<   2013年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

新国立劇場公演 ヴェルディ 「アイーダ」

以前、「メッシ知らんの?」と息子から上から目線で言われた私の気持ちが良く分かったと、関西在住の知人Aからメールが・・・。
知人A「何時まで雨降んねやろ・・・」
知人B「午後には雨やむってまさきさん言うてたで」
知人A「まさきさんってどこの職場の人ですか」
知人B「まさきさんしらんのん?関西に住んでてまさきさんしらんのん?写真が趣味でこのまえどっかきとったで。」
「メッシしらんのん?」と言われた●●さんの気持ちが分かりました。ネットで調べたらABCの気象予報士の正木明さんとのこと。顔は知ってますが名前までは知らんがな。・・・




話題の「アイーダ」を観てきました。明日から出張で暫く忙しいので、記憶の薄れない内に感想をメモしておきたい。

  2013年3月27日
   アイーダ: ラトニア・ムーア
   ラダメス: カルロ・ヴェントレ
   アムネリス: マリアンネ・コルネッティ
   アモナズロ: 堀内康雄  
   ランフィス: 妻屋秀和
   エジプト国王; 平野和
   指揮: ミヒャエル・ギュットラー
   演出・美術・衣裳: フランコ・ゼッフィレッリ
   合唱指揮: 三澤洋史 
   合唱: 新国立劇場合唱団
   管弦楽: 東京交響楽団

この公演、呼び物は何と言ってもゼッフィレッリの記念碑的演出の再演であること。第2幕凱旋の場の、豪華絢爛たる舞台を観れば今回の観劇の目的の7割方は達せられたといった感じがする。私は自慢じゃないが(自慢だけど)、1988年のミラノ・スカラ座の来日公演で、ゼッフィレッリ演出の「トゥーランドット」を観ており(NHKホールだった。思えばあの頃はまだ日本にはオペラ専用の劇場なんてものは無かったのだ)、これほど贅沢な舞台を観るのは実に四半世紀ぶり。1988年といえば世はバブル真っ只中だった訳だが、その頃のちょっと浮ついた世の中の空気とか、社会人になって4年目の私個人のほろ苦い記憶の数々まで呼び起されるようなバブリーな舞台でした。
その凱旋の場は、単に豪勢というだけでなく色彩と質感が見事。思わず、あのルーヴル美術館で一際偉容を誇るジャック=ルイ・ダヴィッドの大作、「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」を思いだしました。こればかりは実物を観ないことには始まらない。
歌手の中ではアムネリスを歌ったマリアンネ・コルネッティが素晴らしかった。全体に主役二人が大味な中で彼女の表現力は際立っていたように思う。第4幕第1場の長いソロには涙を禁じえませんでした。
アイーダ役のラトニア・ムーアはちょっと評価が難しい。ソロを歌うと音程が悪く表現ものっぺりしていて大味。ところがアンサンブルになると、太い筆に墨をたっぷり含ませて一気に書かれた文字のように、実に存在感のある声に感じられる。第2幕の壮大なコンチェルターテや第3幕のアモナズロとの二重唱など素晴らしいのだが、一人で歌うところは概ね残念な出来。
ラダメス役のカルロ・ヴェントレは、第1幕あたりはちょっと粗っぽい歌い方で少し厳しいかな、と感じたが、後半は素晴らしい歌唱。今時これだけロバストでプロフォンドな表現の出来るテノールは貴重。
脇役の日本人男声3名も大変結構。アモナズロの堀内康雄、第3幕のアイーダとの対話は手に汗握る迫真の歌唱。エジプト王の平野和については本ブログで昨年の「ドン・ジョヴァンニ」のレポレッロを絶賛しましたが、まぁエジプト王の役ではこの人の美点はあまり活かし様がない。しかし舞台映えのする見目麗しい王でした。神官ランフィスの妻屋秀和はいつもながらの安定感。これだけ脇ががっちりしていると音楽の隅々まで実に楽しく聴ける。
ギュットラーの指揮は、経歴を見ると必ずしもイタリアオペラが得意という訳でもなさそうだが、トラディショナルなソステヌートなども様になっていて、様式感を大切にしようとする姿勢にとても好感が持てました(ちょっと走るところもあるが)。だがその様式感というものは本能的に湧き出てくるものというより、学習の成果として現われたものという気がする。とはいえ、こういう演奏は(イタリアものが鬼門になりがちな)日本のオケにとっても貴重な経験になると思う。イタリア・オペラとなると途端に薄っぺらい音になることが多い日本のオーケストラだが、今回の東京交響楽団の演奏は十分輝かしさもあって秀逸でした。
ま、いろいろ細かいところをあげつらうことも出来るが、総括すると終幕のアムネリスが良かったので結果オーライ。なんだかんだ言いながら、やはりヴェルディは素晴らしい。
by nekomatalistener | 2013-03-28 01:59 | 演奏会レビュー | Comments(5)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その3)

