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新国立劇場公演 ワーグナー「タンホイザー」

冬休みに帰省して高2の息子とテレビを観ていた時のこと。「スカルプD」という洗顔フォームのCMで、顔中泡だらけのおっさんが水で洗い流して素顔を現すと、息子が「あっ、すげー!」と言った。「誰?」と訊くと「知らんの?メッシ。」と人を小バカにしたような上から目線の息子。そんなんフツーの大人は知らんがな。・・・・と思って、この話を年明け会社ですると、皆が「え、知らはらへんのですか?フツーは知ってますよ、メッシ。」「いやー、サッカーとかよう知らんけどメッシは知ってますわ、ふふふ。」などと口々に宣う。なんなんや、メッシて。こぎたないおっさんやん。




ワーグナー・イヤーの年明けに相応しく、新国立劇場で「タンホイザー」を観ました。

   2012年1月26日
   タンホイザー: スティー・アナセン
   領主ヘルマン: クリスティン・ジグムンドソン
   ヴォルフラム: ヨッヘン・クプファー
   ヴァルター: 望月哲也
   ビーテロルフ: 小森輝彦
   エリーザベト: ミーガン・ミラー
   ヴェーヌス: エレナ・ツィトコーワ
   牧童: 國光ともこ
   指揮: コンスタンティン・トリンクス
   演出: ハンス=ペーター・レーマン
   合唱: 新国立劇場合唱団(三澤洋史指揮)
   バレエ: 新国立劇場バレエ団
   管弦楽: 東京交響楽団

26日は今回の公演の2回目。まだ他人様のブログなどの公演評は読んでおりませんが、多分主役のスティー・アナセンがぼろくそに書かれるのだろうな、と予想がつきます。カーテンコールでも派手なブーイングが出てましたし。でも、皆がこきおろすと庇いたくなるへそ曲がりな私。確かに風邪で体調も悪かったのでしょう。舞台上なのにげほげほと咳してました。還暦すぎてワーグナーはきついということもあるかも知れません(Stig Fogh Andersenでネット検索したら1950年生れ。それにしてもデンマーク人の発音難しい)。声量という点では、重唱になると声が負けてしまって聞こえなくなる。そもそもヘルデン・テノールという声質ではない。ではつまらなかったのか、と問われたら断然ノーである。実に面白いタンホイザーだったと言いたい。
だいたいこのタンホイザーという役柄、ヘルデン・テノールが歌うと優柔不断で何を考えているのか判らない役になりがちだと思うのだが、アナセンが歌うとなぜかものすごく人間として共感できるような気がします。第2幕の歌合戦の場、ヴェーヌスベルクでの背徳の悦びを口にしたせいで騎士たちに責めたてられる場面で、同じような構図をどこかで見たような気がして思わずアッと思ったのだが、これはまさに「ローエングリン」のフリードリッヒと他の人物たちと相似形ではないか。あのオペラでは唯一フリードリッヒだけが人間らしい感情を持ち、論理的思考が出来ているのに対し、ローエングリンもエルザも王も、皆どこかしら異様な宗教的狂気にとり憑かれているように私には思われたのでしたが、「タンホイザー」では彼だけが愛と肉欲を切り離せられない世俗の存在であって、ヘルマンもエリーザベトも他の騎士たちも、宗教を持たない私にはなんと遠い存在だろうと思いました(ヴェーヌスは、あれはそもそも神々の一員ですから除外)。アナセンのかわりにヘルデンらしいヘルデンがもし歌っていれば、こんな事には決して気が付かなかったでしょう。それにしても彼の声をどう評したらよいのだろう、なんというか「癖になる」声ですね。ついでに彼のHP
http://www.stigandersen.com/
を見たら、ワーグナーのテノール役がキャリアの大半を占めているなかに「サロメ」のヘロデをレパートリーにしていることを発見。この人、(風邪ひいてなくて体調万全の時はどうか知らないが)英雄的な役よりヘロデのようなスケベというか変態というか、ちょっと性格的な役のほうが向いているかも知れません。でも、誤解のないように繰り返すが、私には実に面白いタンホイザーでした。こんなのが最初に刷り込まれると、声のでかいだけのテノールで聴いたらバカに聞えるかも知れません。
もう少しアナセンについて。この人、なかなか芝居も巧くて、突っ立ってるだけの歌手とはひと味もふた味も違う。歌合戦が始まると、ヴォルフラム達は威風堂々と広間に現われるのに、彼は上着のボタン留めながら落ち着きなく出てきます。歌の順番を決めるときも、他の騎士たちが歌っている間もとにかく「態度悪い(笑)」。この場面も何か既視感があるなぁと思ってましたがアレですな。ほら、高校とかで、童貞集団が猥談している時に、一人筆おろし済ませたヤツが「アホやのう」と横で聞いているのだが、余りにもくだらない議論に辛抱たまらず「お前ら知らんやろけどな・・・」と武勇伝を語りだす、アレです。オペラ・ファンの皆様の顰蹙覚悟ですが、そう考えるとこの場面のタンホイザーの奇矯な行動が理解しやすくなる。バカなことを、とお思いの方もおられるでしょうが、このような「世俗の」タンホイザーだからこそ、第1幕のヴェーヌス(性愛の神)とタンホイザー(世俗の人間)の対比がドラマとして非常に明確になっていたと思います。

