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新国立劇場公演 R.シュトラウス 「アラベラ」

会社関係のメールのタイトルに「御礼」とあるのを「割礼」と空目。重症。





関西転勤後、ひさしぶりの新国立劇場。「アラベラ」はやっぱり泣けるオペラです。

  2014年5月31日
  アラベラ: アンナ・ガブラー
  ズデンカ: アニヤ=ニーナ・バーマン
  マンドリカ: ヴォルフガング・コッホ
  マッテオ: マルティン・ニーヴァル
  ヴァルトナー伯爵: 妻屋秀和
  アデライーデ: 竹本節子
  エレメル伯爵: 望月哲也
  ドミニク伯爵: 萩原潤
  ラモラル伯爵: 大久保光哉
  フィアカミッリ: 安井陽子
  占い師: 与田朝子
  指揮: ベルトラン・ド・ビリー
  演出・美術・照明: フィリップ・アルロー
  合唱: 新国立劇場合唱団
  管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

この美しいプロダクションを観るのは2010年に引き続いて2回目。その時も、どうしてこんなに感動してしまうのか、と訝しい思いをしましたが、今回も第3幕、ズデンカの登場とともに全ての誤解が解けるにつれて涙腺が壊れてしまいました。でも冷静に考えると、物語としては何となく「ばらの騎士」の二番煎じ(実際には大して重複するプロットは無いのだけれど)、音楽としても「ばらの騎士」ほど官能的でもなく、「アリアドネ」ほど手が込んでいる訳でなく、「カプリッチョ」ほど精妙でもない。むしろお話はベタで野暮ったく、音楽的にも安直というか、いつものシュトラウスの精緻さと比べたら手抜きとさえ言えるのだが、上流階級というには些か品のない人々の悲喜こもごもを描くにはこうでなければならなかったのだろうと思います。この感覚というのは、関西出身の私にとっては正に松竹新喜劇の世界。寛美亡き後、最近は吉本に押されてテレビで見る機会も少ないけれど、私の若い頃は日曜のお昼は松竹・吉本二大新喜劇が勢力拮抗しながら張り合っていたと記憶する。私の年代の関西人は誰も知る通り、松竹のほうは徹底的に客を泣かせるのが売りでした。人生経験の乏しい子供はギャグ満載シモネタ上等の吉本が好きだったが、当時のじっちゃんばぁちゃんはみんな松竹が好きだったんじゃないかな。
つい下らないことを長々と書いてしまいましたが、私が心うごかされるのは例えば次のような場面。
第2幕冒頭の舞踏会。マンドリカとアラベラが初めて会話を交わすというのにマンドリカはよりによって死に別れた前妻の話をする。そういう垢抜けなさが却ってアラベラの心をつかむのだが、この前後の会話、相手をSieと呼びながら問いに対して問いで答えるもってまわった上流階級らしい会話が続くが、マンドリカが辛抱できずにアラベラをduと呼び、あまりにもストレートなマンドリカの求愛にアラベラも思わずduで返事をする。ちょっと冷静になったのち、アラベラはまた呼称をSieに戻して「でも今はもうお帰りになって」とささやく、こちらまで年甲斐もなく胸がときめくような会話。
また、第3幕でアラベラがズデンカに優しく語りかける場面の台詞(「オペラ対訳プロジェクト」より引用)。

  ありがとう。あなたは、とても大事なことを教えてくれた。
  何も望んだり、欲しがったりしちゃいけない。
  比較したり、値踏みしたり、物惜しみしたりしてはいけない。
  常に、与え、愛さねばならないんだわ!