これワロタわ~。
YAHOO!知恵袋より
Q:曲名を教えてください! すごく迫力のあるテンポのはやい曲です!

 「ダン!ダン!|ダン!ダン! |ダッダダーッダダー|ッダダーッダダー|
 アーアア|アアアア|アアアアアア|アアアアーア|アン
 ディレレレディレレレディレレレ|ディレレレディレレレディレレレディレレレ|
 ダン!ドン!ダン!ドン!|ダン!ドン!ダン!ドン!|
 ダッダダーッダダー|ッダダーッダダー|
 アーアア|アアアア|アアアアアア|アアアアーア|アン
 ディレレレディレレレディレレレ|ディレレレディレレレディレレレディレレレ・・・」
 
 よろしくお願いします。
 m(__)m

A:ベルディのレクイエムから「怒りの日」だと思います。





ちょっと脱線から。「マイスタージンガー」第3幕でヴァルターが歌う夢解きの歌の出だし(譜例13)、どこかで聴いた憶えが・・・と思ったらブラームスのヴァイオリン・ソナタの第2番じゃないか(譜例14)。もしかしたら誰でも知ってるネタなのかも知れませんが、これは素直にワーグナーに対するオマージュと見るべきだと思います。でも、そうだとすると、ワーグナーが大嫌いでブラームスを擁護していたハンスリックの立場はどうなるのだろう?
(譜例13)
a0240098_2035922.png

(譜例14)
a0240098_20354616.png


前回の予告通り、今回は第2幕でザックスが歌う「ニワトコのモノローグ」を取り上げます。それにしても私が無粋な人間というのもあるが、この場面で何が判らないかといえば、それは宵闇に漂う「ニワトコのかおり」。正確にいえば「セイヨウニワトコ」なのでしょうが、調べるとどうも「マスカットのような香り」がするそうだ。また、ユダが首をくくった木であるとか、魔法・魔術に関する様々な伝承があるとのこと。こういったヨーロッパの共同体の共有知を持たないというのは、ちょっと日本人としては辛いところ。
まず譜例15、序奏の冒頭6小節だが、最初の2小節、第1幕のヴァルターの歌に現われ、wikipediaによれば「春の促しの動機」などと呼ばれている動機、それに続く32分音符の下降音形で暗示される靴屋の動機、それに続くホルンの2音ずつ4度下がって3度上がり、次に5度下がる非常に特徴的な音形の動機の、3つの要素が現われています。実際、それに続く長いモノローグは、その題材の殆どが(ザックスが回想する)ヴァルターの歌と、後ほど展開される「靴造りの歌」から成り立っており、経済的と言うか、ごく少ない素材から無尽蔵とも思えるような音楽を紡いでいくワーグナーの才能ここに極まれり、といった感じがします。
(譜例15)
a0240098_20385595.png

「トリスタン」以降のワーグナーの楽劇が、その長大さにも関わらず非常に輪郭が掴みやすく思われる秘密は、この動機(ライトモチーフ)による作曲技法にあるのは間違いありませんが、どんなに長大であっても結局ごくわずかの素材の「使い回し」で成り立っているようなものなのに、聴いていて少しも退屈しないというのは、これはもうワーグナーの天賦の才としか言いようがありません。
「春の促しの動機」は全曲の至るところに現われる、この楽劇のもっとも重要な動機ですが、これは早くも前奏曲に現われる「衝動の動機」(譜例16)から直接導かれたものであることは言うまでもありません。
(譜例16)
a0240098_2041483.png