他の歌手ではヴェーヌスを歌ったツィトコーワが非常に良かったと思います。でかい声を出そうと思えばいくらでも出そうな人だが、第1幕のアナセンとの二重唱は声量のバランスもよく、それでいて物足りないところもなく、これは彼女の知性のなせる技のようにも思います。もっと妖艶な歌い方もあるかも知れませんが、それは無い物ねだりというもの。エリーザベトのミラーは、ヴィブラートの振幅が大きく好き嫌いが分かれそうな声でしたが、耳が慣れるとそれなりに聴けます。ところどころ音程の微妙なところがあって、第3幕のアリアは感動するところまでいきませんでしたが。方伯(領主)ヘルマンのジグムンドソンはいかにもワーグナー歌いといったバスで安心して聞けます。ヴォルフラムのクプファーも良いが、エリーザベトと同じく、あの「夕星の歌」でも感動まではどうしても行かないのが不思議。どこがどう、と悪いところはないのだが。ちなみに長身でバリトンにしてはスリムなクプファーと、背が低くずんぐりしたアナセンが並ぶと、アナセンが御者とか下男みたいに見えるのが気の毒でした(写真だけ見たら「リゴレット」かと思いそうww)。
新国立劇場合唱団の素晴らしさは毎度のことですが、歌合戦の場など貴婦人たちがいろいろと控えめな芝居をしているのが好ましく感じました(「あら、奥様、いやだわ・・・」「まぁあなたったら、お好きなんじゃなくって?ホホホ」みたいな感じ)。
レーマンの演出はごく伝統的、というか常識的なものでした。第3幕、去ろうとするエリーザベトにヴォルフラムが「お伴をしてはいけませんか」と尋ね、彼女が拒否する場面では、エリーザベトが暫らくヴォルフラムを見つめた後、顔をベールで隠してしまうという演出で、胸を突かれました。装置は美しく適度に抽象的で、照明ひとつでヴェーヌスの神殿の氷のような柱にも、ヴァルトブルク城の広間の豪奢な円柱にもなり、裏返せば十字架が現われて教会を示す、といった仕組み。ただ、ヴェーヌスとタンホイザーの寝室はちょっと安っぽくてラブホテルみたい。これは見なかったことにしよう。
第1幕冒頭のニンフやサテュロス達のバレエは官能のカの字もないお子様仕様につき論評不可。別に卑猥な所作をする必要はないが、もうちょっとエロティックな表現がないと、ここにバレエを置く意味がないではないか。
今回の公演はドレスデン版でもパリ版でもなく、折衷的なウィーン版とのこと。私が予習していたハイティンクのCD(ドレスデン版)と比べるとヴェーヌスベルクの場と第2幕の終結がかなり違う。上演を重ねる度に、より官能的な音楽を書こうとして苦心した結果でしょうが、「トリスタンとイゾルデ」の奇蹟的なほどのエロティックな音楽と比べると何とも中途半端な感じがしました。トリンクスの指揮もオーケストラも悪くはないどころか、(私は2階左側の席で聴いていたが)ずっしりとした音圧のある立派な演奏でした(第1幕後半舞台裏から聞こえる狩猟のバンダはスカスカでしたが)。でもやはり感動とは程遠く、音楽が腹に入らないままするすると流れて行く感じ。これはワーグナーの音楽そのものにも原因があると思いますが、私が本当に優れた演奏を知らないだけかも知れません。
by nekomatalistener | 2013-01-27 10:39 | 演奏会レビュー | Comments(4)

