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イーヴ・ナット Yves Nat Ses Enregistrements 1930-1956(その14)

前々回の枕でヤクルトのバレンティンのことを書いたら、友達が「どうせ野球音痴でバレンティンの顔知らんでしょ」とアジャコングの画像を送ってきた。おかげでアジャコングのパンティラインが脳裏にちらついて大変困っています。





このシリーズも残すところあと2枚。今回はインタビューの録音とナット自作自演のあれこれ。

   CD15
   イーヴ・ナットへのインタビュー(自作のコンチェルトを語る)
   イーヴ・ナット
     ピアノ協奏曲* [1954.2.4.パリ・シャンゼリゼ劇場にて録音]
     ちいさなムジクのためにPour un petit moujik [1929.2.12.録音]
     5つのメロディ** [1943.6.1.録音]
       Dans vos viviers, dans vos étangs
       Chanson pour un officier de marine
       Chanson de la nageuse nue
       Que lentement passent les heures
       L'enfant à la poule aux œufs d'or

     *ピエール・デルヴォー指揮フランス国営ラジオ局管弦楽団
     **イレーネ・ヨアヒム(Sp)
     **シャルル・ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団

前半にラジオでのインタビューが入っていますが、私フランス語まったく判りませんのでパス。最初インタビュアーの番組紹介があって、短いピアノ曲が流れるが、誰の何て曲かも判りません。インタビューの後半にナットのピアノ協奏曲の第4楽章のカデンツァが流れます。
さてその協奏曲ですが、フランス人でありながらベートーヴェンやシューマンを得意とした(少なくとも世間からそう思われていた)ナットの自作が如何なるものか、というのが興味のあるところですが、これがラヴェルとアンドレ・ジョリヴェとジャズを混ぜ合わせたようなシロモノ。まぁ一言でいってピアニストの余技の域を出る物ではありませんが、彼も時代の子であったのだなぁとちょっとした感慨を覚えます。
4楽章からなる18分ほどのこの協奏曲、第1楽章Allegro molto quasi prestoはラヴェル風の色彩豊かなオープニングからすぐにジョリヴェ風、あるいはジャズ風の音楽になって、フランス人の好みそうなエキゾチシズムに溢れた音楽が展開します。Andanteの第2楽章はちょっとムード音楽みたい。第3楽章Intermezzoは急速な連打音をモチーフにしたトッカータ風の音楽。Vivoのフィナーレは先立つ楽章のモチーフを用いたもので、ジャズのインプロヴィゼーションのようなカデンツァが奏されます。それなりに面白く退屈しませんが、歴史には残らんだろうなぁ。
ピアノ独奏による「ちいさなムジクのために」。Moujikを辞書で引くと「帝政ロシアの農民」などと書かれていますが、作品が書かれた背景は全く判りません。ムジクといえばイヴ・サン=ローランの愛犬のフレンチブルドッグの名前だが、それと関係があるのかどうか。不定冠詞が附いているので犬の名前じゃなさそうだな。それはともかく、ロシア風のメランコリーに満ちた美しい旋律で、久石譲だよと言われたら信じてしまいそう。途中の盛り上がりはラフマニノフを意識したのだろうが、ちょっとガチャガチャとやかましいのが残念。
「5つのメロディ」は最初の3曲がピアノ伴奏、後の2曲はオーケストラ伴奏。詞は第1・4曲がアポリネール、第2・3曲テオフィール・ブリアン、第5曲はナットの自作とのこと。いずれも1分から2分程度の短い作品ですが、こういうメロディーはフランス人にしか書けないだろうと思います。ミヨーの歌曲のような雰囲気もあって、なかなかの佳作です。歌っているイレーネ・ヨアヒム(本当はイレーヌ・ジョアシャンと発音するのだろうが日本ではヨアヒムで通っている)は知る人ぞしるフランスの歌姫。ドビュッシー、ベルク、ミヨーの他、プーレーズの「水の太陽」なんかも歌っています。現代音楽のファンは名前を憶えておいた方が良さそうだ。清楚なのにどこかノンシャランな歌いぶりが味わい深く、素敵です。協奏曲もそうですが、オーケストラもデルヴォーにミュンシュとなかなかの豪華版。ナットの日本での知名度は今一つですが、フランスで彼が如何に大切に思われているかが伺えます。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-09-22 15:25 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

