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今更ながらドヴォルザーク(その4)

ご接待で行った料亭で、〆のご飯ものに鮒ずしの茶漬けがあり、チャレンジしよと思ったら接待主と女将が寄ってたかって「いや~やめときはったほうが・・・」「あかん人はあかん言いますよってになぁ・・・」などと妨害する異例の事態に。「え~食いたい食いたい鮒ずし食いたい」と駄々こねて食ったら美味かったです。




シリーズ最終回、残りは簡単に済ませます。

このCDに収められた作品の中では最も早く(1882年)初演された序曲「わが家」も本当に良く出来た作品だと思います。一連の序曲同様、序奏と長大なコーダを伴うソナタ形式で書かれています。とくにAllegro vivace-Allegro con fuoco-Maestoso-Allegro vivaceと目まぐるしくテンポを変えながら盛り上がるコーダは秀逸。序奏の36小節からの管楽器によるアルカイックなファンファーレも非常に印象的。不覚にも感動してしまいました。

お次は交響曲第7番。初演は1885年でブラームスの第4番と同じ年。この作品、「フス教徒」と同じモチーフを使っているところが「民族主義的」ではありますが、私の苦手な泥臭さはなく、ブラームス張りの堅牢な構成と、内声の充実したオーケストラ書法がみごとだと思いました。私はこの作品を今回初めて聴きましたが、これなら錚々たる大指揮者たちが好んで取り上げるのも頷ける。寧ろ音楽的な充実という点では後の作品を凌駕しているのでは、と思いました。とはいえ、8番や9番に比べるとポピュラリティという点でははるかに劣るのが残念。このあたりが世評というものが良くわからない理由ですが、その一方でもし7番で彼が筆をおっていたら、まぁ音楽史の中ではブラームスの亜流で済まされていたかもしれないと思う。いくら泥臭かろうがなんだろうが、チェロコンや「新世界より」がなければドヴォルザークの作品がこれほどまでに残っていたかも疑問だろう。ついでながら1883年初演のブラームス第3交響曲との類似・親近性については周知のことのようなので割愛。ワーグナーに入れ揚げた時期の痕跡については第2楽章の第69~70小節の素晴らしい転調を挙げておこう。

最後に8番。これも以前に、お付き合いで行ったコンサートで聴いて、開始後5分と経たずに寝てしまった経験を書きましたが、さすが有名曲、FMなどでもあまり真面目に聴いた記憶はないのにかなりの部分聞き覚えていました。あいかわらず第一楽章の主題の泥臭さには辟易してしまいますが、第4楽章は思いのほか聴きごたえがあり、なかなかいいじゃないか、と思いました。

イシュトヴァン・ケルテスの演奏は大変優れていると思います。例えば「謝肉祭」の息もつかせぬ推進力と、それにこたえるLSOの技量は見事と言うほかないが、ゆるいところ、ゆるい作品はそれなりに流して「頑張りすぎない」ところが好ましく思いました。このハッタリの無さはケルテスの最大の美点であり、不慮の事故による夭折を惜しむ声が今もあるのも当然だと思いました。これまでこの人の演奏をレコードを買ってじっくりと聞いたのは、モーツァルトがフリーメーソンのために書いた合唱曲やカンタータ、葬送音楽をひとまとめにしたもののみ。その時も思ったけれど、音楽の等身大の姿がすっきりと立ち上り、それでいて熱いところは熱いこの指揮は私の好きなスタイルだと思いました。

こうしてドヴォルザークの音楽をすこしまとめて聴き、生演奏もきいて私のドヴォルザーク観が大きく変わったか、といえば、まぁそれほどのことでもない。良く知られている作品に少し先立つ時期に、思いの外良い作品が幾つかあることを知った、というのが正しいと思う。「大作曲家」というのはチェコ人がそう言うのならともかく、少々持ち上げすぎだと思います。クラシック入門編よばわりはちょっと言い過ぎだったと思うけれど、人生最後の日には間違っても聴かない自信がある(笑)。オーケストラを経済的に用いてプロフェッショナルなスコアを創るスキルについてもよく分り、オケの玄人筋にやたら人気があるのもわかったつもり。昔はピアノ書法が稚拙だと嗤っていたが、本質的にピアノを弾かない人間のほうがオケのスコアを書くには向いているような気もしました。だが結局のところ、これからもそんなにドヴォルザークを聴くことに多くの時間を割くことはないのだろうと思います(聴きたい曲が山ほどある中、選択と集中は大切なことだ)。あとは、一連の宗教曲(スターバト・マーテルやレクイエムなど)がとても良いという声があって、これはいつか聴いてみたいと思います。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2014-04-29 23:48 | CD・DVD試聴記 | Comments(2)

今更ながらドヴォルザーク(その3)

某交響楽団(お察し下さい)のアザラシ、じゃなくてファゴットのおじさん、もふもふ10秒500円くらいだったら行列できそう。堂山とかで。




1892年、渡米の半年ほど前に初演された「三部作」の中では、「謝肉祭」Op.92が圧倒的に有名だし面白い。スラブ舞曲をブラッシュアップしたような曲想、やはりこういった音楽がドヴォルザークの原点なのだろう。アンコールピースに毛が生えたような曲だが、展開部の前に置かれたアンダンティーノの旋律がとても美しい。勢いで書いたかに見えて、実は形式的には非常に興味深い試みがなされています。