ワーグナー 「タンホイザー」 ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団 

マイナビニュース「人生の悩み」より
「猫が毎朝おこしにきてくれます。
それはうれしいのですが、起こし方が毎回変わっていて、自分の小さなピンクの鼻を私の鼻の穴に押し込んで「プピー」と音を鳴らして遊んだり、会社に持っていっている3キロくらいの重さのかばんを運んできて私の顔の上に乗せたり、あとカリカリを口の中にいれて、私のTシャツの中にもぐりこんでおなかの上に置いていったりします。 かわいいのですが少々困っています。どうすればよいでしょうか?」
う・・・ちょっとうらやましい。




ちょっと事情がありまして長らく更新が出来ませんでした。ぼちぼち再開しますのでよろしくお願い申し上げます。
新国立劇場で今月「タンホイザー」が上演されるのに先立ってちょっとばかり予習をしております。音源は次の通り。

  タンホイザー: クラウス・ケーニヒ
  エリーザベト: ルチア・ポップ
  ヴォルフラム: ベルント・ヴァイクル
  ヴェーヌス: ヴァルトラウト・マイヤー
  テューリンゲン方伯ヘルマン: クルト・モル
  ヴァルター: ジークフリート・イェルザレム
  ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送交響楽団・合唱団
  1985年1月2~13日録音
  CD:EMI6 40800 2

