにして400頁にもなる全曲を隈なく探索するのは骨は折れるが実に楽しい作業でした。あとは4月の音楽祭での公演を待つばかり。
前々回に予告したアドルノの『ヴァーグナー試論』の読書レポートについては、稿をかえて取り上げます。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2013-03-20 21:37 | CD・DVD試聴記 | Comments(2)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その2)

「マイスタージンガー」第2幕、一旦侍女と姿を消したエーヴァが戻ってきたときのヴァルターの台詞、”Doch ja, sie kommt dort?”が、「どっひゃ~」としか聞こえない。もっとも「どっひゃ~あの娘やっぱり来たで~」という意味なのであながち間違いではない(違)。




さて、前回、第3幕の前奏曲と、続くザックスの「迷いのモノローグ」の主要な動機となっている旋律が、第2幕の「靴造りの歌」に由来しているのを見ましたが、第3幕のモノローグ以降の場面で同じ動機がどのように使われているかを検証してみます。
昨夜の乱闘騒ぎを辛くも逃れてザックス邸で一夜を明かしたヴァルターが工房に現われると、何としても彼に歌合戦で優勝してもらいたいザックスは、マイスターの歌の規則を彼に教えます。ザックスに導かれるままにヴァルターが「夢解きの歌」の第1節を歌い終わると、例の動機が現われます(譜例6)。ザックスは中年とはいえまだまだ男ざかり、前の日エーヴァから結婚相手として「男やもめのザックス親方では駄目なの?」などと囁かれたザックスはついその気になるものの、エーヴァがヴァルターに真の愛情を抱いていることを見届け、自分の恋を諦めます。台詞には何もそのようなことは書かれていないが、音楽がそのことを雄弁に語っています。
(譜例6)
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ヴァルターの素晴らしい歌に心底感動したザックスは第2節目を促し、ヴァルターが歌い終わるとまたしても例の動機が姿を見せます(譜例7)。しかしここでは動機は短縮され、ほのめかす程度に扱われている。
(譜例7)
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第3節を歌うことを断ったヴァルターに対し、ザックスは決然と「では、言葉はしかるべき場所で行為とともに示しなさい!」と言いますが、動機は殆ど原型をとどめずに決然たる調子にモディファイされています(譜例8)。
(譜例8)
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その後、ザックスとべックメッサーのやりとりの後、ザックスの工房にエーヴァが現われ、靴の修理にかこつけてヴァルターのことを気にしていると、ヴァルターが歌の第3節を歌いながら登場します。気付かぬふりをして靴を直すザックス。ここで例の動機が一瞬現われたのち(譜例9)、ただちに「靴造りの歌」に変化し、苦い諦念が笑いの世界に溶けていきます。実は私、ここからのザックスの歌は涙なしには聴くことができません。見事な音楽ですが、しかしどちらかといえば芸術的所産というよりは精緻な職人芸の世界という気もします。ただし、それはワーグナーの作曲法を貶めるのではなく、これほどの膨大なスコアが動機というさまざまな縦糸と横糸を撚り合わせたように造られているのは驚異的といってもよい事象ではあります。
(譜例9)
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感極まったエーヴァがザックスの計らいに感謝して”O Sachs! Mein freund! Du teurer Mann!”(ああ、ザックスさん、大事なお方!)と叫ぶところにも例の動機が潜んでいて、この「迷い」はエーヴァ自身のものでもあったことが判ります(譜例10)。
(譜例10)
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そこからエーヴァの長いソロが始まりますが、次第に強まる半音階的色彩はエーヴァの精神的成長を物語るかのよう。”Doch nun hat's mich gewählt zu nie gekannter Qual”(しかし、いまの私は思いもよらぬ苦しみを味わわされている身です)に至って、殆ど「トリスタンとイゾルデ」と見紛うばかりに音楽が上り詰めると、ザックスが「ハンス・ザックスは賢明だったから、マルケ王のような仕合せは望まなかったのだよ」と、「トリスタン」の引用にのせて歌います。
なんという音楽!これが喜劇か、と少しばかり空恐ろしくなるほど。その後、場面はいよいよ歌合戦の場へ。群衆に向かってザックスが開式を告げる場面、「あなた方の気持は軽いでしょうが、私の心は重くなります、私のような哀れな者に、あまりの栄誉が与えられますと。」という箇所でまたしても例の動機(譜例11)。
(譜例11)
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そしていよいよ大詰め、見事勝利とエーヴァとの結婚を勝ち取ったヴァルターを指して、ザックスが群衆に「どうです、私の選んだ証人に間違いはなかったでしょう!」というところにも動機がちょっと現われます(譜例12)。未練がましいといやぁ未練がましい、しかし人間の心理を丁寧に音で追いかければこういうことになるのでしょう。
(譜例12)
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以上見てきたようなことは、もちろん知らなくたって一向に観賞の妨げにはなりませんが、知っているのと知らないのとではやはり作品の受け取り方が違ってくるように思います。「迷いの動機」ひとつとってもこの調子ですから、正味4時間半の音楽を動機レベルで分析していけばとんでもないことになるのですが、それにしても「マイスタージンガー」に続く「ニーベルングの指輪」に至っては、4夜に亘って繰り広げられる長大な全曲がこのような「動機」の網目として作曲されていて、本当に筆のすさびで書き流したような小節が一つもないとさえ思われます。「トリスタン」にしても「指輪」にしても、うねるような音響の渦に巻き込まれ、忘我の境地を漂うのも一つの「聴き方」ではあると思いますが、一度は知的な分析という過程を経るのも悪いことではないと思います。
「マイスタージンガー」にどれほどの動機が使われているかは、ちょっとネットなどで解説を当たれば判ることですので、次回はあまり言及されていない(と思われる)動機を取り上げながら、有名な「ニワトコのモノローグ」について書いてみたいと思います。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-03-18 00:26 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その1)