 提示部
   第1主題Allegro イ長調(1~101小節)
   エピソードⅠ Poco tranquillo ホ短調(102~156小節)
   第2主題(TempoⅠ) ホ長調(157~217小節)
   エピソードⅡ Andantino con moto ト長調(218~261小節)
 展開部
   TempoⅠ Allegro(262~385小節)
 再現部
   第1主題Allegro イ長調(386~478小節)
 コーダ(Tempo Ⅰ)イ長調(479~522小節)

曲想からいって本来ソナタ形式よりももっと単純な三部形式やロンド形式が相応しいと思われますが、ドヴォルザークは敢えてここで自由度の高い変則的なソナタ形式を採用しています。しかしこれには仕掛けがあって、展開部の前に置かれたエピソードⅡが前後とテンポや雰囲気が著しくことなり、しかもOp.91の「自然の中で」の旋律がクラリネットとコールアングレで回想されること、また再現部が短縮されているせいで、このエピソードⅡがあたかも三部形式の中間部を思わせるように書かれています。また、二つの主題と展開部はほぼアレグロで書かれているのに対し、ややテンポの遅い二つのエピソードが挿まれるために一種のロンド形式とも見え、耳で聴いた感じとしてはソナタ形式であるにもかかわらず、より「敷居の低い」音楽に聞こえるのが非常に面白いところだと思います。前回触れた「フス教徒」もそうでしたが、意外と形式上のちょっとした逸脱や工夫が多い作曲家だと思います。

「オセロー」Op.93もなかなかの佳作。形式的には平凡だが、旋法風の序奏が魅力的。

 序奏 Lento 嬰ヘ短調(1~48小節)
 提示部
   第1主題Allegro con brio 嬰ヘ短調(49~144小節)
   第2主題 二短調(145小節~244小節)
 展開部(245~445小節)
 再現部
   第1主題 嬰へ短調(446~507小節)
   第2主題Quasi TempoⅠma molto tranquillo 嬰ヘ短調(508~551小節)
 コーダ(552~660小節)

序奏は弦楽の旋法風のコラールから始まる。それはあたかも嬰ハ長調で始まり、一旦嬰へ長調に終止するかのように聞こえ、嬰ヘ短調の提示部第1主題の動機を導きます。やがてOp91の自然の主題を引用、緊張感の高まるうちに提示部へと続きます。第1主題は嬰ヘ短調の序奏とほぼ同じ旋律で始まりますが、94小節からそれが少しモディファイされたものが昂然と現われる部分が特に魅力的。展開部やコーダでの素材の執拗な展開がすばらしく、高度な作曲技法を感じさせます。コーダに入って序奏の回想につづいて展開部冒頭に現れたワーグナー風の半音階下降音形が現れるところも美しい。

順番は前後しますが三部作の第1曲目「自然のなかで」Op.91はちょっと私の苦手な部類。その分世間のドヴォルザークのイメージ(土臭い、素朴など)にはぴったり当てはまるように思います。これもソナタ形式で書かれています。

 提示部
   第1主題Allegro,ma non troppo へ長調(1~101小節)
   第2主題 イ長調(102~159小節)
 展開部(160~243小節)
 再現部
   第1主題 へ長調(244~308小節)
   第2主題 ヘ長調(309~394小節)
 コーダ(395~433小節)

この作品はドヴォルザークにとっての「田園」なのだろう(調性もベートーヴェンに倣ってへ長調)が、主題がいかにも紋切り型で魅力に乏しいと思います。しかも第1主題・第2主題とも、「主題群」と呼びたくなるほど、次から次へ新たな旋律が繰り出されていくために、提示部・再現部は冗長な、緩い音楽に感じられます。こういった音楽に「自然の中で」という標題、その発想はちょっとナイーヴに過ぎるような気がします。曲想の陳腐さをカバーするためだろうか、第二主題をへ長調の長3度上のイ長調にするなどの(恐らくはかなり意識的な)工夫もみられます。また提示部で現れた数々の主題のモチーフは展開部で扱われることでいわばきっちりと回収されており、熟達した筆致であるのは判ります。しかし、前回の投稿で書いたように、1883年の「フス教徒」から三部作が初演されるまでの10年間にドヴォルザークの作風がより平明な、より大衆受けするようなものに変化したのだとすれば、この序曲の曲想の平明さと表裏一体の陳腐さも納得がいくというもの。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-04-27 16:26 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

大阪交響楽団 第185回定期演奏会 オール・ドヴォルザーク・プロ

某交響楽団(お察しください)のファゴット吹きのおじさん、年々ゴマフアザラシの赤ちゃん化してる。もふもふ。





大阪交響楽団の定期、オール・ドヴォルザーク・プロを聴いてきました。

  2014年4月24日 ザ・シンフォニーホール
   三部作「自然と人生と愛」
     序曲「自然の中で」Op.91
     序曲「謝肉祭」Op.92
     序曲「オセロー」Op.93
   (休憩)
   交響曲第7番ニ短調Op.70
   寺岡清高指揮大阪交響楽団

