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クリスティーナ・ザヴァッローニのアルバム「チーリンボン」を聴く

「にんじんしりしり」って料理名がへんなのは、つまり沖縄弁なのにびみょーに沖縄っぽくないところなんだと思う。





amazonを散策していて偶然見つけた一枚。まず選曲が素晴らしい。ストラヴィンスキーの先鋭極まりない作品集とミヨーの多彩な「ヘブライの歌」、最後にプーランクのアンニュイな傑作「ホテル」。そのセンスの良さに惚れ惚れします。
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  ストラヴィンスキー
    チーリンボン(1915)
    3つの小さな歌「わが幼き頃の思い出」(1913)
     1.小さなかささぎ 2.からす 3.チーチェル・ヤーチェル
    パラーシャの歌(歌劇「マヴラ」より)(1922~23)
    プリバウトキ(1914)
     1.コルニーロおじさん 2.暖炉 3.連隊長 4.お爺さんとうさぎ
    ねこの子守歌(1915~16)
     1.暖炉の上で 2.部屋の中 3.ねんね 4.猫の飼い主
    4つのロシアの歌(1918~19)
     1.雄がも 2.数え歌 3.すずめ 4.異教徒の歌
    ふくろうと猫(1966)
  ミヨー
    ヘブライの6つの民謡(1925)
  プーランク 
    ホテル(1940)

  Christina Zavalloni(Vo)
  Andrea Rebaudengo(Pf)
  2007年11月26・27日録音
  CD:EGEA SCA 139

歌手のクリスティーナ・ザヴァッローニ(ツァヴァッローニという標記も)については何の予備知識もなく聴きましたが、選曲同様センスの良さというか、頭の良さを感じる歌い方。その声色は多彩で遊び心に溢れており、全盛期の美空ひばりもかくや、というショウマンシップだが、あざとくなる一歩手前で知性を閃かせて終わる所が憎い。調べてみるとこの人、1973年生まれで、オランダの作曲家のルイ・アンドリーセンとのコラボで名を馳せ、ジャズとのコラボも行っているとのこと。レパートリーにはこのアルバムの3人の他、アンタイル、メシアン、ラヴェル、サティ、モンサルヴァーチェ、ヴィラ=ロボス、アイヴズ、ケージ、キャシー・バーベリアン、ベリオ、カスタルディ、それにマイケル・ナイマンの名前も。まさにあの現代音楽の作曲家にとってのミューズ、往年のキャシー・バーベリアンを彷彿とさせるところがあります。
伴奏のアンドレア・レバウデンゴというピアニストも素晴らしい。パキパキとしたストラヴィンスキー、抒情的な音楽から急進的な、しかも骨太な音楽まで幅広い表現を要するミヨー、ベッドの中の寝起きの美女みたいなプーランク、いずれも的確な伴奏で、室内楽版で聴きなれていたストラヴィンスキーも全く物足りなさを感じさせません。

曲目については、ストラヴィンスキーはいずれも以前このブログで取り上げましたので詳細は割愛しますが、一言だけ書くと「まさに天才」。ミヨーは特に5曲目がストラヴィンスキーとの親近性を感じさせます。プーランクの「ホテル」は私は初めて聴く曲でしたが、大人のための音楽といった趣。こちらは「梅丘歌曲会館」に対訳が取り上げられています(下記URL)が、最後の「働きたくない、煙草吸いたい」には思わず笑ってしまいます。これを聴いているとクラシックとジャズの垣根が思いのほか低いことに改めて気付きます。
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/P/Poulenc/S1459.htm
ちょいと残念なのは対訳。ストラヴィンスキーの「ふくろうと猫」(英語)以外はロシア語で、これには英語とイタリア語の対訳がついていて便利だが、ミヨーとプーランクはフランス語の歌詞とイタリア語の対訳のみ。しかもミヨーの4曲目の歌詞が飛んで番号がずれています。ちなみにミヨーの英語対訳は下記サイトに載っていますのでご参考まで。
http://www.recmusic.org/lieder/assemble_texts.html?SongCycleId=298
(この項終り)
by nekomatalistener | 2014-05-11 23:37 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

