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ポゴレリチ・リサイタルまたは夢の文法

ペヤングはお気の毒だがこのツイートちょっと笑いました。
 ぽんこむ(人でなし)♥尼ロリ @Ponkom · 12月13日
 カップヌードルを開封したら中にエビの死骸が!




イーヴォ・ポゴレリチのリサイタルを聴きました。毀誉褒貶相半ばする人だと思うので最初に結論を書いておきます。私は素晴らしい演奏だと思いました。


  2014年12月14日@サントリーホール
  リスト 巡礼の年第2年「イタリア」から
       ダンテを読んで(ソナタ風幻想曲)
  シューマン 幻想曲 ハ長調 op.17
  (休憩)
  ストラヴィンスキー 「ペトルーシュカ」からの3楽章
  ブラームス パガニーニの主題による変奏曲 op.35


だが、この日私が受けた感銘を言葉にしようと思うと、これが本当に難しい。聴いて思わず感涙に咽ぶといった情緒的な感動でないことは確かだが、かといって知に訴える音楽でもない。曲によってはかなりエキセントリックな解釈だが、定石を外す面白さ、というのともまったく違う。この感動はいったいどこからくるのか、何とかこれを言葉にしてみたいと思う。

その感動の幾分かは、彼がピアノから引き出す比類ない音そのものの純度に負っていると思います。それは瑕や濁りが皆無という訳ではないのだが、轟くような強音も頽れるような弱音も、スタインウェイの性能の限界に迫るような凄まじさで聴く者の心を鷲摑みにする。単に美音とかいった生易しいレベルではなく、そこには音楽というものに常に纏わりつく意味作用を剥奪され、純粋なシニフィアンと化した音そのものがそこにあったという感じがします。それを全身で享受する喜びというものはそもそも言葉になりえないのかも知れません。

もう一つ感じたことは、いかに奇矯と思われるような解釈であろうとそこにはある種の明晰さがあると思われること。妻アリス・ケゼラーゼと死別してからの暫くの間、このピアニストが個性的な解釈といった範囲を超えて、スキャンダラスなほど恣意的に崩れた演奏をし、技巧面でも随分とすさんだ時期があったのは事実だとしても、少なくとも今回の演奏に関して言えば恣意性でなく論理性、混沌ではなく明晰な精神というものを強く感じました。常識的なテンポを大きく逸脱したシューマンでさえ、透徹したソノリテの設計があり、構造が透けて見えるような見通しのよさがあるように思われます。だが、この人はおそらく恐ろしいほどの明晰さで言葉を話しているのだが、その文法が我々の使う言葉のそれとは少し異なっているのかも知れない。それは夢の中で起こる事象が、ほとんど現実と異ならないのにどこかすこし異常だったりするのにも似ている。この人はいわば夢の中で語っているのではないか。

開演の25分ほど前にホールに入ると、舞台の上には私服にスキー帽のポゴレリチその人がすでにピアノの前に座っていて、驚くほど小さな音でゆっくりと、シューマンの第2楽章の左右の手が跳躍する難所やブラームスのオクターブのアルペジオなどを何度も何度もさらっていて驚きました。聴衆の何人かは舞台の前方に集まり、ピアニストの視界に入らぬよう背中の方から様子を見ていましたが、本人は時折客席を放心したように見つめながら、いつまでも弾き続けている。定刻の10分ほど前に一人の女性がそっと近づき何かを囁くと、まるでスローモーションのようにゆっくりと立ち上がり、魂の抜けた人のように蹌踉と舞台の袖に引き上げていきました。その時はあっけにとられましたが、後で演奏を聴くと妙に腑に落ちるものがあり、「ああ、このひとは私とは違う世界の住人なのかも知れない」と思いました。彼の住む世界は、調度や設えは現実と少しも違わないのに、部屋が水で満たされていたり、空気に水ガラスのような粘度があったりするのだろうか。だからシューマンのファンタジーが40分も掛かるのか、というのは冗談だが、彼の演奏を他の演奏(現実の世界のピアニストたちの弾く演奏)と比べてここが異常だとか、あそこがおかしいなどと言うのはもはや意味を為さない言説であることは確かだろうと思います。