ざっと、ここまでは耳で聴いて引用元がすぐ判るものですが、3つ目のホルンの動機は少し判りにくいように思います。どうも呼び名すら持たないようなこの特徴的な音形、引用元は第1幕のヴァルターの「資格試験の歌」の次の部分でした(譜例17の5小節以降)。この部分のヴァルターの歌の歌詞は春の森の情景を歌うものであり、ニワトコのモノローグにおける、初夏の宵闇のリンデやにわとこの木立に照応しているので、これを「森の動機」と呼んでも差し支えないでしょう(森をホルンで表現するのはドイツ音楽のお約束)。ちなみにこの「資格試験の歌」などと呼ばれるヴァルターの歌は、私が思うに「ヴァルキューレ」第1幕でジークムントの歌う”Winterstürme wichen dem Wonnemond,”(ジークムントの愛の歌)にも匹敵する素晴らしい旋律だと思います。
(譜例17)
a0240098_2043383.png

「ニワトコのモノローグ」におけるこの動機は、本当に美しい、ドイツの初夏の夜を彷彿とさせる音楽なのに、この場面以降、(私の見落としが無ければ)このままの形での展開はされていないようです。しかし、この4度下がって3度上がり、次に5度下がる音形は、前奏曲の次の箇所(譜例18の第3小節目)、あるいは「愛の動機」などと呼ばれる動機(譜例19の第3小節目以降)などとも密接な関係があるに違いありません。
(譜例18)
a0240098_2049362.png

(譜例19)
a0240098_20494892.png

更に言うなら、この「4度下がる」というのは「マイスタージンガー」全体を支えている基本原理となっていて、前奏曲の冒頭から様々な動機、コラールやら乱闘の音楽やらべックメッサーのセレナーデまで、ほとんどありとあらゆる素材に共通して見出されるものとなっています。こじつけ、考え過ぎという勿れ。この原理こそベートーヴェン以降のドイツ音楽(少し乱暴な括り方ですが)に顕著な動機労作thematische Arbeitの根幹をなすものであり、ワーグナーのライトモチーフやその構造も、それを拡大敷衍したものに他ならない、と思います。そして、ワーグナーがこの「4度下がる」という動機の萌芽から長大な全曲を生みだしたのは、おそらく意識的なものであっただろうという気がします。

全曲の中からわずかにザックスの歌う二つのモノローグ、そこに現われた幾つかの動機を取り上げただけで予習終了、という訳ではありませんが、まぁこれぐらいにしておきます。微細な動機やその萌芽がどこにどのように仕込まれているか、ヴォーカルスコアにして400頁にもなる全曲を隈なく探索するのは骨は折れるが実に楽しい作業でした。あとは4月の音楽祭での公演を待つばかり。
前々回に予告したアドルノの『ヴァーグナー試論』の読書レポートについては、稿をかえて取り上げます。
(この項終わり)
by nekomatalistener | 2013-03-20 21:37 | CD・DVD試聴記 | Comments(2)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その2)

「マイスタージンガー」第2幕、一旦侍女と姿を消したエーヴァが戻ってきたときのヴァルターの台詞、”Doch ja, sie kommt dort?”が、「どっひゃ~」としか聞こえない。もっとも「どっひゃ~あの娘やっぱり来たで~」という意味なのであながち間違いではない(違)。




さて、前回、第3幕の前奏曲と、続くザックスの「迷いのモノローグ」の主要な動機となっている旋律が、第2幕の「靴造りの歌」に由来しているのを見ましたが、第3幕のモノローグ以降の場面で同じ動機がどのように使われているかを検証してみます。
昨夜の乱闘騒ぎを辛くも逃れてザックス邸で一夜を明かしたヴァルターが工房に現われると、何としても彼に歌合戦で優勝してもらいたいザックスは、マイスターの歌の規則を彼に教えます。ザックスに導かれるままにヴァルターが「夢解きの歌」の第1節を歌い終わると、例の動機が現われます(譜例6)。ザックスは中年とはいえまだまだ男ざかり、前の日エーヴァから結婚相手として「男やもめのザックス親方では駄目なの?」などと囁かれたザックスはついその気になるものの、エーヴァがヴァルターに真の愛情を抱いていることを見届け、自分の恋を諦めます。台詞には何もそのようなことは書かれていないが、音楽がそのことを雄弁に語っています。
(譜例6)
a0240098_23443798.png

ヴァルターの素晴らしい歌に心底感動したザックスは第2節目を促し、ヴァルターが歌い終わるとまたしても例の動機が姿を見せます(譜例7)。しかしここでは動機は短縮され、ほのめかす程度に扱われている。
(譜例7)
a0240098_23465454.png