作品そのものについては、当初の予定ではこのコンサートの備忘を記す前に記事をアップするつもりでしたが、ちょっと時間かかりそうなので今回は演奏について簡単に記すだけにしておきます。
私はこの楽団が大阪シンフォニカーと名乗っていた頃から何度も聴いてきてますが、このオーケストラの特色は弦のテンションが非常に高いことだと思います。もう何年前になるか、ショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴いたときの、こめかみに青筋たててメーター振り切れそうな演奏に心底恐怖を感じたことがありました。その統率力たるや大したものだと思いますが、その一方で、もう少し力を抜くところは抜いたほうが音楽が膨らむのではと思ったことも度々。このテンションの高さは思うにコンマスの方の志向するものが団員全体に及んだ結果ではないかと勝手に想像しています。今回のドヴォルザークでも、高カロリー音楽の「謝肉祭」のみならず、すべての曲目で彼らの特色が遺憾なく発揮されていましたが、「ドヴォルザークってこんなに疲れる音楽だったっけ?」と多少の違和感を持ったのも事実。
指揮者の寺岡清高はオーケストラをドライブするというよりは、その自発性に任せるタイプと見ましたが、この楽団の志向で殊更煽らずとも音楽が異様に、野放図なほどに熱を帯びてしまう。私自身が年齢の所為で少し耳が保守化しているのかも知れませんが、その結果はドヴォルザークとしてはやや「やり過ぎ」という思いを禁じ得ない。それに、今回1階の前の方で聴いたからかも知れませんが、弦と管が融け合わず、よく言えば立体的、悪く言えばバランス感に乏しい異形の音響塊として耳を撃つ。これは貶しているのではなくて、ドヴォルザークの音楽について回る形容詞、ボヘミア的な、朴訥な、親しみやすい、泥臭い、民族主義的な、といった側面には何の興味も覚えない私にはむしろ好ましく思われる面もあるのだが、それにしてもドヴォルザークの音楽は本来もう少し多面的なものであって、今回の演奏で切り捨てられたものは多いと言わざるを得ません。その切り捨てられたものは何かを言葉にするのは難しいけれど、ドヴォルザークの音楽に通底しているリスト=ワーグナー的なるものとブラームスの影響との相克といった側面は今回の演奏からはあまり聞こえてきませんでした。ただし、それでも「オセロ-」や交響曲が実に面白く聴けたのはドヴォルザークの高度な作曲技法(私は最近までそれに気付かなかった)、具体的には弦の内声の充実であるとか強迫的なくらい執拗な動機展開とかいった要素によって、今回のような音響の塊を突きつけられるような演奏にも耐える音楽であったということだと思います。その意味で、今回8番でも9番でもなく、7番をメインに持ってきたのは正解だと思うが、聴衆の反応は今ひとつ、といった感じ。何となく気のない拍手のせいでもないでしょうがアンコールもなく、大半のお客さんは残尿感みたいなモヤモヤを抱えて家路に就いたのではないでしょうか。まぁそういった人たちはどうぞチェロコンか新世界でも聴いといてね、という感じだけど(笑)。
ちなみに今年の1月に下野竜也がシェーンベルクとスッペを振ったときは同じ楽団とは思えないほど緩急自在、いい具合に力の抜けた演奏で、こちらは辛口の十二音音楽と甘いオペレッタを繋ぐウィーンというコノテーションが見事に表れていたと思います。上体を大きく動かしてフレージングを大掴みになぞっているだけみたいな指揮なのにこれは不思議なこと。今回の、ある意味自己完結しているような音楽も面白いけれど、これは指揮者の格の違いなのだろうか。
あと、これは蛇足ですが、「オセロ」の畳み掛けるような最後の一音、ごくわずかながら「ため」が入ったのは趣味に合わない。あそこはアッチェレランドで突っ込んでほしかったなぁ。
(この項終り)
by nekomatalistener | 2014-04-26 00:14 | 演奏会レビュー | Comments(0)

今更ながらドヴォルザーク(その2)

世の中は、よく判っているごく少数の人、よく判らないことについて語るために最低限のことは勉強しようと思うこれまたごく少数の人、よく判らないことには口をつぐむ比較的少数の人、よく判らないことを情緒の問題にすりかえて「●●さん可哀そ~理●のジジイ最低~」などとしゃべりまくる比較的多数の人に分類できる。これ、音楽についても一緒やなぁ。




ドヴォルザークとの対決(笑)、まずは序曲集から。

ドヴォルザークについて語る際によく使われる「民族主義」なる言葉、この理解のためにうってつけの小論を吉松隆氏のブログに見つけました。
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2007/11/post_c10a.html
この論考に触発された訳でもないけれど、まずは序曲「フス教徒」(「フス党」と呼ばれることも)から。
作品の書かれた背景については吉松氏の論考に付け加えるべきことは何もありませんが、これこそドヴォルザークの作曲家としてのアイデンティティの確立と呼ぶにもっとも相応しいものであるといえるような気がします。
初演は1883年。丁度この年ワーグナーが亡くなっています。ブラームスは交響曲第3番を初演。前年の1882年はスメタナ「わが祖国」の全曲初演。ドヴォルザークの初ヒットともいうべき「スラブ舞曲集」の初演は1878年(この年ブラームスと知りあっている)ですが、概ね彼の主要なキャリアはこの1883年に始まると言ってよいと思います。
これは大変な力作で素晴らしい作品だと思います。
全体は序奏附きの自由度の高いソナタ形式で、大規模に拡大されながらも緊密な構成となっています。