日記みたいなもの~その10

タパスの小皿に残った大量の油をパンに浸して全部たいらげた友人のあだ名は油田(鼻が)。




今回は特定の5人くらいに向けて書いてるので、「わしそんなん知らんがな」という方はテキトーにスルーしてください。

この土曜日、あるクローズドな演奏会でここ数ヶ月練習してきたラバピエス(アルベニス「イベリア」より)を初お披露目したところ撃沈崩壊。跳躍する和音はことごとく音を外す、複雑なところは指がもつれる、暗譜が飛んで頭真っ白、つっかえつっかえ、やっとのことで弾き終えた瞬間、マヤの暦の間違いか何かで今すぐ地球滅びろ、と思ってしまいました。私の黒歴史入り確定。もう封印したい。

ちょっと真面目に今回の失態を分析すると、まず、若い頃は適度な緊張感があると普段うまく弾けたり弾けなかったりするところは案外うまく行ったりするんだが、歳とると普段うまく弾けたり弾けなかったりするところは間違いなく上手く弾けない。普段から間違うところは当然間違う。普段なんてことなく弾けてるところもそれにつられてズタボロ。あらゆることが裏目に出るのである。
それと、若い時分は暗譜で苦労したことがないのだが50超えるともうダメ。本番であんなにホワイトアウトするとは思わんかった。
まぁよくよく考えると、若い頃はそれなりに時間割いて練習していたんですよね。いくら最近さっぱりヒマですわ、などと言っても会社勤めしながら2時間も3時間も(物理的にも体力的にも)弾ける訳ないので若い時なら何とかなったことが出来なくて当たり前、という気もする。
一番根本的な問題は、そもそもラバピエスというのが選曲ミスですわな。好きこそモノの何とかで、惚れた曲なら大概の曲はどうにかなったあの頃はいずこへ。実際のところは、イベリアの中ではラバピエスって譜読みが面倒くさいだけで、技巧的にはへレスやトゥリアーナのほうがよっぽど難しいと思うけれど、ラバピエスがいかんのは、始まって20秒もせん内に一番の難所が来るので、そこでトチッて逆上するとずーっとリカバリー出来なくなること。ちょっと長い休符があって変イ長調に転調してから一休みできるところはあるが最早手遅れ。もう、アルベニスのいぢわる。

ほんと、今からでも地球滅びてくんないかな。
by nekomatalistener | 2014-05-11 01:12 | その他 | Comments(6)

日記みたいなもの~その9

心斎橋シネマートで、ジョシュア・オッペンハイマー監督のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」を観る。1965年インドネシアで起こった共産主義者殲滅にかこつけた組合労働者や知識人、華僑らの10万人とも100万人とも言われる大虐殺の、いまも優雅にくらしている加害者に殺人の様子を映画仕立てで再現させるという秀逸なアイデア。最初のうち嬉々として「演じて」いた当事者がどう変化するのかが見ものだが、最後のクレジットで現地スタッフやキャスト名が流れるところ、延々とANONYMOUSという表記が続くのが、紛れもなく現代の現実なのだと震撼させられる。




さて久しぶりのブラームス「51の練習曲」のレポート。前回Breitkopf&Härtel版の番号でNo.1cと1dについて書きました。実はこれに続いてNo.1eと1fがあるのだが、今の私には難しすぎて苦痛以外の何物でもないので後回し。気分を変えてNo.21aを弾いてみます。
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これも弾きなれない内は11度くらい届く巨大な手でなければ弾けないのでは、と諦めそうになりますが、次第に手の大きさではなく指の捌き方でそれなりに形になってくるのが面白い(完璧なレガートは無理にしても)。今私が取り組んでいるLavapiésも日本人の手の大きさでは厳しいところが頻出するので、このエチュードはなかなか有用だと思います。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-05-03 19:24 | その他 | Comments(0)