以前にも何度か書いた通り、私のワーグナー体験というのはすごく偏りがあって、「タンホイザー」も全曲通して聴いたのは初めて。以前「ローエングリン」について書いた際に、その不条理極まりない物語の理解のためにパゾリーニから聖書まで雑多な思考の補助線を引いた挙句、すっかりとっ散らかしてしまったのと対照的に、こちらは物語そのものは「エロス(=ヴェーヌス)讃歌」というシンプルな構造を持っており、「純愛による救済」という(とってつけたような)テーゼを横に措いておくととても判りやすい。
「タンホイザー」理解の極端な姿として今回是非とも取り上げたいのが、オーブリー・ビアズレーの「ウェヌスとタンホイザーの物語」(邦訳『美神の館』澁澤龍彦訳 光風社出版)という未完の小説。オペラではヴェーヌスベルクでタンホイザーがどんな生活を送っていたのかは判然と描かれてはおりません。ビアズレーはこの点に着目した訳だが、出来上がった代物は耽美的ポルノグラフィーといった趣の作品。たとえば訪れたタンホイザーをヴェーヌスが晩餐に誘い、侍女や侍童たちが淫らな歓待を行なうこんな場面。
「プリアプサは、硝煙の匂いを嗅いだ老いたる軍馬のように鼻息を荒くし、ウェヌスとタンホイザーを交る交る刺激し、その舌を二人の峡谷の奥にまで差しこんで、ついに騎士の溢れ出るものを口中に享けるまでは、いっかなその動きをやめることを肯じなかった。クロオドはチャンスをとらえると、テーブルの下にもぐりこみ、テーブルの向う側の女王の長椅子の下にひょっこり顔を出し、女王が「あれ!」と言う間もあらばこそ、あの「二本の円柱」のあいだの甘露を啜っていた。」
タンホイザーはナルシストとして、あるいはペデラストとしても描かれている。彼がお付きの少年たちと湯浴みしながら戯れる場面はこんな感じ。
「少年が能動的な姿勢をとりたがっているように思われたので、タンホイザーは気前よく受身の姿勢になってやった。この寛大な振舞いによって、騎士はすっかり浴室係の少年たちの心をつかんでしまった。浴室係の少年というよりもむしろ、騎士がそう呼んでいたように、「可愛いお魚」と呼ぶべきであったかもしれない。彼らは騎士の脚のあいだを泳ぎまわることを大そう好んだからである。」
だが、前後の部分は露骨すぎて引用を憚られるほどだ。
一方のヴェーヌスには一角獣との世にも不思議な獣姦の場や、あろうことか朝のお通じにまつわるスカトロジカルな場などが出てくるが、これもかなり露骨な描写が続くので割愛。興味のある方はぜひ手にとって読んでほしい。未完の作品故唐突に終わるのだが、1898年に25歳で夭折したビアズレーがもし長生きして続きを書いていたとしたら、おそらくワイルドの耽美的世界とサドの「悪徳の栄え」を綯い交ぜにしたような作品になっただろうと思います。こういう作品における澁澤龍彦の翻訳は本当に偉業と呼ぶに相応しいと思います。サド侯爵の翻訳に比べると目立たないものですが、これをごく一部の好事家だけのものとするのはもったいないと思います。
オペラにおけるタンホイザーが、ヴァルトブルクに戻ってからもヴェーヌスベルクでの出来事が忘れられないのも、こういった酒池肉林の宴があったとすれば納得がいくというもの。歌合戦の場面でヴォルフラムやヴァルターたちの歌がなんとも生彩を欠くように思われるのも、第3幕でヴォルフラムが歌う感動的な「夕星の歌」が実は金星(=ヴェーヌス)への呼びかけであるという奇妙な事実も、このオペラがエロス讃歌であると思えば納得が行きます。それを平たくいえば「爛れるような官能の世界を知らないものには芸術はわからない」ということになるのでしょうか?ワーグナーのすごいところは、このあと「トリスタン」へ長足の進歩を遂げることで、まさに「タンホイザー」で予告した「官能の帝国」を実際に作り上げたことだと思います。

ハイティンクのCDに関して少しだけ書いておきたい。まずハイティンクの指揮だが、根本的にワーグナーの演奏に向いていないのでは、と思わざるを得ないところがあります。冷徹なほどよく整理された音楽には感嘆しながらも、およそエロティシズムの欠片もない醒めた演奏にはやはり燃えないのである。それでもこのCDに価値があるとすれば、それはなんといってもルチア・ポップの歌うエリーザベトの表現に尽きるだろう。もともとワーグナーを得意とする歌手ではないので、例えば第2幕第1場など、些か苦しいところもあるのだが、第3幕の歌唱は、本当に真実に溢れたエリーザベトだと思います。このオペラをエロスへの讃歌と捉えると、どうしてもエリーザベトという人物の造型に無理が出てしまうことが予想されますが、ポップの歌唱はそんな小賢しい解釈などぶっ飛ばすほどに優れたものです。その他の歌手達ではタンホイザーのクラウス・ケーニヒはちょっと癖があって好き嫌いが分かれるところでしょう。私はとても立派な歌唱だと思いました。ヴォルフラムのベルント・ヴァイクルも優れています。ヴェーヌスのヴァルトラウト・マイヤー、方伯のクルト・モルはまずまず、といったところ。ちょい役のヴァルターをジークフリート・イェルザレムが歌っているが、まだこれが録音された当時は駆け出しだったということでしょうか。それなりの歌でしかないところが面白い。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2013-01-16 23:35 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)