実を言えば、シューマンの第1楽章が通常の意味でかなりエキセントリックであった他は、想像していたのよりもはるかに「まともな」演奏でした。リストでは轟然とピアノが鳴り、ロマン派の香りも毒も存分に放ちながら圧倒的なヴィルトゥオジテで弾き切ったといった演奏。シューマンの第1楽章も「文法」こそ違えどそのおそるべき求心力に度肝を抜かれましたが、第2楽章の中間部に溢れるシューマンの真情の吐露をここまで表現した演奏はちょっと他にないのではないか、と思われました。そのあとのコーダの技巧も目覚ましく、さらには第3楽章の静かに潮が満ちていくような音楽には、まさに「ポゴレリチ復活」といった思いをしました。ペトルーシュカはまるで初めて聴く曲のように思わぬところから見知らぬ旋律が聞こえ、火花のような音の閃きがそこかしこに飛び散るのが面白く、イマジネーションの豊かさを感じます。そして何より驚いたのはブラームスの超絶技巧の確かさと、あちこちにシューマンの最良のページにも似た豊穣極まりない響きが聞こえてくることでした。どちらかといえば霊感に乏しい作品と思っていた時期もあったのですが、今回のパガニーニ・ヴァリエーションは作品の真価の見直しを迫るほどの驚異的な演奏であったと思います。

今回のプログラムで誰しも思うことは、「よくまぁこれだけ難曲を揃えたものだ」というものでしょう。最後にブラームスを聴きながら、このプログラムを貫くテーマはヴィルトゥオジテそのものかも知れないと思いました。第1部の前半に19世紀を代表するヴィルトゥオジテ、第2部の前半には20世紀を代表するそれが置かれ、第1部の後半はデレッタント故に本物のヴィルトゥオーゾというものに強烈なルサンチマンを感じていたであろうシューマンの、切歯扼腕するような作品を配すると、最後のブラームスの想像力の限りを尽くすような難技巧の数々が、シューマンの立ち位置からのリスト作品への返礼のように、あるいはシューマンのルサンチマンを晴らすかのように思われてくるのが実に面白い経験でした。しかしこのプログラムでこんなことを考えさせてくれるというのはよほどのテクニックがあってこそ。やはり凄いピアニストです。

私は別にポゴレリチの信者でもなんでもなく、実は生で彼の演奏を聴くのは初めて。随分昔の、プロコフィエフの6番ソナタとか、シューマンのトッカータの録音とかは凄いと思うけれど、最近の50分近く掛けたリストのソナタなど、youtubeでちらっと観たが正直なところ何だこれ、と思った口です。今回、何人か知人が聴きに行くというのでつい連られてチケットを買ったが、最近ヨーロッパでの隠し録りのyoutubeが出回り(すぐに削除されたが)、ついついそれを観て(音だけ聴くと)奇矯としかいいようがないファンタジーやペトルーシュカにちょっと辟易し、かなり後悔していたのでした。しかし実演を聴いてみるものだ。わざわざこのリサイタルの為だけに関西から出てきただけの甲斐はありました。

最後に蛇足、というか備忘。全曲楽譜を譜面台に置いての演奏。若い男の子が譜めくりに就いたが、ブラームスの途中でポゴが彼に何かつぶやくと、それ以降自分でめくり出した。なにかトラブルがあったのだろう。ブラームスが終わると、すぐさま足で椅子をピアノの下に押し込み、譜めくり用の椅子まで押し込む。アンコールを峻拒している様子は明白なので聴衆のカーテンコールも短め(時間が押していたせいかも)。非常に神経質で気難しそうなのは事実だが、ことさら機嫌が悪かったということでもなさそう。最後まで茫洋とした感じで、ピアノのこと以外は一切考えて無さそうなタイプとお見受けした。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2014-12-16 16:35 | 演奏会レビュー | Comments(3)

日記みたいなもの~その9

心斎橋シネマートで、ジョシュア・オッペンハイマー監督のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」を観る。1965年インドネシアで起こった共産主義者殲滅にかこつけた組合労働者や知識人、華僑らの10万人とも100万人とも言われる大虐殺の、いまも優雅にくらしている加害者に殺人の様子を映画仕立てで再現させるという秀逸なアイデア。最初のうち嬉々として「演じて」いた当事者がどう変化するのかが見ものだが、最後のクレジットで現地スタッフやキャスト名が流れるところ、延々とANONYMOUSという表記が続くのが、紛れもなく現代の現実なのだと震撼させられる。




さて久しぶりのブラームス「51の練習曲」のレポート。前回Breitkopf&Härtel版の番号でNo.1cと1dについて書きました。実はこれに続いてNo.1eと1fがあるのだが、今の私には難しすぎて苦痛以外の何物でもないので後回し。気分を変えてNo.21aを弾いてみます。
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これも弾きなれない内は11度くらい届く巨大な手でなければ弾けないのでは、と諦めそうになりますが、次第に手の大きさではなく指の捌き方でそれなりに形になってくるのが面白い(完璧なレガートは無理にしても)。今私が取り組んでいるLavapiésも日本人の手の大きさでは厳しいところが頻出するので、このエチュードはなかなか有用だと思います。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-05-03 19:24 | その他 | Comments(0)