  序奏(1~80小節)
    主題Ⅰ-コラールⅠハ長調(1~27小節)
    主題Ⅱハ長調(28~56小節)
    主題Ⅰ-コラールⅠハ長調(57~80小節)
  提示部 81~240小節)
    第1主題ハ短調(81~166小節)
      コラールⅠ(121小節~)
      コラールⅡ(129小節~)
    第2主題変ホ長調(167~240小節)
  展開部(241~340小節
  再現部(341~467小節)
    第1主題ハ短調(341~388小節)
    第2主題ハ長調(389~467小節)
  コーダ(468~609小節)

ここでは468小節以降を長大なコーダとみたが、再現部とはいえ充実した展開が続くので467小節目までを展開部、468~530小節を第一主題の再現。531~554小節を圧縮された第二主題の再現、555~609小節をコーダとみることも可能だと思います。どちらが正解かはあまり意味のある議論ではないでしょうが、それほどまでに動機を執拗に展開していくのが印象的。
Lento,ma non troppoハ長調の序奏、木管群による宗教的な主題Ⅰはどこかワーグナーのタンホイザーを思わせる。この主題の後半はwikipediaによればフス教徒のコラール「汝ら神の戦士たち」Ktož jsú boží bojovníciの引用だそうだが、このコラールの元の姿はyoutubeで確認することが出来ました。
http://www.youtube.com/watch?v=elskCac9wSI
28小節目Poco animatoに転じてハ長調の流麗な主題Ⅱ。これは後にソナタの第2主題にモディファイされます。57小節で主題Ⅰが回帰、このあたりの盛り上げ方はリストの交響詩「レ・プレリュード(前奏曲)」を思わせる所があって、ドヴォルザークはこの交響詩を大いに勉強したに違いありません。
81小節Allegro con brio、ここからがソナタ形式の主部。第一主題はハ短調、この旋律は交響曲第7番に転用されています。121小節目、コラールⅠが鳴り響き、129小節から新たなコラールSvatý Václave(聖ヴァーツラフよ)からの素材が導入されます。こちらも原曲(を4声合唱に編曲したもの)をyoutubeで見つけましたのでURLを張っておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=Yja_oZjfgWM
167小節からソナタの第2主題変ホ長調、これは序奏の主題Ⅱを少しだけ変形させたもの、後半はコラールⅡの動機に繋がっています。
241小節Poco tranquilloから展開部となり、コラールⅠとコラールⅡ、第1主題の動機が展開されます。
341小節から再現部。第一主題が奏されて直ぐに第二展開部とでもいいたくなるような執拗な展開が続きます。
468小節からのコーダは第1主題から始まってすぐにコラールⅠ、Ⅱ、第2主題と続き、581小節Lento maestosoから序奏主題Ⅰがトゥッティで高らかに歌われ、灼熱のPrestoで全曲を占めます。
序奏の二つの主題、二つのコラール素材とソナタの主題が長大な展開部で展開されつくすのが聴きもの。まるで已むに已まれぬ衝動が堰を切って溢れ出る様な音楽に、ドヴォルザークの今迄私がしらなかった一面を見たような気がします。愛国的なテーマを扱いながらも、旋律の泥臭さがあまりないのも聴き易い。この展開部および再現部での執拗な展開の持続はすぐ後の世代の、マーラーの長大な交響曲の楽章に比べることも出来そうです。
この路線をもう少し続けてくれたなら私のドヴォルザーク観も随分違っていたはずだが、どうも交響曲8番の前後から渡米後にかけて皆のよく知る作風に変化したようだ。生半可な知識で決めつけてはいけないが、この作品、ワーグナーとリストの正統な後継かつマーラーの先駆としての役割を果たし得る傑作だと思います。後の良くも悪くも平明な作風とはかなり異質のこの序曲(その分、まったく人気がない)、大いに気に入りました。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-04-20 16:07 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

今更ながらドヴォルザーク(その1)

8億円の使い道に「熊手」なんてボケた回答じゃなくて村上隆のフィギュア買ったくらいいえばよかったのにね。





大阪交響楽団の次の定期はオール・ドヴォルザーク・プロで、しかも「自然・人生・愛~マーラーとそのライヴァルたち ①」という副題附き。曲目は 「自然と人生と愛」三部作(序曲「自然の中で」Op.91、序曲「謝肉祭」Op.92、序曲「オセロー」Op.93)と交響曲第7番ニ短調Op.70という、比較的マイナーな演目。その予習ということで下記の音源を聴いています。
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  ①序曲「わが家」 Op.62
  ②序曲「フス教徒」 Op.67
  三部作《自然と人生と愛》
  ③序曲「自然のなかで」 Op.91
  ④序曲「謝肉祭」 Op.92
  ⑤序曲「オセロー」 Op.93
  イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団
  1966年12月(①・②・⑤)、10月(③)、1965年12月(④)録音
  DECCA UCCD-3543
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  ①交響曲第7番ニ短調 Op.70
  ②交響曲第8番ト長調 Op.88
  イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団
  1964年3月(①)、1963年2月(②)録音
  DECCA UCCD-7091