イーヴ・ナット Yves Nat Ses Enregistrements 1930-1956(その13)

技術屋の部下のレポートで、「性能稼働率」を「性能感動率」とミスタイプしているのをなぜか「性感能動率」と空目。しかも「あはは、せいかんのうどうりつやて、マッサージかいな」などと(会議中なのに)口走ってしまう。





今回もベートーヴェン。残りわずかです。

   CD5
   ベートーヴェン
   ピアノ・ソナタ第16番ト長調Op.31-1 [1955.11.17.録音]
   ピアノ・ソナタ第17番二短調Op.31-2「テンペスト」 [1954.9.21以前の録音]
   ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調Op.31-3 [1955年10月以前の録音]
   ピアノ・ソナタ第19番ト短調Op.49-1 [1954.9.21以前の録音]

作品31としてまとめられた3つのソナタに共通するのは、その遊戯性とでも言いたくなるような軽みと、イタリア・オペラの影響と思しい諸要素ではないかと密かに考えています。もしかするとこの3つのソナタは、ベートーヴェンなりにイタリアの音楽、それもクレメンティのソナタではなく、古典派イタリア・オペラとの対峙と受容の結果ではなかったか。もっとも同時代のオペラ、例えばケルビーニとかスポンティーニ、あるいは少し先輩格のサリエリのそれを私は殆ど知りませんので、あくまでも仮説ではありますが。ベートーヴェンの作風としては若干異質なこの作品群、しかし後期の偉大な作品に至る巨人の歩みの中で、決して無駄な回り道ではなかったと思います。
以下、その遊戯性とイタリア・オペラの受容という要素を少し詳しく見てみよう。

第16番の第1楽章はベートーヴェンの遊戯性が前面に現われた作品です。ト長調ですが第2主題は通常の二長調ではなくロ短調のブリッジを経てロ長調となっています。これは後の21番ハ長調の第2主題がホ長調となるのと同じ関係。展開部は動機労作というよりはピアニスティックな遊びの要素が大きい。再現部の第2主題はホ長調で始まりト長調に終止します。第2楽章はアリアのような旋律美が支配しています。流麗かつ装飾的で、ピアノによるコロラトゥーラみたい。ニ度現われるカデンツァはソプラノ歌手の歌う派手なブラヴーラを模しているのでしょう。第3楽章は穏やかなロンドですが、アダージョとアレグレットが何度か交替してプレストになだれ込むコーダはこれまた愉悦に満ちた遊びの世界。

第17番の有名なラルゴとアレグロの交替する冒頭、聴きようによっては劇的なレチタティーヴォの弦楽によるアコンパニャート(伴奏)のようにも聞こえます。「テンペスト」というタイトルにまつわる逸話は後世の創作と言われているけれど、確かにオペラの中の嵐の場を彷彿とさせます。何より展開部の終りに現われる次の箇所(譜例1)はレチタティーヴォそのもの。オペラを知らずしてテンペストを弾くのは、もしかしたら大変笑止なことかも知れない。
(譜例1)
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第2楽章は深い思索を思わせる素晴らしい楽章。だが、何気ない旋律線の装飾が紛れもなく前後の2作と共通の世界を有することを物語る。因みにこの楽章、ブラームスの第3ピアノ・ソナタのインテルメッツォ(譜例2)の発想の源となっていよう。
(譜例2)
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そういえば同じくブラームスの第2ソナタの冒頭は「テンペスト」の第1楽章みたいだ(譜例3)。第1ソナタがベートーヴェンの29番へのオマージュであることは一目瞭然だけれど他にもいろいろありそうだということ。
(譜例3)
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第3楽章は特に広く知られていると思いますが、これも私には音のメカニックな動きへの興味が先立つ遊戯的な楽章に思えます。従って殊更悲劇的に弾くのは相応しくないような気がします。

第18番も実に遊戯的な晴れやかな音楽。第1楽章の第2主題に附けられた派手な修飾はまるでブラヴーラ・アリアのようです。第2楽章はスケルツォと題されていますが2/4拍子の破格の音楽。これも湧きたつような楽しさに溢れています。スケルツォにしては珍しくソナタ形式で書かれています。第3楽章は穏やかなメヌエット。型通りの音楽だが主部とトリオの対比はやや薄い(調性は主部もトリオも同じ変ホ長調)。フィナーレは狂騒的なタランテラ。シューベルトの19番ソナタに与えた影響は顕著。シューベルトといえば初期の交響曲にもこんなのがあった(第3番D.200のフィナーレ)。弦楽四重奏曲第15番D.887のフィナーレも然り。