日記みたいなもの~その8

「秀吉の毛利攻め」というのがやっぱり「毛剃攻め」に空目してしまう。





ブラームス「51の練習曲」シリーズ、前回No.1a&1bを取り上げてから随分日が経ちました。次のNo.1cと1d(Durand版ではNo.12c/d)、これが難しいのなんのって。
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原典には指使いが書かれてませんので全音版の底本と思われる1928年Durand&Cie社版のほうを掲げておきますが、各小節の最初の4音、左右とも5-4-3-2の指(No.1dのほうは1-2-3-4)でアルペジオを弾くところが非常に困難。日本人の手の大きさでここをレガートで弾くのはまず不可能。最初はゆっくりスタッカートで、慣れてきたらすこしテンポを上げてノン・スタッカートで弾いてみます。なかなかテンポを上げることが出来ませんが、かと言ってあんまりゆっくりだと2拍目3拍目の左右のリズムが異なるスケールがばらばらになって、これまた演奏至難。
なんとなくNo.1cであれば後半よりも前半、No.1dなら逆に前半より後半のようが若干弾き易いように思われるのは、左手の5連符の有無によるものでしょう。左手5連符を右手4連符に合わせるというのは人間の生理にどこか反するのかも知れません。これ、逆の人がいたら面白いですね。右脳/左脳とか男脳/女脳みたいな違いで個人差があるように思います。
No.1a&1b同様、左右の親指で黒鍵を弾くことで、黒鍵の間を指が縫うように打鍵していく独特の指捌きが必要になってきます。これをじっくりと練習すればおのずと指の独立性と自在性を習得できる(はず)。
by nekomatalistener | 2014-03-29 22:50 | その他 | Comments(0)

日記みたいなもの~その7

ネットで見たんだがこれホント?
「宝くじを買いに行く途中で死ぬ確率は、宝くじが当たる確率よりも高い。」
宝くじ買うやつの気が知れんので全然問題ないけど。




ブラームス「51の練習曲」、今回はNo.1aとbまとめてご紹介。
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私が自分の練習に用いている楽譜は全音楽譜出版社のもので、ところどころ指使いが記されていますが、譜例にあげたBreitkopf&Härtel社のものには一切ありません。指使いを厳密に守ることもこの練習曲のポイントだと思っておりましたのでこれはちょっと意外。IMSLPで調べてみると、初版であるJimrock社の1893年版にも指使いは無し。Isidor Phillip校訂の1928年出版のDurand&Cie社版には指使いが書かれていて全音版はこれを底本にしていることが判りました(ちなみにDurand版は曲順も異なっていて、No12のa・bとなっています)。
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この癖のある指使いがどこまでブラームス自身の考え方を反映しているのかIMSLPで得られるデータだけでは調べようもないが、黒鍵で始まる音階を親指で始めることで手の甲のポジションが鍵盤に対して奥の方に位置することとなり、黒鍵と黒鍵の間を縫うように他の指が弾いていくことになります。他の鍵に指をひっかけずに正確に弾けるようになるまで練習すれば、おのずと自在な指の捌き方というものが得られるように思います。また、No.1bのほうは前段の右手と後段の左手に小指を一切使わせないことで、これまた他のエチュードでは決して得られない指さばきを習得することが出来ます。校訂者であるイシドール・フィリップはwikipediaによれば1863年にブダペストに生まれ、1958年パリで没したピアニストとのこと。この人の名前は憶えておこう。
by nekomatalistener | 2014-02-15 19:40 | その他 | Comments(0)

