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R.シュトラウス 「ダナエの愛」 二期会公演

仕事でアトランタ空港からグイネットという町にいく途中、広大な森の中の道沿いにポツンポツンと民家が現れるのを見ていると、そりゃこんなとこで生活するにはライフル必需品だよなぁと実感。万が一のとき、警察呼んだって多分1時間やそこら掛かりそうだし、お隣さんは下手すりゃ何マイルも先だし。



リヒャルト・シュトラウスの珍しいオペラを観てきました。

 2015年10月4日@東京文化会館
 R.シュトラウス「ダナエの愛」
  ユピテル: 小森輝彦
  メルクール: 児玉和弘
  ポルクス: 村上公太
  ダナエ: 林 正子
  クサンテ: 平井香織
  ミダス: 福井 敬
  ゼメレ: 山口清子
  オイローパ: 澤村翔子
  アルクメーネ: 磯地美樹
  レダ: 与田朝子
  合唱: 二期会合唱団
  管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団
  指揮: 準・メルクル
  演出: 深作健太


この「ダナエの愛」というオペラ、私はウルリヒ・ヴィントフュール指揮キール歌劇場のCDで一応予習はしましたが、第1幕の黄金の雨の場面、ハープやチェレスタ、グロッケンシュピール、ピアノを含む煌めくような練達のオーケストレーションと、なんとなく作曲者の老いというか生気の衰えというか、霊感の枯渇のようなものが同居しているような気がして、今一つ作品に入り込めないような気がしていました(実をいえば、これに先立つ「ダフネ」にもほんの少しだが似た感じを受けます)。このすぐ後に書かれた「カプリッチョ」の、あの素晴らしい月光の降り注ぐテラスの音楽に至るには、枯れるだけではなくてあと少しの熟成の期間が必要だったのか、と。もちろんその後は至る所にシュトラウスならでは、という美しい音楽が滔々と流れる部分もあるのですが、どうもこの黄金の雨の場面が引っかかって全体像を掴みかねたまま公演を聴くことになりました。しかし、実際に舞台で観たそれは予想以上に素晴らしく、確かに音楽的に多少弱いところがあったり、手癖だけで書いてるような部分もあるにせよ、その豊麗さにはすっかり酔わされてしまいました。

今回の公演、私は大成功だと思いましたが、シュトラウスの職人芸の手練手管は措くとして、その成功の要因はまず歌手の素晴らしさだろう。中でもミダス役の福井敬は本当に素晴らしい。私は以前にもどっかで聴いているはずだがこれほどまでの歌唱は聴いた記憶がない。今まさに油が乗り切っているということなのだろう。ワーグナーのヘルデンテナーの役でもいけそうなほどの力強さ。もちろん単に声がでかい脳天気な歌い方でなくて知的かつ温かみのある優れたアプローチでした。
ユピテルの小森輝彦だが、一昨年ライマンの「リア王」を聴いて震撼させられたのだけれど、今回はいささか精彩がない。それが年老いてやることなすこと巧くいかない役柄ゆえに敢えてそうなったのか、この二年の間の変化(敢えて劣化とは言わないが)の所為なのか、にわかには判じがたい。前者の理由だとしても、もうすこし分厚いオーケストラを突き抜けてくる声の威力がほしいと思いました。
ダナエはほとんど舞台に出ずっぱりの大変な役だと思いますが、林正子はとても立派な歌唱でした。「影の無い女」のバラクの妻同様、ドラマティックソプラノが吼え気味に歌うことが多そうな役だが、彼女の歌は一瞬たりとも吼えたりせず、暖かく優しさの感じられる歌唱でした。やや高音がしんどそうな瞬間もありましたがこれだけ歌えたら大したものでしょう。
その他、メルクールの児玉和弘、4人の王女、ポルクス王、侍女、いずれも隙のない歌唱で脇を固めていました。合唱の場面は借金の取り立てに来た債権者の群れだとか、騒々しい場面が多いのだが、二期会合唱団の演奏は音楽的にきっちり整理されていてお見事。複雑に組み立てられたスコアが目に浮かぶようだ。
準・メルクルの指揮、東フィルの演奏も文句なし。繰り返しになるが、「カプリッチョ」の精妙さとは些か異なる音楽の様式を的確に表現し、職人芸的な高いレベルの演奏を作り上げていたと思います。ある意味天才肌の演奏とはかなり違うという印象もあるが、この作品には非常に適切なやり方だろう。
深作健太の演出は最初の二幕はまずまず常識的。馴染みの薄いオペラなのでこれでよいと思います。照明をうまく使ってミダスがキスした瞬間にダナエが黄金の像になるところなど難なく切り抜けていました。第3幕の廃墟のような装置が福島原発を連想させること、メルクールが放射線防護服みたいな恰好ででてくるのにはちょっと驚きました。その防護服を脱ぐと今度は外科医の手術衣のような恰好をしています。神亡き後の人類の再生とでもいったところなのか、最後の場面の妊娠したダナエが大きなお腹を愛おしそうに、また不安げに撫でさするところまで観るとそれなりに筋が通っているのですね。次いで現れる4人の王妃は黄色いドレスに黄色いパラソルで奇天烈な印象。しかし、この場面全体が「ナクソスのアリアドネ」のコンメディア・デラルテの場面の回想のように書かれていることを思えば、ぎりぎり許せるかな、といったところ(メルクールは「アリアドネ」よりはむしろワーグナーのローゲやミーメからインスパイアされたのでしょうが・・・)。神の誘惑に勝る人間の愛、というテーマが明確に描かれていて素直に感動できる演出でしたが、シュトラウス本人としては貧しさの中の愛、というテーマに実際どれほど共感していたのだろうか。本当のところは「カプリッチョ」で描かれた高踏的で貴族的な世界への共感のほうがずっと強かったようにも思います。そのあたりが両者の出来栄えの微妙な差に繋がっているのかも知れません。

他のブログやツイッターなどみたところ、演奏に関していくつかネガティブな感想を書いていた方もおられたが、私の観た4日は全部で3日間の公演の最終日、かつダブルキャストの2日目ということでコンディションとしては大変良かったのだろうと思います。この知られざるオペラを広く世に知らしめるという意味では何の不足も不満もないという以上に、この作品の真価を明らかにし、ネガティブな世評(CDだけ聴いた最初の私の感想も含め)を覆すに足る充実した舞台だったと私は思いました。今回は何かと忙しくて予習もままならない中での鑑賞でしたが、いずれじっくりと作品を聴いて、ワーグナーの「ラインの黄金」の元ネタなど確認してみたいところ。第3幕で、ヴォータンとローゲにしか見えないユピテルとメルクールを始め、オペラのあちこちに「ラインの黄金」ネタが出てくるこの作品、ある方のツイッターによれば「黄金の呪文の元は隠れ兜の動機、「選べダナエ選べ」といったセリフの元はエルダの第一声に由来」するとのこと(https://twitter.com/masatristan)。こういったトリビアは、私は「しらなくてもよい」ではなくて「絶対にしっておくべき」と考えるタイプの人間なので・・・。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2015-10-07 23:45 | 演奏会レビュー | Comments(0)