第19番、出版時期の関係で19番の番号がついているが実は第20番と同じく初期のソナチネ。子供の為の教材のように思われて軽くあしらわれるけれど、第1楽章のロココ風の悲しみとギャラントな味わいは格別。ソナタ形式によるアンダンテとアレグロのロンドの二つの楽章で見事に完結しています。ベートーヴェンの2楽章ソナタは最後の第32番に至るまでまったく過不足を感じさせないのがさすが。

今回はナットの演奏について各曲ごとの論評は書きませんが、いずれのソナタも模範的な演奏だと思いました。50年代のナットはテクニックの衰えを力技で押し切るきらいが少しありますが、これらの軽みをおびた曲目では良い具合に力が抜けているように思います。「テンペスト」はともかく、ベートーヴェンのソナタの中でも不当に陽の目をみないこれらの作品の面白さを堪能しました。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-09-14 01:07 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

イーヴ・ナット Yves Nat Ses Enregistrements 1930-1956(その12)

ネット記事見てて「ん?パンティラインって何?」と思たらヤクルトのバレンティンの記事だった。




あと4枚。今回はSP時代の貴重な音源。

  シューマン
    ピアノ協奏曲イ短調Op.54 [1933年4月25-26日録音]
    ユージェーヌ・ビゴー指揮管弦楽団(不詳)
  フランク
    交響的変奏曲嬰ヘ短調 [1942.4.17録音]
    ガストン・プーレ指揮コンセール・ピエルネ管弦楽団
  ブラームス
    インテルメッツォ変ロ短調 Op.117-2 [1938.6.10.録音]
  リスト
    ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調 [1929.2.12.録音]
  ストラヴィンスキー
    「ペトルーシュカ」より「ロシアの踊り」 [1929.2.12.録音]


シューマンのピアノ協奏曲というと、私はいつも「ディレッタンティズムの勝利」ということを思います。作曲家としてのシューマンをアマチュア呼ばわりするつもりはありませんが、少なくともピアノ音楽においてプロフェッショナルな仕事と呼ぶのも同じ位の抵抗がある。そういったシューマンの特性こそディレッタンティズムというべきものだと思いますが、ある意味プロフェッショナルな音楽の極致であるべき協奏曲というジャンルにこのディレッタンティズムを持ち込んで、これほど成功させた例を他に知りません・・・と大上段に構えて書いてみたものの、本当にそうなのかと問われるとよく判らないのが素人の哀しさ。
ピアノ音楽に関しては一見群雄割拠のイメージのあるロマン派の時代ですが、よくよく考えてみるとこの作品と同時代、すなわち1840年代に初演されたピアノ協奏曲というと意外と思い浮かばないのですね。ショパンのそれはもっと若書きで1830年代初頭(メンデルスゾーン然り)、リストの第1番は40年代には既にあらかた作曲されていたとはいえ、改定に次ぐ改定により、実際に初演されたのは1850年代の半ば。本当の意味で同時代の作品といえるのはモシュレスとかヒラーといった人々のそれなのでしょうが、ごく一部の好事家にしか知られていないというのが実態。シューマンの本質の客観的な分析というのは意外に難しいことではあります。
もう少し主観も交えて書くなら、まずなによりこの協奏曲のソロパートは技巧的にはかなり平易なものであること。もちろんショパンやリストと比較して、という意味ですので誤解があってはいけませんが、シューマンの例えば「交響的練習曲」をそこそこ弾ける人ならお釣りがくるくらいのレベル。けっして、「トッカータ」や「幻想曲Op.17」の第二楽章のようなとんでもなく困難な技巧というのは出てきません。まずこのこと自体、ヴィルトゥオジテの飽くなき追求の場であったロマン派の協奏曲というジャンルにはとても珍しいことで、強調するに値することだと思います。よく第三楽章のヘミオラの部分が難所と言われるけれど、あれはオーケストラのパートが一度「落ちる」となかなか復帰できないからそう言われるのであって、ソリストにとっては難所という感じはしません。むしろほどほどの技巧で空を駆ける如く気持ちよく弾いてカタルシスも十分得られるところ。ピアノの技巧的側面におけるディレッタンティズム(あるいはプロフェッショナリズムの欠如)というのは、なかなか客観的に伝え難いところですが、さてお判り頂けるでしょうか。
もうひとつは、例えば譜例のような箇所。
(譜例1)
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何の変哲もない左手のアルペジオ。こういう箇所こそ、作曲家が秘術を尽くす箇所だと思うのだがこの単純さ。にもかかわらずこの部分は全曲の白眉といって差し支えないところでもある。本当にシューマンの素晴らしさの一端はこういう箇所にあるのだと思う。これをリストの協奏曲の次の箇所と比べてみると面白い。
(譜例2)
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楽譜面(づら)としてはとても良く似ているが、リストの書法はまぎれもないプロのそれという気がします。だからといってリストのほうが音楽的に優れているとはいかないところが面白いところだと思う(ちなみに私は決してリストが嫌いなわけではない)。
シューマンが練習のしすぎで指を傷めたというのはどうも伝説のようだが、ショパンやリストはもとより、同時代のさほど天才に恵まれていなかった人達と比べてもピアノの技巧に恵まれなかったのは確かだろう。もう少し若い頃のシューマンは(先程ちょっと触れたトッカータや幻想曲の第2楽章コーダのように)超絶技巧を駆使することもあるけれど、基本的にロマン派的超絶技巧というのは自分が弾けなければそもそも書けないもの。シューマンにとってのヴィルトゥオジテの追求は、やがてある種のルサンチマンにも似たものとなっていったように思います。この協奏曲の頃になってようやくそのヴィルトゥオジテの自縛から解き放たれ、敢えて平易な書法で協奏曲を書いたのだと考えられないでしょうか。私は個人的にはこの協奏曲をシューマンの初期の独奏曲ほどには評価していないのですが、逆に言えば私の愛する作品には確かにヴィルトゥオジテに対するルサンチマンのようなものがあると、この協奏曲を久しぶりに聴きながら思いました。
ナットの演奏は概ね良いものですが、第1楽章のカデンツァのクライマックスが妙に軽くて雑。私の趣味にはどうも合いませんでした。他の部分はナットとしては完成度も高く、実に惜しい録音です。オーケストラは特段上手いとも思いませんが、まずまずソロを邪魔しないレベル。録音のせいもあるでしょうがオーボエなど古風でロマンティックな響きがして、大戦前の時代を感じさせるものでした。