第3節を歌うことを断ったヴァルターに対し、ザックスは決然と「では、言葉はしかるべき場所で行為とともに示しなさい!」と言いますが、動機は殆ど原型をとどめずに決然たる調子にモディファイされています(譜例8)。
(譜例8)
a0240098_23473174.png

その後、ザックスとべックメッサーのやりとりの後、ザックスの工房にエーヴァが現われ、靴の修理にかこつけてヴァルターのことを気にしていると、ヴァルターが歌の第3節を歌いながら登場します。気付かぬふりをして靴を直すザックス。ここで例の動機が一瞬現われたのち(譜例9)、ただちに「靴造りの歌」に変化し、苦い諦念が笑いの世界に溶けていきます。実は私、ここからのザックスの歌は涙なしには聴くことができません。見事な音楽ですが、しかしどちらかといえば芸術的所産というよりは精緻な職人芸の世界という気もします。ただし、それはワーグナーの作曲法を貶めるのではなく、これほどの膨大なスコアが動機というさまざまな縦糸と横糸を撚り合わせたように造られているのは驚異的といってもよい事象ではあります。
(譜例9)
a0240098_23522091.png

感極まったエーヴァがザックスの計らいに感謝して”O Sachs! Mein freund! Du teurer Mann!”(ああ、ザックスさん、大事なお方!)と叫ぶところにも例の動機が潜んでいて、この「迷い」はエーヴァ自身のものでもあったことが判ります(譜例10)。
(譜例10)
a0240098_2352577.png

そこからエーヴァの長いソロが始まりますが、次第に強まる半音階的色彩はエーヴァの精神的成長を物語るかのよう。”Doch nun hat's mich gewählt zu nie gekannter Qual”(しかし、いまの私は思いもよらぬ苦しみを味わわされている身です)に至って、殆ど「トリスタンとイゾルデ」と見紛うばかりに音楽が上り詰めると、ザックスが「ハンス・ザックスは賢明だったから、マルケ王のような仕合せは望まなかったのだよ」と、「トリスタン」の引用にのせて歌います。
なんという音楽!これが喜劇か、と少しばかり空恐ろしくなるほど。その後、場面はいよいよ歌合戦の場へ。群衆に向かってザックスが開式を告げる場面、「あなた方の気持は軽いでしょうが、私の心は重くなります、私のような哀れな者に、あまりの栄誉が与えられますと。」という箇所でまたしても例の動機(譜例11)。
(譜例11)
a0240098_23542525.png

そしていよいよ大詰め、見事勝利とエーヴァとの結婚を勝ち取ったヴァルターを指して、ザックスが群衆に「どうです、私の選んだ証人に間違いはなかったでしょう!」というところにも動機がちょっと現われます(譜例12)。未練がましいといやぁ未練がましい、しかし人間の心理を丁寧に音で追いかければこういうことになるのでしょう。
(譜例12)
a0240098_23551515.png

以上見てきたようなことは、もちろん知らなくたって一向に観賞の妨げにはなりませんが、知っているのと知らないのとではやはり作品の受け取り方が違ってくるように思います。「迷いの動機」ひとつとってもこの調子ですから、正味4時間半の音楽を動機レベルで分析していけばとんでもないことになるのですが、それにしても「マイスタージンガー」に続く「ニーベルングの指輪」に至っては、4夜に亘って繰り広げられる長大な全曲がこのような「動機」の網目として作曲されていて、本当に筆のすさびで書き流したような小節が一つもないとさえ思われます。「トリスタン」にしても「指輪」にしても、うねるような音響の渦に巻き込まれ、忘我の境地を漂うのも一つの「聴き方」ではあると思いますが、一度は知的な分析という過程を経るのも悪いことではないと思います。
「マイスタージンガー」にどれほどの動機が使われているかは、ちょっとネットなどで解説を当たれば判ることですので、次回はあまり言及されていない(と思われる)動機を取り上げながら、有名な「ニワトコのモノローグ」について書いてみたいと思います。
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-03-18 00:26 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 カラヤン指揮(その1)

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に何度も出てくる”Fanget an!”(始めよ!)という旋律、ファーンゲターーンというのを参鶏湯(サームゲターーン)と空耳。ほら、もう、そうとしか聞こえなくなったでしょ(悪魔の笑み)。