以前このブログでドヴォルザークのオペラ「ルサルカ」を取り上げた際に、私がドヴォルザークを苦手としていること(苦手というより限りなく「嫌い」に近い、けれども「無関心」というのではない)について書きました。正直なところ、「ルサルカ」以外の作品を殆ど真面目に聴いていないので「食わず嫌い」と言っても良いのですが、私が苦手と思っている理由らしきものを整理すると次のようなところだろうと思う(偏見も含めて)。
・ここぞというところで現れるキャッチーな旋律が泥臭くて嫌い。交響曲第9番のフィナーレとか、第8番の第1楽章、チェロ協奏曲等々、生理的にダメ。
(これはどうしても譲れないところで、普段ストラヴィンスキーの音楽を「洗練の極致」などと思っている人間にいくら「いいだろ?」と言っても無駄)
・ポスト・ワーグナーの世代にしては和声が幼稚な感じがする。自分の詰らないプライドが邪魔していることは認識しつつも、これを好んで聴こうという気になれない。
(といいながら、こういう厨ニ病の類はそろそろいい加減克服しなくては、とも思う。)
・ト短調のピアノ協奏曲の作曲者自身の手になる幼稚なピアノ独奏パートを昔ちらっとみて以来馬鹿にしてしまった。
(いまではピアノ弾きの幼稚なオーケストレーションも、ピアノが弾けない人のピアノ曲も、音楽そのものが良ければいいじゃないかと思う程度には私も成長したと思っているのだけれど・・・)
・世間ではとにかく人気があって、クラシックの入門編みたいに思われているのがこれまた胡散臭い。「新世界より」のことを、ベートーヴェンの「運命」、シューベルトの「未完成」と並べて「三大交響曲」などと書かれていると「バカか」と思ってしまう。
(はい、これ偏見ね)

そうは言いながら、大のつく指揮者がこぞって取り上げるのも、単なる興行上の要請に応えただけとも思われず、「気になる作曲家」であったのは事実。このまま「ルサルカ」以外の作品をまともに聴かないまま死ぬのも勿体無いと思い、今回の定期公演でドヴォルザークと対決しよう、彼のいいところも悪いところもしっかり聴いてみようと思った次第(ちょっと大げさですが)。

「ルサルカ」についてはかなり聴き込んだ時期があって、その点ではドヴォルザーク苦手と言いながら、そんじょそこらのにわかファンには負けないという自負もあります。その「ルサルカ」から感じることをまとめるとこんな感じ。
・物凄くよく書けたオリジナリティの高い音楽と、ワーグナーやチャイコフスキーの劣化コピーのような音楽が継ぎ目も露わに混在している。
・第2幕、王子と侯爵夫人の逢引きの後のカタストロフが典型的だが、ここぞというところなのにポスト・ワーグナー世代とは思えないほど凡庸な和声に頼っていて腰砕け。
・オリジナリティの高いところには、いわゆる「民族主義的」旋律に辟易してしまうところと、それなりに「ダサかっこいい」ところがある。それはともかく、彼の「民族主義」なるものは結局のところ、ハンスリックやブラームスの体現していたドイツ流のオーセンティックな音楽やワーグナーの楽劇への、地方出身者故のコンプレックスのようなものに撓められているように思われる。
・「月に寄せる歌」に顕著なように、次から次に繰り出される旋律の美しさは大したもの。

ひとしきり「ルサルカ」の音楽について書いた後、こんな結論めいたことを当時書いてました。
・・・・・
ドヴォルザークを例えばムソルグスキーと比べてみると、前者は生まれるのが遅すぎた秀才、後者は生まれるのが早すぎた天才、と(むごいようですが)はっきりと違いが分かります。作曲のスキルという意味ではドヴォルザークの方が多分数倍優っていますが、後者の天才はどんなに稚拙なスコアからも隠れようがありません。
・・・・・

今回の定期公演の副題にもある、マーラーとの関連については、以前こんなことを書いてました。
・・・・・
(ルサルカ第1幕の)イェジババとの対話の後、二短調の間奏となりますが、序曲冒頭の旋律が若干モディファイされると、マーラーの6番交響曲の一節が突如鳴りだしたような錯覚を覚えます。いや、これ錯覚ではなくマーラが引用したのではないのか?ドヴォルザークが1904年5月に死んだ正にその年の夏に、この「悲劇的」というタイトルの付いた交響曲が書かれています。偶然というには符徴が合いすぎますね。
この間奏の後、イェジババの呪文の歌Čury mury fuk(Allegro vivo ロ短調)が歌われます。前半は子供っぽくてあまり面白いとも思いませんが、後半のレントラーは狩のホルンが遠くで鳴り響き、まるでマーラーの「子供の不思議な角笛」を思わせます。ルサルカを書いていた1900年当時、ドヴォルザークは1886年作曲の「角笛」を知っていたのでしょうか?マーラーがルサルカの存在を知っていたのははっきりしているようですが。引用したりされたり、が本当であれば実に興味深い話です。
・・・・・

ざっと以上のような、ひねくれたドヴォルザーク観を土台にしつつ、改めて彼の交響曲や序曲を無心に、謙虚に聴いてみようという試みです。前段が長くなってしまいましたので本編は次回に。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-04-19 15:07 | CD・DVD試聴記 | Comments(2)

アルベニス 「ラバピエス」考 (その2)