フランクのピアノとオーケストラの為の「交響的変奏曲」、私はこのディスクで初めて聴きました。有名なヴァイオリン・ソナタや二短調の交響曲、それにピアノのための「前奏曲、コラールとフーガ」くらいしか知らず、いずれも佳作だとは思いながらそれ以上深入りする機会の無かったフランクですが、この「交響的変奏曲」は大いに気に入りました。リストとワーグナーの開拓した世界の正統的な後継者という感じがします。作曲時期としてはヴァイオリン・ソナタとほぼ同時期の1885年頃、重苦しく、極端なまでにクロマティックな曲調が最後に明るい嬰へ長調に転調して開放的に終わるのもソナタと同様。緻密なピアノ書法も大変優れており、改めてフランクをあれこれ聴いてみたくなりました。
ナットの演奏は非常に立派なもので、相当の難技巧をものともせず果敢に弾き切っています。前半の重厚さと後半の上機嫌の対比も素晴らしい。ナットという人は本当に不思議で、大した難所でもないのに技巧的に破綻しているものもあれば、このフランクのように(瑕が無い訳ではないが)圧倒的なヴィルトゥオジテを誇る演奏もある。この15枚組アルバムの大半が1950年代の録音な訳だが、ナットの全盛期は多分フランクを録音した1942年前後だったのだろう。大戦の最中で仕方がないのでしょうが、その時期の演奏が殆ど残されていないのが残念に思います。

あとは簡単に。ブラームスのOp.117-2は以前1955年の録音を紹介しましたが、この戦前の録音もなかなかです。熱いブラームスを堪能しました。リストとストラヴィンスキー、半ば怖いもの見たさで聴きましたが意外や意外、驚くほど指回りよく弾けています。若いころのナットはかなりのヴィルトゥオーゾであったことが伺えます。「ペトルーシュカ」は超弩級の難曲ですから、さすがに怪しい音があちこちで鳴っていますが、それでもこの時代にこれだけ弾けたら大したものでしょう。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-09-08 15:35 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)