4月の「東京・春・音楽祭」の目玉はなんといっても「ニュルンベルクのマイスタージンガー」公演。ワーグナー生誕200年に相応しいその公演で特に目を惹くのはヴァルター役をフロリアン・フォークトが歌うこと。昨年の6月に新国立劇場で彼の歌うローエングリンを聴いて、その類稀な才能に驚嘆しながらも、どうしてもその声質が好きになれなかったことは以前このブログにも書きました。にもかかわらず「マイスタージンガー」のチケットを買ったのは、いま間違いなく旬の真っ最中のフォークトをもう一度聴いておきたかったのと、どうして(世間であれほどもてはやされていたのに)私が好きになれなかったのかを分析してみたいと思ったから。

とりあえずフォークトのことは措いといて、ワーグナーの音楽をじっくり予習してみたいと思います。正味4時間半に及ぶ超大作を短期間で隅々まで把握するのはとても無理な話ですから、CDを聴きながら、ことさら耳に残る小さな部分、音楽用語でいうところの「動機(モチーフ)」レベルで、私の心を掴んで放さない些細な部分にこだわって、感じたことを数回に分けて書いてみたいと思います。
同時に、いままでこのブログでワーグナーを取り上げた際に、その物語に見られる謎のようなものについて、色んな思考の補助線を引きながらとりとめもないことを書き連ねてきた訳ですが、今回はそういった素人談義は止めて、最近買ったテオドール・W・アドルノの『ヴァーグナー試論』(高橋順一訳、作品社)を少しずつ読み進めながら、特に「マイスタージンガー」の理解に資するところについて書きとめてみたいと思っています。
今聴いている音源は下記の通り。

   ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲
   ハンス・ザックス: テオ・アダム(Bs-Br)
   ファイト・ポーグナー: カール・リッダーブッシュ(Bs)
   クンツ・フォーゲルゲザンク: エーベルハルト・ビュヒナー(T)
   ジクストゥス・べックメッサー: ジェレイント・エヴァンス(Br)
   フリッツ・コートナー: ゾルタン・ケレメン(Bs)
   ヴァルター・フォン・シュトルツィング: ルネ・コロ(T)
   ダーヴィット: ペーター・シュライヤー(T)
   エーヴァ: ヘレン・ドナート(Sp)
   マグダレーネ: ルート・ヘッセ(Ms)
   夜警: クルト・モル(Bs)
   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)
   ドレスデン国立歌劇場合唱団・ライプツィヒ放送合唱団(合唱指揮ホイスト・ノイマン)
   1970年11月24~30日&12月1~」4日ドレスデン聖ルカ教会にて録音
   CD:EMI CLASSICS TOCE11390-93

カラヤンといえば、「アンチ・カラヤン」という言葉があるくらい、嫌いな人は嫌いな訳ですが、この録音に限って言えば本当に歴史的録音といってもよい超弩級の名演という気がします。何より凄いのはシュターツカペレ・ドレスデンの質実剛健という表現がぴったりなその音色。もしカラヤンがベルリン・フィルでこの作品を録音していたならこれほどの成功は納められなかったのでは、と思います。当時共産圏であった東ドイツで、ある意味コマーシャリズムの呪縛から逃れて独自の進化をしたシュターツカペレの魅力は、既に語りつくされているのかもしれませんが、私も賛辞を捧げずにはいられない。その温かみのある、木肌のような手触りの音はもしかしたら現代では既に幾分失われていて、この「マイスタージンガー」の録音に辛うじて往年の素晴らしさを聴くことができるだけなのかも知れません(普段オーケストラをあまり聴かないのでえらそうなことは言えませんが)。カラヤンは敢えてこのオーケストラの音色を磨き上げるのではなく、またスタイリッシュな指揮というよりもドイツの伝統に則した指揮に徹することによって、真にオーセンティックなワーグナーの演奏を作り上げています。
歌手達はもう言うことなし。人間的な魅力に溢れるテオ・アダムのザックスと、天馬空を行くようなルネ・コロのヴァルター、お転婆だった金持ちの娘が物語の進展に合わせて真の愛情に目覚めた女性に変貌していくヘレン・ドナートのエーヴァ、厭らしい敵役でありながらもどこか憎めないエヴァンスのべックメッサー、いずれも素晴らしい。モーツァルトやバッハを端正に歌う歌手、というイメージの強いシュライヤーが、おっちょこちょいの靴屋の徒弟ダーヴィットを楽しそうに、しかも主役を決して食ってしまわないように歌っているのも好ましい。このオペラにはフルネームを与えられた多くの職人達が現われますが、いずれも所を得た歌手ばかりで、けっして上手すぎないのが役柄に見あっていて素晴らしいと思います。合唱も然り。あまり沢山聴いている訳ではないけれど、これはカラヤンの残した夥しい録音の中でも、「ばらの騎士」の旧盤などと並ぶ傑作ではないでしょうか。