「人喰猪、公民館襲撃す!」という2011年公開の韓国映画(もちろんC級)、なんか邦題のセンス(泣)にほだされて観たくなるなぁ。にしても公民館って・・・




ラバピエスに関してもう一つ豆知識みたいなお話を。
ロマン派以降の楽譜にはいわゆる「発想記号」というものが多く書き込まれるのが通例です。例えば、grazioso(優美に)とかrisoluto(決然と)といった類ですが、ラバピエスにはnarquoisement(人を小馬鹿にしたように)とかbrusquement(とげとげしく)、canaille(下卑た感じで)といった他では滅多にお目にかからない言葉がフランス語で書き込まれています。マドリッドの一角のラバピエス地区はいわゆるヒターノが多く住む街。昔から泥棒の巣窟などと言われて治安の悪い場所だそうだが、陽気な音楽に附せられたこの手の標記になにがしかの影響を与えているのだろうか。いずれにしても、きれいに、耳に心地よく弾くだけでは決定的に何かが足りないということ。前の投稿で私が「猥雑」ということばを繰り返し用いたのはこういうところを指しています。ラバピエスを弾く面白さは、この猥雑さ、下品さと言っても良いと思いますが、これを音楽的に表出することだろうと思います。
では前回の続きです。


http://www.youtube.com/watch?v=5EDzZ4uQsTI
マルカンドレ・アムラン
キャプションはなく詳細不明。アムランという人、いわゆる超絶技巧系の作品でいくつか良いディスクもある(例えばゴドフスキー=ショパンのエチュードとか)が、クラシカルな演目で実に退屈な演奏もあるというイメージ。この動画は録音も劣悪で終盤に音が流れなくなる事故があったり評価に値しないが、この曲とアムランの相性が悪いことは判ります。技術的にも破綻がおおく雑。


http://www.youtube.com/watch?v=omY4PCYOP8o
アムランの東京でのリサイタル?
この曲がこれほど何の感興もなく弾き散らされることも珍しかろう。なにしろ聴いていて全く楽しくない。技巧的にも実にお粗末。アムランの志すエンタテイメントとイベリアのそれとは方向性が違うのだろう。


http://www.youtube.com/watch?v=kUyw3MLzhZU
Rosa Torres Padro
英語のキャプションがないので詳細不明。テンポの揺れに独特のものがあるが、やや恣意的に感じられたり、
極端な音の跳躍といった技巧上の困難を回避するための、必然性のないテンポの揺れに思われるところもあって、あまり感心しない。
★★

http://www.youtube.com/watch?v=fEYu8qvj_OU
Diego Cayuelas
個人的には大変好きな演奏。技巧的には完璧といっても良いが、あまり神経質にならずに曲の猥雑な持ち味を全面に出しているのが素晴らしいと思う。密集和音や対位法的なからみの表現も程良くノンシャランで、何より聴いて楽しいと思う。この人については良く知りませんが、全曲録音していたらラローチャに迫るものが出来たに違いない。
★★★★

http://www.youtube.com/watch?v=EhjNQnyl7XA
Vanessa Perez
International Keyboard Institute & Festivalとキャプションにある。よく考えられ練り上げられたと感じられる点も多いが、魅力にまで至らないという感じ。やはり技巧的な面での余裕のなさなのだろうか。
★★

http://www.youtube.com/watch?v=uCdM4wpe9TM
Jose Echaniz
全曲盤、ラバピエスは45:14から。1950年代のウェストミンスター盤の録音とのこと。ヴィンテージ録音としてそれなりに貴重だとは思うが、技巧的にはかなり難あり。これを聴くと改めてラローチャという人がどれだけ傑出していたかを思い知ることになる。


http://www.youtube.com/watch?v=N_IETC4Opc0
Jose Maria Pinzolas
1991年録音の全曲盤。ラバピエスは59:30から。うーん、平凡かな。どこがどう悪い訳ではないんだが面白くない。これくらいならいまどきアマチュアでも弾きます。
★★

http://www.youtube.com/watch?v=R13GcRQSPxU
Rafael Orozco
これも全曲盤でラバピエスは57:45から。このピアニストについても詳細は何も知りませんがなかなか悪くない。さきのCayuelasとよく似たアプローチで、それなりに技巧もしっかりしていて手の内に入っている感じがします。これでもう少し華があれば、と思います。
★★★

http://www.youtube.com/watch?v=Gi0n6ZYeaUM
Mauricio Annunziata
1989年ブエノスアイレスとのキャプション。珍無類という人もいるかもしれませんが、基本的に弾けてないので私はパス。


http://www.youtube.com/watch?v=q53THCBxIOs
Pedro Fermín Guardia
キャプションには"Murcia, 13-05-2013"とある。ライブという以前に、体育会系というか、かなり荒っぽいところがあるが、陽気で猥雑という本来の曲想にはそれなりに合っていると思います。少なくとも聴いて嫌な感じはしない。
★★

http://www.youtube.com/watch?v=l9PjbrV-Dn4
上原由記音
アルベニスを得意といている人だそうだが、これを聴く限り、指のよく回るお嬢さんがきれいに無難に弾きました、という以上の感興を持てないのでした。このyoutubeはなぜか前半しか収録されていません。
★★