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に何度も出てくる”Fanget an!”(始めよ!)という旋律、ファーンゲターーンというのを参鶏湯(サームゲターーン)と空耳。ほら、もう、そうとしか聞こえなくなったでしょ(悪魔の笑み)。



4月の「東京・春・音楽祭」の目玉はなんといっても「ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演。ワーグナー生誕200年に相応しいその公演で特に目を惹くのはヴァルター役をフロリアン・フォークトが歌うこと。昨年の6月に新国立劇場で彼の歌うローエングリンを聴いて、その類稀な才能に驚嘆しながらも、どうしてもその声質が好きになれなかったことは以前このブログにも書きました。にもかかわらず「マイスタージンガー」のチケットを買ったのは、いま間違いなく旬の真っ最中のフォークトをもう一度聴いておきたかったのと、どうして(世間であれほどもてはやされていたのに)私が好きになれなかったのかを分析してみたいと思ったから。

とりあえずフォークトのことは措いといて、ワーグナーの音楽をじっくり予習してみたいと思います。正味4時間半に及ぶ超大作を短期間で隅々まで把握するのはとても無理な話ですから、CDを聴きながら、ことさら耳に残る小さな部分、音楽用語でいうところの「動機(モチーフ)」レベルで、私の心を掴んで放さない些細な部分にこだわって、感じたことを数回に分けて書いてみたいと思います。
同時に、いままでこのブログでワーグナーを取り上げた際に、その物語に見られる謎のようなものについて、色んな思考の補助線を引きながらとりとめもないことを書き連ねてきた訳ですが、今回はそういった素人談義は止めて、最近買ったテオドール・W・アドルノの『ヴァーグナー試論』(高橋順一訳、作品社)を少しずつ読み進めながら、特に「マイスタージンガー」の理解に資するところについて書きとめてみたいと思っています。
今聴いている音源は下記の通り。

   ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲
   ハンス・ザックス: テオ・アダム(Bs-Br)
   ファイト・ポーグナー: カール・リッダーブッシュ(Bs)
   クンツ・フォーゲルゲザンク: エーベルハルト・ビュヒナー(T)
   ジクストゥス・べックメッサー: ジェレイント・エヴァンス(Br)
   フリッツ・コートナー: ゾルタン・ケレメン(Bs)
   ヴァルター・フォン・シュトルツィング: ルネ・コロ(T)
   ダーヴィット: ペーター・シュライヤー(T)
   エーヴァ: ヘレン・ドナート(Sp)
   マグダレーネ: ルート・ヘッセ(Ms)
   夜警: クルト・モル(Bs)
   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)
   ドレスデン国立歌劇場合唱団・ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮ホイスト・ノイマン)
   1970年11月24~30日&12月1~」4日ドレスデン聖ルカ教会にて録音
   CD:EMI CLASSICS TOCE11390-93