カラヤンとシュターツカペレの恐るべき表現の深さという意味で、次の箇所を挙げておきたい。第3幕の前奏曲の、3/2拍子が一小節はさまった直後のフォルテッシモの部分(譜例1)、ワーグナーの膨大なスコアの中でも出色の部分だと思うが、これをカラヤンとシュターツカペレは聴き手の魂を揺さぶるかのように鳴らす。私の貧しい言葉では表現のしようも無いが、もし私が指揮者だとしたら、オーケストラからこんなフォルテッシモを引き出すことが出来たなら死んでもいい、とすら思うだろう。
(譜例1)
a0240098_0392523.png

このホ短調の主和音にCisを重ねた和音で始まる特徴のある音形は、世間では「迷いの動機」などと呼ばれていて、第3幕のザックスの「迷い(迷妄)のモノローグ」に出てくるのだが、実は第2幕にも意義深い登場の仕方をしていることに気付いたのでちょっと拾い上げてみたい。
まず、譜例1の当該箇所の低音だが、Cis-Dis-E-Fis-G-A-Hと上昇する音形。次に第2幕ザックスの「靴造りの歌」の第1節、”Als Eva aus dem Paradies”(エーヴァが楽園から神様に追い出されたとき)の低音(譜例2)を見てみると、E-Fis-G-A-B-C-Dとなっていて、ホ短調(前奏曲)とト短調(靴造りの歌)の違いはあれど同じ音形。これで「迷いのモノローグ」は実はザックスが創世記のエーヴァ(イヴ)にことよせて密かに想いを寄せるエーヴァへの恋心を歌っているということが判る。
(譜例2)
a0240098_11348.png

「靴造りの歌」第2節の同じくだりの歌詞は”O Eva!Eva!Schlimmes Weib”(おお エーヴァ ひどい女よ!)というもの。そして第3節”O Eva!Hör mein' Klageruf.”(おお エーヴァ !わしの嘆きを聞いとくれ!)(譜例3)でついに譜例1の上声部の旋律が現われる(伴奏部の一番上の段)。
(譜例3)
a0240098_2394386.png

これが第3幕の前奏曲冒頭、そしてザックスの「迷いのモノローグ」に変奏されていくのだが、この第2幕の「靴造りの歌」における素材の「仕込み」は周到を極めていて、かなり聴き込まないと判らないように仕組まれている。ザックスの歌を聴いてエーヴァは思わず、”Mich schmerzt das Lied, ich weiß nicht wie!”(なぜだか、あの歌を聞くと心が痛むの!)と歌うが、この台詞に附けられた音楽の内声にも同じ旋律が書き込まれている(譜例4)。
(譜例4)
a0240098_23112483.png

第3幕の前奏曲は、少し後に出てくる「迷いのモノローグ」の素材から作られている、とする解説が多いようだが、ちょっと仔細に調べれば実は第2幕の「靴造りの歌」、もはや若い女の恋愛の対象からは外れてしまった中年男のやるせない歌からの引用であるということがこれで判りました(譜例5は前奏曲の冒頭)。
(譜例5)
a0240098_2321261.png

では、同じ旋律が第3幕、前奏曲と「迷いのモノローグ」以外の部分でどのように使われているか、これがまた分析すればするほど面白いのだがちょっと長くなるので続きは次回に。
(譜例はIMSLPからダウンロードしたマインツのB. Schott's Söhne社の1868年初版のヴォーカルスコアで、ピアノ伴奏の編曲はなんとかの歴史的ピアニスト、カール・タウジヒによるもの。引用した対訳は音楽之友社のオペラ対訳ライブラリーのものを使わせて頂きました)
(この項続く)
by nekomatalistener | 2013-03-14 00:01 | CD・DVD試聴記 | Comments(0)

新国立劇場オペラ研修所公演 ヒンデミット「カルディヤック」

イオンがピーコック買収。でもピーコックって、英語のネイティブにしたら「おしっこち○こ」みたいに聞えないのだろうか。とっても謎。ピーはおしっこじゃなくて豆だろうって説もあるが、ならば「まめち○こ」かって言えばどっちもどっち。