他にもいろいろありそうですがもうお腹いっぱい。どちらかといえばマニア向けの曲かと思ってましたが、録音・動画とりまぜてこんなにあるとは思いもしませんでした。それにしても難しい曲だなと思います。技巧的な困難もさることながら、それを乗り越えて陽気に猥雑に弾くのがなにより大変。★3つ以上はそれなりに聴いて楽しく、こんな風に弾いてみたいと思わせてくれる演奏でした。

最後におまけでアルベニス「スペイン組曲」から「カディス」をアルド・チッコリーニが弾いている動画を。
こういうのを色気のある演奏というのだろう。この小股の切れあがった女に鯔背な男、という感じ、若い人に理解してもらえるだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=Mj2vuUyPLzY

(この項終り)
by nekomatalistener | 2014-04-04 23:48 | その他 | Comments(0)

アルベニス 「ラバピエス」考 (その1)

コトバンクで「アッチャカトゥーラ」を引くと、「アッチャカトゥーラに近い言葉」として、アッポジャトゥーラ/トゥーラ遺跡/ヴェントゥーラ/フエルテベントゥーラ島/タブラトゥーラ/コロラトゥーラ/トゥーランドット/スコルダトゥーラ/ノーメンクラトゥーラ/しっちゃかめっちゃか、と出てくる。最後のやつだけちょっと仲間外れっぽくてしみじみした味わいがある。





4年半ほどの単身生活を終えて、久々にピアノを再開しました。ただ今、アルベニスの組曲「イベリア」の中の「ラバピエス」Lavapiés を練習中。いつかは弾いてみたい曲でしたが、多分51歳の今年が、私にとってこれを弾くラストチャンスでしょう。ある種の運動神経が必要なこういった曲目の肉体的限界が近づいているのを感じます(いや、もう疾うに限界を越しているのかも)。
アルベニスの「イベリア」がピアノ音楽史に燦然と輝く傑作であることはピアノ弾きなら概ね異論がないでしょうが、以前ピアノ弾きの友人たちに投げかけた「イベリア全12曲の中でどれが一番好きか」という問いへの答えはとても興味深いものでした。とにかく人によってまちまち。「アルメリア」が好きという人もいれば「ヘレス」が最高という方もいる。各人の音楽的な志向によってこれが一番、と明確に答えが返ってくるのが面白いと思いました。
私の場合、なんといっても「ラバピエス」、次に「エル・ポロ」。どちらもメシアンが好んだ、と聞くと少し嬉しくなります。特徴的なのは、薄いガラスの破片がキラキラと輝きながら降り注ぐかのような独特の不協和音の響きです。これには一つの系列のようなものがあって、例えばサン=サーンスの「ウェディング・ケーキ」(ピアノと管弦楽のためのカプリス・ヴァルス、1886年)あたりから始まって、ラヴェルの「優雅で感傷的な円舞曲」(1911年)を経てメシアン「喜びの精霊のまなざし」(1944年)に至るひとつの大きな流れの上に乗っているような気がします。短2度や増7度への偏愛が顕著だとしても、同じフランスのドビュッシーやフォーレとは微妙に色合いの違う世界であるように思います。もちろんドビュッシーのバレエ「遊戯」やピアノのための12のエチュード、あるいはフォーレの後期の室内楽やピアノ作品のような、比類ない天才の世界はこれはこれで魅力的なものだが今は触れないでおきます。
「イベリア」については、自分の手元にはラローチャの録音だけあればそれでいい、と思っていますが、最近はyoutubeでいろんな録音が聴けるのでいくつか聴いたものの感想を備忘として記しておきます。最後の★は参考までに(最高が★5つ)。


http://www.youtube.com/watch?v=oxrsBkqNpBQ
Luis Grané
ルイ・グラネと読むのだろうか。どういうシチュエーションで撮られた動画か判らないが家庭の居間で弾いているようだ。非常に丁寧に弾いていて、対位法的な部分の弾き方が実に面白い。思わぬところからアルベニスが周到に埋め込んだであろう旋律が聞こえてくるので大変勉強になります。しかし響きを整えようとするあまり、密集した不協和な響きがすこし犠牲になっているところも。それに、あまりにも丁寧過ぎて草食性の演奏と言う感じ。もっと肉食え。
★★★

http://www.youtube.com/watch?v=x2J4SngrCOc
Rostislav Yovchev
ロスティスラフ・ヨフチェフと読むのだろうか。"Played by Rostislav Yovchev, 01.12.2009, NMA " Pancho Vladiguerov", Sofia, Bulgaria"とのキャプションあり。
いわゆる爆演系の演奏に近い。生で聴けばそれなりに面白いのかも知れないが、いくらなんでも音が汚すぎる。繰り返しの鑑賞には向かない、というか耳が悪くなる。


http://www.youtube.com/watch?v=d2CtQInrOpI
Pedro Carbone
キャプションには"Spanish piano virtuoso Pedro Carbone performs live Isaac Albeniz's complete Iberia. This is the only live video recording ever made of what is arguably the most complex set of pieces ever written for piano."とある。巨匠風の落ち着いた(というか細かいところには無頓着な)演奏には好感はもちますが、猥雑な曲想に向いているかは別。本来全曲通しできくべき演奏かも知れませんが、正直あまり面白くありません。
★★