カラヤンといえば、「アンチ・カラヤン」という言葉があるくらい、嫌いな人は嫌いな訳ですが、この録音に限って言えば本当に歴史的録音といってもよい超弩級の名演という気がします。何より凄いのはシュターツカペレ・ドレスデンの質実剛健という表現がぴったりなその音色。もしカラヤンがベルリン・フィルでこの作品を録音していたならこれほどの成功は納められなかったのでは、と思います。当時共産圏であった東ドイツで、ある意味コマーシャリズムの呪縛から逃れて独自の進化をしたシュターツカペレの魅力は、既に語りつくされているのかもしれませんが、私も賛辞を捧げずにはいられない。その温かみのある、木肌のような手触りの音はもしかしたら現代では既に幾分失われていて、この「マイスタージンガー」の録音に辛うじて往年の素晴らしさを聴くことができるだけなのかも知れません(普段オーケストラをあまり聴かないのでえらそうなことは言えませんが)。カラヤンは敢えてこのオーケストラの音色を磨き上げるのではなく、またスタイリッシュな指揮というよりもドイツの伝統に則した指揮に徹することによって、真にオーセンティックなワーグナーの演奏を作り上げています。
歌手達はもう言うことなし。人間的な魅力に溢れるテオ・アダムのザックスと、天馬空を行くようなルネ・コロのヴァルター、お転婆だった金持ちの娘が物語の進展に合わせて真の愛情に目覚めた女性に変貌していくヘレン・ドナートのエーヴァ、厭らしい敵役でありながらもどこか憎めないエヴァンスのべックメッサー、いずれも素晴らしい。モーツァルトやバッハを端正に歌う歌手、というイメージの強いシュライヤーが、おっちょこちょいの靴屋の徒弟ダーヴィットを楽しそうに、しかも主役を決して食ってしまわないように歌っているのも好ましい。このオペラにはフルネームを与えられた多くの職人達が現われますが、いずれも所を得た歌手ばかりで、けっして上手すぎないのが役柄に見あっていて素晴らしいと思います。合唱も然り。あまり沢山聴いている訳ではないけれど、これはカラヤンの残した夥しい録音の中でも、「ばらの騎士」の旧盤などと並ぶ傑作ではないでしょうか。

カラヤンとシュターツカペレの恐るべき表現の深さという意味で、次の箇所を挙げておきたい。第3幕の前奏曲の、3/2拍子が一小節はさまった直後のフォルテッシモの部分(譜例1)、ワーグナーの膨大なスコアの中でも出色の部分だと思うが、これをカラヤンとシュターツカペレは聴き手の魂を揺さぶるかのように鳴らす。私の貧しい言葉では表現のしようも無いが、もし私が指揮者だとしたら、オーケストラからこんなフォルテッシモを引き出すことが出来たなら死んでもいい、とすら思うだろう。
(譜例1)
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このホ短調の主和音にCisを重ねた和音で始まる特徴のある音形は、世間では「迷いの動機」などと呼ばれていて、第3幕のザックスの「迷い(迷妄)のモノローグ」に出てくるのだが、実は第2幕にも意義深い登場の仕方をしていることに気付いたのでちょっと拾い上げてみたい。
まず、譜例1の当該箇所の低音だが、Cis-Dis-E-Fis-G-A-Hと上昇する音形。次に第2幕ザックスの「靴造りの歌」の第1節、”Als Eva aus dem Paradies”(エーヴァが楽園から神様に追い出されたとき)の低音(譜例2)を見てみると、E-Fis-G-A-B-C-Dとなっていて、ホ短調(前奏曲)とト短調(靴造りの歌)の違いはあれど同じ音形。これで「迷いのモノローグ」は実はザックスが創世記のエーヴァ(イヴ)にことよせて密かに想いを寄せるエーヴァへの恋心を歌っているということが判る。
(譜例2)
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「靴造りの歌」第2節の同じくだりの歌詞は”O Eva!Eva!Schlimmes Weib”(おお エーヴァ ひどい女よ!)というもの。そして第3節”O Eva!Hör mein' Klageruf.”(おお エーヴァ !わしの嘆きを聞いとくれ!)(譜例3)でついに譜例1の上声部の旋律が現われる(伴奏部の一番上の段)。
(譜例3)
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これが第3幕の前奏曲冒頭、そしてザックスの「迷いのモノローグ」に変奏されていくのだが、この第2幕の「靴造りの歌」における素材の「仕込み」は周到を極めていて、かなり聴き込まないと判らないように仕組まれている。ザックスの歌を聴いてエーヴァは思わず、”Mich schmerzt das Lied, ich weiß nicht wie!”(なぜだか、あの歌を聞くと心が痛むの!)と歌うが、この台詞に附けられた音楽の内声にも同じ旋律が書き込まれている(譜例4)。
(譜例4)
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第3幕の前奏曲は、少し後に出てくる「迷いのモノローグ」の素材から作られている、とする解説が多いようだが、ちょっと仔細に調べれば実は第2幕の「靴造りの歌」、もはや若い女の恋愛の対象からは外れてしまった中年男のやるせない歌からの引用であるということがこれで判りました(譜例5は前奏曲の冒頭)。
(譜例5)
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では、同じ旋律が第3幕、前奏曲と「迷いのモノローグ」以外の部分でどのように使われているか、これがまた分析すればするほど面白いのだがちょっと長くなるので続きは次回に。
(譜例はIMSLPからダウンロードしたマインツのB. Schott's Söhne社の1868年初版のヴォーカルスコアで、ピアノ伴奏の編曲はなんとかの歴史的ピアニスト、カール・タウジヒによるもの。引用した対訳は音楽之友社のオペラ対訳ライブラリーのものを使わせて頂きました)
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-03-14 00:01 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)