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新国立劇場公演 ヴェルディ 「アイーダ」

以前、「メッシ知らんの?」と息子から上から目線で言われた私の気持ちが良く分かったと、関西在住の知人Aからメールが・・・。
知人A「何時まで雨降んねやろ・・・」
知人B「午後には雨やむってまさきさん言うてたで」
知人A「まさきさんってどこの職場の人ですか」
知人B「まさきさんしらんのん?関西に住んでてまさきさんしらんのん?写真が趣味でこのまえどっかきとったで。」
「メッシしらんのん?」と言われた●●さんの気持ちが分かりました。ネットで調べたらABCの気象予報士の正木明さんとのこと。顔は知ってますが名前までは知らんがな。・・・




話題の「アイーダ」を観てきました。明日から出張で暫く忙しいので、記憶の薄れない内に感想をメモしておきたい。

  2013年3月27日
   アイーダ: ラトニア・ムーア
   ラダメス: カルロ・ヴェントレ
   アムネリス: マリアンネ・コルネッティ
   アモナズロ: 堀内康雄  
   ランフィス: 妻屋秀和
   エジプト国王; 平野和
   指揮: ミヒャエル・ギュットラー
   演出・美術・衣裳: フランコ・ゼッフィレッリ
   合唱指揮: 三澤洋史 
   合唱: 新国立劇場合唱団
   管弦楽: 東京交響楽団

この公演、呼び物は何と言ってもゼッフィレッリの記念碑的演出の再演であること。第2幕凱旋の場の、豪華絢爛たる舞台を観れば今回の観劇の目的の7割方は達せられたといった感じがする。私は自慢じゃないが(自慢だけど)、1988年のミラノ・スカラ座の来日公演で、ゼッフィレッリ演出の「トゥーランドット」を観ており(NHKホールだった。思えばあの頃はまだ日本にはオペラ専用の劇場なんてものは無かったのだ)、これほど贅沢な舞台を観るのは実に四半世紀ぶり。1988年といえば世はバブル真っ只中だった訳だが、その頃のちょっと浮ついた世の中の空気とか、社会人になって4年目の私個人のほろ苦い記憶の数々まで呼び起されるようなバブリーな舞台でした。
その凱旋の場は、単に豪勢というだけでなく色彩と質感が見事。思わず、あのルーヴル美術館で一際偉容を誇るジャック=ルイ・ダヴィッドの大作、「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」を思いだしました。こればかりは実物を観ないことには始まらない。
歌手の中ではアムネリスを歌ったマリアンネ・コルネッティが素晴らしかった。全体に主役二人が大味な中で彼女の表現力は際立っていたように思う。第4幕第1場の長いソロには涙を禁じえませんでした。
アイーダ役のラトニア・ムーアはちょっと評価が難しい。ソロを歌うと音程が悪く表現ものっぺりしていて大味。ところがアンサンブルになると、太い筆に墨をたっぷり含ませて一気に書かれた文字のように、実に存在感のある声に感じられる。第2幕の壮大なコンチェルターテや第3幕のアモナズロとの二重唱など素晴らしいのだが、一人で歌うところは概ね残念な出来。
ラダメス役のカルロ・ヴェントレは、第1幕あたりはちょっと粗っぽい歌い方で少し厳しいかな、と感じたが、後半は素晴らしい歌唱。今時これだけロバストでプロフォンドな表現の出来るテノールは貴重。
脇役の日本人男声3名も大変結構。アモナズロの堀内康雄、第3幕のアイーダとの対話は手に汗握る迫真の歌唱。エジプト王の平野和については本ブログで昨年の「ドン・ジョヴァンニ」のレポレッロを絶賛しましたが、まぁエジプト王の役ではこの人の美点はあまり活かし様がない。しかし舞台映えのする見目麗しい王でした。神官ランフィスの妻屋秀和はいつもながらの安定感。これだけ脇ががっちりしていると音楽の隅々まで実に楽しく聴ける。
ギュットラーの指揮は、経歴を見ると必ずしもイタリアオペラが得意という訳でもなさそうだが、トラディショナルなソステヌートなども様になっていて、様式感を大切にしようとする姿勢にとても好感が持てました(ちょっと走るところもあるが)。だがその様式感というものは本能的に湧き出てくるものというより、学習の成果として現われたものという気がする。とはいえ、こういう演奏は(イタリアものが鬼門になりがちな)日本のオケにとっても貴重な経験になると思う。イタリア・オペラとなると途端に薄っぺらい音になることが多い日本のオーケストラだが、今回の東京交響楽団の演奏は十分輝かしさもあって秀逸でした。
ま、いろいろ細かいところをあげつらうことも出来るが、総括すると終幕のアムネリスが良かったので結果オーライ。なんだかんだ言いながら、やはりヴェルディは素晴らしい。
by nekomatalistener | 2013-03-28 01:59 | 演奏会レビュー | Comments(5)