http://www.youtube.com/watch?v=uPVte4KfJTU
アリシア・デ・ラローチャ(動画はなく音のみ)
ラローチャの録音は「イベリア」にとって記念碑的なものであるという以上に、いまだにこれを乗り越える演奏がどうも現われていない、という意味でポリーニのブーレーズの第2ソナタのディスクにすら匹敵するものであると思います。学生の頃に彼女のリサイタルを聴き、終了後サインをもらいに行ったことがあるが、その手の小ささに驚きました。あの小さな手でよくここまで見事に弾くものだ。弾く側の人間としては、いかにこの演奏に近付き、かつ離れて行くか、というのが課題。
★★★★★

http://www.youtube.com/watch?v=jE_nInYsNBg
動画はなく音のみ。
キャプションはないが、前後のシリーズから判断するとEsteban Sánchez という人のディスクをアップしたもののようだ。ライブでない分、そこそこまとまってはいるが、これといった特色や面白味もない。密集した和音の弾き方に余裕がなく色気が感じられないのもいただけない。
★★

http://www.youtube.com/watch?v=_-nH7bwB84w
岡田博美
キャプションには「2011年10月29日(土)東京文化会館小ホールで開かれた岡田博美ピアノリサイタ­ル ふらんすplus2011 より」とある。
岡田博美は私が学生のころから注視してきた逸材だが、このライブも完成度は高い。多分生で聴いたら大いに楽しめたはずだが、繰り返して視聴するとリズム感とか様式感といった点で不満を感じます。それと、華のある演奏だけれど官能というのとは少し違う。あまり他人の演奏とか聴かない人なのかな。
★★

http://www.youtube.com/watch?v=lW_Hsw17Gfo
Esteban Sánchez
これもEsteban Sánchezのものだが、先に挙げたのとは別録音のようだ。先のよりは野趣に富んだ面白い演奏だが、全体にちょっと騒々しい感じ(録音のせいだけではない)。面白く弾こうと思うとやかましくなってしまう、というのがこのラバピエスの難しさのひとつかも知れない。
★★

まだまだあります。長くなりそうなので続きは次回に。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2014-04-03 23:42 | その他 | Comments(0)

R.シュトラウス 「アラベラ」 鑑賞記

いかにも大阪やなーという駅名ベスト3
①天下茶屋(てんがちゃや)②野江内代(のえうちんだい)③喜連瓜破(きれうりわり)
特に①の平野レミ並みにがちゃがちゃした語感は関西人が聞いても破壊的。





今日は4月1日。大阪が誇る吉本新歌劇の「アラベラ」公演を観ました。

2014年4月1日 なんばグランド花月
アラベラ: 仙堂花歩
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ズデンカ: 秋田久美子
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マンドリカ: 今別府直之
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マッテオ: 高井俊彦
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フィアカミッリ: 未知やすえ
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ヴァルトナー伯爵: 島田一の介
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アデライーデ: 末成由美
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エレメール伯爵: 烏川耕一
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ドミニク伯爵: タックルながい。
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ラルモール伯爵: 中田はじめ
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女占い師: ぢゃいこ
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指揮・演出: 小藪千豊
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【あらすじ】
没落貴族のヴァルトナー伯爵と妻アデライーデにはアラベラとズデンカの二人の娘があったが、娘二人を養うだけの余裕がなく、妹ズデンカは男の格好をして育てられていた。ある冬の日、伯爵の下にかつての友人マンドリカの甥を名乗る男がやってきてアラベラに求婚する。一方、若い士官のマッテオはアラベラに恋していたが、ズデンカは男の格好の時はマッテオの親友として振る舞いながら、実は密かにマッテオを愛していた。姉を慕うマッテオのために自分の恋を諦めようとするズデンカだが、彼女の企みがとんでもない騒動を惹き起こす・・・

ほんとに何度観ても笑って泣けるオペラです。特に町内会の盆踊りでアラベラとマンドリカが初めて出会う場面が私は大好き。

 マンドリカ:
 わたい、実はまえ、女房がいてましてん。そらきれいな、ほんま天使みたいな人でしたんや。
 せやけどたった2年、いっしょに連れ添うただけで、
 あっという間に死んでしまいよりましてん。
 あの頃はわたいもまだ若オおました。せやから神さんが、
 まだこの男にはこんなきれいな嫁はんは似合わん思いはったんでっしゃろなあ。

 アラベラ:
 さっきお父ちゃんがうちに言お思てはったことて、そのことなん?

 マンドリカ:
 す、すんまへん。ほんま田舎モンでっさかい。
 こんなことゆうやなんて、腕っぷしは強よおまんねけど
 鈍うて気ぃつきまへんのや・・・
 アラベラはん、あんたはきれいなお人や。
 あんたの写真みてから、あっちゅうまに好きになってしまいましたんや。

 アラベラ:
 お父ちゃんゆうてはりましたわ。
 マンドリカはんがうちと結婚したいゆうてはるて。
 せやけど、うちらがどんな暮らししてるか
 知ってはりますの?
 世間からしたらそないご大層な家やあらへん。
 それどころやない、えらい難儀な家族ですねん。

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出演者の中では未知やすえの「あたまかち割ってお前の脳みそストローで吸うたろかゴルァ!」というギャグが面白かったです。
マンドリカの老伯父で当初出演予定の井上竜夫が急遽降板したため、「お邪魔しまんにぇやわぁ~」の名台詞が聞けなくて残念。
by nekomatalistener | 2014-04-01 00:57 | その他 | Comments(4)