日記みたいなもの~その6

メシアンの「カンテヨージャーヤー」の冒頭のリズム、頭の中で「あんたもゆうたって~」と大阪のおばはんのように呟くと巧く弾ける。





ブラームスの練習曲、同一番号でaとbがあれば、大体はaが小手調べで、それを少し捻って難しくしたのがb、という感じなんだが、No.33bに関してはaとは比較にならない過酷さ、というかほぼ別物。特に折り返しを過ぎてからの左手は物凄くきつい。
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私の手の大きさは日本人としては小さい方ではないと思うけれど、これを自然な手の甲のポジションを維持してレガートで弾くのはほぼ不可能。しかし手の大きさに頼らずに指の捌き方ひとつで、出来るだけ不要な力をいれずに弾く方策はあるようです。オクターブを弾く時と、2と4の指で5度を弾く時、手の甲の向きが逆転するが、この手の甲のポジションの切り替えが瞬時に出来るようになれば、完全なレガートとはいかなくとも耳で聞いてほぼ音と音の隙間のない実質上のレガートが得られるように思います。ただしアマチュアでこの練習曲を快速で弾くのは諦めた方がよさそうだ。ここではあまり無理せず、もう少し先に進んでから戻ったほうが良いと思います。
by nekomatalistener | 2014-02-08 23:50 | その他 | Comments(0)

日記みたいなもの~その5

「史上最高のコラボといえば?」
「ヘドバとダビデとキャロライン洋子!」
「・・・それ名前のインパクトだけやから。それに若い子だれも知らんから。」




ブラームスの51の練習曲から。お次はNo.33a。
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この練習曲、ゆっくり弾くのならかなり容易な部類だと思うが、左右対称なんだか非対称なんだかよく分らない音形を、ある程度のスピードで弾くのは意外に難しいものです。最初の内このようにアクセントを附けると弾きやすくなりましたが、最終的にアクセントなしでなめらかに弾くのはけっこう骨が折れました。
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この曲の微妙な難しさというのは、ちょっと気を抜いて機械的に弾くと何が何だか訳が分からなくなる瞬間がある、というもの。こういう音形は、脳が信号化するのも両腕がそれを運動に変換するのも苦手なパターンという他ない。何度か繰り返し弾くと、脳が軽くオーバーヒートする感じ。ボケ防止にもなりそう(笑)。
by nekomatalistener | 2014-02-03 23:48 | その他 | Comments(0)

日記みたいなもの~その4

ファミマのフォアグラ弁当「残酷」と販売中止。一瞬、冷たくなったフォアグラのカケラを貧乏人に食わせるのが残酷なのか、と思ったでござる。




さてブラームス51の練習曲のシリーズ、今回はNo.32b。前回の投稿で、あまりの困難さに絶望しそうになる、と書きましたが、地道に毎日弾いていると少しずつ指が開いてくるのか、次第にそれらしく形になってきます。
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それにしても、よくまぁこんなに弾きにくい音形を選び出すものです。最初の内、調性によっては指がまったく届かないところがあったり、左手の3と4の指が干渉して巧く弾けない個所があったり。あと1cm、いや5mmでいいから指が長ければ良かったのに、と思っていましたが、指の長さよりはむしろ指の捌き方のほうが大切なことが判ってきました。始めはちょっときついですが、例えば2,3だけでなく全ての指を押さえたまま保持してゆっくり弾く、といった練習も役に立つように思います。この弾き方で通せるようになれば、楽譜通り2と3だけ保持する弾き方が随分楽に思えてきます。No.32aのようには早くも滑らかにも弾けないのはアマチュアの悲しさですが、もし若い頃からこの練習曲で訓練していたなら、あの「パガニーニ変奏曲」の左手6度の恐るべき変奏も何とかなっていたかも、という気がしてきます。あの第1巻の第2変奏は、とてつもなく巨大な左手でなければ弾けないと思っていましたが、実は指の捌き方(うまく表現できないのだが・・・)次第でやりようがある、という気にさせてくれるのも、この練習曲の凄いところ。まぁ実際には手遅れでしょうが(笑)。
by nekomatalistener | 2014-01-28 00:44 | その他 | Comments(0)

日記みたいなもの~その3

「とても魅力的な記事でした!!また遊びにきます!!」というコメント、「職務経歴書」と名乗る投稿者のURLをポチすると関係ないサイトに飛ぶ。うわーコメント来た!って喜んでたらただのステマ。けっこう前からいろんなブログで蔓延してるみたい。でもこんなブログ、全然パブリシティ効果ないと思うけどなぁ。




最近ピアノを再開したら聴くほうがすっかりおろそかになっています。まぁ気が向くまで無理に聴くこともあるまい。ただ、近い内にマイアベーアの「悪魔のロベール」のことは取り上げたいと思ってます。来年のびわ湖ホールの「死の都」に関連が深いというのと、19世紀のあらゆる音楽家に(好むと好まざるとに拘らず)大きな影響を与えたと思しいマイアベーアは一度はきちんと聴いておきたいと思うから。
さてブラームス51の練習曲、お次はNo.32a。ポイントは3と4の指がレガートにつながることと、特に4の指に絶対に変な力が入らないよう留意すること。また、どうしても4より3の指が強く響くので、最初の内4の指に少しアクセントを附けるのも良いかも知れない。ピアノからフォルテまで、さまざまなデュナーミクとテンポで指がほぐれていくのを感じながら、楽しんで弾けるまで練習してみよう。
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このNo.32aを機嫌良く弾き終え、次の32bに取り掛かろうとすると、あまりの困難にちょっと絶望しそうになるが、これはまた次回に。
by nekomatalistener | 2013-12-29 23:03 | その他 | Comments(6)