こういった台詞、私はいつか真剣に昔日の船場言葉で訳してみたいと思っています。こんな台詞にリアリティを持たせる日本語はもはや現代の日本にはほとんど残っていないような気がします。
それはともかく、何より美しく、涙なしでは観られないのはラスト近く、騒ぎも収まって皆寝静まった深夜のホテル、アラベラが婚約のしるしの水の入ったグラスを手に大階段を降りてくる場面。音楽は実に単純明快だが、いざ聴き終わってみるととんでもなく豪奢なイメージが残るように書かれている。まったく不思議な音楽と言うほかない。

さて、演奏のほうですが、ひと様のブログを見ていると若干微妙な評価を書いておられる方が多いようだが、私の聴いた31日は概して歌手たちは好調だったのではないでしょうか。とくにズデンカを歌ったアニヤ=ニーナ・バーマンは素晴らしいと思いました。中性的な魅力とはちょっと違うのだが、男の子としての凛々しさと女の子としての可憐さがそれはそれ、これはこれとして並び立っているような、ちょっと比べるもののない声と容姿です。2010年のアグネーテ・ムンク・ラスムッセンが歌ったズデンカの記憶はかなり薄れてきているから、今回のバーマンは大当たりなのだろうと思います。
タイトルロールを歌ったアンナ・ガブラーは、このブログでも「こうもり」のロザリンデ、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のエーヴァを取り上げてきて、なんとも微妙な評を書いたが、今回は悪くないと思います。このアラベラと言う役、奔放なズデンカとの対比でどうしても分別臭い、華のない役になりがちだと思います。その難点を払拭するまでは行きませんが、私はとても良かったと思いました。声のデュナミークが非連続的にいきなり大きくなる癖があるようだが、粗というほどのことでもない。アラベラが、プレゼントの薔薇がマッテオからのものだと判って放り投げる場面(ト書き通りではあるが)や、舞踏会から帰ってきて靴をポーンと脱ぎ捨てたりする場面、2010年の演出がどうだったかあまり記憶がないが、あんまりお上品でないのも松竹新喜劇だと思えば許せる(笑)。
マンドリカのヴォルフガング・コッホも素晴らしい。2010年の時のマンドリカのトーマス・ヨハネス・マイヤーは男前でかっこいい大富豪という感じだったが、コッホはどちらかと言えば野卑な田舎貴族っぷりを強調した歌であり、演技である。見た目もマイヤーよりずっとガチムチ。まぁ好き嫌いはあると思いますが、私は今回の役作りはとても成功していると思います。ちなみにこのコッホという歌手、ヨーロッパではワーグナー歌いとして頭角を現してきているようだが、私のなかではライマンの「リア王」のタイトルロール(フランクフルト歌劇場のライブCD)で強烈な印象を残していますから、思いのほか知的なアプローチの結果としてのマンドリカの表現だと思います。
マッテオを歌ったマルティン・ニーヴァルはちょっと線が細い感じがしますが、オペラの役柄としては違和感はありません。もっと甘く、もうすこし太い声のマッテオも素敵だろうが、悪目立ちしてはいけない役なので、これでいいと思います。
脇を固める日本人勢ではなんといっても妻屋秀和と竹本節子が良いが、占い師や3人の求婚者もそれぞれキャラクターに沿ってよく考え抜かれた表現で歌い演じていたと思います。フィアカミッリの安井陽子のコロラトゥーラは、頑張っているけれどあともう一息、という感じでした。でもこの派手なヨーデルだけで第2幕の最後を引っ張りづつけるのは、ある意味ツェルビネッタよりも困難な歌唱なのかも知れないと思いました。
ベルトラン・ド・ビリーの指揮はガブラーのアラベラの歌唱同様、そんなに華のある感じではないが、この必ずしも精妙とは言えない音楽の柄にはとてもよく合っていたように思います。こういった音楽での東フィルのクオリティはいつものことながら大したものだと思います。
演出については、先にもすこし触れたように、あまりお上品でない演技を歌手につけることで、この物語の設定が没落貴族ではなく退役軍人一家であるという小さな差異(ブルデュー風にいうならディスタンクシオン)を強調して、市井の人情話に一歩近づけているように思います。それがホフマンスタールの意図に適っているかどうかはさておき、筋の通った演出だろうと思います。美術や衣装の美しさについては私が申し述べるまでもないでしょう。本当に素晴らしいプロダクションです。
それにしても、土曜日のマチネだというのに空席が目立ったのはとても残念。これでは新国立のプログラムの保守化がますます進行すると思うと、居てもたってもいられない思いだが、関西住まいではどうしようもない。あと4日の楽日が残ってますのでどなた様もぜひ。
(この項終り
by nekomatalistener | 2014-06-03 00:52 | 演奏会レビュー | Comments(0)