一年ぶりのオペラ研修所公演。いつものことながら珍しいオペラを優れた演奏で、しかも格安で聴けるのがとてもありがたい。

   2013年3月3日
   カルディヤック: 村松恒矢(Br)
   その娘: 吉田和夏(Sp)
   士官: 日浦眞矩(T)
   貴婦人: 立川清子(Sp)
   騎士: 伊藤達人(T)
   金商人: 大塚博章(Bs)
   衛兵隊長: 大久保光哉(Br)
   指揮: 高橋直史
   演出: 三浦安浩
   合唱: 栗友会合唱団
   管弦楽: トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ

まず演出のことについて。幕明けの無声映画風の映像処理が素晴らしい。1920年の無声映画「カリガリ博士」を思わせるような演出、このオペラがまさに表現主義の時代に書かれたことを雄弁に提示していました。
三浦安浩の演出は、去年ラヴェルの「スペインの時」とツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」の時にちょっと批判めいたことを書きましたが、今回は前みたいなどぎつい性的表現は抑えられていて大変良かったと思います。全体に闇を強調するモノクロームな色彩がスタイリッシュで知的な感じがします。コンパクトな回り舞台の仕掛けも秀逸でした。ただ、一つ二つ疑問もありました。3人ばかり黙役が出てきますが、私にはどうも意味不明で見た目にも煩わしく、演出家の言うようなドッペルゲンガーの恐怖は感じられませんでした。また、カルディヤックとその娘とのやり取りの中でボールの受け渡しの場面が出てきますが、これもこの演出家の独りよがりな解釈という気がして、なくもがなと思いました。さらに、騎士が貴婦人に贈るカルディヤックの手になる豪奢な金細工だが、これがなぜかストリッパーのおねえちゃんのバタフライ・パンツみたいで、とても下品。露悪的な表現を狙ったのかもしれませんが、どうもこういう所がこの演出家とは反りが合いません。

歌手では仕官を歌った日浦眞矩がとても良かったと思います。ヒンデミットの書いた音楽はワーグナーばりにドラマティックで声量も必要、しかも知的で乾いた叙情表現も必要、という難しい役どころかと思いますが素晴らしい歌唱だったのではないでしょうか。最後ちょっとスタミナ切れのようでしたが、彼の名前は記憶に留めておきたいと思います。
カルディヤックの娘を歌った吉田和夏は昨年「スペインの時」のコンセプシオンを聴いていますが、その時のツンデレとは大違いで今回はいかにも若い清純な娘といった歌い方、芳醇さは感じられませんがこの役なら「あり」だろうと思いました。
貴婦人の立川清子はグラマラスな歌い方が役にぴったりですが、立ち姿があまり貴婦人といった感じがしないのがちょっと残念。騎士の伊藤達人は昨年「フィレンツェの悲劇」でグイドを歌っていた人。そのグイド役もそうだが、こちらの騎士役もハイテノールの至難なパートを果敢に歌っていました。金商人の大塚博章はまずまず、衛兵隊長の大久保光哉はちょっと厳しかったように思います(一ヶ所派手にドイツ語をトチッてたような気が・・・)。
肝心のカルディヤック役の村松恒矢は健闘だと思いましたが、もうすこし高望みしたくなるところ。予習でフィッシャー=ディースカウなんか聴いたのが失敗か(笑)。しかしこれだけの至難な役なのにたったの二日の公演で終わりというのも切ないなぁ。場数を踏めばまだまだ良くなるのに、と思います。

トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズは(多分)初めて聴いたが素晴らしい演奏だったと思います。演奏は大変だろうと思うが、あまり官能的な要素がない分、テクニックと勢いでなんとかなるのかも知れない(そういう意味ではとても日本人向けw)。それにしても大熱演だったと思います。
今回の公演でなによりも印象的だったのはヒンデミットの音楽自体が大変な出来栄えだということ。今回が日本初演だとのことだが、ヨーロッパではときどき舞台に掛けられているようです。ひと様のブログも少し覗いてみましたが概ね好評。没後50年ということもあって、器楽以外の作品にも日があたってほしいと思います。ちなみに「カルディヤック」が気に入っていろいろCDを漁ってみようとしましたが、あまり手に入りません。とりあえず「画家マティス」と「聖女スザンナ」を買いましたので、これから聴いてみようと思います。
by nekomatalistener | 2013-03-04 23:56 | 演奏会レビュー | Comments(0)