日記みたいなもの~その2

ペットボトル入りヤクルトほしい。





前回ブラームスの51の練習曲からNo.31aを取り上げた訳だが、アマチュアが目指すべきはいかに早く弾くかではなくて、いかにレガートで弾くか、ということだろう。それと、私の場合できるだけ手の甲を捻らず回転させず弾くようにしているのだが、No.31aはどうしても手の甲のポジションが鍵盤の奥のほうに行ってしまう(特にヘ調の属七のフレーズ)ので、手の甲をまっすぐ保たないと中指や薬指が黒鍵に引っかかってミスタッチに繋がってしまう。
さて、次のNo.31b。素材は31aと全く同じ。でも三分の一拍左右の手がずれているので非常に難しく感じる。この感覚、どこか錯視に似ている。全く同じ長さの直線や、同じ色のタイルが、ちょっとした仕掛けで長さや色が違って見えるアレ。
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錯視が一回そう見えてしまうと頭では分かっていても生理的に正しく認識できないのと同じで、「ずれている」と感じた瞬間に難度が一気に上がってしまう。これを克服するにはひたすらゆっくりと繰り返し練習するしかないみたいだ。これで思い出したが、リゲティのエチュード第1巻の「無秩序Désordre」なんか、殆どワンフレーズごとに左右の音型がずれていき、しかも二段譜の上下の小節線までずれていく。私はいつも「ようこんなん弾くなぁ」と唯々感心するのみ。それと比べりゃ楽なもん(のはず)。
by nekomatalistener | 2013-12-10 23:55 | その他 | Comments(0)

日記みたいなもの~その1

ダホメ王国(現ベナン共和国)の国旗かわいすぎ(これこれ、国旗をネタにして笑ろたらあきませんて)。
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最近、学生時代の友人達が、仕事漬けの日々から少し解放されたのか、次々とピアノやヴァイオリンなどを再開し、ある人はPTNAやアマコンで入賞し、ある人はアマチュア・オケで素晴らしい演奏を聞かせて下さる。私も転勤を機に、十数年ぶりにピアノを再開しました。
長期間のブランクの所為で、はじめは音階すらまともに弾けません。友人はバッハの平均律第1巻のc-mollのプレリュードをゆっくり弾くといい、と言うのだが、これも情けなくなるほど弾けません。ふと思い立ってブラームスの51の練習曲からNo.31aをゆっくりさらってみると、これが霊験あらたかというか、2日ほどで昔の感覚がよみがえり、音階も件のバッハもそこそこ弾ける(ような気がする)。
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この練習曲、独学で学ぶには指の故障などリスクが大きいのは承知の上だが、あまり長時間弾き過ぎないことと、指や腕に余計な力が入らないように気をつければ大丈夫だろう。なぜNo.31aなのか、と言えば、別にどっから始めても良いのだが、No.1から始めると絶対挫折しそうだから、という判ったような判らないような理由。
この練習曲、上昇する右手の4・5の重音と、下降左手の同じく4・5の重音がばらけないようにするのが肝要。手の大きさによって正しい弾き方は変わると思うが、私の場合、手の甲を出来るだけ動かさず(捻らず)、4・5の重音を垂直にストンと落下させるように弾くと上手く弾けることが判りました。三連符の最後の音に軽くアクセントをつけるのも効果的。左手の下降はどうしても手の甲が内側に巻くような動きになるが、それで指の強張りが無くなるのなら当面それもよし。但し、4・5の指はあくまでも垂直に力を抜いて落下するイメージ。
上昇・下降とも第4節は減七の和音で、5本の指が完全に等間隔(短3度)な分、とても弾きやすい。これは両手とも手の甲を平行移動させるだけでかなり脱力して弾ける。その他の節は指と指の間隔が変わるところが厭らしいが、3と4の指が次第に開くようになると、この第4節のイメージで全曲を通せそう。とりあえず一週間ほど続けてみましょかね。
by nekomatalistener | 2013-12-03 00:24 | その他 | Comments(0)